8.子供部屋のおじさんとおばさん
朝の教室に足を踏み入れると、サラは女子生徒に取り囲まれた。
「ハンスはルイーゼと結ばれたのですよね?」
女子生徒はサラの返答を、目を輝かせて待った。父が新聞社にサラの正体を公表した翌日、学院内の空気は一変していた。覆面作家ジャック・ローレンを一目見ようと教室は人で溢れていた。
「それは、皆さまのご想像にお任せします」
サラは愛想笑いを浮かべた。明るい結末を望むのは、読者の自由だ。物語の解釈も、その先の結末も、読む人によって違っていい。それがサラの信条だった。
望んだ未来が、必ずしも訪れるとは限らない。たとえ望んだ未来が訪れたとしても、それが幸せな人生であるとは限らない。逆に、望まなかった未来の先に、思いがけない幸せが待っていることだってあるだろう。人生の結末は、人それぞれの数だけ存在するのだから。
サラは窓の外に視線を移した。
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放課後、生徒会室の扉を開けると、ルイが窓際の打ち合わせ用の席を指差した。
「ちょっといいかな?」
「はい」
サラは口元を引き締めて、ルイの向かいに腰を下ろした。夕暮れ前の柔らかな光が窓から差し込んでいた。
「父王から聞いたよ」
ルイは愛想笑いを浮かべながら、軽く咳払いをした。ジャック・ローレンの件であることは、言われずともわかった。サラは膝の上で手を握りしめた。
「エドワードの元になった人はいるの?」
思いがけない質問に、サラは戸惑った。小説『鐘の鳴る丘で、もう一度あなたと』の主人公、エドワード・ハリスのことだ。そのモデルは、もとをたどればケリーが最初に書いた青年だった。誰か特定の人物をモデルにしたわけではない。
「妄想……いえ、想像です。小説を書いていると、頭の中に登場人物や情景が自然と浮かんでくるのです」
「そうなんだ」
ルイの目が、みるみる輝きを増していく。
「前髪をかきあげる仕草、陰のある雰囲気……僕はてっきり、エドワードは実在する人物だと思っていたよ」
早口になったルイに、サラは面食らった。
「じゃあ、ルイーゼの着ていた舞台衣装は何色だったの?」
「赤です」
「やっぱり、あの衣装は赤だよね。黒い刺繍が胸元に入ったドレスだよね?」
「……はい」
小声で頷くサラに、ルイは何度も大きく頷き返した。
「ハンスの葡萄酒は、品評会で特賞を取れたのかな?」
質問は次々と溢れ出し、止まる気配がなかった。サラは戸惑いながらも、ルイの熱意に押されるように答え続けた。
てっきり、正体を黙っていたことを咎められると身構えていた。なのに、ルイから怒りは微塵も感じられなかった。この人は、いったい私に何を伝えたいのだろう?
サラは愛想笑いを浮かべたまま、静かに尋ねた。
「あの……王子殿下は怒っていないのですか?」
「怒る? 何を?」
「私がジャック・ローレンだったのを、黙っていたことです」
唇を軽く噛みながら、サラは呟いた。
「それはない」
ルイは手を左右に振った。
「僕はジャック・ローレンのファンだからね。それよりも、このハンスはどうかな? 君の想像通りだといいのだけれど」
ルイは机の上に一枚の羊皮紙を広げた。そこに描かれていたのは、葡萄畑の中で手を振るハンスの横顔だった。繊細なタッチで描かれていた。
「えぇっ、フィリップ?」
サラは目を丸くした。見間違えるはずがなかった。市場の商店に何度も足を運び、ようやく手に入れたあの絵。その原画が、今、目の前にあった。
「ああ、フィリップは僕だよ。だから、黙っていたのはお互い様だ」
「なぜ、黙っていたんですか?」
「恥ずかしいからだよ。妄想を絵にしているからね」
ルイは照れくさそうに頭をかいた。窓から、茜色の陽が入ってきた。その光を受けたルイは、いつもより幼く見えた。これまでサラが知らなかった素顔だった。
「殿下なんていいほうです。私なんて、妄想を王国中にばら撒いているんですよ」
サラが目を細めて言うと、ルイは「ふっ」と吹き出した。笑い声が静かな室内に響いた。
今までサラは、妄想の中だけで生きてきた。誰にも知られてはならない秘密を抱えて、ひっそりと物語を紡いできた。
そして今、目の前には、同じように妄想を絵にしてきた人がいた。
頭の中に、机に向かって絵を描く白髪のルイが浮かんだ。その隣には、羽根ペンを持つサラがいた。小説と絵に夢中になる二人は、子供部屋の住人のようだった。
二次元のほうが好きだった。でも……三次元も悪くないのかもしれない。
サラの顔が火照っていくのがわかった。
「妄想中?」
ルイが悪戯っぽく頬を緩めた。そんなルイを見て、サラは「ふっ」と吹き出した。
夕陽に包まれた生徒会室は、静かな時間が流れていた。
―了―
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