1 彼女の記憶
フェリシア視点です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最初のお姫様は「私は嫌よ」といいました。
二番目のお姫様は「私も嫌よ」といいました。
最後のお姫様はいいました。
「それなら私がいただきましょう」
そうして最後のお姫様は、だれも欲しがらない
宝物を手に入れました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「お嬢様──っ!!もう時間がありません──っ」
泣きそうなメイシーの声に、私はフンと鼻を鳴らした。
時間が無いのは承知の上。分かっていて隠れているのだ。
本日の私は、ローズウェイ公爵家のお茶会に招待されている。
だけど私は出たくないのである。
勝手に返事を出したお父様、恨みます。
この世界にも、呪いなんていうものがあるそうですわよ。私はやり方を知らないけどね、お気をつけあそばせ。
「フェリシアお嬢様──!!」
メイシーが私の足下を通り過ぎた。
──と思いきや、いきなり上を見上げる。
フェイントか!?
木の上から様子をうかがっていた私は、びっくりして足を滑らせてしまった。
私のレディらしからぬ叫び声と、メイシーの悲鳴が炸裂する。気がつけば私は枝からぶら下がり、足をブランブランさせていた。
どうやらギリギリで枝にひっかかったらしい。
そして今、私はメイシーに襟首を掴まれ連行されている。
おかしい。私はお嬢様の筈だ。
メイシーはプリプリ怒りながら、お嬢様って人種は普通木登りなんてしません!と言った。
なるほど。つまり私は生まれてこの方約18年間、なんちゃってお嬢様をやっていることになるわけだ。
「どうしてそんなにお茶会が嫌なんですか?」
唇を尖らせつつも忙しなく手を動かすメイシーに、私は小さな声で反論した。
「別にお茶会が嫌な訳じゃないわ」
メイシーは鏡の向こうで私の髪を纏めるのに必死になっている。私が時間をなくしたせいだ。怒りと呆れのこもった視線だけで続きを促され、ついポロリと本音がもれた。
「お茶会だけじゃなくて、もう全てが嫌なのよぅ」
そう、私は『お嬢様』なんて器じゃない。
根っからの庶民なんです──。
私はフェリシア・ランバートン。
男爵令嬢をやってます。
§ § § § §
私には前世の記憶がある。それを自覚したのは5歳位の時だった。
馬車で出掛けようとしたお父様に、『どおしてクルマでいかないの?』と訊いたのだ。
クルマとは何か?と聞き返され、『ウマがひかなくてもはしるのよ』と答えた。
答えながら私は頭の中で、あれあれあれ???と思っていた。
お父様は私を抱えあげ頭を撫でながら、馬が引かねば馬車は一歩たりとも進まぬ、と大笑いされたけど私はそれどころではなかった。
私の頭の中にある、この記憶はなんだろう。
フェリシアはクルマなんて知らない。
けど私の中の彼女は当たり前のようにクルマに乗る。
そればかりかデンシャに乗る。ヒコウキにも乗っていた。
私の中の彼女は、大きかったり小さかったりした。彼女の記憶は断片だったり、繋がっていたり、ぶつ切りだったり。
五歳の私には、それが自分の記憶か彼女の記憶か区別がつかないこともしばしばだった。
禁止されている厨房へこっそり行って、料理長に『このまえたべた«ちょこぱふぇ»をもういちどたべたい』と言ってみた事もある。
料理長は、『それは何ですか?いつ召し上がられたのですか?』と言った。
それで私は、それがフェリシアの記憶でないことを知った。
フェリシアでない記憶の中で、一番たくさん出てくるのは『おとうさん』『おかあさん』『おねえちゃん』だった。
時々は『シュウちゃん』もいた。
私がお父様に、『おとうさんやおかあさん、おねえちゃんはどこにいるの?』と訊いたとき、お父様は少し変な顔をした。
『お父様はここにいるだろう?』と、いぶかしげに言われ、『ちがうのリコのおとうさんよ』と答える私。
リコとは誰だと問われ、リコはわたしなの、と答える私は最早自分が誰なのかわからなくなっていた。
そしてその時初めてお父様は私を、気持ち悪いものを見る目で見たのだった。
私は気づくのが遅すぎた。その頃にはもう私は、変なことばかり言う奇妙なお嬢様、になっていた。
私を遠巻きにする使用人。侍女も私の世話をしたがらない。
僅か5歳で、私は最低限の世話以外は放ったらかしにされることになった。
──というと、悲壮感が漂いすぎる?
実際のとこは清々していたわ──。
使用人が何かしてくれた時とか、つい「ありがとう」っていっちゃうと怒られるんだよ。
無理でしょ。反射で出るんだもん。何かしてもらってお礼を言わないなんて気持ち悪いよ。
侍女に、敬語で喋るのやめてほしい、って言ったら毛虫を見る目で見られた。
だから私お嬢様って柄じゃないんだってば。
彼女の記憶で身の回りを整え、彼女の記憶で生活する。大丈夫、最低限の事だけはしてもらえるから、飢える事も凍える事もない。
だけど、私の中で私以上に大きな存在だった彼女の記憶は、私が成長するとともに私の中に呑み込まれるように小さくなっていった。
小さい頃にはわからなかったけど、彼女の記憶は彼女が二十歳の誕生日を迎えた頃から後がない。
私はあと数年で彼女の年を追い越そうとしている。
鏡の中のメイシーは、私の母譲りのキンキラな金髪をどうにか形にして今度は顔に色々塗りたくっていた。
日本の化粧品が頭にある私にとって、こちらの化粧はどうにも面倒な上にゴテゴテしているように感じてならない。
「もっとナチュラルメイクでいいんだけどなぁ」とため息をつくと、メイシーは鏡の中の私を睨み付けて言った。
「今日はローズウェイ公爵様のお屋敷に伺うんですよ。お嬢様のいう『なちゅらるめいく』とやらで余所の方にお嬢様をバカにされる訳にはいきません!」
どうやら他家のお嬢様方にライバル意識を燃やしているらしい。今日は内輪だけのお茶会だよ?それでなくても私は正直どうでもいいけど。
「それにもしかしたらアッシュグレイ様がいらっしゃるかもしれません」
メイシーは真剣な顔で紅を引きながら言った。
ないないない。何度も公爵家のサロンにお邪魔したけど、アッシュグレイ様は一度も参加された事はないわ。
私は心の中でブンブン首を振り否定しておいた。今顔を動かしたら、メイシーに魔王様が降臨しそうだからね。
アッシュグレイ様はローズウェイ公爵家の御長男で、未来の公爵様だ。
武闘派で、今は王立騎士団の団長様を任じられておられるけれど、いずれは近衛騎士団の団長様になられるだろうと専らの噂なのである。
王立騎士団と近衛騎士団は建て前では同格だ。但し、実際のところは下級貴族や平民が大半を占める王立騎士団よりも、高位の貴族の子弟が顔を並べる近衛騎士団の方が格上扱いされている。
いや。されていた、というべきか。
貴族の頂点ともいえる公爵家のご長男が、何を考えたのか王立騎士団に入団された。そして僅か数年でメキメキと頭角を現し、今や騎士団長様である。
それが理由かどうかは知らないけど、以前はともかく今、王立騎士団と近衛騎士団の間には真実の意味で格差はない、らしい。
だったら何故今になって近衛騎士団長なのか、なんてことは私には分からないけど、噂だけは蔓延しているのだ。
こんな噂話に疎い私でも知っている位だもの。きっと知らない人の方が少ないと思うよ。
そんな噂のアッシュグレイ様は、精悍な顔立ちに鍛えあげた身体。
かといって筋肉ダルマではなく、社交界ではあくまでスマートな立ち居振る舞い。快活なお人柄。ご身分も相まって、適齢期のお嬢様達のハートを鷲掴みにしていらっしゃる。
そして彼は、私の名ばかりの婚約者、ユリアス様のお従兄弟でもあった。
しがない男爵家の娘でしかない私に、今をときめくローズウェイ公爵家からの招待状が届くのは、そういった理由からだ。
「もしかしたら御一緒にユリアス様もいらっしゃるかも」
ドレスに合うネックレスを選びながら、メイシーが夢見がちな事を云う。
はい、あり得ません。そんなふうに会えるのなら、とっくの昔に何度でもお会いしてるっての。
私とユリアス様は、婚約者といいながら正式にお会いした事はたった一度しかない。婚約を決めたその時だ。
私は7歳で、ユリアス様はもうすぐ12歳になられるところだった。
社交界嫌いで通っている変わり者の男爵令嬢である私は、余程の断れない夜会以外は出席しない。
そして驚いたことにユリアス様は、私以上にそういった場所に出入りされないのだ。
これでは個人的に約束しない限り、お会いする機会は永遠に訪れないだろう。
もう18歳にもなる私はいつ嫁に行ってもおかしくない。むしろ正式な婚約者がいるにもかかわらず、結婚していない方がおかしい。
その理由は色々あって、でもその全てが我が家によるものだと私は思っている。
私には、半分血の繋がった二人の姉がいる。これも恐らくその理由の一つ。
「ほら、お嬢様。玄関で馬車が待っております。急いで」
メイシーに急き立てられ、私は廊下を小走りに進む。
「お忘れ物はありませんか?」
今忘れ物に気づいても、取りに戻る時間はないと思うの。
大階段をかけ降りると、エントランスホールに人影があった。
「アマンダお姉様、エミリアお姉様……」
私の二人の姉が待ち受けていた。
太陽のある時間に装えるギリギリまで着飾った姿で。
「ごきげんよう、フェリシア」
「……ごきげんよう、お姉様方」
同じ邸に住んでてなーにが、ごきげんようだか。お上品ぶりっこかっての。
私の脳内の悪態は大目にみていただきたい。私はこの二人が大嫌いなのだ。
「フェリシア、貴女少し顔色がお悪いわね。体調がよろしくないのではなくて?」
親切ごかしたアマンダの言葉にすかさず脳内でお返事を返す。
(いえいえ、ついさっきまで絶好調で木登りしておりましたわよ。落ちかけたけどね)
今度はエミリアが口を開いた。
「無理をして倒れでもしたら、ローズウェイ公爵家にご迷惑がかかるんじゃないかしら?」
(無理するまでもなく、寧ろ絶対行きたくありませんでしたわ、たった今まではね)
「わたくし達が代わって行って差し上げるから、貴女ゆっくりお休みになられたら如何?」
私は目を細め、ニィと口角をあげた。
「まあ、お姉様方。なんてお優しい事を仰ってくださるのかしら。でも私、体調は全く悪くありませんのよ。アマンダお姉様、また目がお悪くなられたのでは?」
アマンダは少し目が悪いのだけど、メガネを掛けるのが嫌で決して認めない。
「それに、エミリアお姉様。今日のお茶会に参加されるレイズ侯爵夫人から、ぜひにとお言付けいただいておりますの」
レイズ侯爵夫人は、私の婚約者であるユリアス様のお母上だ。無事に結婚すれば私の姑となる。
レイズ侯爵夫人の名にエミリアは、憎々しげに顔を歪めた。
「お前なんかがどうしてそんなに気に入られているのかしら……」
はい、本音ご馳走さまでーす。エミリアちゃん駄々漏れだよー。お前とかゆっちゃってるし。
なんでそんなに気に入られてるかなんて私が訊きたいわ。
今日のお茶会に行きたくなかったのは、正直言うと未来の姑さんに会うのが憂鬱だったからなんだけど、しかーしずる休みという選択肢はキレイに無くなった。
「夫人をお待たせしてはいけませんから、私もう参りますわ」
黙って背後に従うメイシーを目で促し、隠す気もなく睨み付けてくる二人を置き去りに、邸前の車寄せにつけた馬車に乗り込んだ。
「あのお二人、どんどん露骨になって参りましたわね」
私の向かいに座ったメイシーは呆れたように呟いた。
「ほんとにねー、そのうち私あの二人に殺されるんじゃない?」
ケタケタ笑って言う私にメイシーは目を見開いた。
「ふざけないで下さい!お嬢様!!」
ふざけてる訳じゃないけどね──。あの二人も年齢が年齢だけに焦ってきたのか、ユリアス様狙いを隠さなくなってきた。
そして私はあの二人にだけはユリアス様を譲る気はないのだ。
譲るとか、物みたいに思っているつもりはないけれど。
もしユリアス様が、他に結婚したい方がいると言ってこられたなら私は直ぐ様婚約を解消するだろう。あの二人の姉以外ならばね。
ユリアス様が噂通りの女性嫌いで結婚したくないのなら、私はこのまま隠れ蓑の婚約者でいてもいいし、白い結婚をしても構わない。
「それにしても」と、私は口を開いた。
「あの二人、無事に私を蹴落としたとしてもユリアス様はお一人よ。売れ残った方はどうされるつもりなのかしらね」
私の姉というだけあって、あの二人も立派な嫁き遅れといえる年齢だ。
ニンマリする私にメイシーは、お嬢様は呑気すぎます、とため息をついた。
「アッシュグレイ様を狙っておられるのですわ、決まってます」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
中途半端なので、本日中にもう1話更新するつもりです。
よろしくお願いします。