第8話
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馬車に揺られながら、意識は半分ほど眠っていた。
王都からエヴァンズの領地まではある程度、道が舗装されている。そのため激しい揺れもなく、酔うこともなく快適なゆりかごでまどろんだ。
ふ、と目を開けると、黒髪の青年が片側のカーテンを開けて窓の外を見ていた。
何度か瞬きをして、イザベラはふるりと顔を振る。その気配に青年が振り向いた。
「ああ、起きたみたいだね。おはよう」
「おはよう、ございます」
覚醒したばかりで、ぼんやりと返答するイザベラを面白そうに見つめて、クラウスは窓の外を手のひらで示した。
「ほら、僕らが寝入っているうちに随分と移動したようだよ。向こうの方に赤い屋根がたくさん見える、もうすぐ町に着きそうだ」
「あら、シネラリアにもう着いたのね!」
パッと起き上がり、イザベラは嬉々として窓に張り付いた。寝起きで素が半分出てしまっている。
面食らったように軽く目を開き、クラウスはその横顔をしげしげと見つめた。
「……シネラリアと言えば、エヴァンズの領地の中で最も栄えている町だね」
王都から3時間半かかるシネラリアは、海に面しているため特産物が多い。アルメリア王国の観光名所の一つだ。
「とても良い町ですわ。みなさん活気があって、食べ物も美味しいですし…いつもこの町で休憩がてら、お昼を取ってますの」
「そう、楽しみだな」
徐々に近づく町なみが、イザベラの胸を踊らせた。生まれた時から育って来た領地の懐かしい空気が、イザベラの呼吸を軽くする。
その横で金の瞳が、その姿を静かに見つめていた。
ブルブルと短く鼻を鳴らして、駆けていた馬が徐々に闊歩し始める。やがて町の噴水広場で、馬車はコツコツ、と静かに停止した。
王子の従者がノックと共に、扉を開けても良いか尋ねた。
「ああ、どうぞ」
クラウスの返事を待って、従者はゆっくりと扉を開いた。
「クラウス殿下、イザベラ様、シネラリアに到着致しました」
従者は一礼し、小さな長方形の箱を差し出した。クラウスが頷いてそれを受け取る。
先に降りたクラウスが、イザベラに手を差し伸べる。そうっとその上に手を重ねて、イザベラも馬車から降りた。
外では侍女が既に待機しており、イザベラが降りて来るやいなや、すぐにそばに来て礼をした。
侍女がそばにいると言うだけで、なんと心強いことか、イザベラは安堵の息を吐いた。
「では、いつも通り町で昼食を取ろうと思いますが、殿下も」
「クラウス」
「はい?」
突然横槍を入れられて、振り向くと……妙な丸い色付き眼鏡をかけた黒髪の青年が立っていた。
琥珀の石で作られたそれは、クラウスの黄金を見事に隠している。
…なるほど、先ほどの長方形の箱の中身はそれか。
イザベラは何と声をかけたものかと、口を小さく開けたまま固まった。
なにせ、顔に対してレンズの比率がかなり大きい。しかも形が楕円ではなく正円なのだ。
唖然とするイザベラに、痺れを切らしてクラウスはもう一度口を開いた。
「殿下だと周りに気づかれるだろう、だからクラウスと」
「…は、…ええと、…クラウス様も同席されることになりました」
横に来て並んだクラウスの存在感がすごい。イザベラは全力で前を向きながら話した。
「私は侍女のアナを連れて行こうと思いますが、でん…クラウス様はどうなさいます?」
「僕は従者のヴィンスを連れて行くよ。あと兵士に護衛として2人ほど、バレないように距離をとって見張ってもらおう。そうだな、ディランとピート、悪いが頼む。他は馬車の見張りを、交代で休憩に行って良い」
手際よく指示して、一つ手を叩いた。解散の合図だ。
「行こう、僕は道がわからないから、あなたについて行くよ」
「は、はあ…」
クラウスに促され、2人は使用人を引き連れて、ギクシャクと町を歩き始めた。
数ヶ月ぶりに訪れた領地の町だというのに、横に並ぶ存在が気になって思わずチラチラ見てしまう。
艶のある黒髪、整った輪郭、スラリとした体躯、醸し出す空気だけで美丈夫だと分かる。
だが、その顔にかけられた丸眼鏡が全てを台無しにしていた。何でそれを選んだ、他になかったのか…?
いや、まあそれでも見れることは見れるのだ。半端ない素材のカバー力に、逆に恐れ入る。
大道芸人のような男が、イザベラの視線に気づいてこちらを見た。視線が合ってしまい、ビクッとする。
「そんなに見られると、ちょっと照れるな」
眉を下げて、クラウスは困ったように微笑んだ。
……すごい自信だ。
絶妙にダサいです、とは口が裂けても言えず、イザベラは曖昧に頷いて口をつぐむ。
クラウスの変装姿に圧倒されすぎて、名前を呼ぶ許可をもらったという出来事にイザベラは驚くタイミングを逃した。
町の広場を抜けて、賑やかな店が立ち並ぶ道筋に出た。歩きながら品物を覗けば、新鮮な魚類、乾物、野菜や果物、動物の肉、手作りの雑貨類、伝統を打ち出したお土産、観光客受けしそうな物から地元の住人が買いそうなものまで色々揃っている。
観光客も多く行き交っていて、どこもかしこも賑わっていた。
「ここですわ」
イザベラが立ち止まったのは、大きな家の隣に隠れるようにして建っている、こじんまりとした大衆食堂だ。
その建物を見た瞬間、王子の従者は顔を顰め、本当にここに入るのか?という顔をした。
まんまと王子のペースに乗せられて、素直にここまで案内してしまったが、やはりまずかっただろうか。イザベラはふむ、と頬に手を当てた。
「あの…何でしたら、テイクアウトを頼みましょうか?」
「あなたはここで食べるんだろう?一緒に入るよ」
にこ、と綺麗な笑顔を浮かべるクラウスを見て、従者は諦めたようにため息をついていた。この一連の流れだけで、彼らの関係性が何と無くわかったような気がした。
木の扉を開けると、カランと頭上でベルの音がする。
奥のカウンターから小走りに女性が駆けてきた。
「いらっしゃいませ…と、ベラちゃんじゃない!」
「こんにちは、アナベルさん」
黒い髪を後ろで一つに束ねた年配の女性は、嬉しそうにイザベラに微笑んだ。
「春以来ねぇ〜、もう学校は夏の休暇に入ったの?」
「ええ、これから家に帰るところなんです、その前にアナベルさんの料理が食べたくて」
「いつもありがとうね、ベラちゃんみたいな子にうちの料理を気に入ってもらえるなんて、本当嬉しいわ。さあ入って入って」
「今日は4人なんですが、席空いていますか?」
「そこのテーブル席を片付けるからちょっと待っててね、すぐに案内するから」
店内はひっそりと狭いものの、それなりに人が入っているようで、一見したところ友人同士や1人客がまったりと過ごしているようだった。
こういうところに来ることがあまり無いのか、クラウスは物珍しそうに周りをキョロキョロしている。
「はい、はい、お待たせしました。ど……、どうぞ〜」
女性はクラウス(の変装姿)を見て一瞬ギョッとしたような顔を見せたが、流石接客業、すぐに営業スマイルを取り戻した。
木のソファが向かい合うテーブル席に通されて、双方の主人がソファの奥に向かい合って座ることに目配せで決まる。
固い木のソファに腰を下ろすと、メニューを手渡される。
「今日は日替わりメニューなんですか?」
「ポトフよ、もう残り5食だから早い者勝ち」
慣れた様子でイザベラが尋ねると、女性はニヤリと笑ってウインクする。
「クラウス様はどれになさいますか?」
「さっぱり分からないな…どれがオススメなんだ?」
「ここの料理はどれも美味しいんですが、一番のオススメはやっぱり先ほどの数量限定の日替わりメニューですね」
「じゃあそれにしよう」
特に迷うこともなく注文すると、急に静かになる。
「彼女とはどういう関係性なんだ?」
ゆっくりと辺りを伺いながら、直球の質問をクラウスが投げた。
「アナベルさんの旦那様が腕利きの……………お医者様で、よくお世話になってますの。それが縁で…」
「へえ…」
イザベラは言いながら少し目を泳がせた。
嘘じゃないけど、正しくは獣医だ。
エヴァンズの屋敷に大型犬がいるということを、クラウスは知らない可能性がある。
犬アレルギーの彼に今それを告げてしまうのは、いたたまれな……………い?
そこまで考えて、イザベラはハッとテーブルの下で拳を握りしめた。
待てよ、これはチャンスでは?
ひょっこり、と背中に小さな黒い羽が生えた、ドーベルマンがヘッヘと舌を出しながら囁いてくる。
クラウスは犬アレルギーだワン。エヴァンズの屋敷に大型犬が5匹もいると分かれば、尻尾巻いてこのまま帰るかもしれないワン。
(イザベラの脳内の)ドーベルマンの言う通りだ。
もしくは、屋敷に泊まらずに他の宿を探すと言い出すかもしれない。
どちらに転んでも万々歳だ。
待って。
小さな白い羽の生えた、チワワがプルプル震えながらつぶらな瞳を潤ませてイザベラに囁きかける。
そう簡単に行くとは思えないワン。だって昨日から今まで、ずっとあっちのペースに飲まれっぱなしワン。
下手なことを言うのは無謀だワン。
確かに、(イザベラの脳内の)チワワの言うことも一理ある。
僅かに逡巡する、時間にして3秒。(ちなみにずっと横で侍女が怪訝そうな顔で見つめている)
意を決してギッとイザベラは持ち前の眼力で目の前の男を見据えた。
「じ、実は、お医者様はお医者様でも、動物のお医者様で、………うちの犬たちのかかりつけ医ですのよ!」
「ああ、そういうことか」
納得したように、クラウスは頷いた。その余裕は崩れていない。
芳しくない反応にズルッと倒れそうになるのを、寸でのところでこらえた。
「申し上げるのを忘れていたんですが…実はうちの屋敷では、大型犬を5匹飼っておりますの!」
「…知ってるよ」
知ってるの!?
イザベラは撃沈した。
知ってるのにどうして来ようと思った…?馬車の中での思いやり返して……?
だから言ったのにワン。脳内でチワワがイザベラを鼻で笑う。
無表情で落ち込むイザベラを、含みのある表情でクラウスがレンズの奥からじっと眺めていた。
「そっちの男の子たちは……お友達?」
足音とともに、頭上から声が降ってきた。
すでに完成していた料理を運んできたのだろう、早くもお盆にポトフを乗せて女性がテーブルにやってきた。
「アナベルさん」
「はい、お待ちどうさま」
にこやかに料理を配膳しながら、女性は話を続ける。
「いつもは見ない顔だから、なんだか今日は珍しいわ」
「ええ、…学校の同級生が観光に来たいと言うので一緒に来たんです」
「そうだったのね」
庶民であるアナベルに、詳細を伝えるとややこしいため、イザベラはある程度濁して答えた。
配膳を終えた彼女は、にこにこと嬉しそうにクラウスたちに向き直った。
「せっかくだし、2人にはベラちゃんのエピソードを一つ教えてあげるわね」
「えっ、結構です」
「僕は興味あるな」
間髪入れず被せるようなクラウスの声が邪魔をする。アナベルは気にせず頷いた。
「私の夫が獣医師をしていて、実は家が隣にあるんだけれど、ある日ベラちゃんが血相変えて馬車でうちにやってきたのよ。その日たまたま店が休みで、私が一人で家にいたのね。そうしたらベラちゃんが自分と同じくらい大きな犬を抱えて、助けて、死んじゃうって大号泣しながら駆け込んできたの。で、夫がいないし、どうしようと思ってとりあえず話だけ聞いたら……ふふ、犬の爪切りをお家の人に内緒でこっそりしたら、ただちょっと深く切りすぎちゃって血が出ただけで……それなのに私のせいで死んだらどうしようってずっと泣いてたの。…可愛いでしょ?」
「なんて美味しそうなポトフでしょう……みなさん、冷めないうちに早く頂きましょう」
「照れちゃって。少し勘違いされやすいところがあるけれど、本当に優しくていい子だから、仲良くしてあげてね」
黒歴史を暴露したアナベルは、ひらひらとお盆を持ってない方の手を振ってカウンターに戻った。
テーブルの上を沈黙が支配していた。非常に嫌な沈黙だ。
言い訳をするとすれば、犬の爪切りは本当に難しいのだ。
犬の爪というのは中に途中まで血管が通っており、先端部分までは血管が通っていないため通常はその部分だけを切り落とす。
しかし、爪の中の血管がどこまで通っているか、というのは非常にわかりづらい。人間みたいに切って良い部分が白くなっていたり、そんな分かりやすいオプションは一切ない。
白い爪の犬種であればある程度中の血管の赤い色が透けて見えるが、黒い爪の犬種であればジ・エンドだ。初心者はもはや手探りで慎重に少しずつ切っていくしかない。
しかもこの血管、誤って切るとびっくりするくらい大袈裟に血が吹き出て来るのだ。それはもう、ドバッと。
一桁の年齢の子供がそんなものに遭遇すれば、ひとたまりもない。泣き叫ぶに決まっている。
心の中で必死に言い訳をしながら、イザベラは温かいポトフを黙々と口にする。
「あなたは……」
目の前の男が何事か言いかけて、口をつぐんだ。横の従者がポトフを念のため毒味して、頷いて顔をほころばせている。
全員が食事をし始め、そこから店を出るまで非常に静かな時間が続いた。