ありさの冒険 ⑤ 満員電車
前田さんがその場を離れた後、三人は気まずい思いをしながらも、駅へと向かう・・・
動物園から駅までの道のりは、土日早朝ということもあり、人間の姿はほとんど見かけない。
横断歩道の信号待ちをしている間に横切る車もまだまだ少ない。
駅傍の商店街も、眠ったままだった。
ありさはタカシの左腕にぴったりしがみ付きながら歩いた。
時々人間が隣を横切る度に、肩をビクッと震わしていた。
先程と打って変わって、かなり緊張しているようだった。
まごころ動物園前駅に到着し、都会方面へのホームに向かった。
当駅始発電車が現れ、三人は乗り込んだ。
他の乗客は、目的の駅の出口が少しでも近いように、別の車両に集中している。
最も人間が少ない車両の席に、三人は横並びに座った。
向かいの窓の右から左へ流れる景色を、伝輝はただただ眺めた。
「タカシさん、伝輝」
二人に挟まれた位置に座っているありさが小声で話し始めた。
「言い忘れていたけど、これから人間界にいる間は、私のことを『まー』と呼んで」
「何で、『まー』?」タカシが尋ねた。
「万が一、身分を証明しないといけないとなった時は、伝輝の妹の環輝を名乗りなさいって、ゴンザレスさんに言われたの」
伝輝はドキッとした。
すっかり忘れていたが、自分には妹がいることになっているのだ。
実在しない、戸籍だけの存在。
まごころカンパニーが都合良く人間界で動けるように作られた「枠」だ。
「環輝ってそのまま言うと、無断使用したことがばれるから、あだ名を使うようにだって」
「流石、ゴンザレスさん、準備が良いね」
タカシはニコッと微笑んだ。
「ねぇ、タカシさん、聞いても良い?」
「何だい、まーちゃん?」
「さっきのヒトって、香さんでしょ。
何で、タカシさんを殴ったのかしら?」
伝輝も同じことを思っていた。
ありさと一緒に、首を横にしてタカシの方をじっと見る。
「多分、前田さんなりに注意したかったんだと思うよ。
不審者が女の子を連れていると、他の人間に勘違いされたら大変だからね」
タカシは小声で言った。
「でも、殴ることはないじゃない?!」
ありさの声が少し大きくなり、タカシが「シッ」と注意した。
「それはきっと・・・、前田さんは俺の身元引受役だからだと思うよ」
「身元引受役?」伝輝は尋ねた。
「簡単に言うと、保護者さ。
その動物の身に何か起きた時に、責任を持って対応してくれる存在のことだ。
基本は親がなり、親が死んだら、夫婦同士か子どもがその役を担う。
だけど動物界では、親権放棄はよくあることだから、親と暮らさない子どももいるんだ。
その場合、必ず別の動物が身元引受役をしないといけない。
もし、引受役が先に死ぬようなことがあれば、次の引受役を決めないといけない。
でも、何度も決め直すのは大変だから、元々寿命が長い動物に頼むことが多いんだ。
俺の親は、俺が産まれる前から親権を放棄していた。
そこで、同じまごころ荘に居た前田さんが俺の身元引受役になったんだ。
寿命の差があるし、前田さんからすれば、俺は子どもみたいな存在に見えるんだと思う。
だから、さっきの注意も、少々大げさになったのかもしれないな」
「そっかぁ・・・。引受役も大変よね。
私も、本当は咲さんになってほしいんだけど、咲さんは社員じゃないから、許してもらえないの。
子ども園の園長が、私の引受役してるけど、あと何年かしたらまた変わることになるわ」
ありさは言った。
しかし、伝輝はまだ腑に落ちない部分があった。
前田さんが保護者として振る舞っているなら、既に大人のタカシが気まずいのも分かる。
以前、四足歩行のタカシを前田さんがワシャワシャ可愛がったのも納得できる。
だが、あの時の前田さんは、単に子どもを叱る保護者としての行動には思えなかった。
怒りの感情をむき出しにし、歯を喰いしばる前田さんの顔。
それは、タカシに向けられていた。
ヒトに化けたタカシに・・・
ふと、優輝が産まれる夜、包産婦人科病院の駐車場に前田さんが現れたことを、伝輝は思い出した。
その時の前田さんも、いつもと違うような雰囲気がした。
すっかり忘れていたことだったが。
◇◆◇
「急行に乗り換えだ、降りるぞ」
タカシはありさの手を取り、立ち上がった。
伝輝もそれについて行く。
「余裕持ちたいから、できればもう少し早い新幹線に乗りたいな。
確か、先頭の車両が一番駅出口に近かったはずだ。
さっきよりも人間は増えるだろうが、まーちゃんは、大丈夫か?」
「頑張るわ。私も早く行きたいし」
乗り換えホームで、三人は先頭車両が止まる位置に立った。
早朝の土日にも関わらず、三人の後ろにはたちまち乗車予定の列が出来た。
急行電車が到着し、ドアが開く。
既に立っている乗客がいた。
「ひっ」ありさは小さい声をあげた。
どんどん人間が乗り込んで来る。
三人バラバラにならないように、伝輝もタカシのコートを軽くつまんだ。
ありさは再びタカシの腕にしがみついていた。
よく見ると、歯を小刻みに動かしている。
電車は動き出した。
立ち位置が落ち着いた伝輝は周囲を可能な限り見る。
平日ならともかく、何でこんなにも数が多いのだろう?
「きっと大きなイベントか何かがあるんだ。
同じロゴのバッジやシャツの人間がチラホラいる」
タカシは言った。
伝輝が再び乗客を見ると、それと思われるグッズを持った複数の若者が楽しそうにしているが見えた。
しばらくして、電車が止まり、ドアが開く。
そこから更に人間が乗り込んで来る。
物体の波がグイグイと乱暴に三人の身体を車両の中へと押し込む。
「まーちゃん、大丈夫か?」
伝輝はありさを見た。
ありさはタカシの声掛けに反応できない程に、ギュッと目を閉じていた。
「怖い・・・。
同じ種がいっぱいで気持ち悪い。
食品工場にいるみたい」
「まーちゃん、落ち着いて。あともう少しだ」
そう言って、タカシはスッと自分の左手を曲げた。
ありさの目線の近くに、黒い毛がボウボウに生えた手があった。
よく見ると、肉球が手の平についている。
「タカシさ・・・!?」
伝輝が何か言おうとする前に、タカシが首を振り、止めた。
ありさはすがりつくように、タカシの左手を抱きしめた。
しがみついていた左腕に顔を押し付け、荒く呼吸していた。
ありさがガシッと掴んでいたので、犬の毛並みに戻った左腕を、他の乗客に見られることはなかった。
◇◆◇
電車は終着駅に到着した。
ドアが開くと、溢れ出すように解放された乗客達がホームに流れ出てくる。
その流れに乗って、伝輝達も小走りで改札口に向かった。
「待って・・・」
マスク越しにくぐもった声で、ありさが呟いた。
ありさはマスクの上から口に手を当て、顔を下に向けている。
「気持ち悪い・・・、吐きそう」
「え?!」
伝輝は困惑したが、タカシがサッとありさに近付き、顔を上げさせた。
「人酔いしたな。すぐに治してあげるよ。
トイレはどこかな?」
三人はトイレの表示を見つけ、そこに向かった。
二人以上入れそうな多機能トイレがあり、タカシはそこにありさを入れた。
「伝輝はドアの前で見張っていてくれ」
そう言うと、タカシは自分も中に入り、鍵をかけた。
「マスクと帽子を取って。出来ればコートも一度脱ごう」
言われた通りに、ありさはそれらを外し、タカシに渡した。
目と鼻は真っ赤になっているが、唇は血の気がなくなっていた。
「悪かったね。あんなに混むとは思っていなかったから」
トイレ内にあるフックにコートをかけながらタカシが言った。
「私の方こそ、ごめんなさい。
これじゃあ、新幹線に乗れないよね」
「大丈夫だよ。君がこれ以上酔わないように、ちゃんと治療するから」
タカシはありさに向かい、目線を合わせるように、膝と腰を曲げた。
静電気で広がった髪を撫でながら、ありさの耳や側頭を両手の平で包む。
綺麗な形の頭を、タカシは手の平越しに感じた。
「顔をこっちに向けて、俺の方を見て」
涙にぬれた睫毛が上を向き、黒い瞳がタカシを見つめる。
すべすべした頬や鼻は赤く火照り、小さな唇から吐息が漏れていた。
「・・・・」
ありさは、タカシが自分を見たまま黙っているので、少し不思議に思った。
「タカシさん?」
「あっ、いや・・・。それじゃあ、治すね」
首から上がポッと温かくなった。
食道をうろついていた不快感がスッと消え、ありさは瞬きした。
「楽になったわ・・・」
「用を足した後、忘れずにマスクと帽子をつけてからトイレを出るんだよ。
その可愛い顔は、やはり目立ちそうだ」
そう言いながら、タカシは急ぐようにしてトイレのドアを開けて出て行った。
「タカシさん?」
伝輝はトイレから出てきたタカシに声をかけた。
「まーちゃんはもうすぐ出て来るよ。
俺達も、ついでにトイレを済ましとこう」
タカシは男性用トイレに向かった。
その時のタカシの顔が赤くなっていたのだが、伝輝は気のせいだと思った。




