男爵令嬢視点
「どうして嫌がらないの」
檻に入れた彼を見つめながら、私は涙ながらに訴えた。彼は柵越しから見える私の姿を見返した。
「君の望みはなんでも叶えてあげたいんだ」
甘やかな言葉が私に絶望を齎すのに十分過ぎた。
「違うの。そうではないの」
柵に手を添え、何度も私は首を振る。下を向いているせいで、彼の表情は分からない。けれど、見なくとも分かる。分かってしまう。
「じゃあ、どうしたらいい?」
困った様子の声音が耳に届く。
「どうしたらいいか、教えてほしい。君の望みはなんでも叶えてあげたいなんだ」
慰めるような、優しい言葉。彼はいつも優しくて、けれどそれが彼の望みでないことを知っている。
だからこそ、余計に苦しくなる。
「貴方がどう思っているのか、知りたいの」
届かない望みを口にしながら、叶わないと知っている。だって、彼が私に逆らう真似なんてできる筈もないもの。
ーー彼は公爵家の子息であり、私は男爵家の令嬢だった。身分差は歴然であり、本来であれば、彼は私にとって王族にも等しい天上人である。そんな彼が私の婚約者になった経緯は至極単純なものだった。彼の家が傾き、支援を求めざるを得ない状況に陥ったせいだ。公爵家が事業に失敗し、負債を抱え込んだのが原因だとか。
公爵家とはいえ、負債を返済するにも限度がある。
支援元として頼られたのが、私の家だった。男爵家とはいえ、元は商人を生業にしていた一族であり、事業をいくつか展開し成功を収め、爵位を買ったと言う経緯を持つ。悪く言えば、成り上がりの一族だからこそ、貴族との繋がりは喉から手が出る程欲しいものだった。
利害一致から成された、婚約。
その婚約者として選ばれたのが、男爵となった父の娘である私に過ぎない。
顔を合わせて、手紙のやりとりを交わして、お茶会を開いて、言葉を交わして。
家同士の契約から交わされた婚約とはいえ、彼との時間は居心地が良く、会わない日は彼からの手紙を読み返すようになっていき、予定が合えば、指折り数えて、彼に会える日を楽しみにしていた。
微笑ましいと、周囲が見守るような関係だった。
いつからだろうか?
彼に対して不安を覚えるようになったのは。
きっかけは覚えていないけれど、その不安は年々大きくなっていくばかりだった。何がそんなに不安なのか。
モヤモヤとした感情が蓄積していく中、唐突に気が付いた。
彼は私を肯定しても、否定や拒絶を一度たりともしたことがなかったのだ。
お茶会の日程にしても、そうだ。
彼は私とのお茶会を優先してくれる。たとえその日付に彼の予定が入っていたとしてもだ。いいのだろうか、本当に問題ないのか。心配して聞いたとしても、彼は変わらず「大丈夫」と言うばかりで。
「君との時間が何より大事なんだ」
私の望みを最優先にしてくれる、理想的な婚約者。
誰もが口を揃えて、彼をそう評する。
当事者でなければ、私だって彼を絶賛するだろう。
しかし、彼は違うのだ。何が違うのかと問われると、言語化するのは難しいものの、彼は私の為に尽くしているのではない。彼は家の為に私に尽くしてくれているのだ。
分かっている。
この婚約は愛情なんて介さない、家同士の契約だ。彼が家の為に尽力するのは正しい。にもかかわらず、私はどうしても、その正しさを曲げてしまいたくなった。
家の為に尽くす彼を折れさせて、一瞬でもいいから、こちらを見てほしいと思った。愛情でなくとも構わない。怒りでも憎しみでも悲しみでも、もはやなんでもいい。彼を本心が聞き出せるのならば、それがどんな類のものだったとしても。
『婚約者の為に』という言葉以外を引き出したいと思ったのだ。身勝手な私の望みは、彼に対する負の感情にも似た罪悪感に蝕まれ、次第に肥大化していく。そんな状態の私の表向きの望みを、彼は一度も否定しなければ、拒絶の一言さえない。いつだって、彼の言葉は決まっている。
『君がそう望むのなら』
違う。違うのだ。
私は彼の望みを聞きたいのであって、私の望みを叶えてほしいわけではないのだ。
『君の望みを叶えることだよ』
婚約者という柵さえなければ、貴方は『私の望みを叶える』という言葉以外を聞けただろうか?
もっとも、婚約者でなければ、彼と私の接点などないに等しく。そんな夢物語は妄想の域から出ることはない。同時に、婚約者でなければと考えた瞬間、身が裂けると思う程苦しくなってしまう。彼の本音が知りたいが為に、『檻に入って』なんて、暴言を振りかざす令嬢なんて嫌われて当然だ。
支援を求める公爵家の要望さえなければ、とっくに破談になっている。それどころか、家族に類が及ぶ可能性が高い。
彼を知りたいと思わなければいいだけだ。こんな暴挙に出ずに、婚約者としての彼の振る舞いを甘受すればいい。
何も考えずに、そのままで、
ーー無理だ。
享受できるのならば、彼を知りたいと思って、彼を試すような行動などしない筈だ。彼を檻の中に入れようとなんてしない。理想的な婚約者がほしいわけではない。ありのままの彼自身がほしいのだ。
「そんな顔をしないでほしい」
檻越しに抱き寄せられる。とは言っても、私が柵に当たらないよう配慮しているためか、やや不格好な抱き寄せ方だった。それでも、髪を優しく撫でられると、安心感に包まれる。同時に、彼の感情が見えないことに憎しみにも似た苛立ちを覚える。そんな自分がたまらなく嫌だった。
「知りたいの、貴方がどう思っているか」
柵に邪魔されて、彼の背中に腕を回すこともできない。彼に身を寄せることさえも。
「それだけが私の望みなの」
檻越しの彼に向かって、私は触れようと手を伸ばす。
「君の望みを叶えられたら、それでいい」
けれど、やはりと言うべきか。
「それだけが僕の望みだよ」
檻越しの彼には届かない。




