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第10話


彼女に初めて会ったのは、クラウスが13歳の誕生日を迎えたばかりの頃だった。


そろそろ婚約者を探し始めてもいいのではないか、と周囲が思案していた時期で、アルメリア王国の中でも有数の名だたる貴族令嬢が集められた小さなお茶会が開かれた。

そこに、王太子であるクラウスの意思は関係ない。王族たるもの、国にとって有益になることならば、己の心を殺してでも成し遂げなければならないからだ。

とはいえ、これはそんな物騒な話ではないから、クラウスは特に何も感じず主役の席に座っていた。

ここに集められた7名の少女たちの中であれば、誰を選んでも構わないと事前に言われていたが、つまりそれは誰を選んでも同じだと言うことだと理解していた。

所謂、婚約者候補として招待された小さな令嬢たちは、一様に緊張と期待を滲ませてそわそわとしながらクラウスをうかがっていた。

クラウスと年の近い子を集めているから、どの少女もだいたい10歳から13歳あたりの子供で、中には両親から大きなプレッシャーをかけられているのか、おどおどと不安そうに震えている子もいた。


その中で、───彼女は一際目立っていた。


甘露を煮詰めたような深い黄金の髪、物語に出てくる魔女を彷彿とさせる血のように真っ赤な瞳、それとは対照的に頬は色白で、そこにいるだけで誰もが無視できない際立った容姿をしていた。

その赤い目はグイ、とキツく上に吊り上がっていて、つまらなさそうに冷めた視線で周囲を見渡していた。

そんな彼女を見て、その時クラウスが特別な感情を抱くことはなかった。

ただ、印象的な容姿であると言うことと、酷く気が強そうだ、と言うことくらいしか思わず、婚約者候補として観察する対象にすぎなかった。

滞りなくお茶会は進み、主催者であるクラウスの母、つまり王妃が雑談を上手く全員に振って、緊張した空気が和やかに変わりつつあった。

一人の令嬢に話を振るたびに、ちらりと王妃がクラウスを意味深な目で見つめる。

どれも、代わり映えしないから、正直なところ誰でも良かった。

そんな風に思っていることは微塵も醸さずに、クラウスは慣れたように美しい微笑みを貼り付けて婚約者候補に相槌を打つ。そうすれば、たちまち少女は頬を薔薇色に上気させて、うっとりとこちらを見つめた。

とろりと溶け落ちるような、蜂蜜色の瞳を甘く惑わすように細めて、クラウスは何の感情も持たずにそれを眺めていた。

「私は、白い薔薇が好きで……いつもお庭の………」

「バイオリンを幼い頃から……」

「本を読むのが好きで……」

少女たちの言葉が、するり、するり、と聞いたそばから抜け落ちて行く。

「そう、素敵なご趣味だね」

にこやかに頷くクラウスを見て、王妃はため息を吐きそうになるのを堪えた。

今回のお茶会では、あまりにも決定打がなく、婚約者は決まらないだろう、と王妃がほとんど確信しかけた時だった。

「…イザベラ嬢、あなたは?」

まだ答えていない、最後の少女に王妃が若干投げやりに水を向けた。

彼女は少し俯き加減に、テーブルを見つめていた。きらめくブロンドが、少女の表情を隠している。

「私……」

喜色の滲んだ声が、少女の細い喉から震えるように絞り出される。

先ほどまでツンと赤い瞳で辺りをキツく睨みながら、すげなく質問に答えていたと言うのに、…どうも様子がおかしい。

どうしましたか、とクラウスが形式的に声をかけようとした時だ。


「私は……もちろん、()()()()が好き!!」


パッと、少女は勢いよく顔を上げ、花開くように柔らかく微笑んだ。


赤い目が、宝石のように光を反射して、キラキラと瑞々しく輝く。白い頬は甘い果実のように色づき、そのキツいつり目を穏やかに下げて心底嬉しそうにイザベラは、笑った。

クラウスは、瞬きも忘れてその笑みを見つめた。

言われた言葉が、耳から出て行こうとしない。

一体なんだ、質問の内容は、何だった?

回らない頭が、記憶を掘り起こす。

そうだ、“あなたが好きなものは何ですか?”だ。

珍しく息を詰まらせ、二の句が継げなくなっている息子を見て、王妃はおやと片眉を上げた。

イザベラは先ほどまでのツンとした態度が嘘のように、ふわりと愛らしく微笑んでいる。

「まあ……そうなのね、あなたはとてもクラウスが好きなのね」

言葉を無くしているクラウスの代わりに、王妃が優しく相槌を打った。所詮子供の言うことだから、王子の名前を呼び捨てにしていることに対して、特に咎めることはしなかった。

「はい!とっても好きですっ!」

目を輝かせて、イザベラはこくこくと頷いた。さきほどの淑女はどこへ行ったのか。良い子の元気な返事に、王妃も思わず口元を緩める。

「クラウスのどこが好きなの?」

「どこ……好きなところがいっぱいありすぎて、何と言えばいいんでしょう」

王妃の質問に、イザベラは困ったように眉を下げた。

「ええと……その、クラウスの黒い髪はお日様の光をいっぱいきらきらさせて、つやつやしていてて、キレイなんです!あと、とっても賢いところとか……」

少女はウンウン唸りつつ、王妃を見上げて、力説した。自分の息子を力いっぱい褒められて、王妃はクスクス笑っている。

「でも、何よりも、……あの、ひだまりみたいに、すごく優しい目が私は大好きなんです!」

不意に、少女がクラウスに視線をやった。黙り込んでじっと会話を聞いていたクラウスは、その美しい赤い瞳と目があって、息を飲む。彼女は慈愛に満ちた表情で、目元を緩めてはにかんだ。

じわ、じわ、とクラウスの内側から暖かいものが顔に集まって行く。

美しい、神々しい、幻想的、奇跡のよう、天の御使のようだ、聞き慣れた賛辞が、いつだってクラウスの耳を通り抜けて行くと言うのに。

ひだまりみたいに、優しい。その言葉が、あの笑顔が、クラウスの心を驚くほど動揺させて、……こんな自分を、知らなくて、クラウスは困惑気味に薄く口を開け、結局何も言えずに口をつぐむしかなかった。


イザベラが正式にクラウスの婚約者として決定するまで、1週間もかからなかった。

あれから王妃は大層ご機嫌で、度々イザベラを王宮に呼んでは王家としての教育を施している。けれど、妙なことに肝心の婚約者同士が引き合わされず、あのお茶会以来クラウスは彼女に会えなかった。

所詮、王家の血筋が高貴なまま続いていけるよう、繁栄のための婚約だ。別に義務に近しい関係に、不用意な接触は必要ない。

そう思いながらも、ふとした時にあの、少女の笑顔がちらりと頭に過ぎる。その度クラウスは自らに呆れ、顔をしかめた。


少女と再び相見えたのは、それから3ヶ月が経った頃だ。

剣の稽古が終わり、従者を連れて王宮の渡り廊下を歩いていたときのことだった。

向こう側の曲がり角から、金色の髪をなびかせて、ぴんと背筋を伸ばしてこちらに歩いてくる令嬢の姿が見えた。それが、イザベラだとすぐにわかり、クラウスは思わず足を止めた。後ろの従者が不思議そうに主人を見つめている。

侍女を連れて目の前まで歩いてきたイザベラは、クラウスを認めて美しく淑女の礼をとった。反射的にクラウスも挨拶を返す。

沈黙が2人の間に落ちる。宝石のように赤い瞳が、クラウスと目があった。

瞬間、ふいとそらされる。

「失礼いたします」

冷淡にも感じられるほど、温度のない声だった。

イザベラは無感動な赤い瞳を動かし、クラウスの横をすり抜けた。一筋のブロンドが踊るように、クラウスの腕を掠める。

「……っ」

思わず振り返って呼び止めようとしたが、何と言って良いのか分からず、閉口するだけでクラウスの唇から吐息だけがこぼれた。

彼女の美しい瞳に、クラウスは全く映されていなかった。カケラも興味のない色をして、通り過ぎていった婚約者を見送って、クラウスはひゅうひゅうと風が通り抜ける心を困惑したように抱え込んだ。

家族以外の者に対して、ほとんど動かされることのなかったはずの心に未知の痛みを覚えたまま、ただ呆然と黄金の瞳を揺らし、その場に立ち竦む他なかった。


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