39 『出来ないこと』
近衛騎士団長と王立騎士団長の、突然の退任に関する事情は分かった。
二人が介入する気満々になっていたという戦争を目論む辺境の国々は、元々が一つの国だったものが千年以上も昔の戦争で敗戦した時に、当時の敵国であった三つの国によって分割されたという歴史を持つ。
その後長い年月を経て、時期は違えどそれぞれの地域は漸くの独立を勝ち取った。
でも、属国として過ごした期間が長すぎたんだろう。風習や習慣といった民族特有のものが、彼らを支配していた各々の国のものへと強制されたまま元の姿を失ってしまい、もはやあっさりと一つの国に戻ることすらできなくなっているという曰く付きの国々だった。
国交もない辺境の異国だし、外務ならもっと色々なことも分かるのだろうけど、僕が知っているのは精々その程度。
騎士団長たちだって外務じゃないんだから、僕よりは詳しいとしても限度があるはず。
軍部所属の彼らがいったい何処でそんな国の連中と知り合ったのかなど、詳しいことを今密かに調べている最中なのだそうだ。
僕らが殿下の私室でそんな会話を交わしていたのは、ほんの僅かな時間だった。侍従と呼ばれている男がすぐに、次の授業だと迎えに来たから。
次の科目は教養で、今はフルートの練習をしている、と殿下は言った。
貴族にとって楽器演奏の習得は必須だ。それは王族も同じで、少なくとも何か一つは人様に披露出来る程度まで習熟しなくてはならない。
そのため、幼い頃からあらゆる楽器の演奏を習い、本人の適正や家族とのバランスを考えて、最終的にどの楽器をメインに練習するかが決定される。
家族とのバランスというのは、一家で様々な楽器を駆使して一つの楽曲を演奏するのが理想とされているからだ。同じ楽器にばかり偏っていたのでは深みのある音楽にはならない。
そんな訳で僕も3~4歳くらいの時から色んな楽器を習い始めたのだけど、どの先生も自分が教えた楽器を極めさせるべきだと言い張って譲らなくて、でも僕自身は音楽にはあまり興味がなかった。
まだ小さかったから、そういうのが露骨に態度にあらわれてたんだろう。
先生方は『才能があるかもしれないけどやる気がない子』より、努力する子の方がきっと好きだ。
僕に一通りの技術を教えたあとは、もうその先を、と望む先生はいなくなっていた。
だから僕はどの楽器もそれなりにこなせるけれど、どの楽器でも誰かを唸らせるような演奏は出来そうにない。
それにしてももう9歳になる殿下がまだ一つの楽器に絞れず、様々な楽器を練習中というのは、少し遅すぎるような気もした。
ともかく殿下は「慌ただしくてすまない」とため息をつきながら、侍従と共に部屋を出ていく。
けど、元々約束もなく押しかけたのは僕の方だ。一緒に部屋を出て、「気にしないでください」と手を振り見送った。
このところの殿下のスケジュールは、いつもこんなふうに詰め込まれているという話だ。
先日僕の中の殿下の魔力が暴走したときも、殿下は「すぐに駆けつけることができなかった」と言っていた。
馬車に乗るまでは僕の傍にアレクシスがいた、というのもあるだろうけど、殿下の予定は朝起きてから夜ベッドに入るまで、常にギチギチに詰まっていて、一人になれる時間が全くなかったということらしい。
もちろん、そんな彼も夜は一人になる筈で、それなのに僕の部屋に来られなかったのは、多分僕の横にずっとばあやがいたからだと思う。
でも、それなら翌朝僕の元へ訪れた時はどうやったのかと思ったら、なんと腹痛を偽ってトイレに立てこもっていたのだそうだ。
しかもその後こちらに戻ってみたら、『声をかけても返事がない』と血相を変えた侍従によってドアが叩き壊される寸前だったそうで、僕としては殿下にそこまでさせたことに居た堪れない思いしかないのだけど、殿下はやっぱり「バレなかったんだからどうでもいい」の一言で終わらせたのだった。
新しい王立騎士団長の名が未だ発表されない理由は、殿下も知らなかった。
アッシュに直接訊くのが一番早いと思うけど、多分今は忙しいんじゃないかな?興味本位で問い合わせるのも気が引ける。放っておいてもそのうちどこかから伝わってくるだろう、と切り替えることにした。
殿下の部屋を辞し塔の最上階の部屋へと戻った僕は、再び彼の魔力と向き合う。
殿下の魔力は、今また僕の中でトロリとたゆたっていて、それはこの魔力を預かった当初の姿そのままだった。
わかったことは幾つか。
これが、僕が預かっている状態に於ける殿下の魔力の本来の姿だということ。
そしてこの状態の時の魔力は、人の魔力の常識では考えられないあらゆることを為すことができるということだ。
殿下に言わせれば、出来ないことも多いのだそうだけど、例えば?と訊けば、死者の蘇生以外には咄嗟に思いつかないようだった。
そもそも死者の蘇生なんて出来よう筈もない。
逆にいえば、そこまでのレベルを望まなければ大概のことは出来るってことじゃないのか?
でもそれはもちろん本来の持ち主である殿下が持っていてこその話であって、但し殿下は今この魔力を自身で制御することさえ難しい。
ただの人にすぎない僕に至っては、この魔力を使うほどに身体を損ない寿命を削ることになる。
それでも、もうつまらない悪戯を仕掛けられないためにも、僕はこの魔力をある程度使いこなす必要があるのだそうだ。
この魔力に対して、僕が上位者なのだと知らしめるために。
そうして更に三日が過ぎて、とうとう新しい王立騎士団長の就任が発表された。
団長の名はダニエル・カーマイン。元の副騎士団長だ。これはいわば順当な人事で驚くにはあたらない。
だけど、同時に発表された新しい副騎士団長に、僕は目を剥いた。
アッシュグレイ・ローズウェイ。
アッシュだったからだ。
入団して4年目の、花形ともいえる第一騎士隊の小隊長。そして副騎士団長付き補佐官を経ての副騎士団長。ここまでくるのに僅か6年かそこら。
いくら何でも早すぎるんじゃないか?
でも、そう思ったのは僕だけだったようだった。
世間での、そして騎士団内部でのアッシュの評価は恐ろしく高いらしい。
数日後、アッシュの王立騎士団副騎士団長就任を受けて開催された、ローズウェイ公爵家主催のパーティーで、招待客に開放された小部屋の一つに居座った僕は、有り得ない話をアッシュ本人から聞いた。
「何の冗談言ってるの?」
二人掛けのソファーを一人で独占してくつろぎ、会場から持ち込んだワインを手に首を傾げる。
本気にしない僕に、彼は潜めた声で言い募った。
「嘘じゃないから!嘘つく意味なんてないだろ!」
でも、副騎士団長ですら早すぎると思ってるのに、本当は騎士団長になれと強要されていた、なんて信じられる筈がない。
全く信じる素振りすら見せない僕に業を煮やしたのか、アッシュは会場内の招待客の一人を引き摺るように連れてきた。
僕の記憶にも残るそいつは、多少大人びていたけれどリックスに間違いなかった。
護衛は相変わらず軽い調子でペラペラと喋る。
「ご無沙汰してます、ユリアス先輩!副団長の言う通りですよー。ダニエル団長が、『騎士団長になんかなる気は無い』ってゴネまくってもう手が付けられなかったっていうか、隊長たちの間でも『そこまで嫌がるものを押しつけても』って意見が出てきたりで、じゃあ誰が引き受けるか、ってなった時に挙がったのが副団長の名前だったんですよねぇ。でもこちらもやっぱり乗り気じゃなくて、二人で押し付け合い。それで見るに見かねた宰相様が間に入ってくださって、仕方なくダニエル団長が引き受けることになった次第です」
ここでも宰相だ。一年前近衛騎士団で揉めた時も、宰相が纏めたとアレクシスが言っていたけど、これでは軍部は宰相に頭が上がらないだろう。
僕がそう思ったのと同じタイミングでアッシュが言った。
「何であんなに嫌がってたダニエルが、あっさり団長を引き受けたのか謎なんだよな。幾ら訊いても口割らないしさ。実はあの爺さん、ダニエルの弱みでも握ってるのか、でなきゃ魔法でも使えるんじゃないか?」
そんな都合のいい魔法なんかあるもんか。殿下の魔法ならともかくとしてだ。
その時、護衛が口を開いた。
「それはそうとして、ユリアス先輩何でこんなとこにいるんです?さっき大広間でジュリやレイを見かけましたよ。それから侯爵夫人も──」
ジュリやレイは学生時代こいつの後輩だったし、夜会に招待したことがあるから母上のことも知っている。
でも今の発言は全く余計なお世話だ。
顔を合わせたくないからこんなとこにこもってるんじゃないか!
他人の視線を極力避けてるってのもあるけど、殿下やアッシュの視線でさえ刺さる現状で、家族の視線なら大丈夫だなんてとても思えない。
思わず睨みつけようとして、すぐに視線を落とした。
そんな僕の態度を訝しく思ったんだろうか。
「そういやユーリ、今日はなんか変だな?調子悪いのか?」と、アッシュが覗き込んでくる。
その視線を、親指をギュッと握り込み正面から受け止めた。
「別に……。騒がれるのが嫌なだけだよ」
「ああ、お前今超有名人だもんな」
アッシュはすぐに納得して頷く。
そうしたら今度は護衛が騒ぎ出した。
「あ!俺まだお祝い言ってなかったや!ユリアス先輩、筆頭就任おめでとうございます。魔法使いトップの筆頭様が先輩だなんて、俺の鼻まで高いですよ」
護衛の一人称が、いつの間にか『俺』になっていた。
もう、なんだかヘラヘラ笑いながら言う護衛の何もかもがムカつく。
「何度も言ってるけど、名前呼びを許した覚えはないし後輩ヅラもされたくない。筆頭呼ばわりもお断りだから!」
視線を合わさないまま不貞腐れてそう言うと、護衛は「ええっ!」と声を上げた。
「それじゃ俺、なんて呼べばいいんだろう」
だから呼ばれたくないんだ、と喉元まで出たのを飲み込んだ。これだけはっきり言ってるんだから、いい加減理解れ。
だけど護衛は護衛だった。
護衛は、先輩がダメでー筆頭がダメでー、とブツブツ呟き、「なら間をとって『ユリアス様』ですねっ」と、訳のわからないことを言い出す。
「だから!名前はっ「あ、俺はリックスって呼び捨てでいいですよ。ユリアス様に敬称をつけて貰うのは恐れ多いですからねー」
僕の言葉を遮った挙句、そんなことを満面の笑顔で言った。
他のことなら一応会話も成り立つのに、名前のことになるとどうしてこうなんだろう。
天然?それともわざとなのかな?
眉間の皺を右手中指でぐりぐりと揉む僕を、不思議そうに見る護衛。
「相変わらず仲いいな」と笑うアッシュも、きっと護衛の同類だ。
自分に都合の悪いことは聞こえない耳をしてるのに違いない。
この時僕は、何があろうと護衛のことは絶対名前では呼ばない、と心に決めた。
結局家族とは顔を合わせないまま、裏口からローズウェイ公爵家を出た。
辻馬車を拾おうかとも思ったけど、たったそれだけの会話をするのも面倒で、人気の無い路地裏から塔に一番近い門の辺りへ跳ぶ。
塔は、外縁部とはいえ一応王宮の敷地内で転移禁止区域だ。直接帰る訳にはいかない。
前回、魔法使いによる騒ぎで塔へ跳んだ時も叱責されたし、次に転移したのを見つかったら厳重注意じゃ済まないだろうから。
そこからは徒歩で門をくぐり、塔の自分の部屋へ戻った。
誰の視線もない空間で、ようやく肩の力を抜くことができたのだった。
それにしても、日を追うごとに酷くなっていく気がする。
人の視線が煩わしくて外へ出たくない。
知り合いと会話をするのも億劫だ。
知らない相手なら少しは話せるけど、それも顔を見られなければ、の話。
食堂で注文する時でさえ、指でメニューを指すだけの日々が続いた。
何処かへ行きたい。
何処かへ
何処かへ──。
誰も僕のことを知らない場所。
誰もが僕を僕だと認識しない、そんな場所に。
殿下の魔力を意識に絡める。
髪に、肌に、瞳に──。
鏡の中の僕の姿は、肌の色が褐色に変じていた。時々見かける、海を越えた遠い異国から来た人々のように。
だけど、それに合わせて念じた筈の黒髪にはキラキラと金粉が躍り、蒼の右眼はありふれた緑に変わったものの、殿下の魔力を宿す左眼は翠のままだった。
左眼の色を変えるのは『出来ないこと』なんだろう。
それなら右眼も左と同じ翠に、と思ったけどそれも適わなかった。その色は微妙な違いではあるけれど、はっきりと差がある。
髪色とも相俟って、これではかえって目立つだけだ。
眼と髪は諦めて、今度は骨格をいじってみる。
これも『出来ないこと』だった。
見た目の年齢も変えられない。他の生物──例えば猫などに変じることも出来ない。
なるほど、確かに出来ないことも多くあるようだった。
鬱々と日々は過ぎていき、やがて殿下の9歳の誕生日を祝うパーティーの日がやってくる。
当たり前の様に僕のところにも招待状は届いているし、欠席するなんて選択肢はない。
またしても母上から送り届けられた趣味全開の衣装に、今回ばかりは感謝したくなった。この派手な衣装に誤魔化されて、誰も僕の顔なんて見なければいいんだ。
そのパーティーでとんでもない話を聞くことになるなんてこの時の僕は知らないし、それが僕を追い詰め、やがて僕の運命を変える出会いに繋がる、なんてことも当然知らない。
自覚なんてしていなかったけれど、この頃の僕をもし例えるとするなら、ギリギリまで張り詰めた一本の糸。或いは極限まで水を張った器のようなものだったと思う。
ほんの一滴の水で、溢れる──。
全てに疲れきっていた僕は、ただ流されるままにその日その日を過ごすのが精一杯だった。
大変遅くなってしまいました。
ここまで読んで下さってありがとうございます!




