第6話 終わらないレクイエム、あるいは日常の亀裂
――もしも、
自分の隠している悪事が、
あの小さな亡霊たちに見つかったら?
――もしも、
「知らなかった」という言い訳が
一切通用しない夜が、
自分の枕元にも訪れたら?
法で裁けないクズどもを、
神ですら見放した闇を、
徹底的なチートとざまぁで
地獄の底へと叩き落とす
「リトル・レクイエム」の歯車は、
今この瞬間も、
世界のどこかで静かに、
しかし確実に回り続けている。
東京の街に、
穏やかな秋の気配が戻りつつあった。
あの異常なまでの冷気と、
司法・経済の中枢を揺るがした
連続失踪・精神崩壊事件から
数ヶ月が経過し、
世間は徐々に日常を取り戻しつつあった。
テレビのワイドショーは
すでに
別のスキャンダルや政治家の失言を
追いかけており、
かつて世間を震撼させた
「2歳児暴行死事件」およびそれに続く
一連の怪異は、
「不可解な都市伝説」あるいは
「前代未聞の集団パニック事件」として、
人々の記憶の片隅へと
追いやられようとしていた。
法律は元通りに機能し、
裁判所は再び
過去の判例と手続の条文に基づいた
判決を下し、
大人は相変わらず
自分の保身と利益のために
忙しく日々を過ごしている。
――表面上は、
何も変わっていないように見えた。
しかし、その「平穏」は、
すでに
内側から致命的な亀裂が入った
薄氷の上に成り立っていた。
東京都内のとある私立認可保育園。
夕方の迎えの時間が近づき、
保護者たちが続々と
エントランスに集まってきていた。
その中に、
スーツを着こんだ30代の男――
会社員の山下の姿があった。
山下は
世間的には「イクメン」として知られ、
仕事熱心であると同時に
家庭も大切にする良き父親として
周囲から信頼されていた。
だが、
それはあくまで外面の話にすぎない。
山下は自宅に戻ると、
仕事のストレスを理由に、
まだ言葉もろくに話せない
自分の幼い娘に対して
日常的なネグレクトや、
鬱陶しがった暴力的な叱責を
繰り返していたのだ。
「うちの子は本当に
手がかからなくて助かるよ。
言うこと聞かないときは、
少し脅せばすぐ静かになるしな」
山下は
ママ友同士で話す他の親の前で、
どこか誇らしげにそう笑ってみせた。
周囲の母親たちは
「まぁ、お兄ちゃん育児上手ねぇ」と
愛想笑いを返す。
山下は
心のどこかで優越感を抱いていた。
――世間なんてチョロいものだ。
他人の家庭の裏側なんて、
誰も本気で覗こうとはしない。
法律だって、
表向きの体裁さえ整えておけば、
自分を罰することなど絶対にできない。
夜が更け、
山下の一家が暮らす一軒家に
静寂が訪れた。
夫婦の寝室とは別の
小さな子供部屋で、
2歳になる娘が、
怯えたように小さく身を縮めて
眠っていた。
その小さな身体のあちこちには、
昼間についた新しいあざが
痛々しく残されている。
山下は
リビングのソファでビールを飲みながら、
スマートフォンで
ネットニュースを眺めていた。
「相変わらずだな……
あのとき消えた奴らの噂、
すっかり
ネットのオカルト板の
ネタになってやがる。
バカだな、
幽霊なんているわけが……」
その時だった。
リビングの空気が、
ピシリと凍りついた。
「……ん?」
エアコンの設定温度は
26度に保たれているはずなのに、
吐き出す息が真っ白に白濁した。
部屋の隅に置かれていた
観葉植物の葉が、
瞬く間に
美しい幾何学模様の霜に覆われていく。
パチン、パチン、パチン。
天井の照明が、
前触れもなく激しい明滅を始めた。
「なっ……なんだこれ……」
山下はビールグラスを取り落とし、
ガタガタと音を立てて
ソファから立ち上がった。
心臓が激しく脈打つ。
ニュースで見た、
あの「悪夢の事件」の記憶が
脳裏をよぎる。
まさか、
自分に限ってそんなはずはない、
都市伝説の類だ――そう自分に
言い聞かせようとしたが、
その足は恐怖で
床に釘付けになったように動かなかった。
ガサガサ、ピタッ。
天井の隅から、
ドス黒い粘液のような影が
タラリと垂れ落ちた。
それは床に触れると、
ジュッと音を立てて
小さな「手形」の形に広がった。
「来ないで……! おい、誰だ!」
山下が叫んだ瞬間、
リビングの窓ガラスが一斉に
バリバリと音を立てて凍りつき、
その外側から――いや、
ガラスの表面を突き破るように、
無数の「小さな手形」がペタペタと
びっしりと浮かび上がった。
暗がりの中から、
スルスルと這い出してきたのは、
ボロボロの服をまとい、
頭部が不自然に傾き、
小さな手足に
痛々しいあざを残したままの
「子どもたちの亡霊」だった。
その先頭に立っていたのは、
ユウタだった。
ユウタは冷ややかな、
しかしどこか達観したような瞳で、
恐怖に震える山下を見上げた。
「おじちゃん、知っているかい?」
その声は、空気の振動を伴わず、
山下の脳の奥底に直接響き渡った。
「世間の人たちは、
僕たちのことなんてすぐ忘れてしまう。
法律は加害者を守り、
大人は
『自分は関係ない』って顔をして
また同じ過ちを繰り返す。
この世界は、いつまで経っても
変わらないように見える」
「た、助けて……!
俺は何もしてない!
ちゃんと子供を育ててるし、
暴力を振るったなんて――!」
「嘘をつけ」
ユウタが
指をパチンと鳴らした瞬間、
リビングの壁にかけられた
スマートテレビが勝手に起動し、
そこに映し出されたのは、
山下が隠れて我が子を怒鳴りつけ、
暴力を振るっていたすべての
「自宅内の隠しカメラの映像」だった。
言い逃れのできない、
完全な動かぬ証拠が、
冷徹な光を放ちながら部屋中に晒される。
「『知らなかった』
『自分は優しい父親だ』って、
どれだけ自分を正当化しても、
君が
この子の未来をどれほど
踏みにじってきたか、
僕たちには
すべてお見通しなんだよ」
「やめろ……! 来るな、化け物……!」
山下は壁際に追い詰められ、
頭を抱えて崩れ落ちた。
しかし、その足首には、
すでに他の小さな亡霊たちの手が
ガシリと絡みついていた。
理不尽に奪われた未来の重圧が、
容赦なく山下の全身の自由を奪っていく。
外の世界では、
相変わらず穏やかな夜が流れている。
パトトロールのパトカーが通り過ぎ、
街灯が静かに道路を照らし出している。
誰も、
この一軒家のリビングで
何が起きているかなんて知る由もない。
警察も、法律も、弁護士も、
ここでは完全に無力だった。
「――第2次、開門裁判を始めます」
少女の澄んだ声が響き渡った。
法で裁かれぬ闇がこの世界に存在する限り、
大人が
子供たちの痛みから目を背け続ける限り、
この「小さき魂たちのレクイエム」が
終わることはない。
暗闇のなかで、
新たなクズの絶叫が木霊し、
世界は静かに、しかし確実に、
因果応報の歯車を回し続けていた。
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東京の空は、
相変わらず冷徹な鉛色に染まっていた。
一連の不可解な
「連続失踪および精神崩壊事件」は、
警察庁や公安をも巻き込んだ
国家機密レベルの捜査対象となりながらも、
いまだに犯人の特定はおろか、
東京の空は、
相変わらず冷徹な鉛色に染まっていた。
明日、18:10 に、第7話を投稿します。




