1.転生したら幼馴染と恋人同士だった件
美しい物語なんて、薄っぺらな虚構の中にしかない。
使い古された題材。先が見えている筋書き。
けれどその単純明快さはひとつの答えを力強く提示する。
すなわち、困難を前にして燃え上がる愛の尊さ。
死によってさえ引き裂くことのできない、恋人たちの絆の物語だ。
「平民の男と結婚など、断じて認めん! いい加減に貴族としての立場を自覚しろ! お前は我がアウトポスト家の娘なのだぞ!」
烈火の如き叱責。娘の交際を認めない父親の反応としてはありふれているが、いざ当事者になってみるとその威圧感は肌を突き刺すほどで、俺は思わず息を呑んだ。
眼前の光景すべてがひどく重苦しく、ゆっくり、途切れ途切れに流れていくかのようだ。淡い空気は色を失い、呼吸を妨げようとしてくる。
場所は書斎を兼ねた執務室。堅苦しい内装の中、窓を背に立つ壮年男性はこちらを視界に入れることさえしていない。
非難の矛先は俺ではなく、その隣の少女に向けられていた。
それでも彼女の力強いまなざしが揺らぐことはない。
美しいかんばせだと、何度見ても感嘆する。
刹那、圧巻の美貌が静止し、少しの間隔を置いて『ずれ』た。
(いや、重くね?)
何の話だろう、とぼんやり考える。俺は今なにを考えた?
重いというのは、空気の話だろうか。それとも処理?
『処理』というのは、何の?
画面のカクつきが酷いとどうにも話に入っていけない。というかこれ、いま何の話をしているところだ? 状況が意味不明だ。
「それでも、私は彼のことが好き。彼以外の人なんて考えられない。お父さま、一生のお願いです。どうか私たちが一緒にいることを許して下さい」
胸の奥に、温かいものが広がる。
臆しそうな心を奮い立たせるのは、隣にいる大切な幼馴染の存在だけだった。
身分違いの恋であることを承知の上で、二人はこの場に立っている。
手を取り合う恋人の姿を見た父親は、頭痛を堪えるかのように眉間に皺を寄せた。
「確かに相手は私よりも年上で、老人と言ってもいい。年頃の娘に酷な要求ではあるだろう。だがわかってくれ。この家にはお前の軍役免除金を支払うだけの財産はおろか、この村を満足に守るための兵力にも乏しい。他家の助力がなければ魔獣の侵攻を食い止めることも難しくなるだろう」
(キャラがシリアスやってるとこ悪いんだけど、何かいまいち話が入ってこないんだよな。演出の問題なのか、テキストとかボイスをこっちの入力でスキップできないのがもどかしいし。いちいちカクカクしてて没入感が削がれるし)
胸の熱に水を差す違和感はあれど、今は些末なことを気にしている場合ではない。
俺にとってこの場面は一世一代の勝負の時なのだから。
「魔獣の件であれば、俺たちにお任せくださ」
「平民が口を開くなっ!」
徹底的な拒絶が俺の発言を遮る。
机を叩く音。振り上げた腕が宙で静止していた。ややあって机に拳が振り下ろされた状態になる。
(何だっけ。歯車。そう歯車アイコンどこだ)
感情的な反発以上に、貴族と平民という絶対的ルールが両者の間に深い断絶を生み出していた。そう、この対話に選択肢はない。『俺』は最初からそれを知っていた。
この社会は平民が貴族に対して意思を押し通せるようにできていない。
目の前の男は慈悲深くすらあった。俺の首が繋がっているのは、ひとえに娘を悲しませたくないという親心ゆえだろう。
「最下級貴族の娘がかの東方伯の側室に迎え入れられるだけで過分な待遇なのだ。年齢差や妃としての序列の低さに不満があるのはわかる。だが耐えてくれ。頼む、父の一生の頼みだ。村人たちの命を救えるのはお前だけなのだ」
それはひどく哀れな、そして選択肢を持たない弱者の懇願だった。
ここにいる全ての者は弱く、運命に抗う術を持たない犠牲者だ。
それを『俺』は既に知っている。
『俺』とは誰だ? 何を知っているって?
(もちろん、この先の展開をだ)
胸の中から溢れ出した記憶が、氷の中から溶け出すようにして頭の中で展開されていく。それは知るはずのない未来の回想だった。
結局、恋人たちの嘆願は聞き入れられることはない。
追い詰められた俺は愚かにも武功を上げて認められようと奮起し、村を脅かしている恐るべき外敵、『魔獣』の封印地に赴くことを決意した。
遠い神話の時代に封じられた怪物の群れが、村のすぐ近くの山に眠っている。
時間の流れと共に太古の封印が緩み、生じた綻びから溢れ出した魔獣は幾度となく村を襲い、多大な被害をもたらしていた。
根本的な解決策はひとつ。危険に満ちた封印地にて儀式を行い、魔獣たちを再び堅固な地底の牢獄に封じ込めること。
十分な戦力がなければ不可能に等しい難業。
幼馴染の婚約は、そのために必要な有力貴族との政略結婚だ。
追い詰められた俺は無謀にも少数の友人たちと共に死地に向かい、当たり前の結末を迎える。それを皮切りに、この村を取り巻く状況は悪化の一途を辿る。
破滅の契機。それが俺の存在理由。
ほとんどの場合、俺たちの物語は悲劇に終わる。
(というか、ゲーム的にはその方が効率がいい。トロコン目指す場合を除く)
「お父さま、私たちの話を聞いてっ」
「ならんっ」
なにか、妙なことを考えていた気がする。
目の前で繰り広げられるやりとりには不思議と現実感がない。
世界がひどく重く、途切れ途切れに感じられてならない。
(やっぱ重すぎ。画質設定を見直すか。アンチエイリアスの項目をいじってと。多少のギザギザは許容範囲。戦闘時の魔法エフェクトがちょい不安か。カクカクより切れ目出た方がまだマシ。G-SYNCあるし垂直同期はオフ、フレームレートも60fpsでいい。シェーディングにレンダリング精度、シャドーフォグモーションブラーレイトレーシングその他も『低』にして、テクスチャ品質と人物解像度は流石に『中』でなんとかならないか?)
意味の分からない音の羅列が脳裏をよぎったかと思うと不意に世界が色を変えた。
遠くの景色の輪郭、目に映る全ての陰影、足元の影、金属の光沢、それらが全体的に『明るく、やや大雑把な印象』に切り替わる。
かわりにカクカクと途切れ途切れだった世界が滑らかに動き出す。
(まずは状況を確認したい。『手鏡』って動かせるキャラなら全員デフォルトで持ってたよな。使えるのか?)
ぼんやりとした思考の雲が、自分の胸から喉を伝って頭の中に流れ込んでいく。
輪廻の神があまねく生命に授けた『魂』は胸にある。
だから記憶の継承と同期は中心から上へというプロセスになる理屈だ。
ぼんやりとしか覚えていなかった長い夢を、ゆっくりと思い出すような感覚があった。一人分の人生に等しい記憶が、なめらかに俺と同期していく。
不思議なことは何もない。来るべき時が来ただけだ。
成人の儀を前にして、やや早足だが俺の前世の記憶が蘇ったのだろう。
懐を探る、というジェスチャーによって『アイテムインベントリ』を開き、楕円形の手鏡を出現させる。鈍色の鏡にはもちろん何も映っていない。この世界の鏡はほぼ全てがそうだ。反転したアセットとプレイヤーのコピーを設置してる場所もあるにはあるが、それは主人公のコピーと戦う展開の前振りなので例外である。
だからアイテムとしての手鏡の役割はシンプルだ。
ゲーム内におけるキャラクターのステータスを表示し、編集するためにある。
鏡に映し出されたのはありのままの世界ではなく、見慣れた『窓』の枠の中。
画面に表示された自分の名前を確認して、ありえない現状を再認識する。
・『レイ・シンデラー』☆(コモン)
職業:『戦士』 前世の魂:『盗賊』
容姿は快活でクセのない顔立ちに髪型は量産型真ん中分けの好青年といった具合で、確か『汎用立ち絵・平民男性B』とかいう今後も若い男性キャラクターに頻繁に割り当てられているものだったはず。
端的に言えば『モブキャラ』であり、同じ容姿の人物が通行人とか哀れな犠牲者とかちょっとだけ名前と台詞がある脇役として登場する。専用の立ち絵を割り振られるほど重要ではない存在。それがこの俺、レイ・シンデラーだ。
(もう名前からしてひどいからな。ギリギリありそうなラインなのに実際の含意は『霊・死んでらー』だし。このゲームのモブそんなんばっかだけど)
このゲームにおける特徴的な要素である『前世の魂』という項目に妙なノイズが走っていることに気付く。前世は『盗賊』で、性能はそう悪くない。だが、それを上塗りするように別の文字が重なり、明滅を繰り返していた。
前世の魂:『流山・令』
紛れもなく俺の名前だ。偶然にもこのモブキャラと同名であったことはよく印象に残っている。奇妙な話だが、こうしてゲームシステムに『これは転生である』と認められてしまうとすんなり納得する自分がいた。
あるいは、魂の輪廻転生を当たり前の常識だと認識しているゲーム世界の俺の価値観が『俺』の思考に影響を与えているのだろうか?
(いまの思考の主体はどっちだ? どっちでもないのか? なんか二重に思考と感情がある感じで変な気分だ。ゲーム内のストーリーも切実なんだか他人事なんだかよくわからないし)
続けて周囲の状況を再確認。
目の前で激昂する『恋人の父親』は親の顔より見た壮年男性の汎用グラフィックでありぱっと見ではどこの誰だか区別がつかない。終盤になってもよく出てくるからなこの顔のおっさん。
・『センシス・アウトポスト』☆☆(アンコモン)
職業:『騎士』 前世の魂:『一角獣』
無情にも戦死しそうな名前が悲しい。『騎士コーン』という有用構成なのが逆に哀れみを誘った。いや、俺は恋人の父親に対して何を考えているんだ?
(まだなんか記憶がぼんやりしてるな。『前世覚醒』ってこんな感じなのか?)
もうひとつ、重要な確認事項がある。
手鏡を傾け、隣の少女の姿を映す。
表示されたステータス画面を見て、俺は思わず息を呑む。
俺とセンシスはモブグラフィックだから何かの記憶違いで別のイベントということもあり得たが、彼女までいたらもう間違いない。
俺の幼馴染だけは、固有グラフィックを持つネームドキャラなのだから。
・『レナ・アウトポスト』☆☆☆☆(エピック)
職業:『騎士』 前世の魂:『司祭』
安定感のある『聖騎士』構成。
俺を遥かに上回る優秀な能力値。
そして、明らかに気合の入った特徴的なキャラグラフィック。
『汎用』ならぬ『固有』のグラフィックを与えられた、ユニークキャラの証だ。
やや垂れ目ながら快活そうな表情、動きのある金色のミディアムヘア、腰に提げた剣に手を添えて真っ直ぐに立つその姿は意志の強さを表すかのよう。
チュニックに紐締めのボディス(外付けのコルセットベストみたいな腰から胴体を締め上げる袖なし胴衣)、ふわりとしたシルエットのロングスカートという出で立ちで、可憐さと勇ましさの中間に置かれた少女らしさが魅力的だ。
レイ・シンデラーにとっては良く見知った幼馴染の姿。
(だが、俺にとっては久々に目にする姿だ。この時点では星四なんだよな)
遠い記憶が同期していく。
不吉な、とても嫌な記憶だ。
レナの今とは違う姿を、俺は記憶している。
名前の横に並ぶ星の数がひとつ分だけ増えていて、表情も服装も見る影もないくらい暗く荒んだものに変貌した、恐ろしい姿。
・『反魂の復讐者レナ』☆☆☆☆☆(ミシック)
職業:『死霊術士』『騎士』 前世の魂:『司祭』
最高レアリティのキャラに特有の二つ名と、二つの職業。
そしてうつろな目をした少女の周囲を漂う半透明の亡霊たち。
この亡霊たちを使役して戦うのがレナの基本的な戦闘スタイルとなっている。
序盤から終盤まで隙の無いユニットであるレナの強さを支える要素ではあるのだが、それはそれとしてこの状況はやばい。
レナがあの姿に成り果てたら終わりだ。具体的には俺の人生が。
だって立ち絵の中でレナの周囲を漂ってる亡霊とか人魂、俺だし。
(はいはいそーいうやつ。モブキャラ転生で運命を覆すパターンね。異世界転生モノって逆境から入るの多いし、開幕で破滅ルートにぶち込まれる悪役令嬢の皆さんよりはまだ詰みじゃないだろ。まあなんとかなるって。だいたいジャンルはわかったし、モブのままレベリングがんばるしかねーなこれ)
前世の記憶に基づいた絶望的な認識とは裏腹に、俺の心は奇妙に奮い立つ。
楽観的な思考。あるいは、諦観ゆえの投げやりな態度。
現実感に乏しいゲーム感覚の思考が、逆に身体を滑らかに動かした。
これは、『ロールプレイングゲーム』だ。
ならば役割を演じよう。芝居をしているようなものだと割り切ってしまえば、恐るべき死も物語を彩る魅力的な要素のひとつ。
「いい加減に聞き分けて、部屋から出ていくがいい! それとも魔獣がお前たちを牙で引き裂く結末が望みか! 死によって愛を失うことを選ぶのか!」
センシスのこの台詞は、丁寧な『前振り』だ。
段取りに従って、俺は応答しなくてはならない。
それが『レイ』というモブキャラの役回り。
レナに捧げられるべき尊い犠牲の存在理由だ。
「死でさえも俺たちを引き裂くことはできない! レナは俺が守る。この命が尽きるとも、彼女だけは必ず守り抜いてみせると誓う!」
(そういえば、あいつはこのやりとりが好きだったな)
ぼんやりと過去の記憶を思い出しながら、俺は勇ましく死亡フラグを立てた。
順当にいけば、俺はこの台詞を有言実行することになる。
流転すべき魂の摂理に逆らい、亡霊となって恋人を守り続けるのがゲーム的には正解で、攻略もより楽になる。弱いモブキャラよりもレナが召喚する亡霊ユニットの方がずっと優秀なので、死んだ方がいいのだ。いや死にたくはないが。
勇ましく啖呵を切った俺にたじろぐセンシス。
隣で聞いていたレナは目を潤ませ、囁くような声で俺の名を呼ぶ。
「ほわぁ、ボイス有りで聴けるとか嬉し過ぎる。うぅ、キュン死しそう」
何故かアホの反応が出力されていた。
「レナレイ尊い~。やっぱクラスチェンジなしで恋人生存ルートしか勝たん!」
バカの反応が続く。謎の単語の意味が理解できずに困惑するセンシスを余所に、レナは頬に手を当てて妄想に浸っていた。その仕草には妙に覚えがある。
俺の記憶にはない。レナはこういうふにゃっとした気の抜けた声を出すタイプではない。だが、何故かしっくりとくる。
(俺の記憶にはある。あいつはこういうことを言う。こういう感じの雰囲気でアホっぽいことをやる。たとえ汎用立ち絵でも隙あらば関係性に萌えられるのはあいつの特技だったはず)
「まさかお前」
凄まじい既視感。
緊張感が消え失せて、懐かしい緩さがやってくる。
こういう状況でバカなことを口走り、俺を呆れさせるような女なんてひとりしか心当たりがなかった。
手鏡を再確認する。ゲーム感覚の世界に現実感はない。
俺は何らかの原因で死亡して、そのままゲームの世界らしき異世界に転生した。何故かは知らない。そういうものなんだろう。夢かもしれない。
真剣に考える気が起きないのは、いまひとつ実感がないから。この先どうなろうと、俺ひとりだけなら死のうが生きようがまあどうでもいいしなんとかなるだろ、くらいの適当な考えしか持っていない。
だが、自室でゲームをやっていた時の記憶には生活感が染み付いている。
隣にいた誰かの存在感も、それと同じだ。
生々しい現実の気配。これは夢なんかじゃない。
前世の魂:『三島・礼奈』
ステータス画面が揺らいで、ゲーム内での設定が確定する。
ぞわりと鳥肌が立つ。
どうでもよかったこの世界の全てが俺たちに牙を剥いているかのよう。
怖い、と初めて感じた。このわけのわからない状況が恐ろしくてたまらない。
「レナ、なのか?」
当たり前の問い。けれど、伝わった。
切迫した感情。目に映る意思。慣れ親しんだ呼吸。
なによりも、本来のシーンからずれた台詞とやりとり。
この場面でそれを問うことそのものが、お互いを示す符牒になっていた。
同じ名前は偶然の一致。だが、彼女がこの二人の関係性を好むきっかけはそれだったのだと楽しそうに語っていたのを覚えている。
「え、うそ。レイくん、ほんとに?」
もはや疑う余地はなかった。
俺の幼馴染である三島礼奈は、俺と同じようにゲームの世界に転生してしまっている。よりにもよって、片方が死亡する運命の恋人同士として。
目の前で繰り広げられていたストーリーは、もはや他人事ではない。
再開の歓喜は一瞬だけ。それを上回る恐怖が胸と頭の中を支配する。
そうして、俺と/俺ははじめて明確に心をひとつにした。
俺は/そして俺は、幼馴染を守らなくてはならない。
(たとえ、この命が尽きようとも)
それは弱者の薄っぺらな虚勢でしかない。
茶番と遊戯。既知の結末。
その果てに待つのは、どこにでもある結論。
全てが悲劇で終わるとしても、誰もが焦がれて手を伸ばす希望がある。
これは死によってさえ引き裂くことのできない、恋人たちの祈りの物語だ。




