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file7 あるべきところ

 翌朝、王城へ向かう道中、王都の空はよく晴れていた。

 目撃者がいなかったというのもあるが、昨夜、路地裏で人狼と刃を交えたことが嘘のように、通りにはいつも通りの喧騒が戻っている。

 ……だが、この中に、今も人狼が紛れているかもしれない。


「隊長」


 隣を歩くロゼが、小さく声をかけてきた。

 彼女は黒鷲隊の制服に身を包み、腰には短剣を二本差している。

 表情は……緊張からか、少し固い。


「大丈夫っすか?」

「俺は大丈夫だが、君の方が大丈夫か?」

「自分は……まあ、正直ちょっと怖いっす」


 ロゼは苦笑した。


「でも、怖がってる場合じゃ無いですし……王都に住む人達を守らなきゃいけないっすから」

「……その通りだ。やっぱり、君を副官に見込んだ俺の目に、間違いは無かったよ」


 俺がそう言うと、ロゼはわずかに目を丸くした後、少しだけ照れたように頬を掻いた。

 昨夜、あの人狼は自害した。

 口内に仕込まれた毒を噛み砕き、情報を残さず死んだ。

 ただの盗人ではない。ならば、これは王都の中に人狼が潜んでいるという、単純な脅威ではない。

 組織だ。そして組織ならば、目的がある。

 だが、それを突き止めるには、まだ情報が足りな過ぎる。

 王城に着くまで思考を巡らせど、確信を得られる事はなかった。



 王太子ルシアン殿下の執務室には、既にアリージャ公爵がいた。

 俺とロゼが入室すると、ルシアン殿下は机上の書類から顔を上げた。


「来たか、ケイン」

「はっ」


 俺は片膝をつき、頭を垂れる。

 ロゼも一拍遅れてそれに倣った。


「昨夜の件、アリージャから概略は聞いている。だが、直接聞きたい。報告してくれ」


「承知しました」


 俺は昨夜の戦闘について、順を追って説明した。

 路地裏での遭遇から、男が人狼へ変貌したこと。

 実際に戦闘して感じた人狼の膂力、俊敏性、そして変貌後の知性低下と、消耗による獣化の解除。

 そして、捕縛直前の自害。

 報告を終える頃には、室内の空気は重く沈んでいた。

 ルシアン殿下は椅子の背へ体を預け、静かに目を伏せる。


「組織だったものだな。間違いない」


 短い言葉だった。

 だが、その声には王太子としての危機感が滲んでいた。


「人狼は北部以北の存在とされていた。少なくとも、王都での明確な確認例はなかったはずだ」

「その通りです」


 アリージャ公爵が答える。


「ですが、王太子殿下が以前から懸念されていた夜間襲撃、行方不明、正体不明の騒乱。それらを遡ると、一年ほど前から類似した事案が確認されています」

「一年か……」


 ルシアン殿下の指が、机を一度だけ叩いた。


「つまり、我々は一年もの間、王都に潜む脅威を見落としていた可能性がある」


 誰も否定できなかった。

 人狼の恐ろしさは、単純な強さだけではない。

 人に化けること。

 王国民として暮らし、言葉を交わし、商売をし、兵士の目の前を通り過ぎること。

 人と獣の境界が曖昧であることこそが、奴らの本当の脅威だ。


「人狼が単独で潜伏していたとは考えにくい」

「その通りです。捕縛された後のことも考え、自害までする意志力は、並大抵のものではありません。それこそ、十分に訓練を積んだ諜報員でも無ければ、難しいでしょう」

「……諜報員、あるいはテロ要員か」


 ルシアン殿下は静かに息を吐く。

 その横で、アリージャ公爵が資料を机に置き、説明する。


「王都に混乱を起こすだけなら、夜間襲撃で十分です。しかし、もし組織的に動いているのなら、彼らは拠点、資金、人の流れを必要とします」

「王都で地盤を固めるなら、商会か」

「その可能性が高いかと、なので新興の商会に絞り、監視を入れます。特に、ここ一年で急速に取引を広げた商会、北方由来の物資を扱う商会、夜間搬入の多い商会。この辺りを重点的に」

「すぐに実行せよ」


 ルシアン殿下は即断した。


「ただし、民に不安を与えるな。人狼の存在を公にすれば、王都は混乱する。無実の商人が獣だと疑われ、私刑が起きる可能性もある」

「承知しております。黒鷲隊による監視は極秘とし、表向きは通常警備の強化とします」

「研究部は?」

「そちらも極秘で動かします」


 アリージャ公爵が俺へ視線を向けた。


「人狼の識別方法を研究させる。血液、魔力反応、獣化時の残滓、体温、匂い。何でもいい。人に紛れた人狼を見抜く手段が必要だ」

「そんなこと、本当にできるっすか……?」


 そこで、今までは無言で俺の後ろに控えているだけだったロゼが、思わずと言った様子で口を開いた。

 直後、自分が王太子の前で発言したことに気づいたのか、慌てて口を押さえる。


「も、申し訳ありません!」


 だが、ルシアン殿下は怒らなかった。


「よい。現場の疑問は重要だ」


 ロゼは恐縮しながら頭を下げる。

 アリージャ公爵も咎めることなく答えた。


「確かに、困難だろう。だが、困難だからといって放置するには、脅威が大きすぎる。それに、まったくゼロからというわけでも無い」


 アリージャ公爵が俺の方を見た。


「そうですね。私の剣の師曰く、人狼の研究自体は、昔から続けられていたようです。これまでは被害が限定的だったため、飛躍的に進む事はありませんでしたが、本腰を入れて研究を進めれば、何か手掛かりくらいは掴めるかと」

「なるほど……ケインの師というと、アオバ将軍か。将軍がそう言うなら、眉唾ではあるまい」


 ルシアン殿下は頷いた。


「研究部には私からも命を出す。扱いは最高機密だ。漏らした者は、爵位や役職に関わらず処罰する」


 その一言で、部屋の空気がさらに引き締まった。

 王太子の言葉は、未来の王の言葉でもある。


「しかし、黒鷲隊を組織してすぐ、この脅威を認識できたのは僥倖だった」


 その視線が俺へ向く。

 ルシアン殿下はそこで、僅かに表情を緩めた。


「ケイン。よくぞ見つけた」

「俺一人の手柄ではありません」


 俺は即座に答えた。


「最初に違和感を拾い、追跡の糸口を掴んだのはロゼです」

「ほう……?」


 アリージャ公爵の眉がわずかに動いた。

 俺の後ろで、ロゼの肩が跳ねる。


「第三隊の隊員です。現在は、俺の副官として動いています」

「副官に?」


 アリージャ公爵の視線がロゼを射抜く。

 ロゼは緊張で固まりながらも、どうにか背筋を伸ばした。


「ロゼと申します!」


 声が少し裏返っていた。

 いつもの口調はどこへやら、アリージャ公爵はしばらくロゼを観察した後、俺へ視線を戻す。


「腕は立つのか」

「まだ数度剣を合わせただけですが」


 ……と、そこまで言って、本人の前で言うのもどうかと思ったが、まぁいいだろう。


「中々です」


 ロゼが驚いたように俺を見る。

 褒められると思っていなかったのだろう。

 だが、事実だ。

 技量はまだ荒く、判断も未熟。

 だが、素質がある。

 何より、昨夜の恐怖から逃げず、王都の民を守るという任務に立ち返ったのが良い。

 それだけで、副官として育てる価値がある。


「そうか」


 アリージャ公爵は短く答えた。

 その声には、わずかな満足があった。


「第三隊長がそう言うなら、期待しておこう」

「はっ!」


 ロゼは勢いよく頭を下げた。

 ルシアン殿下はその様子を見て、柔らかく笑った。


「何はともあれ、ケインに良き部下ができたようで嬉しいぞ。お前は昔から、一人で何とかしようとするところがあるからな」


 そう言われ、俺は返す言葉に詰まった。

 否定はできない。


「だが、隊を率いるなら違う。背負うだけではなく、背を預けることも覚えろ」

「……肝に銘じます」


 ルシアン殿下は満足そうに頷いた。

 そして、少しだけ声を落とす。


「それと、ケイン」

「はっ」

「早く、あるべきところへ戻って来い」


 その言葉に、心臓が一つ強く脈打った。

 ロゼは意味が分からず、俺と殿下を見比べている。

 アリージャ公爵は黙っていたが、その灰銀の瞳がわずかに細められた。

 あるべきところ。

 それが何を指すのか、俺には分かっている。

 王国を支える大貴族の一角、レグルス公爵家。

 そして、俺が生まれた家。


「……俺は今は、黒鷲隊第三隊隊長です」

「知っている」

「ならば、今の俺がいるべき場所は、そこなんです」


 ルシアン殿下は俺を見た。

 その目には、責める色はない。


「今すぐ、とは言わん。だが忘れるな。お前が背負うものは、第三隊だけではない」

「……そう、なんでしょうか」


 そう答えるしかなかった。

 ……本当は、承知している。忘れたことなどない。

 だが、それを許さない人がいる。

 祖父クルガン=レグルス。老いてなお戦場に立つ、かつて列国に獅子将軍と恐れられた英雄であり、王国の剣そのもの。

 あの人の声が無い限り、俺はレグルス公爵家へ戻ることを許されない。

 ……だが、その許しを得る糸口すら、俺は掴めていない。


「ケイン、下がってよい」


 俺とロゼは一礼し、執務室を後にした。

 扉が閉まる直前、ルシアン殿下の視線を感じた。

 重い視線だった。

 期待と、信頼と、そして逃げ道を塞ぐような未来の重さが、俺の肩にのしかかっていた。



 ケインたちが退室した後、執務室にはしばし沈黙が落ちた。

 先に口を開いたのは、アリージャ公爵だった。


「……殿下は、ケインをレグルス公爵家へ戻したいのですね」

「ああ、戻るのが当然だと思っている」


 ルシアンは窓の外へ目を向けた。

 王都は穏やかだが、その穏やかさの内側に獣が潜んでいるかもしれない。

 今、王国には人材が必要だった。

 王都を守る者。

 戦場を支える者。

 そして、次代を背負う者。


「ケインは、いずれ王国に必要な男になる」

「今も、の間違いでは?」

「だからこそだ。小部隊の長で終わらせるには惜しい」


 アリージャは少し考え込むように目を伏せた。

 彼はケインの心情までは知らない。

 レグルス公爵家の内情も、全てを把握しているわけではない。

 だが、気になることはあった。


「クルガン公は、何を考えているのでしょう」


 レグルス公爵、クルガン=レグルス。

 七十を超えてなお、現役の軍人たちを震え上がらせる男。

 白髪となり、肌に深い皺を刻みながらも、その眼光は衰えるどころか、年々鋭くなっているようにさえ見える。

 アリージャも何度か言葉を交わしたことがあるが、その度に感じる気は並の武官や貴族のものでは無い。

 確かに見た目は老いているが、老いてなお牙を研ぎ続ける獅子が如き、化け物のような男だ。


「継がせる気が全くないとは思えませんが、継がせるために遠ざけているようにも見える」

「……まぁ、事情を知っている身からすれば、分からんでもないのだがな。クルガン殿も必死だったのだ」


 事情を知るルシアンがため息をつく。

 そう、ここまで拗れた原因はレグルス家だけではなく、王家にも原因があった。

 しかし、その原因となった者達は、既にいない。


「しかし、勝手にケインが千尋の谷に突っ込むような真似をして、軍学校に入ったのも、大概はレグルス公が原因でしょう?」

「……まぁ、大体は、な」


 アリージャの声には、わずかな同情が混じっていた。


「それに、クルガン公はまだ引退しないでしょう。七十を超えてなお、西部へ出向いていると聞きます」

「そうだ、西部に行って貰っている」


 ルシアンの表情がわずかに険しくなる。

 東部、北部、南部、そして西部。

 王国は今、どこも安穏とは言えない。


「だが、いつまでも古き英雄だけに頼るわけにはいかない」


 ルシアンは机上の資料へ視線を落とす。

 問題は山積みだった。

 それでも、未来は待ってくれない。


「未来は、我々が担っていく」


 ルシアンの声は静かだった。

 だが、その奥には確かな熱があった。


「ケインも、アリージャも、ルーナも、ゴドリゴも。そして、まだ名も知られていない者たちも」

「そのための黒鷲隊、ですか」

「ああ」


 ルシアンは頷いた。


「王都に潜む牙を暴け。民に知られる前に、我々が守り切るのだ」

「承知しました」


 アリージャは深く頭を下げた。

 その灰銀の瞳に、鋭い光が宿る。


「黒鷲隊、総力をもって」



 王城を出ると、陽は高く昇っていた。

 王都の喧騒は変わらない。

 笑い声も、怒鳴り声も、荷車の軋む音も、焼きたてのパンの匂いも、何一つ変わっていない。

 だが、一つ、厄介事を抱えてしまった。

 隣を歩くロゼが、声を潜める。


「隊長、さっきの、あるべきところって……」

「気にするな」

「気にするなって顔じゃないっすよ」


 そんな顔してたか? だが、今話すことではないし、話す気も無い。


「ロゼ、第三隊に戻ったら、新興商会の洗い出しを始める。表向きは夜間警備の強化だ。だが、実際には人狼の拠点探しになる」

「うぅ、なんか分かりやすく誤魔化されたっすけど、了解っす」

「危険な任務になる」

「昨日の時点で、もう十分危険だったっすよ」


 ロゼはそう言って、少しだけ笑った。

 その顔には、まだ恐怖が残っている。

 だが、逃げ腰ではない。


「なら、行くぞ」

「はい、隊長」


 赤い外套が風に揺れる。

 王都のどこかに、人に化けた獣が潜んでいる。

 牙と爪を隠し、善良な市民の顔をして、次の機会を待っている。

 だが、好きにはさせない。

 今はできることを確実にやっていこう。

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