46 溢れた想い*
娘は木から降りられなくなったのが余程怖かったのか、下ろした途端腰を抜かしてしまった。
仕方なくもう一度抱き上げようとしたら、全力で拒否される。
なに?そんなに僕に触れられるのが嫌なわけ?
ムッとすると同時に、フェリシアに拒絶された10年以上も前の記憶が唐突に甦った。
『私は別にユリアス様のことなんて、何とも思ってないわ!むしろあんな女性にだらしなさそうな人、私だってお断りしたいくらいよ。お姉様達が嫌がるから、し、か、た、な、く、私が婚約して差し上げたのよ!!』
目の前の地べたにペタリと座り込む娘を見下ろす。
────なんだ、やっぱりフェリシアなんじゃないか。10年が過ぎても嫌われたままってわけだ。
あの時、どこで何を誤解したのか、辛辣な言葉で僕を評したフェリシア。
当時の僕には、フェリシアにそんなことを言われるような心当たりなんてまるでなかったのに。
あの時何故逃げてしまったのかな。逃げずに誤解を解いていれば、今こんなふうにもつれることもなかったかもしれない。
一瞬もの思いに囚われた僕は、次の瞬間目を疑うことになる。
彼女が見えない目で僕を見上げ、躊躇いがちに手を伸ばしてきたからだ。
触れられるのが嫌なんじゃないの?
申し訳なさそうに「肩を貸してもらえますか」と頼んできた娘は、ようするに抱きあげられることに抵抗があったようだった。
だけど肩を貸したところで身長差もあるし、腰が抜けた状態でまともに歩けるはずもない。
妥協案としておぶさるように言うと、少し考え「お願いします」と小さな声で返事した。
フェリシア……だと思うんだけどな。でも、彼女にしてはなんだかチグハグな印象は否めない。
それとも、ほんの少し目を離しただけでこんな突拍子もないことをしでかすなんて、師匠は『大丈夫』って言ったけど、やっぱり頭でも打ってるんじゃないかな。
娘の手の平の擦り傷を手当したあと、思い立って彼女の髪を洗うことにした。
ちょうど目の薬の時間だし、包帯を取るついでだった。
だけど、それを娘に告げた時。そして川へ連れて行った時。彼女の表情が如何にクルクルと変化したかは、多分見た者じゃないと分からない。
喜んで驚いて顔をしかめ、必死の形相になった。唇を引き結び、不思議そうな顔をして、それから満足げに口元を弛ませた。
まるで百面相だ。
そう思った途端、昼食の時に皿を持ち上げ、ドヤ顔でスープを飲んでいた姿を思い出した。
その娘は今、川の水で平気で髪を洗っていて、さっきは見えない目で木登りした挙句降りられずにべそをかいていた。
これが貴族のお姫様だなんて、いったい誰が信じる?
髪をすすぎながら、ふと思いついて聞いてみた。
「ね、僕の名前って知ってる?」
「え? ──ユリアスさん、ですよね?」
怪訝そうに答える娘に、「フルネームだよ」と言った。師匠は僕のファーストネームしか教えてなかったはずだ。
「ユリアス・レイズっていうんだけど」
慎重に、娘の表情を探りながら告げる。
「……ユリアス・レイズさん。……レイズさん」
その名を何度か口の中で転がした娘は、仰向けに寝そべったままハッと気がついたように言った。
「もしかしてっ! レイズさんってお呼びした方がいいですかっ?」
「……いや、ユリアスのままでいい」
やっぱり僕の名前にも心当たりはなさそうだ。
もしかして、目が見えないから気づいてないのかも、と思ったんだけど、フェリシアだったら僕の名前に反応しないはずがないんだ。
洗ったばかりの、きらきらと黄金の輝きを放つ髪を両手にすくい上げ、眺めた。
思わず言葉があふれでる。
「君、本当にフェリシアではないの?」
キョトンとした彼女は「へ!? どなたですか?」と間の抜けた答えを返した。
この日、僕は結論づけた。
この娘は、少なくとも自分がフェリシアだとは思っていない。こんなに何でも顔に出る娘が、嘘なんてつけるはずがない。
じゃあ何故この娘は自分を『リコ』だと思い込んでいるんだろう?
──調べた方がいいかもしれない。フェリシアの事を。
濡れた髪を乾かそうとした僕の手を遮った娘は、翌朝起きて来たら案の定風邪をひきかけていた。
少し鼻声になっていて、でも誘導する素振りでさりげなく腕に触れてみても熱はなさそうだ。
食欲もあるみたいだったから黙って様子を見ることにしたけど、我慢出来なかったのかくしゃみを連発した時は思わず吹き出しそうになって必死でこらえた。
なに?あの変なくしゃみは。
男どものくしゃみはもっと豪快だし、師匠のくしゃみは……まあ参考にならないとして、母上のくしゃみは聞いたことがないな。
女の子のくしゃみって、みんなああなの?
今日の食事は生姜を効かせた温まるものにしよう。
風邪に効く食材って、他に何があったっけ。
娘の食事は今ではもうすっかり普通の硬さのものに変わり、量も増えている。
とはいえ食べやすさを考えて、器を持ち上げスプーンで食べられるような料理ばかりだ。
いくら何でもこんなのばかりじゃ飽きるだろうな。今のところ文句も言わずに食べてるけど、これが僕ならとうにうんざりしてる。
少し考えないといけないかも。
毎日毎日、娘は相変わらずチョロチョロと家の中を動き回っている。
一人で歩き回るようになったあと、あまりの危なっかしさに階段に手摺を取り付けた。そうしたら昇り降りも見違える程早くなって、さっき二階にいたと思ったら今度はキッチンにいるといった具合だ。間取りや段差もすっかり覚えて、今は置いてある家具や小物に興味津々となっている。
触っただけじゃ何か分からないものも多いみたいで、持ち上げ、撫で回し、首を傾げて小難しい顔をしているから「それは時計」とか「キャンドルスタンドだよ」とか声をかけると、ビクッとして愛想笑いを浮かべお礼を言う。
なんだか面白くない。
師匠にはあんなに懐いていたクセに。
何か、自然に話しかけてみたらいいのかな?
でも、何を?
……そもそも、友だちってどうやって作るんだろう。
今までなら、笑いかけてやるだけで向こうから勝手に近づいてきたんだけどな。目が見えない彼女には、そんなことしたって何の意味もない。
気がつけば彼女の姿を目で追うようになっていた。
姿が見えないと気になる。
触って危ないものは全部、手の届かない高い場所とか立ち入り禁止にした物置の中に入れてあるんだし、気にしないで放っておいても大丈夫。そう思うんだけど、どうにも危なっかしくて目が離せない。
ちょっと油断して見失うと何をしでかすか分からないんだから、これは仕方がないことだよね。
自分にそう言い訳しながら、姿が見えなくなる度に何処にいるのかと風を使って気配を捜すようになるまでには、そんなに時間はかからなかった。
窓から見えない目を外へ向けていることが多い彼女に気付き、たまには……と思って外へ連れ出す。
嬉しそうに笑う彼女を見て、こんなに喜ぶならもっと早く誘えばよかったと思った。
僕の腕を掴み、歩きなれた家の中とは違うでこぼこした固い地面を踏みしめ、おっかなびっくり歩く彼女。
その歩みに合わせ隣をゆっくり歩きながら、ある方向へ誘導する。
「ほらこれ、君が前に登って降りられなくなった木だよ」
一本の木に手を触れさせそう言うと、「うわーっ、それもう忘れてくださいって!」と恥ずかしそうに叫び、顔をしかめ、「でも、私どうやってこんな木に登ったんだろう」と、不思議そうにペタペタ幹を撫で回し、見えない目で上を見上げた。
その反応が見たくてわざわざここへ連れてきた、って言ったら意地悪だと思われるかな。
今にして思えば────。
きっとその頃にはもう、僕は彼女に惹かれはじめていたんだろう。
クルクルと変わる表情は見ていて飽きない。
食事の度に、部屋に湯を用意する度に、律儀に「ありがとうございます」とお礼を言ってくる。そんなのいちいち言わなくていいよ、って言っても反射で言葉が出てくるらしい。
そんなところも全く貴族らしくなくて、でも「ありがとう」って言葉に悪い気はしない。
欲を言えば、笑って言ってくれたらもっといいのにな。
遠慮がちな「ありがとう」じゃなくて、申し訳なさそうな「ありがとう」でもなくて、笑った顔が見たい。
どうすれば、何をすれば笑ってくれるようになるのかな。
いつの間にか、そんなことを考えるようになっていた。
そんな日々を過ごすうちに、以前から殿下と約束していた日の朝になった。
いつもなら僕の気が向いた時の突撃訪問なんだけど、今回は初めての、1ヶ月も前からの約束だ。
殿下の15歳の誕生日まではもうあと10ヶ月足らず。
招待国のリストは既に出揃っていて、そのうちの幾つかの国には招待状に先立ち出欠の打診をしており、快い返事を貰っていると聞いた。
つまり、今日の約束は私用ではなく公務で、式典に向けての打ち合わせがいよいよ始まるということだ。
尤も、今回は大まかなラインを決めるだけと聞いている。そんなに時間はかからないだろう。
──そんなふうに勝手に解釈し黙って出かけた事で、僕はとんでもなく悔いる羽目になる。
予想外に時間のかかった打ち合わせを終え、食事の用意をさせている、という殿下を振り切り急いで家へ帰ってみると、娘の姿が見えなかった。
遅くなってしまったからお腹を空かせているだろうとは思ったけど、いったい何処へ?
一階にはいない。だったら部屋にいるんだろう……と慌ただしく二階へ上がる。
だけど彼女の部屋は空っぽで、────。
玄関は閉まっていた。だから家の中にいるはず。
そう思いながらも、──まさかとは思いながらも窓を開けて外を探す。
「リコ……」
無意識に名前を呟き、初めてその名を口に出した事に気づいた。
これまでは、「フェリシア」か「リコ」なのか自分の中で折り合いがつかなくて、二人きりだから必要がなかったこともあって、彼女の名前を呼んだことがなかった。
だけど、一度口にしたらもう、僕の中の彼女はリコでしかなくなっていた。
「リコ……リコッ! どこに……」
呼びかけると同時に、風を使って彼女の気配を探ろうとしたその時。
まるで僕の声に応えるように、カタリ、と響いたささやかな音。
弾かれたようにリコの部屋を飛び出し、すぐに僕の部屋の前に蹲る姿に気づいた。
リコは見えない目をさ迷わせ、僕を探していた。
「ごめん。ごめんね、遅くなって、ごめん、リコ」
リコの目元の包帯はビショビショに濡れて、それが顔の横の髪にまで伝わっていた。
いったいいつから?どれだけ泣いてたの?
どうしてもっと早く殿下に、「帰る」と言わなかったんだろう。
リコには僕しかいないのに。
こんなにも不安な思いをさせてしまうなんて。
抱きしめ、ただ謝るしかできない僕に、彼女は泣きじゃくりながら言った。
「ごめんなさい! 謝るからもう、もう私を置いて行かないで。私を独りにしないで! 私……、私ずっとユリアス様に謝らなくちゃ、と思ってたのよ。本当よ、ごめんなさい。だから、だからおいていかないで」
ここに至って、ようやく僕は自分の気持ちを自覚した。
笑顔が見たい、僕に笑いかけて欲しい、というこの気持ちが何処からくるのかを、やっと理解したんだ。
そして、自覚したばかりの自分の気持ちに当惑していた僕は、この時の不自然な彼女の言葉にも、ただ混乱しているのだろうとしか思わなかったのだった。
そのあとはリコが落ちつくのを待ってから、二度と黙って出かけないこと、出かける時は行き先なり戻る時間なりを伝えることを約束した。
来年王都で開催される大きな記念式典に関わっていること。これから忙しくなることが予想されるので留守にする日が間違いなく増えることも伝えた。
留守中何かあった時にリコからも連絡が取れるようにと、身につけるための匂い袋の中身を抜き取り、代わりに僕の髪を数本抜いて束ねたものを入れた。
髪には殿下の魔力を使って魔法をかけてある。燃やすか、或いはその髪を引きちぎることで、何かの異変があったと報せてくれるはず。
そんなに大袈裟な理由ではなくても、ちょっと困った時、不安な時に使ってくれたらいい。
そう言ってリコに手渡した。
僕にしがみついて散々泣いたあとのリコは少し決まり悪げで、でもそんな表情すらも可愛く思える。ともかくそれ以降、僕たちのあいだには今までに比べたら格段に会話が増えた。
それからまた数日が過ぎたある日、僕は殿下に呼び出されていた。
昨日の夜、突然塔の長官経由で連絡が届き、何事かと朝から急いで春宮殿へ行ってみると、そこの警備を任されているダナトス殿の姿があった。どうやら彼との顔つなぎが目的だったらしい。前回殿下を訪ねた時に、ダナトス殿とは面識がない、と伝えたからかもしれない。
ダナトス殿は僕がまだ学生だった頃に近衛騎士団長を務めていた人物で、高齢を理由に退任されたのだけど、数年前殿下が宮を独立させた時に乞われ、春宮殿の警備隊長として現場復帰を果たしておられる。
警備隊長に就任される前から殿下に剣の手ほどきをしていたという彼を、殿下は『爺』と呼んで慕っているのだと噂には聞いていた。
またダナトス殿は、近衛騎士団長を退任する際に次期騎士団長として第一騎士隊長を指名し、揉め事をまきおこした人物でもある。
殿下によるとダナトス殿は、現在逃亡中である当時の副騎士団長が軍国主義に傾倒し始めた頃から徐々に彼と意見が合わなくなり、退任するに当たって『彼には騎士団長職を任せられない』という意思を表明するため第一騎士隊長を指名したのだそうだ。
結局その時の副騎士団長は騎士団長となり、一年後には犯罪者となってしまったのだけど。
殿下を訪ねてきた僕に、ダナトス殿は最初から喧嘩腰だった。
僕は彼を遠目にしか見たことがなかったのだけど、向こうは僕を見知っていたらしい。
騎士団と『塔』は昔から伝統的に敬遠しあっている仲で、ここ十数年ははっきりと仲が悪い。
僕は魔法使いでありながら騎士の資格も持っている変わり種だけに、ダナトス殿がどういう態度に出てくるかと身構えたけど、まあ予想の範疇だった。
そうしてうんざりしつつの嫌味の応酬が続く中、現れた殿下がまた余計なことを言いだす。
「なんだ、今日はユリアス殿の猫ちゃんは連れて来なかったのか?」
──その後のダナトス殿の変わり身の早さには目を瞠るものがあった。
どれだけ猫が好きなの?
まさか殿下、この反応を見たいがために引き合わせたわけじゃないよね。
笑いをこらえ、涙目になる殿下を見て僕がそう思ったとしても、仕方ないと思う。
半ば以上猫の話となってしまった打ち合わせが終わったあとは、王都へ出てきたついでにとアーチを訪ね、噂の収集を依頼した。もちろんフェリシアの名前は出さないままで。
何しろアーチのことだ。彼女のことを調べて欲しいと頼めばきっと何処からか、情報を集めてきてくれるだろうと思う。
でも相手は毒の湖に落ちたフェリシアを見捨てて逃げた連中だ。或いは故意に突き落とした可能性もある。
万が一にも僕の都合でアーチを危険に近づけるわけにはいかなかった。
だから取り敢えず今のところは、町に流れる様々な噂程度でいい。気にかかる何かが見つかれば、それを足掛かりにあとは自分で調べればいいだけのこと。
アーチは報酬として僕の名を冠した看板を欲しがったけど、あの肩書きをただの看板としか扱わず昔のままに僕と接してくれる彼には、そんな容易いものよりもっといいものをあげたいと思った。
昔食べたあの味ならきっと殿下も気に入って下さるだろう。だからあとはお願いするだけ。
──でも大丈夫だとは思うけど、もし断られた時はアーチに謝って筆頭の看板で許してもらおう。
そうして話がつくと、もう早く帰りたくて居ても立ってもいられなくなった。
まだお昼には間があるし、前回のように遅くなることも考え、念のためと昼食の用意もしてある。少しくらい遅くなっても構わない。
理性ではそう思うのに感情がついてこない。リコのことが気になって仕方ない。
ここにいるのはアーチだけだしまあいいか、と目を丸くする彼を残し、そのまま慌ただしく転移して森の家に帰った。
帰った先で足を血塗れにしたリコが魔物に襲われ木にしがみついてるなんて、この時の僕は予想だにしていなかった。
木にしがみついたリコは、僕が声をかける前に転移の魔法陣が発動する気配で帰ってきたと気づいたようだった。こちらを見て明らかにホッとした顔をした。
だけど戻ったばかりでその痛々しい光景を目にした僕は、一瞬で血の気が引き、次いで頭に血が上った。
魔物に襲われるなんて、ただ木から降りられなかっただけの前回より一層たちが悪い。
「なんでまた、こんな事になってんの?反省って言葉、知ってる?」
思わず怒鳴りつけると、驚いたことにリコも僕に向かって怒鳴りかえしてきた。
「反省はしている!!でも私にも訳がわからん!」
────以前、泣きじゃくるリコを見て彼女への気持ちを自覚したあの時から、僕の心は急速にリコに向かって傾いていて、だけど無意識に自制していたようにも思う。
それが、チウスに襲われているリコを見た瞬間、まるでそれまで蓋をして隠していた何かが溢れだしてきたかのように、全てが露わになってしまった。
もう自分でも止めようがない程に。
チウスの群れから助け出したあとのリコは、僕に丁寧語を使わなくなった。というか、使わないように頼んだ。
僕の背中で口を尖らせ、プリプリと怒りながら「ユーリちゃんのバカ」と呟くリコの可愛さったらない。
リコに怪我をさせたのは許しがたい所業だけど、そのおかげで彼女が気安く喋ってくれるようになったんだから、ほんの少しだけチウスに感謝してもいいかも。
こんなことでもなければ一生見る機会なんてなかった筈の低レベルの魔物に、ふとそんなことを思う。
あいつらは僕が子供を返した途端、猛ダッシュで逃げて行った。もうこれきり会うこともないだろう。
リコはあれ以来何度か、「あの毛玉可愛かったなぁ。すっごく手触りがフワフワでね」とうっとり繰り返していたけど、僕はウンウンと頷きながら、『リコの方が可愛いし、リコの手も柔らかくてスベスベだよ』と思っていた。
リコにそう言ったらどうなるかな?
冗談だとあっさり流されてしまうんだろうか。
もしも気持ち悪がられて避けられるようになったら嫌だから言わないけど。
そうして、それ以来僕の生活は一変した。
それまでだって、出来ることはしていたつもりだった。
でもそんなのじゃ全然足りない。
毎日のように散歩に連れ出し、そこに何があるのか説明しながら家の周りをゆっくり歩いた。
木の根元にひっそり生えるキノコ。
大きな太い木の幹に絡まり巻き付いてのびる蔦の、繊毛に覆われたハート型にも見える葉。色を教え、形を辿り、手触りを楽しむ。
一人で出かけた時はリコへのお土産を忘れない。
何だっていいんだ。ちょっとしたお菓子でもジュースでも、道端で見つけた花でも──。
これは、離れていてもいつもリコのことは忘れてないよ、って証なんだから。
料理を作る時は、リコは喜ぶかなって考えながら作る。
食べやすいとか食べにくいなんて関係ない。食べにくそうなら僕が食べさせてあげればいいだけのこと。
最初は戸惑っていた彼女だけど、やがては僕が「ね、口を開けて」と言うと恥ずかしがりながらも素直に口を開けるようになった。可愛い。どうしよう。餌付けってこんな気持ちなのかな。
リコの好みを把握するためにも、色んな料理を作る。甘いのや辛いの。肉料理も魚も。牛肉と豚肉、鶏肉ならどれが好き?野菜は何が好きだろう。煮込みがいいのかな?それとも炒めた方がいい?
初めて食べる味だと『これは何?』って小首を傾げるから、材料や味付けを教えたりする。
たまに口に合わなかった時は微妙に眉間にシワが寄ることもある。そういう料理はもう作らない。
リコは「好き嫌いはないから何でも大丈夫」って言うし、大抵のものは美味しそうに食べてくれるけど、やっぱり食べてて本当に美味しいって思った時は、少しだけ表情が違う。くっきり口角が上がって幸せそうな顔になる。
それを見つけて、「リコ、この味好きでしょ?」と言うと、「どうして分かったのっ!?」ってびっくりするのが可愛い。
最近は「ねえユーリちゃん、この前作ってくれたパリパリの中にスープが入ってるやつ、また食べたいな」とか、キラキラ笑顔でリクエストをくれる時もある。
料理を覚えて本当によかった、ときっかけを作ってくれたエリザさんに日々感謝している。
ここまで読んで下さってありがとうございます!
あと少しだけ「たまゆら~」のおさらいにお付き合いいただければ有難いです。
【おまけ】
「それにしても、いったい何のためにあの小袋を渡したと思ってるの?」
目の前に座る彼女に向かって、コンコンと説教した。
魔物に襲われたリコの足の傷を治療し終わり、砕けた口調の彼女が可愛すぎて嬉しさが止まらなくて、是非ともその喋り方のままで……とお願いしたあとの事だ。
リコが可愛いのとそれとは全く別の話だからね。
そもそも魔物の鳴き声に気づいた時に僕を呼んでいれば、怪我なんてすることもなかった。そのために渡した髪なのに。
すると俯き、しばし沈黙した彼女はおもむろに言った。
「……オオカミショーネン」
「え!?」
「そういうのを『オオカミショーネン』っていうの」
首を傾げる僕に、彼女は少し得意げに説明してくれた。
「つまんない用事で何度も何度も呼びつけてたら、いざ本当に困った時に助けて欲しくて呼んでも、またつまんない用事だろうって勝手に判断されて助けに来て貰えなくなる、ってことよ」
「……?」
リコの例えは全く意味が分からなかった。何故それが『オオカミショーネン』なのかも分からないし、何よりどんなにささやかな用事だろうと、リコに呼ばれて行かないはずがない。
それに今回のは、全然つまらない用事なんかじゃないよね?むしろこんな時に使わなくていつ使うの?ってレベルだ。
じゃあリコはまさか、生命の危機に陥るまで使わないつもりなの?
僕が顔を顰めて考え込んでいると、その沈黙をリコは違う意味にとらえたらしい。
「あのねっ、決してユーリちゃんを信用してないって訳じゃなくてね、お仕事で出かけてるんだからつまらない用事で呼ぶのは申し訳ないでしょ?」
焦ったように、そんなことを言い出した。
「──僕は信用されてないの?リコがアレを使って僕を呼んでも、仕事の途中だったら来ないと思ってる?それとも、何度も使ってたらそのうち後回しにされるようになるって思うの?」
「いやいや、そんなことはないよっ。ないけど、でもね」
歯切れの悪いリコの返事。その視線は見えないまま宙をさ迷っている。
これって何か後ろめたいことがある?
「ね、この前渡したあの小袋、出してみてくれる?」
そう言うと、彼女は目に見えて慌てだした。これはもう間違いない。
「リコ。怒らないから正直に言って。失くしたの?それとも──」
「ごめんなさいっ!」
僕の言葉が終わる前に、リコはサイドテーブルに置かれた小物入れに手を伸ばし、手探りであの小袋を取り出した。
「大事なものだから失くしちゃいけないと思って、ついついしまい込んでました」と、しょんぼりするリコ。
リコの中に、魔物に襲われるなんて想定はなかったようだ。何かあったら部屋へ取りに戻ればいいと思ってたんだろう。
それに僕も魔物のことなんて教えてなかった。僕がいなければこの辺りまで出てくることも今初めて知ったくらいだ。
だけど何かあった時のために持たせているのに、部屋に置きっぱなしじゃ意味が無い。
少し考えて胸元のネックレスを外した。
今日は王宮からアーチの所へ行ってそのまま帰ってきたから、ローブの下は殿下を訪ねた時の衣装そのままだ。
この服は胸元が少し開いているから、大概何かアクセサリーをつけることにしている。今日は刺繍と同じ色の金のネックレスだった。
そのネックレスに小袋の紐を通し、リコの首元を飾る。
男物だから少し太目だし、リコにはちょっと重いかも。
だけどリコの金髪と同じ金のネックレスは、彼女の白い肌によく映えた。
リコは首すじのチェーンに指先で触れ、「ふぁあ」と変な声を上げる。
「これ、ユーリちゃんの?使ってもいいの?」
「いいよ。お古で悪いけどリコにあげる。リコにはちょっと長目だから、袋の部分は服に隠れるでしょ?これからはずっと持ち歩いてね」
そう言うと、リコは嬉しそうに「ありがとう」と笑った。どうしよう、可愛い。
誰が見ても明らかに男物のネックレスをつける彼女に妙な独占欲を刺激された僕は、これは魔物ならぬ虫除けにもいいかもしれない、と一人ほくそ笑んだ。
まあ、そうはいってもここには僕とリコしかいないのだけれど。
最後までありがとうございました。




