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最終話 十の蟻

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

今回で「謎解き地蔵」は最終話となります。

大きな事件ではなく、ささやかな判じ物の答えとともに、水絵の日常が、そっと未来へ続いていきます。


 誠太郎が寺子屋に預けた草双紙は、祐光師と鏡之介が協力して作った書棚にきちんと並べられた。そして、家に持ち帰ることは許されなかったが、寺子屋の中で読むのは自由、ということになった。


 小さい子には難しすぎるものもあるので、時々水絵が読み聞かせをしてやっていた。新吉は、「むずかしいや」と言って手に取らないが、礼次は次々と読破している。草双紙を読むために、少し早く来たり、出された算題を大急ぎで解いて、答え合わせまでの待ち時間を利用したりしている。

 すべての本に「此主 宇多川誠太郎」と書いてあるから、いつの間にか「誠太郎文庫」と呼ばれていた。宇多川という名前から、子どもたちに、


「孝之進さまの親戚?」


 と聞かれ、


「甥御さんよ」


 とだけ答えた。寺子屋の子どもたちに読ませてあげたいと、貸してくださったのだ……とも。先日、寺子屋に貼られていた「判じ物」と、この草双紙が結びついているとは、誰も考えつかないだろう。

 あの「判じ物」については、しばらく新吉が「あれはなんだったんだよ」としつこくきいてきたが、「ただのいたずらよ」と水絵が取り合わないでいるうちに、忘れてしまったようだ。

 水絵が半紙をはがすまでにはけっこう時間があったから、礼次あたりは謎を解いてしまっているかもしれない。「せいたろう」が宇多川誠太郎のことで、彼が「ねえさま」と呼ぶ人がこの寺子屋にいる……そんな筋立ても、賢い礼次なら出来るかもしれない。


 誠太郎は、時々寺子屋に来て草双紙を読んでいる。たいてい、夕刻に来るので子どもたちと顔を合わせることはない。

 それでも、遅くまで残って草双紙を読んでいる礼次とは顔を合わせることがあった。ふたりで仲良く草双紙を読んでいる姿を見たこともある。

 礼次と誠太郎は、友だちと言っていいくらい仲良くなっている。誠太郎は、礼次の前で水絵のことを「ねえさま」と呼んだことはないが、ふたりの間に流れる微妙な雰囲気は、感じ取っているはずだ。おそらく礼次は気づいている。


 そんなある日の夕刻。


 遅くまで残って草双紙を読んでいた礼次が、ちらちらとこちらの様子をうかがっているのは気づいていた。声をかけてこないのは、そばに鏡之介がいるからだとも。

 鏡之介と水絵のどちらが先に寺子屋を去るか、それは、その日によって違う。水絵が先に帰ってしまったら、礼次はあきらめるつもりなのかもしれない。水絵がそう思ったときだった。


「そうだ。祐光先生にお尋ねしたいことがあったんだ」


 少しわざとらしいくらいの大声で鏡之介が言い、立ち上がる。


「じゃあ、片付けはわたしがしておきますね」


 礼次に気づかれないように、感謝のまなざしを鏡之介に向けながら、水絵は言った。


「おう。頼むぜ」


 鏡之介が庫裏に向かうのを待ちかねたように、礼次は、手習いに朱を入れている水絵に声をかけてきた。


「……水絵先生」


「なに?」


 振り向くと、礼次は一枚の半紙を手にしていた。


「これ」


 よく似た半紙を最近目にしたなと、水絵は苦笑する。誠太郎文庫のきっかけとなった、あの判じ物が書かれた半紙と同じ物だ。


「……草双紙の中にあった」


 言いながら、礼次は半紙を広げてみせる。

 この前の判じ物と、よく似ている。

 半紙の中央に絵。絵の右上と左下に、ちょっと読んだだけでは意味がわからない細かな文字。

 作りはまったく同じだ。が、絵と文は違う。


「この絵は、蟻かしら?」


 念のために問いかけると、礼次が頷く。


「だと思う。十匹いるね」


「文字のほうは……」


 右上に書かれていたのは――。


 てんなきこおり いとにあう さま


 左下には――。


 ことはなる


「水絵先生、わかる?」


 礼次に顔をのぞき込まれ、水絵はため息をついた。

 この前の判じ物より、はるかに易しい。水絵にはすぐ解けたし、礼次なら……。


「礼次だって、もう解けてるんでしょう?」


 一心に草双紙を読んでいたはずの礼次が、その手を止めて考え事をしていた姿を、水絵は見ていた。

 礼次は、黙って頷いた。


「解いてみせて」


 と、言うと、礼次は驚いたように目を見開いた。


「……いいの?」


 苦笑しながら頷く。水絵と誠太郎の関係を礼次はおそらく気づいているだろうし、礼次なら、ほかの寺子にぺらぺらとしゃべったりはしないはずだ。


「まず絵のほう……」


 礼次が絵を指す。


「これは簡単。蟻が十匹いるので、蟻が十……つまり、『ありがとう』という意味」


「そうね」


「それから、右上は……」


 礼次は、実に理路整然と解説をした。


 てんなきこおり とは、点のない氷。つまり、『水』。

 いとにあう とは、糸に会う。つまり『絵』。

 さま は、そのまま『様』と読む。

 合わせれば『水絵様』となる。


 同じように、左下は――。


 ことはなる とは、言は成る で、『誠』の一文字。


「誠太郎さまのことだね。この判じ物は、誠太郎さまが水絵先生にお礼を言うためにはさんであったんだと思う」


 だから、水絵先生が持っていてあげて……と、礼次は半紙を差し出した。


「ありがとう」


 判じ物の絵と同じ言葉を言いながら、水絵はそれを受け取った。


「さようなら」


 と、帰ろうとする礼次を、水絵は呼び止めた。


「この前の判じ物も、礼次には解けていたんでしょう?」


 礼次は、それに答えなかった。代わりに、囁くような声で言った。


「誠太郎さまが、打ち明けてくださった。ほかの寺子には内緒だよって」


「そうね。内緒にしていてくれると、嬉しいわ」


 水絵も囁き声で返す。


「言わない、誰にも」


 それだけは、ひどく力を込めて言うと、礼次は走って帰っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、もう数年したら、礼次は立派に寺子屋の師匠がつとまるだろうな……と、水絵は思った。その時、わたしはどうしているんだろう……。

 礼次の将来は推し量れるのに、自分の未来はまるで見えない……胸を塞ぎそうになる不安を、水絵は膝をぽんとひとつ叩いて振り切ると、


「朱入れの続きをしなくっちゃ」


 と、礼次に負けないよう、力を込めて自分に言った。


朱入れは、まだ続きます。

寺子屋の日々も、これからも。

お読みいただき、ありがとうございました。


次作は「江戸の月影」となります。今後とも「鏡花水月謎解帖」をよろしくお願いいたします。

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