23 アスコットという人
王妃様のお姿が見えなくなると、殿下は大きくため息を吐かれた。
「あれで、諦められたと思うか?」
「……明らかに未練たっぷりのご様子でしたね」
先程の会話で、殿下の不機嫌の理由を察した僕としては、うちの母上たちの娯楽に巻き込んでしまって申し訳ないとしか言いようがない。
「あの日、ユリアス殿と魔法局長の跡取り殿を見た時から嫌な予感がしていたんだ。そうしたら案の定その日のうちに、フロックコートだクラヴァットだと大騒ぎになった。だいたいこの衣装を紅色で、などと母上は色彩感覚が欠如していると思わんか?ましてやそれを私が纏うとか……あり得んな」
確かに、紅色はないな。
せめてもっと渋い臙脂か、でなければ青灰色。それもコートとジレのみの話だ。シャツやクラヴァットは白でいい。
けどどっちにしても、それらがこのまだ幼い容姿の殿下に似合うとも思えなかった。似合うとしたら、もっと体格のいい大人の男だろう。
「まあいい。私が袖を通さなければ済む話だ」
そう言って、殿下は僕に視線を投げられた。
「ーーしかし、確かにユリアス殿を見た皆が、王子のようだと騒ぐ気持ちも解る」
「は!?ーー誰がそれを?」
僕は目を剥いた。
そんな戯れごとを殿下の耳に入れたのは誰だ?
あのとき、僕にそんな事を言ってきたのはタチアナだけだった。彼女は、みんながそう噂している……とは言っていたけど。
「気を効かせたつもりで何でも耳に入れようとしてくるのでな。私がソレを欲しているかどうかなど、お構い無しだ」
肩を竦める殿下は、もしかしてご自分の魔力の事を仰っておられるのだろうか。
気を効かせた……という言葉に、あのお披露目の日、勝手に人々のさざめきを運んできた殿下の魔力を思い出した。
「そのような事がしょっちゅうなのですか?」
望む言葉を探してくるならともかく、手当たり次第な上、強制的にでは疲れるだけだろう。
だけど僕の問いに、殿下は口角を上げ笑みを浮かべる。
「あれらは気まぐれだ。いつもそんな事ばかりしている訳でもない。それよりも私にとっては、あれらが自らユリアス殿のために動いたという方が驚いた。ユリアス殿は、余程気に入られたとみえる」
元々がご自分の魔力というだけあって、そういった動きまでも把握できるらしい。
それにしても『魔力』に気に入られる……なんて表現が出てくるとか、つくづく人の魔力とは別物だと改めて思い知らされた気分だった。
それから1時間ほど殿下の話し相手を務め、『塔』の自室に戻った僕は考え込んでいた。
西の辺境で遭遇した廃鉱の事だ。
『塔』の火の魔法使いたちは、3班に分かれて定期的に国境線を辿る。その中で、西の国境線に向かった班は必ず、少しルートを逸れた処にあるあの廃鉱に立ち寄っているらしい。
理由はというと、過去の風属性の筆頭が構築したと思われる結界だった。
あのときーー。
2班の火の魔法使いたちと共に鉱山の廃墟へと足を踏み入れると、僕の内で殿下の魔力がピクリと身動いだ。
それは直ぐに治まったけど、どうにも辺りの空気がザワザワする。
他の魔法使いたちは何も気づいていないようだった。
そして何処までも続くトンネルのような坑道を抜け拓けた空間に出ると、そこには4つの坑道が大きく口を開いていた。
ここから各方面に分岐しているらしい。
けれど、その先に進む事はできなかった。
その広い空間を境に、これでもかという程に念入りな結界が張られていたからだ。
その結界は明らかに、訓練場に張られている結界とはレベルが違う。それならこれは、過去の『筆頭』が張り巡らせたものなんだろう。
でも、どうしてそんな必要が?
ここにいったい何がある?
「どうだ!凄い結界が張られてるだろう」
「なんでこんなとこに在るのかは誰も知らないんだけどな」
結界を前にぼんやりしていた僕は、彼らの声にハッとした。
過去の筆頭が張ったとおぼしきこの結界は、よく見るとこのレベルにしては杜撰な部分もあった。でもそれを補うように、4重、5重にと執拗な程に重ねて張られている。
僕は以前叔父上から聞かされた、筆頭の持つ権利と負わされる義務について思い出した。
あの時叔父上は、筆頭にはとある廃鉱の1つを含むその辺り一帯を所領として与えられると言っていた。そしてその廃鉱の監視が筆頭の義務の1つなのだと。
この国には廃鉱は2つしかない。
それなら過去の筆頭によってこれ程までに厳重に封印されているこの場所が、件の廃鉱と思って間違いないと思う。
いったいここに、監視しなくてはならない何があるっていうんだろう。
僕がその結界の前で考え込んでいると、魔法使いの一人に腕を引っぱられた。
「いくら何でもそこは危ないぞ」
「?」
促されるままその場を移動すると、2班の魔法使いたちは、それぞれが力任せの炎を結界にぶつけ始めた。
まるで日頃の鬱憤を晴らすが如く、渾身の魔力を籠めて。
炎が結界にぶつかる度に、そこから光の糸が放射状に広がり直ぐに収束する。
その炎はいつもみんなが操っていたよりも明らかに強い。
「みんな、もしかして訓練場ではセーブしてたの?」
「ああ?お前は思わなかったか?あの訓練場の結界、本気でやったら壊してしまうかもしれないって」
確かに思った。恐らく皆とは違う基準でだけど。
そして、みんなが不審に思わない程度に僕もそこへ炎を叩きつけ始めた。
その時1つ思いついた事があった。
「ね、いつもあの結界にだけ向けて撃ってるの?」
僕が近くにいた魔法使いの袖を引き訊くと、彼は頷いた。
「岩肌に直接撃って、万一崩れてきたら大変だろ?」
「でも、もうーー」
僕の提案に彼は目を見開いた。
そして、その日僕は1つの結果を得て、すっきりした顔の彼らと一緒にその場を後にしたのだった。
あの結界の向こうに行くのは、僕にとっては造作もない事だ。
ただ、みんなの前では決してできない遣り方だから、黙って立ち去るしかなかったけど。
そして僕は確信している。
あそこはきっと、殿下や僕の遠い過去の記憶と関わりがある。
それがどういうものかは全く思い出せないけれど、僕の中のざわめく魔力がそう言っている。
実は今日のお茶会では、その話が出るかもしれないと思っていた。
僕と殿下は、魔力を通じて密接に繋がっているらしい。
特に僕がお預かりしている殿下の魔力が反応したことに関しては、ほぼ間違いなく把握しておられると思う。
実際お披露目舞踏会の時に、殿下の魔力がお節介を焼いたことまで知っておられたんだから。
なのに予想に反して、あの廃鉱についてはただの一言もなかった。
つまり僕に何も教えるつもりはない。
今の僕には関わりがない、と殿下が判断されたという事なんだろう。
だけどーー。
僕は、あの結界の向こうが気になって仕方がなかった。
それから僅か数日のうちに、僕はある決意を持って叔父上を訪ねる事になる。
それから更に3日後、僕は手に入れた紹介状を握り、途方にくれていた。
叔父上との話し合いで、先ずは水の制御を覚えようという話になった。先に筆頭位を獲得してしまうと、数十年ぶりの『筆頭』に必ず大騒ぎになって弟子入りどころではなくなると予想されるからだ。
叔父上はもう、僕が筆頭位を獲得できると確信しているらしい。
もちろん僕もそのつもりでいる。
だけど、封された紹介状を手渡してもらうとき、叔父上は少し困ったように言った。もしかしたら断られるかもしれない、と。
そのアスコットという人物は、相当の変わり者らしい。
そして叔父上の予想通り、紹介状を手に研究所の彼を訪ねた僕は、見事に断られてしまったのだった。
アスコットは言った。
「えーーっ、弟子入り?そんなの無理無理!こう見えてもあたし忙しいんだから、自分の研究と依頼とをこなすので精一杯なの!制御を教えてる暇なんてないよ。公爵様だってそんなの解ってると思うんだけど?」
僕よりも高い身長の男から、ハスキーボイスでお姉言葉が飛び出てきたので吃驚した。
ニーノが言ってた『残念な~』というのはこういう意味だったのか!?
吃驚してる間に、話は終わったとばかりに彼は、首筋をポリポリ掻きながら研究所内に戻っていってしまった。
正攻法でダメなら絡め手でいくしかない。僕はアスコットに関する情報を集め始めた。
あんまりあっさり断られたので悔しくなった、というのもある。
何か弱味を握れれば一番早いんだけど、そんな都合のいい話はないだろう。
こんな時アーチがいたらな、とふと思った。
彼はとにかく、あらゆる情報を集めてくるのが上手かったから。
待機期間中の僕は時間だけはあった。外出届けを出し、顔が見えないようにフードのついたローブを頭から被った姿で7日間、アスコットの動向を監視した。
市井で魔法を生業にしている登録魔法使いは大抵この姿だから、余程おかしな動きをしなければ特に不審に思われることもない。
そうして7日が過ぎて、アスコットの行動範囲が恐ろしく狭い事が確定する。
朝、研究所へ向かう途中のとある食堂に立ち寄り朝食を食べる。一旦研究所へ入るともう夜まで出てこない。昼食はどうしているのかと思ったら、遅めの時間に同じ食堂から配達で届けられていた。
夜は夜で昼食の食器を手に食堂を訪れ、そこで夕食も食べて帰っていった。
つまり、食事の全てをその食堂に頼りきっていたのだった。
呆れた事に、そんな生活を送っているのはアスコットだけじゃなかった。
研究所の所員の殆どが似たような生活だと思われる。
僕は顔を隠したまま、その食堂に通うようになった。大概はアスコットに合わせて夕食の時間。時には昼の時間帯にも。
その食堂は料理を作る親父さんと女将さん、その娘さんの三人で回しているささやかな店だ。
だけど次から次へとひっきりなしに人が入る。この辺りでは人気のあるお店らしかった。
アスコットを含めた研究所員が美味い美味いと誉めそやしながら食べるものを、僕も頼んで食べてみる。
素朴な家庭料理風で、毎日食べても飽きのこない味付け。
それはどこか寄宿舎の料理人、エリザさんを思い出させた。
そんな風に1ヶ月半も通いつめるうちに、僕はすっかり常連さんになっていた。
僕がいつもチラチラとアスコットたちを気にしているのは、食堂の親父さんにはとっくにばれていたらしい。
理由を訊かれたので、弟子にしてほしいと押しかけたら断られた、と事情を打ち明けた。
何しろ、僕はもう本気で困っていたんだ。
この1ヶ月半アスコットと接触があったのは、同じ研究所の所員を除けばこの食堂の人たちしかいなかったから。
僕の話を聞いた親父さんは言った。
「財布だけでダメなら胃袋も掴むしかないだろう?もし料理を覚える気があるなら教えてやるぞ。上手く作れるようになったら、俺から推薦してやってもいい」
いったい僕の何を気に入ってくれたのかは分からないけど、これが破格の申し出だって事は解る。
それに僕はもう意地になっていた。
弟子入りするために出来ることがあるなら全部試してみたかったし、親父さんがそう言ってくれるなら願ったり叶ったりだ。
だけど時間がないのも事実。
あと1週間もすれば2班の待機期間が終わって、僕はまた国境線の視察に出向かなければならない。
今から料理を教わったとして、親父さんが満足するレベルに達するまでどのくらいかかる?
そのあとまたアスコットに直談判して、料理を食べさせてーーー。
そう思えば、あと1週間では到底足りないだろう。
僕は親父さんに賭けを持ちかけた。
食堂の厨房を借りて僕が作った料理を、その場で味見してもらう。
親父さんを唸らせる事ができたら僕の勝ちだ。
もしも勝てなければ今回は諦め、次の待機期間に料理を教えてもらうしかない。
こんな僕にとってだけ都合のいい一方的な賭けを、親父さんは快く受けてくれた。
そうしてそれから4日後、僕は無事アスコットに弟子入りすることになったのだった。
ここまでお読み下さって、ありがとうございます。




