5 初心者コースと噂
母上には、最近ずいぶん自由気ままに過ごしているようだけど、と嫌味を言われ、父上からは、ほどほどにしておきなさい、と叱られた。
ここまでしているのに、どうして男爵家はーーフェリシアは何も言ってこないんだろう。
そうこうしている間に長期休暇も終わり、また学校が始まる。
今期は僕のすぐ下の弟、ジュリアスも入学する事になっていた。
僕とジュリは同じ馬車で学校へ戻った。弟は学校生活が楽しみでしょうがないらしい。父親似の顔を輝かせて、ずっと学校の話をしていた。
以前は他人行儀にモジモジしていた弟たちは、今ではすっかり僕に懐いている。
前は何故あんな態度をしてたのかは、何度訊いても教えてくれないけど。
六年生になったアッシュは、五年生の時に就任していた生徒自治会の会長を引き続き務める事になっている。
彼はまた僕に、今年こそ書記か会計をやれ、と言ってきたけど例によって断った。
目立つのは嫌いだ、って何度も言ってるのに、何故理解らないかな。
授業は基礎課程を修了し、専門課程へ。
座学が減った分実技の選択科目が増える。
弓、槍のどちらか1つ。どちらを選ぶかは三年生修了の時期に、既に希望を提出してあった。
希望者はいないだろうけど、弓と槍以外に特別枠の『魔法』という選択肢もあった。
但し魔法を選択するには資格がいる。器がCランク以上で、尚且つ火属性の者だけだ。
Cランク以上と言ってはいるけど、実際はAランクやBランクなんて世間に殆どいないし、いたとしてもこの学校にはまず来ない。
Aランクなら『塔』へ直行と決まってる。
Bランクであっても、国に登録されれば大きな仕事を手掛けられる。もし登録されなかったとしても、市井でなら魔法使いとして充分やっていけるレベルだ。
よっぽど騎士になりたいのでなければ、わざわざ入学してくる筈がなかった。
そして火の属性を指定するのは、魔法剣士を育成するため、らしい。
らしい、というのは今まで魔法剣士というものを育てた事がないから。
剣の先生に聞くと、過去一人もいないのだそうだ。
僕が首を傾げると、先生は笑って言った。
「歴史書にそういった人が出てくるんだよ。そして理論上は可能な筈なんだ。あいにくCランク以上の火の属性持ち自体が、全然この学校に入って来ないんだけどな」
いつかは魔法剣士っていうのを育ててみたいなぁ、と遠い目をする先生。
魔法剣士は、まさかの先生方のロマンだった。
僕はこの頃にはもう、人付き合いの距離感というものを覚えていた。
初対面の人には笑いかけない。
初対面でなくても、怪しげな人には笑いかけない。いや、むしろ最初から近づかない。
先生に対しては、近づかないというのは難しいけど、誤解されないように距離を取って接しているうちに、この先生なら大丈夫、とかの線引きができてきた。
剣の先生もその中の一人だ。
三年生の修了時、弓か槍かの希望を提出する時期に、僕はこの先生に呼び出されていた。
「レイズはどちらを取るんだ?」
先生が訊いたのは、弓か槍かという事だ。
僕はもう槍に決めていた。
「槍にするつもりです」
弓なら風魔法を使えば的に当てるのは簡単だし、今更習う気もしなかったから。
その時先生は僕の答えに頷き、四年生になって発表するまで誰にも言うなよ、とわざわざ念を押して行った。
そんな大袈裟な、とは思ったけど、しつこい奴も数人いるし、面倒なので言われた通り黙っておく事にした。
アーチは弓に決めていたようで、ユーリはどーすんだ?って訊かれて、答えるべきか一瞬逡巡すると、彼はすぐに察したようだった。
「あ、まあいいや。聞かん方が良さそう」
そう言って苦笑した。
他にも僕に、どっちを取るんだ?って訊いてくる奴が何人もいたけど、結局誰にも言わなかった。
そして四年生になった初日の今日、職員室は生徒の立ち入りを完全に禁止していた。
普段から生徒がウロウロしていい場所では当然ないのだけど、鍵を取りにきたり提出物を届けに来たりする生徒はいる。
そういった生徒までが閉め出されていた。そのくせ職員室の周りには関係のない生徒たちが何人も様子を窺ってる。
「何?あれ」
始業式に向かう途中それを見咎めアーチに問うと、今日は選択科目のクラス分けも発表するだろ、と言う。
「まさかそれで…?」
眉を顰める僕に、先生たちえらく警戒してんな、と笑うアーチ。
そして始業式で選択科目のクラス分けが発表されるやいなや、職員室に一クラス分以上の生徒が押し掛けて、科目の変更を訴えたらしい。
もちろん、一度決定された物が覆される筈もない
全員却下されて泣く泣く教室に戻ったそうだけど、アーチが弓だから絶対弓だと思ったのに!って叫んでた奴がいて、アーチを見ると彼は肩を竦めて言った。
「俺はお前がどっちにしたかも知らんかったし、勘違いしたのは向こうの勝手じゃん。皆そこまで、お前と一緒に授業受けたいんかな?」
学年ごとのクラス替えは一応あるけど、完全に成績順だから殆ど入れ替わりはない。
他のクラスの奴が僕と一緒の授業を受けようと思えば、確かにこの機会しかなかったのかもしれなかった。
剣の先生は、希望の提出時に僕に口止めしておいた事で他の先生方に褒められたそうだ。
後日顔をあわせた時に、俺って慧眼だろ、と自画自賛していた。
やがて選択科目の授業が始まり、同時に乗馬の訓練も始まる。
乗馬はもちろん必須科目だ。馬に乗れない騎士なんて聞いた事がない。
この学校の生徒は貴族の子弟が殆どなので、経験者が大半を占める。
馬が初めて、という者は15人程度。
全員纏めて初心者コースに放り込まれ、僕やアーチもその中に混じっていた。
みんな意外そうに僕を見たけど、事情があったんだから仕方ない。
アーチは、まさかここで同じクラスになるとは!って、一人笑い転げていた。
初めて皆と敷地内の馬場に行った時、こんな事になるんじゃないかと予想していた事が現実になって、僕はがっくりしていた。
小さい頃から僕が近づくと、生き物はみんな僕を避けて逃げ回る。
撫でさせてくれたのは昔領地の本邸で飼っていた猟犬のレオくらいで、それも明らかに渋々だった。
ずっと動物に嫌われる質なんだ、と思ってたけど、片方の目が翠に変わってからはそれがより一層顕著になって、漸く怖れられてるんだって理解した。
人間相手には隠せている魔力だけど、動物には分かるんだろうか。
ともかく馬たちは僕を見て後退り、近づく素振りを見せると耳を伏せ歯を剥いて威嚇する。実際一歩でも近づくと、物凄い勢いで逃げ出した。
あまりの反応に先生やアーチ、コースの生徒たちは目を丸くし、僕は目の前が真っ暗になった。
まさかここまでとは思わなかったから。
邸の馬たちは僕を怖れるものの、慣れもあるのか必要以上に近づかなければ馬車になら乗せてくれた。
ここなら邸より沢山の馬がいるし、一頭くらい肝の据わった馬もいるかと思ってたんだけど、これなら邸の馬の方がまだマシだ。
僕は史上初の馬に乗れない騎士になるのか、それとも単位が取れなくて落第になるんだろうか。
呆然としていると、先生は遠くの厩舎で馬の世話をしていた上級生に手を振った。
「おーい!シャルは今どうしてるー?」
「さっき授業が終わったのでブラシをかけています!」
「連れてきてくれ」
上級生に連れられてきたその真っ白な美しい馬は、明らかに不機嫌だった。
鼻息荒く、前肢でカツカツと地面を蹴っている。
僕を見て大きく鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
でも他の馬のように怯えた様子はない。
僕は覚悟を決めた。この馬がダメなら、少なくともここにはもう僕を乗せてくれる馬はいない。
静かに近づき、ゆっくり手を伸ばした。
馬が歯を剥いたけど、構わず鬣に指を差し込み撫でる。
「シャルっていうの?僕はユリアスだよ。ね、僕を乗せてくれないかな」
みんなが固唾を飲んで見守る中、シャルは辺りを見回し、いなないた。
遠く離れたところで他の馬たちがピクピクと耳を動かす。
馬同士でどんなやり取りがあったのか、僕にはわからない。
けど、シャルは仕方なさそうに鼻を鳴らし、瞬きした。
首をグッと曲げ、僕に背中を示す。
「シャルが乗せてくれるそうだ。良かったなレイズ」
先生の声もホッとしていた。
シャルが『女帝』と呼ばれていて、気に入らない人間は絶対に乗せない、と聞いたのはその後の事だ。
アッシュが特定の後輩をいつも連れ歩いていると聞いたのもその頃だった。
アッシュの周りには常に取り巻きがいるし、その中の一人だろうと思ってたら、どうやらそいつだけはアッシュ自身が気に入って連れ回しているらしい。
アッシュはあまり垣根を作らないタイプに見せてるけど、実は人の好みには煩い。表に出さないだけだ。
だから、そんな彼が誰かを連れ回す程気に入るなんて珍しい事だなと思った。
別に気になるって程でもないけど、アーチに訊いてみた。
アーチは友達が多く、吃驚するほどいろんな噂を知っている。
「ああ、リックスの事だな。ガーランド子爵家の三男だって。何?お前、気になんの?」
首を傾げるアーチ。僕が普段噂話に興味を示さない事を知ってるからだ。
「別に。ただアッシュが騙されて利用されてるんじゃないかと思っただけ」
アッシュは公爵家の跡継ぎだ。いずれはローズウェイ公爵を名乗ることになる。目端のきく者なら今から親しくなっておこうと考えても不思議じゃない。むしろ今アッシュを取り巻いてる奴らは、ほぼそれが目的だろう。
アッシュはちゃんと理解して一線を引いているようだったから、今までは放っておいたけど。
「……思いっきし、気にしてんじゃん」
プククと笑うアーチの足を全力で踏みつけ、しばらくやりあってからもう少し詳しい事を教えてもらった。
リックスは没落した子爵家の三男で、貴族とは名ばかりの家で育ったらしい。
父親が爵位を相続するときに相続税が払えず、やむ無く領地の殆どを手放したのを皮切りに年々生活は苦しくなり、彼が物心ついた頃にはもう庶民同様の生活を送っていたという。
このままでは次の相続税を払えず、父の代で爵位を返還する事になるだろうと家族で覚悟を決めていたとき、リックスの長兄が細々と行っていた商売が大当たりした。
長兄には商才があったらしい。
次兄はそれまでの仕事を辞め、長兄を手伝う事になった。
リックスはその頃10歳になったばかりで、ちょうどいい、と兄に学費を出して貰い騎士養成学校に入学してきたのだそうだ。
それが約2年前。彼は僕らにとって1年後輩にあたる。
この学校では縦の繋がりが割りと深い。
例えば、僕らも乗馬の訓練が始まった今年は、上級生から馬の世話の仕方を習っている。再来年、六年生になったら今度は僕らが四年生に教えなくてはならない。
他にも学校行事だったり、寮での生活も含めて、先輩と後輩の接点はかなり多い。だからそういった場で、彼らが知り合っていたとしても、全く不思議はなかった。
「それにしてもアーチ、よくそう色々な事知ってるね」
僕が感心して言うと、アーチは鼻を鳴らした。
「お前が関心無さすぎんの。リックスは別に出自隠してねーし、この程度の情報はあっという間に広まる。とにかくアッシュ先輩やお前の周りにいる奴は、それだけで注目されて色んな噂が出回るんだ。ホントの事から嘘っぱちまでな」
俺が何て噂されてんのか知ってっか?、とアーチは悪戯っぽく笑う。
僕が首を振ると、
「俺、どっかの偉いお貴族様の落とし胤らしいぞ。でなきゃお前の横に俺が引っ付いてるのが納得できんのだって」
おかんが聞いたら、腹抱えて笑うだろーな、と言いながらアーチも吹き出した。
僕もアーチが貴族の正装をしているところをうっかり想像してしまい、あまりの似合わなさについ一緒に笑ってしまって、アーチに笑いすぎだと怒られてしまったのだった。
けれど、話題の後輩に会う機会はなかなか来なかった。
最上級生のアッシュは、会長職も相まって随分忙しそうだ。
遠目に見かけるだけの日々が続いていた。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました!




