エピローグ
レオノーラの集めた嘆願書が通り、使われていなかった建物を利用して瞬く間にこの学園に新たな寮が設置された。
ペットの同伴可の寮だ。すぐそばに犬小屋を併設し、学園の広大な敷地を活用し巨大なドッグランも作られた。
イザベラが大の犬好きであることが知れ渡ってから、周囲から時々生暖かい視線を送られるようになった。イザベラ自身も少し変化し、模範生徒として厳しくある姿勢は変わらないが、表情の強張りが随分と取れて優しく微笑むシーンも増えてきた。
何より、学園に愛する犬たちがいるのだ。イザベラの表情が緩まない理由はない。
三年生へと進級し、現在は休暇中でほとんどの生徒が家に帰る中、イザベラは学園に残って今日も今日とて至福の時を過ごしていた。
「良いお天気ね……」
寮周辺の庭のガゼボの屋根の下、芝生の上に腰を下ろしてアドルフを撫でていれば、横から差し込む日差しが暖かくてじんわりと気持ちが良い。
後ろの方でおばあちゃんのマリーがのんびりとあくびをして、それが伝染して眠くなる。
けれどもうちょっと遊ぼうよとダニエルがたしったしっ前足でイザベラの膝を叩き、シャルロットがイザベラの肩に鼻先を乗せるから、くすぐったくて笑ってしまう。
「ボス君もカール君もお家に帰ってしまったものね、ダニエルもシャルロットも、寂しいの?」
柴犬のボスやチワワのカールは、イザベラの同級生のペットだ。最近は小屋から離すとこの四匹でよく遊んでいて、大中小のサイズでありながら相手に怪我をさせないよう賢く仲良く追いかけっこを楽しんでいる。
「イザベラ!皆!」
イザベラがまどろみに勝てずウトウトとしていれば、後ろから聞き慣れた声がしてハッと目を開いた。
「クラウス様」
振り返った先にいた不気味な仮面の男に、もはや驚きは無くなって呆れ果てる。
「また、なんですのそれ」
「新作だよ、どうかな」
自慢げに黒髪の男が胸を張ってそわそわとしている。
木彫りの仮面に勿体無いくらい綺麗な宝石が一つはめ込まれているが、いつも通り、滞りなく不気味だ。
「流石に慣れましたわ」
最初の頃のような驚きは無く、半眼でイザベラが渋々感想を口にすればクラウスは腕を組んで深刻そうに首をひねった。
「……マンネリは芸術家にとって敵だな」
芸術家……?
聞き捨てならない言葉にイザベラが追求するべきか迷っているうちに、仮面の男は思い出したように後ろの従者から包みを受け取った。
「そうだ、お土産があるんだ」
卒業して本格的に公務に励むクラウスは、イザベラの元へ来るたびに行った先のお土産を持ち寄る。お礼を言って紙包みを開ければ、サテン生地が日差しを反射する。
「可愛らしいリボン……」
一定の長さの赤いリボンが五つと、同じ生地に細かな黒いレースのついたリボンが一つ。
「犬用のオシャレなアクセサリーみたいなものだよ。首輪の上からつけても良いらしい」
「まあ……!着けてみてもいいかしら?」
「どうぞ」
赤い目を輝かせて早速イザベラはリボンを犬たちの首に結んだ。お揃いの赤いリボンを着けた姿は愛らしくて、思わず口元がほころぶ。
「君の欲しいものがようやく分かるようになってきた気がする」
苦笑した声が上から降ってきて、イザベラは顔を上げた。しゅるりと包みに残っていたレースのリボンを手にしたクラウスが、壊れ物に対するような仕草でイザベラの長い髪に触れる。
器用にも金色の髪を軽く一つにまとめて蝶々結びで留めて、満足そうに息を吐く。
「うん、これでみんなお揃いだ」
そう言われて、イザベラは犬と顔を見合わせた。五匹と一人がお揃いのリボンを結んでいる。こそばゆい気持ちと、なんだか悔しい気持ちが胸の中でじわじわと溢れて、イザベラは気を取り直すように頬をぺちと軽く叩いた。
この間クラウスが買ってきた船の模型や、その前の前の前に買ってきた謎の人形の置物は今も扱いに困って部屋の隅にそっと置かれている。なんでも船の模型は公務で行った国で女性の間で流行している髪飾りだと言って、模型を頭の上に乗せる斬新で奇抜な髪型が素晴らしいと興奮したクラウスが持って帰ってきたのだ。
部屋に遊びにきたレオノーラに「イザベラ様は船がお好きですの?」と聞かれて返答に窮したのはつい最近のことではないか。
仮面ごしでもわかる得意げなクラウスが、機嫌よく笑ってイザベラの髪を一房すくった。
「折角の休暇なのに、学園に籠って寂しいだろう」
「生憎ですが、愛する犬たちがいるので寂しさとは無縁ですわ」
イザベラがそう言って肩を竦めれば、湾曲に伝えても無理だとわかったクラウスが直球勝負に出る。
「王宮は広いから、大型犬の五匹くらいなんてことないよ。だから早く王宮においで」
出た、イザベラはおかしい気持ちを堪えて顔をそらした。
「あら……人が最終学年の休暇を満喫しているところに、わざわざおいでくださって、口を開けばそればっかりですのね。王太子様は随分と暇なようですわ」
「わふ」
言いたい放題のイザベラに相槌を打つように横から黒い毛並みの犬が顔を出して吠える。桃色の大きな舌を機嫌よく出して愛する犬が笑っている。
「ふふ、ね。ラウ!」
おかしくなってイザベラはラウの首にぎゅっと抱きついた。それを見たクラウスが恨めしそうな声を出す。
「あなたの犬が羨ましいよ」
「一国の王子ともあろうお方が、何をおっしゃっているのかしら……ねえ、ラウ」
「わん!」
仲睦まじい一人と一匹にクラウスはおーいと手を振った。
「君のラウはここにいるよ?」
「私のラウはとっても可愛いんです」
わざとらしくツンとした顔でイザベラが悪戯っぽく言えば、上からくすりと小さく笑う声がした。
「それは良かった、僕は可愛いと言われても嬉しくないからね」
その瞬間、唇に柔らかい何かが掠めてイザベラは瞬いた。
目の前で仮面を外したクラウスが、したやったりの顔で金色の瞳を細める。
「なっ、なっ、なっ」
真っ赤になって唖然とするイザベラを眺めて笑っているが、クラウスの耳も同じように赤く染まっている。
「僕の魔女様は可愛らしいな……ふ、…は……はっ……はぁっく、しょん!!!」
言い終えるや否や、クラウスは盛大にくしゃみを放った。
ずず、と鼻をすすって悔しそうに顔を赤くしているクラウスを見つめて、イザベラは目を丸くした。完璧で非の打ち所のない王太子様が、こんな間抜けな姿を晒すのはすっかりイザベラに気を許しているからだ。
イザベラは慈愛のこもった赤い瞳を柔らかく細めて、幸せそうに微笑んだ。
「私の天使様も」
了
大変更新が遅くなり申し訳ございませんでした。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました!




