初料理は黒歴史
お昼ご飯として、リコが作ったのはサンドイッチだった。
みじん切りとか、技術が必要な料理は無理だ。加熱はもともと論外。こっちのコンロは火加減の調節が難しそうで、リコには見当もつかない。
スイッチ一つの日本は今思えば凄く便利だった。
お米があれば、おにぎりでもよかった。
色々な具材を中に入れて握れば、きっと食べるとき楽しいだろう。もっともその場合、お米が炊けるまではユリアスに頼むことになるが、それ以前にお米が見あたらなかった。そういえば食卓にでてきたこともない。
もしかして、この世界ってお米ないのかな?
結局リコに作れそうな選択肢は、サンドイッチしかなかった。オンリーワンだ。
パンは丸くて大きいものを、好きな厚さにスライスして使う。
少し分厚くスライスして間に切り目を入れればよかったのだが、それに気づいたのは全部薄くスライスしてしまってからだった。まあでも、その辺は別に問題ない。厚みが均一でないのもご愛嬌だ。
リコはレタスやトマト、チーズ、塊のハムに卵、思いつく限りの材料を調理台に並べる。
これでお米がないのはやっぱり不思議だ。あとでユリアスに訊いてみよう、と思った。
野菜を洗って適当なサイズにちぎったり、薄く切ったり。ハムは薄く切ろうとすると、パン以上に厚みがガタガタになったあげく手を切りそうになったので、少し贅沢に分厚く切った。
卵は茹でて、これもスライスした。
マヨネーズらしきものが見つからなくて、自分で作る技術も知識も無いからだ。卵を粗みじんにする前に気がついてよかった。
あとはパンにバターを塗って、具材を挟み、マヨネーズの代わりに作りおきのドレッシングをかけるだけだった。
頭の中でのシミュレーションはバッチリで、素晴らしい…とまではいかずとも、それなりのものはできた、筈だった。
(なのにどうしてこうなった──っっ!)
リコは頭を抱えて蹲った。
あまりの女子力の無さにサンドイッチもびっくりである。
台所の隅で、自分のあり得なさにうちひしがれているリコに、ユリアスは優しかった。
すごく優しかった。
(ユリアスさん、それ絶対誤解されるから、やめた方がいいと思います……)
ユリアスは蹲るリコを立たせ、大皿を持ち上げた。
「ほら、早く。リコは飲物用意して」
さっさとテーブルをセッティングし始めたユリアスに、慌ててリコはお湯を沸かし、紅茶を淹れた。
朝はジュースやコーヒー、昼と夜は湯冷ましだったり冷やしたお茶だったり、夜はたまにワインの時もある。
おやつの時間は紅茶や薬草茶、日によって色々だ。今はサンドイッチだから紅茶がいいだろう。
ユリアスにいちいち確認しながらそれぞれの淹れ方を覚えて、今はそれがリコの役目になっていた。
リコの作ったサンドイッチは、豪快の一言に尽きた。パンの端からレタスやハムがのぞいているのが目に鮮やかだ。
けれど、ユリアスが一切れ持ち上げようとすると、フニャフニャのパンの間からレタスや卵がドレッシングとともに、ボトボトと落ちてきた。
どうやら野菜からでた水分やドレッシングがパンに染み込んで、ベチョベチョになってしまったらしい。
それを見たリコは、ガックリ肩を落とした。
ユリアスは少し考え、パンを一旦皿に戻した。手についたドレッシングをお行儀悪くペロリと舐め、棚から掌サイズの小皿を二枚取り出してきて、イタズラっぽい笑みを浮かべる。
「ね、これを受け皿にして食べよう。どっちがキレイな皿のまま食べれるか、勝負でもする?」
ユリアスさんはなんて格好いいんだろう。顔だけじゃなくて、性格までが格好いい。
リコはサンドイッチと小皿で顔を隠すようにしながら、こっそりとユリアスを見つめた。
あの酷い代物を、あり得ない優雅さで、そして信じられないスピードで食べている。お腹がペコペコといったのは嘘ではなかったらしい。
リコが、多すぎたかも……と思いながら作った量の殆どが、ユリアスのお腹に消えた。
そして、あんなにも食べた量が違うと言うのに、勝負の行方はリコの惨敗だった。
解せぬ。
だけど、勝負の結果は納得できなかったものの、美味しかった、と笑顔のお礼をゲットした。
次の機会があったなら、今度こそもっとマトモなものを作ろうと、リコは心に誓ったのだった。
食後、ユリアスはお風呂の最終チェックに戻っていった。
早ければ今夜にはお風呂に入れると聞いて、リコもウキウキである。
邪魔にならないようにそっと元物置を覗きに行くと、そこはお姫様ワールドになっていた!?
三畳ほどの元物置は、ベビーピンクの壁に、床はクリーム色の石が平らに敷き詰められ、隅の方に真っ白な猫足のバスタブがちょこんと鎮座している。
バスタブの横には、小さな階段式の踏み台とアメニティ用の棚が置かれ、これもまた白く塗られていた。
(可愛い!すっっごく可愛いけど……。
ユリアスさん、自分も使うってわかってますか──っ!?)
リコが恐る恐る指摘すると、いい仕事したぜ!とばかりに輝いていた彼の顔が強ばった。
ギギギと音が鳴りそうなスピードでゆっくり浴室に目をやり、頭を抱える。
自分が入浴するところを想像したのかもしれない。
「何これ。罰ゲームレベル?自分の才能が恐い、というか憎い」
(わかります)
リコは心の中でそっと同意した。
「ユリアスさんは、日曜大工も得意なんですね」
「ニチオ…?何?」
(おっと、これは日本語だったか?)
「ニチヨウダイク。プロの大工さんじゃない人が、仕事が休みの日に大工さんの真似事をする事ですよ」
リコが知っている限り、ユリアスは料理はもちろん掃除も洗濯もする。一人暮らしなので当然といえば当然だが、リコの部屋より綺麗な室内は反則だと思う。
他にも、森の奥の方まで行って獣や鳥を捕らえてきて捌いたり、毛皮や羽を加工したりする。
この前は、家の前で凄い音がして慌てて出てみたら、近くに生えていた、大人二人で抱えられるほどの太い樹が三本ひっこ抜かれて地面に大穴があいていた。
少し庭をひろげて陽当たり良くしたかったらしい。
見た目が繊細な割にやることは意外と豪快で、そのくせ緻密な魔法陣をなんなく描いたりもする。
「なんでそんなにいろんな事、出来ちゃうんですか?」
わざと拗ねた口調で訊いたリコに、ユリアスは甘やかに微笑んだ。
「ふふ。やっと僕のこと、興味がわいてきた?」
ボフンと赤くなった顔で、リコは思った。
ほんと、色々反則です。
お風呂は夕方には無事出来上がった。
途中脱衣所が無いことに気づいて、急遽浴室の一部を仕切って棚を取り付けたり、ドアに内側から鍵を付けたり、細々したことを片付けているうちにすっかり夕暮れの空になっていた。
「できた──っ!!」
床に大の字になってユリアスが叫んだ。
「うわ──っ!すごい!!」
リコも叫んだ。
「ユリアスさん!バンザイしてください!!」
「???」
ユリアスが訳のわからないまま腹筋だけで上体を起こし、床にあぐらをかいた形で両手をあげると、リコはその前にきて膝をつき、歓声をあげハイタッチした。息がかかる距離まで顔が近づく。
「すごいすごい、可愛いすごーい!!」
リコはそのまま踊るような足取りで浴室の中を見に行ってしまい、呆然としたまま取り残されたユリアスは、一瞬で耳まで赤くして顔を伏せたのだった。
「ユリアスさん凄いです、気持ちよかった──!」
湯上がりでホコホコのリコが上気した顔でやってきた。手に残る石鹸の香りをクンクンしている。
大喜びのリコに、ユリアスも思わず相好を崩した。
「ちゃんと使えた?」
椅子に座るように促し、ユリアスが尋ねると、やっぱりお風呂は最高ですぅ、と少し的はずれな答えが返ってくる。
特に問題はなかった、とユリアスは判断してリコの背後にまわった。
「そんなに喜んでもらえたら、頑張った甲斐があったな」
タオルドライしただけの、リコのしっとりした髪に指を添わせる。
ユリアスは指先に風の気と、ほんの少しの火の気を絡ませた。
髪の根本からゆっくりと、水分を飛ばしていく。同時に、触れた頭皮から身体中に魔力を送り込んだ。気づかれないように、少しずつ、色を乗せていく。
「ね、ユリアスさんも早く入ってみて下さいよ。この気持ちよさを分かち合いたいわ──」
急にクルンと振り向いて、キラキラ目で見上げてきたリコに、髪がちゃんと乾いてからね、また風邪をひいたら大変だよ、と笑うと、リコはぐぬぬと唸った。
ユリアスがリコの髪を魔法で乾かすのは、彼女が記憶をなくす前からの習慣だ。
だけど、今のリコが一人で水浴びをするようになった時に、タオルドライで充分、と一度は断られてしまった。
が、しかしユリアスにも事情がある。
数日に一度はリコの肌に直接触れる必要がある今、髪を乾かすというのはうってつけの理由だった。
だから遠慮されて困ったので、リコの記憶がないのをいいことに風邪の件を少し大袈裟に言ってみた。実際は風邪を引きかけ、くしゃみを連発した程度である。
リコに隠し事はたくさんあるし、仕方なく嘘をついてしまっている事も幾つかある。
必要に迫られてとはいえ、信用してくれているリコに嘘をつくのは格段に気が咎めた。
もうこれ以上は、本当の事は言えなくてもせめて嘘はつきたくないな、とユリアスはため息を吐いたのだった。
「僕も湯槽に浸かるのは王都に帰ったときくらいだから、結構久しぶり、かな?」
「ユリアスさんのご実家って王都なんですか?王都ってどんなとこなんだろう」
「うん?──賑やかで、うっとおしくて、華やかな感じ?」
ユリアスの全く具体性のない説明に、リコは困ったように顔をしかめた。
「全然伝わってこない……」
「また、色々片付いたら一緒に王都へ行ってみようか。リコの好きそうな雑貨の店とか、美味しいって評判のデザート店もあると思うよ」
「それそれ、そういう話を具体的に聞きたいです!」
「うーん、僕はあんまり興味なかったから。知り合いにやたら詳しい奴がいるんだよね」
お互いに、色々片付けるのが大変な事はわかっている。
平和なように見えて、そんなささやかな約束にすがりたいくらいには張り詰めた日々だった。