流行に乗らない男の話 2
地位や名声の移ろいやすさを実体験中のマティスは今までの視野の狭さを反省していた。
「因果応報……」
生まれた時から王家の支援を受け、与えられていた地位に甘んじていた伯爵家の嫡男マティスはどんどん落ちていく流れに、身を任せていた。
薬師の腕と礼儀作法だけで厚遇されていたのは、王家の後見の前提のもとで、伯爵家嫡男として自分の能力の低さに気づいたマティスは妹のカミーラにきちんと教えた。
「王宮医は王族以外で唯一王という言葉が許される役職。王族の命に従い、王族の体を守る王族のためだけの医務官であり、王国で最高峰の医務官の称号であり、建国以来、うちの一族の者が務めてきた。だから僕達は他の貴族達と違い、礼儀作法と医術を中心に教育されただろう?うちは当主が王宮医を務める家への優遇措置として、税の減免と研究所への多額の支援を受けていた。だから、うちだけは他の領と違い無料の診療所があるんだよ。研究員や診療所で働く薬師達に働きに合う給料を支払えていたのは王家の支援があったからだよ。父上達がほぼ領にいなくても、王家の支援で裕福な生活ができていたんだ」
「お父様達は王族の医務官として全うしているけど、領主としては駄目ってこと?」
「駄目かはわからないよ。うちの一族は領民の体が元気でいられるように診てきたけど、領地の安寧のためにすべきことを放棄した結果が、これからやってくるよ。僕は頑張るけど、カミーラに貧しい思いをさせてしまう。ごめん」
「自分勝手な先祖やお父様達の所為だもの。子供の責任をとるのは、育てた大人でしょ?子供のお兄様が謝るのは違うわ」
兄を慰めようとするカミーラを抱きしめたマティスは妹を育てることと領民の生活を守ること以外は切り捨てることを決めた。
カミーラをきちんと育て、マティスが継いだら、爵位を返上すればいいかという本音を隠して、爵位を手放したくないわりに領地の経営を破綻させることばかりの両親の代わりに動いた。
「自分の食い扶持くらい稼げるから心配はいらん。儂の育て方が悪かった……カミーラと一緒にうちにくるか?」
「お気遣いありがとうございます。役目を果たし、引退されたおじい様とは違い、なにもしていなかった僕は伯爵家嫡男としての責任を今からでもきちんと全うしようと思っています。父上には僕が話します」
「儂らはマティスの決断に従おう。マティスには丸投げのほうがええじゃろう。子供への重圧には重すぎるが、お前なら背負えるじゃろう」
「ありがとうございます」
マティスは伯爵領の診療所で弟子を教育している祖父に会いに行き、これからの計画を話した。
そして、今まで深く知らなかった一族で唯一恋愛結婚を選んだ両親の婚姻事情を聞いた。
薬師ではない母が父に付き添い補助しているのも、異例だったという衝撃の事実をマティスは祖父に聞くまで知らなかった。
祖父の王宮医時代は王族の治療時は王族の専属侍女が付き添い、夫人は領地で内政を取り仕切っていた。
王家は薬師として発展を担う一族のために社交と領地経営に長けた配偶者を選んできた。伯爵夫人として王家の命令通りのサポートに専念し、権力争いに巻き込まれにくい平凡な伯爵家を作ってきた。
「カミーラ、おじい様と一緒ならここより裕福な暮らしができるよ。おじい様の所に行くかい?」
「お兄様は?」
「僕は目の前の光景は当たり前だと思っていた。愚かな僕の勘違いが招いたことの責任をとらないといけないから、一緒にはいけないんだ」
「お兄様は子供よ。大人の責任をとるのはおかしい」
「僕は嫡男だから、一族と領民への責任を果たさないといけないんだ」
「私にはよくわからない。でも、お兄様がここにいるなら、お兄様と一緒がいい。それに、間違えても気づいたら直せばいいんでしょ?」
「ありがとう。賢くて、優しい妹に誇れる兄になるように頑張るよ。僕のお姫様は最高だ」
「私はお兄様のお姫様だもの」
「今日はカミーラが眠るまで一緒にいようか」
マティスは笑っているカミーラを抱きしめた。
あたたかい妹の存在が後悔や暗い感情に襲われていたマティスを救い上げた。
マティスはカミーラを抱き上げた。楽しそうに笑っている妹と久しぶりにゆっくり過ごし、寂しくても口に出さない妹とのこれからを考えた。
カミーラを寝かしつけたマティスは静かにカミーラの部屋を出て、久しぶりに父親を訪ねるために出かけた。
「父上と母上の身勝手さに気付いていれば……。後悔しても時は戻らないし、もう解くのは難しいほど絡まり固まっている……。腐るまでに、捨てるしかない」
マティスは両親への配慮は捨て、穏やかに微笑んでいる父親にそっくりな笑顔で口を開いた。
「王宮医ではなく、一介の医務官となった父上の給金では研究所の維持はもちろん、領民の腹を満たすこともできません。爵位を返上しないなら、これらを受け入れていただかないと、領民達は飢え、いずれ亡くなります。ほとんど帰ってこない父上の代わりに僕が民達が飢えないように責任を取ります」
「そこまでしないといけないかい?」
「全部が父上の所為とは言いません。うちの縁談は暗黙の了解で今までは国王陛下がまとめていました。でも、父上だけは違いました。家を捨てても、父上に嫁ぎたいという母上を受け入れたのに、陛下や母上の生家、母上を妻に望んだ家との関係を修復せず、薬師としての責務を全うすることを選びました。欲の代償はいつか支払わないといけないというおじい様の言葉を覚えていますか?」
「マティス」
「母上には言いませんよ。一族の歴史を知り、当主に忠告されたうえで選んだのは父上ですから。それがどんな波紋を呼ぶか、一族の言葉を聞き流した父上よりも、次代の決断に従うとおじい様達にも承諾を得ています。父上はどうか薬師としてやりたいようにしてください。母上と二人の生活は父上の給金で賄ってください。カミーラは僕が精一杯きちんと育てますので、ご安心ください」
伯爵領の財政は王宮医の高給と優遇措置に支えられていたため、マティスは使用人達に紹介状と退職金を渡し、暇を出した。
マティスは王族のために働きたい父親の意思を尊重し、他の権限は全て握り、研究所で住み込みで働いていた薬師と見習い達に頭を下げた。
「申し訳ない。この国に薬師にとって明るい未来はないから、ここは来月で畳む。研究所への支援の打ち切りが決まった。勝手に決めて申し訳ないけど、皆の時間を無駄にはできない。他国に移住し、研究を支援してくれる家や薬師としての仕官先も紹介する。ここで学んでいるまだ見習いの者達を弟子として連れてくれるなら有り難いが無理強いはしない」
「マティス様はどうされるんですか?」
「僕は診療所の管理と領地の自給率の引き上げの研究をする。うちの作物の収穫率は他領より低い。だが、うちの薬草の育ちはいいから、改良の余地はあると思っている」
「今までの研究を手放されるのですか?」
「資料はまとめてあるから、君達の好きにしていいよ。医の道を進む者になら君達の判断で売って、私腹を肥やしても構わないよ。僕には今目の前にある命を慈しむのが優先だから」
「給金はいらないので、マティス様に師事を望む者は残っていいですか?」
「診療所の管理をされるなら、実践を学ぶ場は残ってますよね?片足を失い、絶望した俺を導いて、ここまで育ててくれたのはマティス様です」
「私は人嫌いですので、慣れ親しんだマティス様の研究をお手伝いしたいです」
「気持ちはありがたいけど、何も返せない。嫌になったらすぐに出ていくように。うちへの恩義も忠義も捨てていい。使用人は解雇するから、身の回りの世話を自分でしてもらうけど、それでもいいなら宿舎は好きに使って。食事もそのうち自給自足にするつもりだ」
「天才でもマティス様はまだ子供です。大人の手を借りていいんですよ。お父上は人に頼ってばかりでしょう?患者には最高の薬師だが、領主や統括者としてはちょっと……。一人前になってもマティス様は私の弟子であり、師は弟子を導き、助けるものです」
「ありがとうございます」
貴族なら迷うことなく手を伸ばしただろう王族の手も、力のある貴族の手もとらず、子供なら手を伸ばしただろう家族の手も取らなかったマティスは変わり者の仲間の手を取った。
マティスは研究所の薬師をまとめていた師匠や仲間、見習い達の言葉に笑みをこぼし、残留を希望する者達を受け入れた。
一人でするつもりだった支援金の断ち切られた、建国と同じ歴史の長さを持つ研究所をマティスは仲間達と閉じた。
「診療所で使う物のみ残し、後は売りましょう。これは育成と保存に技術がいるので、高価です。梱包は任せてください」
「お金がないなら、ここにある材料は高値で売れるようにしませんか?量は減るけど、これを乾燥させ、粉にする技術を持つのは一流の薬師のみ。一流の薬師の材料はさらに、特にお金持ちが欲しがりそう……」
「商人の才覚があるとは気付かなかった……。商人になりたいなら、今なら仕官先を紹介できるよ」
「もう少しで見習い卒業できるのに、商人にはなりません。没落したら見向きもされなくなるって言ってるけど、マティス様のお願いなら皆、喜んで聞くと思うよ」
「ありがとう。僕は落ち込んではいないから、慰めなくてもいいよ。でも、その優しさはありがたくいただくよ」
マティスの心からの笑顔の破壊力に仲間達は見惚れる、言葉を失う、つられて笑う、反応は様々である。
貴族らしい美しい外見なのに、誰にでも優しく、どんな時も暗い顔も嫌な顔を見せず、笑顔で穏やか、常に自分以外の誰かのために一生懸命な美少年の健やかな成長を師匠や仲間達が望み、一部に崇拝されているがマティスは気付かない。
マティスは研究所で保管していた薬剤や材料を商人に売り、二年分の増税分の収入を確保した。
「歴史あるものを閉じるのは覚悟がいると言われたけど、あっけなかったなぁ。一族の歴史を誇れず、損得の計算ばかりで手段を選ばない僕は貴族に向いていないなぁ……」
空っぽとなった研究所を静かに眺めているマティスを見ている者の存在に気付かなかった。




