41 田舎暮らし
その翌日には殿下への面会を申し込んだ。
指定された日に会いに行き、賭けを持ちかけ、半ば騙すように王都を離れる許可を貰う。
──殿下は騙されたなんて思ってないかもしれない。
だけど僕はずるいやり方をした。
『賭けをしませんか?殿下、カードを使った簡単なゲームを。もしも僕が勝ったなら──僕は王都を離れ、誰も僕を知る人のいない所で生活してみたいのです』
ゲームなんて関係ない。僕の条件を伝えた時点で賭けの結果がどうであれ、──或いは賭けが成立しなかったとしても──僕の勝ちは決まっていた。
殿下が僕の望みを叶えてくれない筈がないのだから。
あの時殿下は、驚いたように目を見開き僕を見た。
不自然に目を逸らす僕の表情から、彼が何を読み取ったかは解らない。
殿下は賭けを了承し、結果僕は彼から『ドラゴンが眠る廃坑の綿密な調査をする』という名目を与えられ、廃坑近くのカーサ村に居を構えることとなる。
その代わり、年に数回は顔を出すように、と約束させられたけど、そんなことは後で考えたらいい。一刻も早く王都を離れたかった僕は、一も二もなく応じたのだった。
カーサ村は、筆頭としての僕に与えられた所領の一部だ。
姿も身分も隠したまま村長に会い、僕が自分で用意した『委任状』を呈示した。
そこには、『筆頭』ユリアス・レイズに所領を管理する権利を預けられたユーリスという男の名がある。
僕は筆頭としてではなく、別の人間に成りすましてこの土地に移り住むことにしたわけだ。
歴代の筆頭で実際にここに住んだ者はなく、みんなこうして代官を立てて管理していたらしい。
その代官は村長が兼任している場合も有れば、今回のように外部から派遣される場合もあったそうだ。
筆頭不在の期間に関しては王家の直轄領となることから、王家から委託される形で村長が請け負っていたそうだけれど。
そんな事情から、僕の小細工は疑われることもなく受け入れられた。
村の中に住む気がなかった僕は、村外れに広がる森に残されていた、昔は物置兼休憩所として使われていたという小さな古い小屋を、住める程度に修理した。
食料や日用品はソリタスまで買いに出ることにする。
カーサ村には何も無かったからだ。宿もなければ酒場もないこの村には、行商人も滅多にやって来ない。あるのは極端に品揃えの悪い何でも屋のような店が1軒だけ。
あそこで買い物するのは、馬車がないとか年寄りだとかいう理由で、ソリタスまで買出しに出られない者だけだろう。
そういえば、何もないこの村には風呂に入る習慣もない。
尤も、この辺りに限らず国境周辺──所謂辺境と呼ばれる場所では大概そうだというのは、塔の視察の旅で知っていた。あの頃の旅で入浴できたのは、大きな町の宿に泊まれた時くらいだったから。
小さな村程度では水売りの魔法使いもいないことが多く、各家には浴槽すらない。もし、あったとしても水を貯めるタンク代わりに使われるのが精々だ。
誰もが当たり前のように川や湖で水浴びをしていたし、野宿が多かった僕らも当然のようにそうしていた。
騎士養成学校にいた頃にも野外行軍訓練で数回やらされていたということもあり、別に何とも思わなかった。
この村の場合は村の端を掠めるように流れる川の下流で、地形の関係だろうか、少し流れが緩やかになっている場所があって、村人は時間を決め、男は男、女は女で固まってそこで水浴びをしているらしい。
「代官様もそうされるのならば、時間は守っていただかねば」
委任状を手に初めてカーサ村を訪れた時、初老に差し掛かった村長が目を眇め、フードの中を覗き込むようにしてそう言った。
まるで僕が、女性の水浴びの時間に乱入すると言わんばかりじゃないか?バカバカしい。
ユグラスのような大きな川ならともかく、小川程度なら何処にでも流れているし、必要なら跳んだっていいんだ。こんなところで一緒に水浴びする気もなければ、そもそも正体を明かす気もない。
返事する気にもならず無言でいたら、村長は目を泳がせ、言い訳じみたことを幾つか呟き、話題を変えた。
するべきことをし、確認するべきことを確認する。
そうして、ようやく一息ついたら気が抜けたんだろうか。
何もやる気がおきなくなって、最低限の家事だけしたら、後はぼんやりするだけの日々がしばらく続いた。
それでも自然に囲まれた空間で、煩わしい人間関係に縛られず、何よりも人の視線に怯えずにすむ日常は、徐々に僕を冷静にさせていく。
僕は僕だ。誰かの顔色を窺って小さくなる必要が何処にある?
周りが僕に期待するのは勝手だけど、僕がそれに応える義務なんかないんだ。
──有り体に言えば、開き直ったのだった。
あと、僕にドレスを着せたいなんて変態なことを考えるのは、母上くらいだと思う。うん、きっとそう──。
それからは何ヶ月もかけて森の奥を徒歩で探検し、滝を見つけ、小さな洞窟も見つけた。
ただの草原だと思っていた場所は、季節が巡れば一面の花畑になった。
カーサ村へは、月に一度程度顔を出す。さして裕福とも言えないこの村は、その分税金も安く設定されている。取り立てて問題もなく、税金もちゃんと納められているから僕のすることなんて何もなかった。形式だけ様子を見に行き、困ったことがないか確認するだけだ。
回を重ねるごとに、村人が僕を見る目が変わってきたように思えるのは、きっと気のせいだろう。
彼らの前でフードを外した訳でも無いんだから。
そうして、王都の喧騒が懐かしくなる──なんて事も全くなく、日々は淡々と流れていく。
廃坑の奥のドラゴンの元へは、気が向いた時にフラリと訪れた。落ち込んだ時や、考えごとがあるときなんかも。
ドラゴンが鼻面を埋める腹の窪みに寄り添うように蹲り、目を瞑ると心が落ち着くし、何か思い出せそうな気がした。
実際、なんてことない遠い記憶の欠片を思い出したこともある。大概は何事もないまま小屋に戻っていくのだけれど。
そんな穏やかともいえる毎日は、ささくれた心を徐々に癒してくれていた、筈だった。
──だけど僕の心の中には、いつの間にかポッカリと大きな穴があいている。それは塞がる様子もなく、なんの穴かもどうすれば塞がるのかも分からない。
分からないまま見ないふりをし続けた。
そうして王都へ足を向けることもなく、瞬く間に一年が過ぎていった。
アッシュが、例の護衛を伴い、訪ねて来たのはその頃のことだ。
どうやら馬は森の入口に繋いできたらしい。徒歩で現れた二人は、物珍しそうに辺りをキョロキョロしていた。
開き直ったとはいえ、あれ以来王都の知り合いと直接顔を合わせるのは初めてだ。
多少の不安は残っていたけど、以前あれ程恐れた視線は気になるほどでもなくなっていて、ようやくホッとした。
でも、何故彼らがここにいるのか分からない。
殿下がつくってくれた『ドラゴンが眠る廃坑の綿密な調査』という名目は、世間一般の人々にドラゴンの存在がほぼ認知されていないことを理由に極秘事項とされ、ごく限られた人達しか知らない筈だ。そして、その中にアッシュは入っていなかった。
「どうしてここがわかったの?」と尋ねる僕の頭に、アッシュはいきなり拳骨を落とす。
咄嗟に避けたけど、至近距離からだったので完全には避けきれない。
思わずしゃがみこみ、頭を押さえて涙目で睨むと、「家族や殿下に、あまり心配をかけるな」と怒られた。
アッシュはどうやら殿下に、言付けと共にこの場所を教わってきたらしかった。
殿下がアッシュに預けた言葉はただ一言。約束を守れ──とだけ。
それで漸く殿下との約束を思い出した僕は、余程薄情な人間だということか。それともあの頃は、それ程までに切羽詰まっていた?
自分の有り得なさに呆然としていると、アッシュが重ねて言った。先日開催された殿下の10歳を祝う誕生日パーティーの場で、主役である殿下に突撃して僕の居場所を聞きだしたのだ、と。
その言葉に、更に愕然とする。
どれだけ呆けていたんだろう。この僕が殿下の誕生日を忘れていただなんて。
今すぐにでも、殿下の元へ向かいたいくらいだ──。
気は逸るけど、二人を放り出して行くわけにはいかないから、気もそぞろなりに相手をする。
アッシュは殿下からの言付けの他に、母上の伝言も持ってきていた。
「なんだかわからないけど、伯母上が伝えて欲しいって。『反省したし、もう二度と考えないから許して』だそうだ。アーニーも何か謝ってたし、お前伯母上たちと喧嘩でもしたのか?」
「あの母上の『反省』を信用出来ると思ってるの?」
アッシュの問をスルーし、質問で返す。
母上ほど、反省という言葉に縁がない人はいないと思う。
母上が用意する派手な衣装だって、何度文句を言ってもその場限りでゴメンねと謝るだけ。次にはまた、誰が考えるのかってくらい派手な衣装が届くんだ。
母上の性格なら、アッシュだってよく知っている。
その証拠のようにアッシュはそっと目を逸らし、「アーニーはしょんぼりしてたぞ」と言った。
つまり母上の『反省』は口先だけで、いつものように笑って誤魔化そうとしてるってことだろう。
「アーニーには、怒ってないから気にしないでって伝えて」
僕の言葉にアッシュは首を傾げる。
「伯母上には?」
「母上には何も言わなくていいよ」
「えっ?それじゃまるで本当に怒ってるみたいじゃないか」
「みたい、じゃなくて本当に怒ってるんだよ」
僕が本気で怒ったら口をきかなくなることくらい、母上ならわかるだろう。
今度という今度は、もう少し本気で反省してもらいたいところだ。
母上への頑なな態度を崩さない僕に、アッシュとリックスは顔を見合わせ、あーあ……とため息をついた。
僕が今住んでいる小屋は、一部屋しかなくてその片隅に簡易な台所がついているという、恐ろしく手狭な部屋だ。
だけどこれまで寄宿舎の部屋から塔の部屋、そして師匠のアパートの一室なんかを転々としてきた僕にはこれくらいでも充分だった。
なのに何故だろう、同じように寄宿舎から騎士団の独身寮に移動し、今もそこに住んでいる筈の二人は、違う感想を持ったらしい。
「お前、ここ狭すぎないか?てっきり物置かと思ったぞ」
「別に問題ないよ。一人しかいないんだし」
「でもこれじゃ俺たち、泊まれないじゃないか」
「泊まるつもりで来たの!?」
当然のように頷く二人。厚かましいにも程がある。
でも場所がなくて丁度良かった。「床に寝るしかないか」とアッシュは言いだしたけど、今日は殿下に会いに行くためになるべく早く帰らせたいんだ。
こんなに大きいのが二人も床に転がってたら邪魔になるだけだ、と文句をつけて追い返すことにした。
そして、「しょうがないから、今夜はソリタスにでも泊まろうかな」とブツブツ文句を言いながら、アッシュが帰ろうとしたその時だった。
護衛が僕とアッシュを見比べ、アッシュに言った。
「言わなくていいんですか?ユリアス様、絶対知らないですよ?」
途端アッシュは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「いったい何の話?」
僕が首を傾げると、護衛が肩を竦めてアッシュを指し示し、「この人、先日とうとう王立騎士団長になったんですよー」と答えた。
「アッシュが王立騎士団長?何の冗談?」
なんだか以前にも似たような会話を交わした気がする。
僕が眉を顰めると、アッシュは「冗談ならいいんだけどな」とため息をついた。
どうやら冗談じゃあないらしい。
しかも一年前、騎士団長に就任したばかりのダニエルが再び副騎士団長に就任したという。
アッシュが副騎士団長に就任したのは僕が王都を離れる直前。──ほんの一年前だ。
たった一年で、いったい何がどうなってそうなった?
訳が分からない僕に、アッシュは「宰相とダニエルにハメられたんだ」と言った。
「ダニエル本気で騎士団長になりたくなかったんだな。一年前、どっちが騎士団長になるかで揉めて長引きそうになった時、宰相に問い合わせたそうなんだ。自分が一度騎士団長に就任した上で別の者に団長職を譲り、もう一度副騎士団長に戻ることは可能かと」
「え?そこまで……?」
「そう。そこまで嫌だったんだとさ。ダニエルの奴『このままだと現在副騎士団長職についている自分の方が分が悪い』と思ったらしい」
言いながら、ガックリと肩を落とすアッシュ。
──つまり、副騎士団長のままでいたかったダニエルは、一度自分が騎士団長に就任してアッシュを副騎士団長に据えた上で、団長職をアッシュに譲り、自分は副騎士団長に戻ろうとしたってこと!?
「でもそれが通るとして……、通ったからアッシュが騎士団長になったんだろうけど、それじゃダニエルは降格したことになるんじゃないの?」
「あいつ名より実をとるタイプなんだよ。だからそういうのぜんっぜん気にしないんだ。なんでも宰相が言うには、100年以上前の騎士団長で何かの失態の責任を取って副騎士団長に降格した、っていう事例があったそうでさ。ダニエルの場合は『何か適当に理由をでっち上げるにしても最低一年は務めろ』って宰相に言われてたんだとかで、本当に一年ジャストで俺を指名しやがった」
「団長ってば、この話が出た時からずっと愚痴りっぱなしでうるっさいんですよ」
横から口を出す護衛は無視して、「なら、アッシュも一年だけ務めてまた交代すれば?」と言うと、「そんなこと出来るわけないだろっ!」とキレられた。まあ、そりゃそうだろう。そんなにコロコロトップが入れ代わったんじゃ、下からも不満が出るのは間違いない。
それにしてもアッシュは考えてないみたいだけど、ダニエルがそこまで騎士団長になるのを嫌がってるっていうのなら、以前元の騎士団長の過去の不正を黙認したっていうのも、もしかして自分が騎士団長になりたくなかったからじゃないのか?
ダニエルっていったいどんな奴なんだろう。パーティーで一度挨拶した程度だから、さっぱり掴めない。
「じゃあダニエルは、なんの不始末をわざわざ仕出かして降格にしてもらったわけ?」
好奇心で訊いてみると、アッシュはゲンナリした顔になった。
「そんなもの、宰相サマとつるんでるんだからどうにでもしたんだろ。失態の内容についてはっきりと公表はされなかったけど、時期が時期だけにみんな勝手に推測してるみたいだ」
歯切れ悪く、そう言う。
それは最近王宮で起こったとある事件に関係があるらしく、極秘扱いとされているためアッシュの口から僕に伝えることはできないらしい。
「とにかく、ユーリは一度王都へ戻れ。俺からは言えないけど、お前の立場ならきっと嫌でも耳に入るだろうからさ」
アッシュに言われなくても王都へは戻る。
別にそこまでして知りたいって訳では勿論なく、ただただ殿下に会うために、だけどね。
それにしても、王宮のこの極秘事項の多さはいったいなんなのか。王妃様が襲われかけたあの一件以来、僕が耳にした分だけでも片手の指で足りない。
一般の人は、平和なこの国の王室は同じように平和だ、と信じているのかもしれないけど、それはきっとみんな『極秘』の名の元に誤魔化されてるんだと思う。
僕が物思いに沈んでる間にもアッシュの愚痴は続いていて、いい加減うんざりしてきた頃にようやくスッキリした顔で帰って行った。
あれをずっと聞かされていたんだとすると、初めて少しだけ護衛に同情してもいいかも、と思えたのだった。
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