流行に乗らない男の話 1
マティスの妹カミーラは知りたがりである。
「どうして薬を作るの?」
「どうして薬草は土に生えるの?」
薬師として多忙なマティス達の両親は娘の細かい質問に付き合う時間はなかった。
薬師として座学や手技は一人前と父に認められ、実践見習い中のマティスは妹のカミーラと手を繋ぎ散歩しながら丁寧に質問に答えていく。
「明日答えてもいい?」
「うん!!いつでもいいから教えて」
カミーラの突拍子のない質問への答えを持たないマティスは優しく頭を撫で、時間をもらう約束をする。
マティスは薬師の天才と言われていたが、カミーラの終わらない質問に答えるために必死に勉強したから年齢のわりに賢いと言われただけである。
物心つく前から薬師の教育を受け、社交デビュー前に王宮に連れられ、同じ歳の王子の友人になり、王子とともに妃のお茶会に招かれ、伯爵家では経験できないことの詰まった子供時代を過ごしたマティスは早熟であった。
薬師としては一流で一見完璧に見えるが、私生活は駄目なお手本が目の前にいたので教材には困らず、周囲には同情される環境の利点を探し、折り合いをつけて生きるのが上手い少年に成長した。
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建国から王家に仕え、薬師一族として常に王宮医の席を独占した伯爵家嫡男であり、王子の幼馴染のマティスは王宮でも一目置かれていた。
ほぼ王宮で生活している父から教育を受ける場は王宮での実地訓練である。
帰りに王子に声を掛けられ遊んだり、王妃に招かれお茶を飲むのも日常の一つであった。
「マティスの部屋も用意するから、王宮に泊まればいい。両親とも過ごしやすいだろ?」
「お気遣いありがとうございます。妹が待っていますから、僕は帰ります。殿下の休憩時間にまた参りますよ」
「約束だからな」
マティスと遊び足りない王子の誘いを笑顔で断り、帰宅する。
王族と親交を深めたい貴族は多いが、マティスは違った。
美しい庭園、豪華な食事、洗練された使用人達、全てが美しく整えられた伯爵家にないものばかりの王宮の魅力も知っているが、大事なものはないため、王宮に長居する理由はなかった。
「ただいま。カミーラは?」
「おかえりなさいませ。お嬢様は薬草園にいらっしゃいます」
「ありがとう」
マティスは薬草を眺めている妹を見つけて隣に座った。
マティスに気付いたカミーラが両手を伸ばす。
「ただいま。カミーラ。観察が終わったら食事にしようか」
「おかえりなさい。お兄様」
大事な妹を抱きしめて、マティスは笑う。
「蝶よ花よとお姫様のように育ててあげたいのに」
「どうしたの?私はお兄様のお姫様でしょ?」
「そうだね。カミーラは僕の世界で一番大切なお姫様だよ」
「当然よ」
胸を張り、偉そうな物言いのカミーラの髪をマティスは優しく撫でる。
教師から礼儀作法に及第点をもらえば、両親はカミーラに王宮で教育をする。
優秀なお手本はカミーラの成長を促すという根拠をマティスはわかっている。
それでも幼い妹の瞳に、醜いものが映ることが悲しく、カミーラの成長を褒めながら、ゆっくり成長してほしいとマティスは心の中で願った。
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王宮で過ごす機会が多いマティスは王宮の空気の変化を感じていた。
公爵家を後見につけた治癒魔導士が王宮に現れ、治癒魔法を披露し、苦みや臭みのある薬を処方する薬師を貶め、王宮医の地位を奪おうとしているのは一目瞭然だった。
一度だけ会った治癒魔導士はマティスに敵意の視線を向けていたが、笑顔で気づかないフリをして流した。
建国からずっと王宮医を務めた一族は、変化の兆しに抗うことなく、命を救える手段が増えるのは良い事だと受け入れた。
「マティス、このままだと伯爵家はいずれ没落する。お前が望むなら手を貸すぞ」
「お気遣いありがとうございます、殿下。ですがお気持ちだけで十分です」
「それでいいのか?」
「貴族の落とし合いに王族が関与してはいけませんよ。それに、新しい文化を受け入れる時、忌避されることも多い中、うまく認められた手腕はさすが公爵家です」
「呑気に感心している場合じゃないだろう。お人好しの伯爵と違い、お前ならわかるだろう?」
「公爵家と争って、得られるものより、失うもののほうが多い。殿下達のおかげで見聞を広げられたことは深く感謝しております」
「俺の専属にマティスを指名する」
「いけませんよ。私情での任命は誰のためにもなりません。給金を頂けるのは成人後に正式に任命された側近ですし、殿下が側近を任命する時期はまだ先です。僕は成人していませんが、薬師として働くことができますので、妹を育てるためのお金を稼ぐ手段はありますので、ご心配なく」
「亡命する気か!?」
「大げさですよ。権力争いに敗れた貴族は去るものです。遠く離れても殿下が立派な王様になると信じております」
「戦ってもいないだろうが!!俺の友人はお前しかいないんだ」
「光栄です。妃殿下の合格をいただき、殿下が正式にお披露目されれば、新たな縁に恵まれ、選り取り見取りですよ」
「お披露目されたら、さらに忙しくなるんだろう……。ギリギリまで延ばしたいんだ。母上の機嫌を取り、俺のために時間稼ぎをしてくれるのはお前だけだ」
「殿下は大げさですよ。護衛さえつけてくだされば、いつでも遊びに来てください。おもてなしできる財力はありませんので、殿下が食べる物は持参してください。返礼できませんので、贈り物はやめてくださいね」
「没落する準備をするよりも、やることがあるだろうが」
「そうですね。読み終えていない王宮書庫の本を今のうちに読んでまいります。せっかくですので、殿下もご一緒にいかがですか?」
「活字は好きではないが、解説してくれるか?」
「お任せください」
穏やかに微笑んでいるマティスは興奮している王子を宥めて、両親が王宮医ではなくなれば足を踏み入れることはできなくなる王宮書庫に王子を誘った。勉強嫌いの王子がマティスに誘われた時のみ読書をすることをマティスは知らない。
知りたがりの幼い妹のカミーラにわかるように説明するマティスの言葉は王子にとって、教師達よりもわかりやすく自然に頭に入ってくるものだった。
脳筋傾向の息子の教育に悩む王妃にとってマティスは希望でもあった。
王妃に気に入られても、マティスは驕らず、期待もせず、弁えていた。誰にでも礼儀正しく物腰柔らかで、優しく、程よい距離感の美少年は王宮では人気があった。
マティスは立ち位置を揺るがす者達と立ち向かうために好意を利用しようとは思わなかった。
争いを好まず、平凡な伯爵は早々に社交界での立ち位置を危うくし、野心家の公爵家を後見につけた治癒魔導士が認められ、社交界で薬師が貶められていた。
「治癒魔法は便利よ。でも、痛みがすぐに消えたら、怪我が怖くなくなるわ。それはよくないと思うの」
「そうですね。お体は大事にしないといけませんね」
「ち、ちがうの。マティス様のお薬は塗るときは痛いけど、心はあたたかくなるの!!治癒魔法にはそれがないの」
マティスは一生懸命慰めようとしている幼い姫の優しさに微笑んだ。
「薬師を大事に想ってくださりありがとうございます」
マティスは身分の高い者からの気遣いを断るのは無礼と自覚があっても、罰せられないことは分かっていたので、穏便に断る姿勢を貫いた。
歴史ある薬師一族の嫡男は治癒魔法を認め、地位を守るために争う気持ちは一切なかった。
「公爵閣下は薬師という文化そのものを排除したいのか。それなら、新たな受け入れ先を探さないとか。植物の栽培と同様に人にも環境が大切だから、逆境に耐え抜けなんて教えは、薬師にはいらない」
マティスは子供という立ち位置を生かし、王宮に訪ねる賓客や外交官達に話しかけ、知り合いになり、手紙でのやり取りを取り付けた。
手紙でやり取りしながら、薬師に関心のある外国の貴族と親交をさらに深め、親交のある薬師達には外国語を教えた。
マティスが薬師の擁護ではなく、外国語を熱心に勉強している姿に危惧を覚えたのは王妃だった。
「息子の友人への提案です。王族ではなく、母として、家族として貴方とならうまくまとまると思うの。いかが?」
王妃のプライベートのお茶会に招かれたマティスは幼い姫との婚約について問われたが、断った。
王妃が伯爵家を守るために動こうとしてくれているのは、理解してもお互いにとって労力のわりに利にならないことはマティスの目には明らかだった。
マティスとカミーラを王族の側近として王宮で生活する話をされても、答えは同じ。
道理に反すると断るマティスがカミーラを王宮から遠ざけたいと思っていることは誰も気付かなかった。
マティスは着々と伯爵家が没落する前に爵位を返上する準備を進めていたが、両親の言葉に固まった。
「先祖が代々守ってきたものを、私の代で終わらせることはできない」
マティスは両親が地位や権力に興味のない、人を救うことのみに、重きを置くと思っていたが違っていた。
「公爵閣下を薬師嫌いにさせ、放置し、ここまで怒らせたのは父上達だ。父上達は自業自得だから、もういいか。優先すべきは巻き込まれた薬師とカミーラだ」
当主の意向が第一なので、マティスは方針を変えた。
薬師達には待遇が悪くなったり、辞職を求められたりすれば、すぐに辞職していいことを伝え、新たな職場を用意した。
「うちへの恩や忠義は忘れてください。新天地で地位や財力を得て、余裕があるなら、出会う薬師達に」
「言われなくても、助け合い、高め合うのは当然だ」
「謝らないでくださいよ。もしも、私の手が必要なら、遠慮なく手紙をください。マティス様のお願いは最優先です。人徳での贔屓は当然でしょう?」
「ありがとう。気をつけて」
泥船になる前に、薬師の仲間達を立派な船に乗せ、マティスは見送った。
没落し、財政が傾き、商人達から優遇ではなく冷遇される前に、マティスは伯爵家嫡男として持てる権力を最大限使った。
公爵家は王宮医の地位だけでは満足しなかった。
王国は医療の進歩のために薬師達のための研究所への支援をしていたが、治癒魔法の発展に力を注ぐ方針を決めた。
「マティス、大変だ。正式な通達は後日だが、研究所への補助金は来月で打ち切られる」
「新年度から支援が断ち切られる可能性は考えていましたが、来月までですか。驚きました」
「異議申し立てをするなら、俺が後見になる」
「教えていただきありがとうございます。今まで過分な支援をいただいてましたので、感謝しています。お気持ちだけありがたくいただきます。僕、書庫に行ってきます」
「お前は……なんでもない」
抗う意思のないマティスに王子が物言いたげに見ていた。
マティスは穏やかに微笑み、王宮書庫に行き、他領の領地管理についての資料を集め読みふけっていた。
気付くと窓の外は暗くなり、一人で夕食を食べおえ、就寝準備をしているだろうカミーラの眠る時間に間に合うように急いで帰路に就いた。




