【閑話】侯爵夫人の妄想
【34 やつ当たりの経緯】の裏話的なものです。
はああ、またやってしまったわ。
レイズ侯爵夫人リーリアはトボトボと自室に戻り、ソファーに腰をおろして項垂れた。
あの子と話すとどうしてこうなってしまうのか。
本当に男の子って、……とりわけあの子は扱いが難しい。
次男や三男が小さい頃はよくトカゲや虫を捕まえ、嫌がるリーリアのところに笑いながら見せに来る、という謎の行動をとったものだが、長男はそんなことしたことがない。
だけどあの子はリーリアにとって、弟たち以上に頭を悩ませる存在なのだ。
あの子は小さい頃から器用で、大抵のことは何でもこなせた。そのかわりすぐに飽きてしまうのが難点だけど、好き嫌いもないし我が儘も言わない。
だからずっと育てやすい手のかからない子だと思っていたのに、大きくなるにつれて心配なことが増えていった。
最初は、あの子の為に雇った家庭教師を、次々と辞めさせる羽目になったことだろうか。
ユーリには人を惑わせる何かがあるのでは、と少し不安を感じた。
弟たちと遊ぶでもないあの子は、独りで過ごす時間ばかりが増える。遊び相手になるかと同じ年頃の子を連れてきても、興味無さそうで無視を決めこんでいた。
友人の作り方が分からないのかも、と更に不安になった。
そして2年が経ち、まだ早いとは思いつつも社交界に連れ出した。この機会に友人の一人でもできれば、と思ったのだけど、あの子はいつもと変わらずつまらなそうにしていた。
そんなふうに何にも興味を持たないユーリが、唯一以前から行きたがっていたのが騎士養成学校だ。
だけどリーリアにしてみたら、果たしてあの子が同年代の子供たちと仲良くやっていけるのか、と心配でたまらない。
『親しい友人ができて楽しそうにしている』とアッシュが教えてくれて、漸くホッとしたのである。
でも、そんなあの子は婚約を決めた辺りからまた変わっていった。
それも悪い方向に。
元々社交界での噂には事欠かない子だったけれど、そこに悪い噂も混じるようになったのだ。
そうーー、あの夜会までは。
リーリアは、ソファーにくったりともたれ、それはそれは大きなため息をついた。
あの子が体調を崩したと『マウリア』から連絡がきて、馬車を迎えにやったのは昨日の夜の事だ。
数年ぶりに邸に戻ってきたユーリは、座席にもたれ眠ってしまっていた。
心配だけど嬉しくて、でもやっぱり心配で、朝まで付き添って様子をみるという乳母を押し退け、自分が付き添うと言い張った。
押し問答の末、夜中の2時には交代するという約束で、あの子のベッドの横に椅子を持ち込み、いそいそと腰をおろす。
あらでも付き添いって、いったい何をすればいいの?
夫も子供たちもみんな丈夫で、リーリアは看病らしい看病というものをしたことがない。唯一の例外が、ユーリが9歳の時に原因不明の高熱を出したことで、その時もリーリアは自分で看病する!と頑張ったのに、『原因が分からないから感染するかもしれない』と、逆に遠ざけられてしまったのだ。
それでもジッとしてはおられず、こっそり覗きにいってはミネアや医者の目を盗み、息子の手を握ったり声をかけたりしていたのだけど、別段何事もなかったのだし、もっと強硬な態度に出れば良かったと後で後悔したのだった。
ーーミネアからは『異変があれば報せて下さい』と指示をもらった。ということは、異変があるまでは特にすることがない、ということだ。もちろん異変なんてないに越したことはない。
静かに眠る横顔を見ながら、迎えに行った馭者の話を思い返した。彼の話では、あの子と一緒にいたのはロチェス伯爵家の次男だという。
これまでそんな子と仲がいいなんて聞いたこともなかったけれど、まさかその子が例の噂の?ーーいいえ、そんなのあり得ないっ!
きっとただの友人の一人よ!
リーリアは頭をフルフルと振る。
ともかくユーリは、食事中に急に気分が悪くなったらしい。
時おり受け答えも怪しくなり『僕の言葉がはっきり聞き取れていなかったのかも』とも告げられたそうだ。
最後の方は口を開く元気もないようだった、と。
そんなのを聞いたら心配になるじゃない。どうしてわたくしは一緒に馬車に乗って迎えにいかなかったのかしら。
そして、どうしてこんな日に、ヨシュアもアーニーもいないのよ。領地の視察にいったい何日かけるつもりなの。早く帰ってくればいいのに!
プンスカ怒りつつ、それどころじゃない、とすぐに思い直した。
居ない人を頼っても仕方がないもの。わたくしが頑張らなくては!
リーリアは拳を握る。
横を向き、ほんの少し身体を丸めて眠る息子は殆ど身動ぐこともなく、いびきも歯ぎしりもなく、苦しそうな様子もない。ただ、僅かに開いた口元から洩れる微かな寝息だけが、この子がちゃんと呼吸していると教えてくれている。
……それにしても、とリーリアは思った。
口を開けば文句や憎たらしい事ばかり言う子に育ってしまったけれど、こうしてみると寝顔は赤ちゃんの頃のままだわ。どうしましょうっ!わたくしの息子の寝顔!天使なんですけどっ!!
リーリアは両手を組み合わせ、うっとりため息をつく。
そうして眺めているうちに、やっぱり失敗したわ……という気持ちがもわもわと沸き上がってきた。
成人して何年も経つというのに、この可愛らしさはどうなのか。思えば4人も男の子を育ててきたけれど、小さい頃も含めて女の子に間違われていたのはこの子だけだった。
あとの3人は父親譲りの金髪で、顔立ちはリーリアにも似ていたけれど線が太く、少なくとも女の子にはみえなかったのだ。
女の子が欲しくて堪らなかったリーリアだが、ユーリを産んだ頃にはまだ余裕があった。次こそはきっと女の子だと思っていたからだ。
まさかそのあと男の子ばかり3人も続くとは、予想だにしなかったのである。
男の子だって可愛いし、育てるのは楽しかった。トカゲや虫はいらないけれど。
もし今、神様に『お前の息子を一人、女の子と交換してやろう』と言われたってごめん被る。当然だ。どの子も可愛いリーリアの子供なのだ。
でもそれとは全く別の次元で、女の子に可愛いドレスを着せて愛でたい、という欲求は年々つのる一方なのである。
眠る息子を見て、リーリアは考えた。
ほんのり染まった頬に影を落とす長い睫毛。はらりと額にかかる彼女そっくりのプラチナブロンド。
絶妙な曲線をえがく薄赤い唇。
今でさえこんなに、お人形みたいに愛らしい息子なのだ。口さえ開かなければ、だけれど。
ましてこれが子供の頃なら、どんなにかドレスが似合ったことだろう。
レースにフリルにリボン。
ピンクにクリームに華やかなイエロー。
なんて……、なんておステキなのっ!
……ついうっかり想像してしまった。
リーリアは、ニマニマと緩む口元を慌てて引き締める。
ああ、でも何故一度くらいドレスを着せておかなかったのか。
本当に失敗したわ……。
こんなに大きくなってしまっては、頼んだところで絶対に着てくれっこない。
レイならもしかして悪のりして着てくれるかもしれないけど、正直似合わないと思う。物事には適材適所というものがあるのだ。
リーリアはミネアが来るまでの数時間、飽きもせずひたすら息子の寝顔を見ながら妄想していたのだった。
やがてミネアと交代し、目覚める様子もなかった息子に後ろ髪引かれる思いで自室に戻ったリーリアは、こんなに心配なのに眠れる筈がない!と思いながらも、いつの間にかガッツリ眠ってしまっていた。
翌朝ミネアに、あの子が起きた、と呼びに来てもらわなければまだまだ眠り続けたことだろう。
そんな自分に愕然としながらも、急いでその辺にあったストールを羽織り息子の部屋へ飛んでいった。
するとユーリは、物憂気な様子で食事をつついている。けれどお皿の上は全然減っていないように見えた。
やっぱり具合が悪いのかしら。
心配したリーリアが体調を尋ねると、何故かあの子は蒼と翠の瞳を見開いて、食い入るように彼女を見つめた。
わたくし、何かヘンなことを口走った?
昨夜の妄想からくる罪悪感に少し動揺したリーリアは、頭痛がするだけだ、と告げた息子に別の意味でまた動揺した。
頭の中に閃くのは、以前のお茶会で同席したある婦人が話していた事だ。
婦人の姑が、ある日突然頭痛を訴えた。まるで金槌で殴られているように、割れるように頭が痛むらしい。
急いで呼んだ水の魔法使いや医者が功を奏し命は助かったものの、一生杖を手離せなくなったという。
息子に、頭痛をバカにしてはいけない!と訴えているうちに、あれ?頭痛は頭痛でもこの子とその姑の症状とは全然違うわ、と気がついた。
もしそこまで頭が痛んでいたのなら、昨晩あんなに安らかな顔では眠れなかったろう。
軽い偏頭痛ならそんなに心配いらないのかも。
それで少しは安心できたのだけれど、そのあとがいけなかった。
ここ数年、顔を合わせても素っ気なく文句を言うばかりだったユーリが、いつになく優しい口調でリーリアの用事を尋ねてくれたものだから、つい勘違いしてしまったのだ。もしかして今ならいける?……なんて。
リーリアはソファーに座り直し、頭を抱える。
フェリシアちゃんの話になると、あの子の機嫌が悪くなるのは分かっていた。
だからあの話はヨシュアから、冷静に落ち着いて伝えてもらう筈だった。
あの子に一言も告げず婚約を届けでたのは悪かったけれど、言えば揉めて長引くだろうと思ったからだ。とにかく急いでいたのである。
ただその理由が本人には言いづらいものだったので、それもあってヨシュアから上手く伝えてもらうつもりだったのに。
なのにどうしてうっかり先走ってしまったのか。
そして案の定あの子は文句を言い、リーリアもついつい言い返してしまって、ダメだわこれではいつもと一緒だわと思いながらも滑り出した口はもう止まらない。
そうしてその挙げ句、リーリアは激昂した息子に、『出ていって下さい!』と部屋を追い出されてしまったのだった。
あの子はフェリシアちゃんの話になると、とにかく機嫌が悪くなる。
その理由をリーリアは解ったつもりでいる。
でもそれは茨の道だ。
あの子だってそれがわかっているから婚約の解消を言い出さないのだろう。
ーーと、リーリアは勝手に決めつけている。
隠れ蓑にされているフェリシアちゃんには申し訳なく思うけど、わたくしのドレスにはもう孫を待つしか残されていないのよ。
あの子だって今は血迷っていても、若い可愛いお嫁さんがきたらきっと更正するわ。
だからあの子を見捨てないでやって!お願いっ!
それはリーリアの勝手な考えであり、望みでしかない。
実はリーリアには数年前から、知っている、と思い込んでいることがあった。
あれはまだユリアスが学生だった頃、久しぶりに一緒に出掛けた王宮の夜会での事だ。
当時のユリアスの行状は甚だよろしくなく、夜会で出会った女の子を庭に連れ出すなんてしょっちゅうだった。そしてそんな不穏な噂の逐一がリーリアの耳に入ってくる。
だから、一緒にでかけたその日こそは目を離すまい、と構えていたのだけれど、そうしたら何故だろう。若いお嬢さんたちの代わりに、リーリアの友人たちがユリアスの周りに集まってきたのである。
その夜のユリアスは、自分を取り巻くご婦人方に、目映いばかりの笑顔を振り撒いていた。
リーリアの友人なのだから、みんなもうそれなりの年齢だ。中にはユリアスの祖母のような年齢のご婦人もいた。
なのに彼はとても楽しそうにどのご婦人にも愛想よく受け答えし、相手の話に耳を傾け、微笑んでいたのだ。それはもう、やり過ぎなんじゃないかと思える程に。
息子のそんな姿を初めて見たリーリアは、呆然とするしかなかった。
あの子、もしかして本当はおば様が好みだったの?
リーリアの胸に、小さな疑惑が芽生えた瞬間だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
お察しのとおり続いております。後編は恐らく明日には投稿できるかと……。
申し訳ありません……。




