40 殿下の誕生パーティーと絶対内緒の言葉
その日、殿下の誕生日を祝うパーティーは、華やかに開催された。
主役である殿下は、僅か9歳にしては大人びた挨拶と立ち居振る舞いで人々を感嘆させる。
僕には立派な猫を被ってるようにしか見えないんだけど、殿下をよく知らない人にはそんなことわかりやしないんだろう 。
随分大きくなられて……と、微笑ましく見ている者がほとんどだった。
だから、『今日この日をもって、我が公務の一部を王子に委ねることとする』という陛下の宣言に、たちまち大広間には動揺が走る。
もちろんこんな席で、陛下のお言葉に異論を唱える者など居ようはずもない。
ただ、これまで政務の中心にいる者以外には伏せられていたこの突然の発表に、言葉を伴わないまま人々は視線を交わし合った。一度の公務を経験しただけでは、まだ時期尚早なのでは?いくら聡明とご評判でも、まだ九つだろう。いったいどんなご公務を任されるおつもりなのか?────と。
その時、ひな壇に据えられた玉座からスっと立ち上がった陛下が、傍らの椅子に座る殿下に寄り添われた。
その背後には宰相、そして魔法局長である叔父上──ローズウェイ公爵が並び立ち、人々を睥睨する。
それで人々は殿下の担う公務の内容を察した。
全てはもうお膳立てされていること。そして、不慣れであろう殿下を導くための体制が整っていることも。
殿下は立ち上がり、一同を見回す。
「この度陛下より、魔法局に関する一切の公務を引き継ぐこととなった。とはいえ、皆も懸念する通りの若輩者である。今暫くは宰相殿、魔法局長殿に教えを乞い、陛下の後見を得て公務に取り組みたいと考えている」
堂々とした態度でそう言い、「よろしく頼む」と結んだ殿下に、人々は息を飲んだ。
僕は魔法使いを代表する筆頭として、緋色のビロードで裏打ちされた白のローブを纏い、殿下の前に進み出る。
膝下丈のローブは胸元の3つの金具で留めているだけ。僕の歩みに合わせるように、裏地のあざやかな緋色が翻り、光を反射した。
たちまち集中する視線。
だけど今は、負けるわけにはいかない。
目を伏せない。逸らさない。
あらん限りの気力を総動員し、筆頭として、ユリアス・レイズとしての矜持を保たなくてはならない。
意地でも。
殿下がどういうつもりで陛下に公務をねだったのか、なんて僕は知らない。でも殿下が望むことなら、全力で後押ししたいと思う。殿下の選んだ道が少しでも歩みやすくなるように。
僕の後押しがその一助となるのならば。
以前、初めて殿下とお会いした時には片膝をつく騎士の礼を取ったけれど、今の僕は魔法使いとしてここに在る。両膝をつき、両腕を組んで軽く頭を下げることで、殿下への恭順の意を示した。
更に、その姿勢のまま大広間に一陣の風を起こす。人々がそれに驚いている間に、頭上の換気窓から小さな白の花びらを招き入れ、雪のようにハラハラと降らせた。同時にパキセムの爽やかな香りが風とともに漂う。
「おお」とも「ああ」ともつかない声が幾つも上がった。
その幻のような光景に目を瞠り、再び息を飲む人々。
パキセムの葉は、殿下が産まれると同時に定められた殿下の象徴だ。この季節に白の可憐な花を毎年咲かせるそれは、実は花よりも香木として、その葉と樹皮から生み出される香りに価値を置かれている。
だけどこうして見る限り、この愛らしい花の舞はすっかり人々の心を魅了してしまったようだった。
風に漂い、舞い落ちて人々の足元に降り積もったパキセムの花びらは、彼らが足を浮かせ下ろす度に、貴婦人がドレスの裾を捌く度に、ふわりふわりと軽やかに舞い上がり、踊った。
殿下の左に座する王妃様は、それはもう目を輝かせていらして、今にも花びらの海に突進していきそうだ。
殿下は、と様子を窺うと、いつも僅かに上がっている口角がはっきり笑みの形を作っていた。
僕からの祝は気に入って貰えたんだろう。
あとは仕上げるだけ。
僕が立ち上がって軽く一礼すると、床の花びらは風に乗って巻き上がり、まるで幾本もの白いリボンのように連なる。
──まあ!花びらがこのように!これは筆頭様の?火の属性だと聞いていたが風も操るのか?なんてステキなのっ!この繊細な動きを風魔法で!?筆頭ともなるとこのようなことも出来るのか!?──
白のリボンは束になり、バラバラになり、風に運ばれるままヒラヒラと、驚嘆する人々の間を縫って舞い踊る。捕まえようと伸ばされた手をかいくぐり、それらはやがて波打つように高く昇って一本に収束し、人々の視線を集めたまま、入ってきた時のように窓の外へと消えていった。
あとには何も残らない。
落胆のため息が大広間に満ちた。
僕の出番はここまでだ。あとは何処かの小部屋にでも身を隠し、隙を見てサッサと退出しよう。
ローブをバサリとはね上げ、今度は深く一礼する。頷く殿下に目礼し、踵を返した。
途端歓声をあげ、僕を目指して駆け寄ろうとする人、人、人!
だけど僕は足を止めない。前方を睨みすえ、ただ進む。
そんな無言の圧に、誰もが中途半端に近づきかけたまま立ち止まった。進行方向にいた十数人が、戸惑いながらもザッと割れる。
僕は知らなかったのだけど、この頃の僕には『月華の君』とか『氷の貴公子』なんていう、近づき難さしか感じさせない二つ名が冠せられていたらしい。
でもそれでなくたって、こんなふうに真っ直ぐ前を睨み、急ぎ足で会場を横切る僕に声をかけられる強者なんて、そうそういないだろう。
そう思っていたら、無視することの出来ない声が僕を呼んだ。
「ユーリ兄さん」と。
弟は目を輝かせて僕を見上げる。
正直、僕はこの一番下の弟に弱い。
ジュリやレイは、僕が邸に戻らなくなってからも学校で同じ時間を過ごしたけど、騎士養成学校に来なかったアーニーとは、随分長い間顔を合わせることすらなかった。
領地経営の勉強とか、母上の相手をさせたりとか、本来僕がするべき事を全部させてしまっているという負い目もある。ジュリは『アーニーが好きでやってるんだから気にしなくていい』と言うけど、どうしても申し訳ないという思いが先に立つんだ。
それに、こうして僕を慕ってくる様子を見ればやっぱり可愛いと思う。
ただ弟というだけの存在なら何の情も湧かないけれど。
「ユーリ兄さんの魔法、凄いや!あんなの初めて見たよ。友達に風の適性のある奴がいるんだけど、ちょっとした風を起こすくらいしか出来ないんだ。自分でも『庭の枯葉を集めるくらいしか役にも立たない』って言ってたし、あいつにも見せてやりたかった!」
頬を紅潮させたアーニーは、『ジュリ兄さんは警備で、レイ兄さんは学校が始まって寮に帰ったんだよね。あんな綺麗な魔法が見られなかったなんて、二人ともさぞかし悔しがるだろうな』と言ってくぷんと笑う。
そして、会場の奥を指し示した。
「向こうに父上と母上も来てるんだよ」
アーニーが示した方向は会場の中心にほど近い場所で、一際多くの人々が集まっていた。ひな壇から降りてこられた陛下たちがいらっしゃるのだろう。
母上に対しては、正直まだ向き合える気がしない。今こうしてアーニーと話しているのだって、出来ることなら目を逸らし逃げ出したいくらいだ。そんな状態であんな場所に向かえるもんか。
このとき僕は、少し用事があるからまた今度……と適当なことを言って、アーニーを振り切るべきだったし、実際そうしようともした。
だけどアーニーは、よっぽど僕に会えたのが嬉しかったのかな?はしゃぎ続けて、歩き出した僕のあとをずっと付いてくる。
邪険にしづらかったのと、僕らを遠巻きにしていた人々が傍にいるアーニーを見て諦めたように立ち去り出したこともあり、それでついつい目をつけていた小部屋の前まで同行を許してしまった。
「もう父上たちのところに戻った方がいいんじゃないの?」
ドアを開け、室内が無人なのを確認し、魔法でランプに火を灯す。
だけどもの珍しげに辺りをキョロキョロしていた弟は、そんなこと聞いちゃいない。「うわっ、すごく便利だ」と、目をまん丸にした。
僕の弟達三人は、まるで僕が器の全てを奪い尽くして産まれてきたかのように、誰一人として器を持っていなかった。だけど大昔ならいざ知らず今や二人に一人はそんなものだし、持っていたとしてもさっきアーニーが言った友人のように大した力のない者が殆どだ。
魔法使いという人種は、ジリジリと先細りし続けている。
「ユーリ兄さん、王宮の中に詳しいんだね。この部屋、勝手に使ってもいいの?」
まだ好奇心旺盛な年頃のアーニーは、ズカズカと部屋に入り込み調度品を物色し始めた。
「あんまりいいもの、置いてないね」
「ここは今日みたいなパーティーや夜会の時に、ちょっと休みたくなった人が使うための部屋だよ。誰でも使っていい代わりに、最低限のものしか置いてない」
アーニーは僕を見上げて言う。
「盗まれたりするから?」
「そういう可能性もあるかもね。でも盗んだとしても、定期的に近衛騎士が巡回してチェックしてるし、王宮には魔法使いが何重にも結界を張っている。そのあと、無事に逃げられるかは保証しないよ」
話しながら、さりげなく視線を逸らした。
「別に盗もうと思った訳じゃないから」
少し拗ねた声でそう言ったアーニーは、僕がローブを外しソファーの背もたれに引っ掛けたのを見て、それを手に取る。
「へぇ、裏地に同色の刺繍が入ってるんだ。だから動く度にキラキラしてたんだね」
「母上が用意する衣装はいつもこうだよ。僕もそんな衣装でいいんだけど」
アーニーの衣装を見て言った。
彼が着ているのは、今年流行りのデザインの極一般的なものだ。
少し変わった襟元と飾りボタンの意匠がアクセントになっているくらいだろうか。
「そりゃあ僕がユーリ兄さんみたいな衣装を着たって全然似合わないからだよ。僕は父上似だもの。母上はちゃんとそれぞれに似合う衣装を用意してるんだから。──でもさ、母上だってさ、これでもものすごーく我慢してるんだと思うよ」
「?」
小首を傾げて見せる僕に、アーニーは堪えきれないようにまたくぷぷと笑った。
「だって母上が本当にユーリ兄さんに着せたいのってさ……」
そのあと続いたアーニーの言葉は、耳を疑うものでしかなかった。
「待って!ユーリ兄さんっ!ごめんなさいっ」
べそをかき、僕のローブを抱えて追ってくるアーニーを気遣う余裕もない。
しかも間が悪いことに、小部屋を飛び出し廊下を数メートル進んだところで、今一番会いたくない人に出会ってしまった。
「あら、アーニーも一緒だったのね」
ニコニコと近づいてきたのは母上だ。
その隣りには父上もいる。
「貴方がこっちに来たと聞いて探しに来たのよ。さっきの魔法が素晴らしいって皆さま大喜びで……なあに?恐い顔しちゃって。まだご機嫌ななめなの?もう頭痛は大丈夫?」
いつもと変わらない様子で話しかけてくる母上に、アーニーが駆け寄った。
「母上!ごめんなさいっ。つい、あのこと言っちゃった」
途端、母上の笑みが強ばる。
「あのことって……」
「ユーリ兄さんにドレスを着せたいって話だよっ」
「きゃあああっどうしてどうしてそんなこと言っちゃうの?絶対内緒って言ったのにっ」
「ごめんなさいぃ」
それで分かってしまった。
アーニーの言ったことが本当なのだと。
殿下の魔力のイタズラでも何でもなく、本当に母上が考えていたことなのだと。
いや、殿下の魔力の可能性なんて最初からないんだ。
あれらは、今も僕の中で大人しくたゆたっているんだから。
それに、取り乱している母上とアーニーの傍らで、絶望的な表情で額を押さえる父上。
つまり父上も知っていたってことだ。
この僕にドレスだって?
有り得ない。ふざけるな。
何も考えずにその場で塔へ跳んだ。
王宮は転移禁止区域だとか、そんなことも思いつかなかった。
跳ぶ直前、母上の「違うのよちょっと魔が差しただけなのドレスは別の子に着せることにしたのよぉぉ!」と叫ぶ声が聞こえたけど、ちょっとだろうが何だろうが考えたことに違いはない。
一瞬で姿を消した僕に、残された三人が「ええっ?転移能力もあるのっ!?」と愕然としていたことなんて僕は知らないし、どうでもいい。
ドレス?
僕にドレスを?
部屋に戻った僕が最初にしたのは、脱ぎ捨てた衣装を結界に封じ込め風魔法で粉砕したことだった。
それはもう念入りに、全ての鬱憤をその衣装に向けて叩きつけた。
衣装が糸くずの塊のようになったからといって怒りが収まる訳でもないけれど、それでも時間が経てば頭も冷えてくる。
そうしたら今度は何もかもが嫌になってきた。
原因も解らないまま他人の視線に怯え、身内の視線にさえも怯える。そんな生活にただでさえ神経を削られてるっていうのに、その身内の視線に至っては、僕にドレスを着せたいなんて馬鹿げた願望まで混じっていたときたら、もうどうしたらいい?
いや、それって本当に母上だけなんだろうか?
赤の他人の視線にそんなものが混じっていないなんて、誰がいえる?
いったいみんな、僕を見て何を考えてる?
ギリギリまで張り詰め、溢れそうになっていた僕に、最後の一滴を投じたのは母上だった。
ここまでお読み下さってありがとうございました!




