六話 日野咲子
予想はしていたことだけど、やっぱり真由と吉村くんは子どもにモテる。
二日目。
食堂で朝食を終えた瞬間、真由は女の子たちから、吉村くんは男の子たちから腕を引っ張られ、あっという間にどこかへ拉致られてしまった。昨晩自己紹介を済ませたばかりなのに、一体どこで仲良くなる機会があったんだろう。
喧騒が去った食堂に残っているのは、スクール最年長の女子、花音ちゃんだけだった。このフリースクールは小学生ばかりが入所しているが、彼女だけは中学二年生らしい。スマホをいじりながら、ときおり着けているマスクを顎まで下げ、のんびりとホットサンドをかじっている。
「あたしら、顔がこわいのかもね」
隣の堤くんに声をかける。
彼は館内常備の新聞片手に優雅にコーヒーすすっていた。高校生のお兄さんというより、神経質そうな数学教師って雰囲気だ。これは子どもも近寄りがたい。
「生まれもったものだ。気にしても仕方がない」
人見知りなくせにいちいちこういうのを気にしてしまうあたしは、堤くんみたいな我が道を行く系の人をたまに羨ましく思ってしまう。
「すごく不本意だけど、ちょっと施設周りを散歩してみよっか、堤くん」
「あぁ、不本意だが行くか」
あたしたちは食器のトレイを片付けた。
気分だけは少女風味のディズニーポップキャンディをくわえながら、まずはグラウンドを横切っていく。吉村くん一人対男の子三人のドッチボール対決が行われていた。いじめられているようにしか見えないが、吉村くんは楽しそう。
校舎に入る。フリースペースのソファでは真由が女の子たちに絵本の読み聞かせをしていた。「あぁセリヌンティウス、ゆるしてくれ。君はいつでも私を信じた!」。訂正。絵本じゃなかった。けど、真由のやり過ぎな朗読演技は女の子たちにバカウケだった。
ついにソファを立ってメロスの動きを再現しだす真由を、堤くんと二人、茫然と立ち尽くして眺める。
ふと、そばに気配を感じた。いつの間にそこにいたのか、男の子がじっとあたしたちを見つめていた。
首もとから左頬にかけて大きな赤い痣のある少年だ。特徴的な容姿だったので覚えている。リューくんという子だ。小学六年生で、身長はあたしより少し低い程度。
「あ、こんにちは」
あたしはマックの短期バイトで培ったスマイルを振りまくが、リューくんに鼻で笑われてしまった。
「いいよ、無理して笑わなくて。『自分らしく』してりゃいいんだよ、このスクールは」
リューくんの『自分らしく』の言い方には、皮肉の意図が多分に込められているようだった。あたしは笑顔を引っ込める。
「あんたら、施設の探検がしたいんだろ。おれが案内してやるよ」
ついてこい、とでもいうように顎をしゃくり、リューくんは勝手に歩き出した。
リューくんの施設案内は渡り廊下の先、校舎横の子ども用宿舎からはじまる。次に校舎一階の職員室やコピー室、図書室の紹介を簡潔に済ませて二階へとあがっていく。
リューくんは通路左手側の奥を指した。
「あの先に、ジュン兄とノア姉の部屋がある。もとは音楽室だったらしいけど、めっちゃ改造されてて中はフツーに部屋っぽくなってる。広いし。あんま入ったことないけど」
次に彼は通路の右手側を指した。
「こっちの一番奥はジュン兄のアトリエ。コンテストに出す作品とか置いてあるから、子どもが勝手に入ると注意される。気をつけて。二階はこんなもんだな。あとは物置部屋か、改装中の部屋しかない」
リューくんは振り返り、「次行っていい?」と言う。彼の説明は終始事務的で、とても自ら進んで案内役を買ったようには見えない。
「なんで案内なんかしてくれるんだって思ってるだろ」
と、リューくんはあたしの思考を悟ってくる。
「一番歳上の女が使えねーんだよ。中学生のくせに。俺がこのスクールで二番目に歳上だから、しょうがなくやってんの」
返答は求めていないというようにリューくんは階段を降りていく。
人のこと言えた義理じゃないけど、ちょっと生きづらそうな子だなと思った。
リューくんが最後に案内してくれたのは、彼のお気に入りだという場所だった。それは校舎から正面側にある山を少し登った位置にあった。斜面の一部が平らになった箇所で、外側へと突き出すようにどっしりとした岩が佇んでいる。
岩はあたしたち三人が乗っても平気そうな大きさと安定感で、上ってみるとそこは木々も開け、施設全体が一望できた。
「ここ、ジュン兄もお気に入りの場所らしい。ま、俺はジュン兄もノア姉もあんま信用してねーけど」
リューくんは岩の際ぎりぎりで胡座をかく。堤くんはその横で、何故か座らず仁王立ちしていた。そんなとこ居て危なくないのかなと、わりとビビりなあたしは思ってしまう。
「あんたらさ、何の用でここ来たわけ?」
やがてあたしは岩の手前側に落ち着き、ディズニーキャンディの二本目を開けながら腰を下ろした。
「訳あって、部活で紙芝居作ることになってるんだよね。だけど上手くいかなくて、それで子どもの意見も取り入れた方がいいよねって話になって」
「ふうん。でもここ、変なやつしかいないぜ。もっと普通のガキの意見聞いた方がいいんじゃねえの?」
あたしは飴を舐めながら言葉を選んだ。
「普通の、ってのがどんな子かはよく分からないけど。あたしも普通の子どもだったかって言われると微妙だし、基本、昔からぼっちだったし」
「でも、さっきぃはツラいいし女だし、人生イージーだろ。おれ、こんなだぜ?」
彼は自嘲気味に、左頬の痣を指す。正直あたしはカチンと来たが、黙って飴を舐めた。
リューくんの目は忌々しげに、かざみの里全体を見下ろしている。
「気持ち悪いだろ、ここ。みんな強制的に笑わせられてるみたいでさ。なんか、新興宗教みてえ」
そこで言葉を発したのが、ここまで一言も喋らなかった堤くんだった。
「物事を捉える際に肝要なのは、様々な角度から視点を変えて見ることだ」
急に喋り出した堤くんに、リューくんはびっくりしていた。というかあたしも。何言ってんのかよく分かんないし。
「こうは考えられないか。彼らは笑わせられているのではなく、かざみの里に来たことで自然と笑顔が出るようになったのだと。学校ではできなかったことが、ここではできるようになった。それはつまり、単純にこの施設が彼らに合っていたということになる」
堤くんは眼鏡の位置を整えた。
「逆説的な視点だ。施設や彼らに問題があるのではない。リューくんから見て彼らが強制的に笑わせられているように見えるということは、もしかしたら、リューくん自身に考えるべき課題があるかもしれないということだ。もしリューくんが自然と笑える環境にいたならば、純粋にその環境を楽しむのに精一杯で、そういったネガティブな発想すら生まれないんじゃないか? 可能性の話だが」
「まぁ……分かんないけど」
「スクールの理念の一つに、自分の生き方を常に見つめ直すこと、というのがあっただろう。あれはこの施設にすら固執するな、という意味にも聞こえるな。学校もフリースクールも一つじゃない。どころか居場所というものは常に誰かが多様な形で用意している。現在地で腐って短い人生を消費するくらいなら、もっと自分が輝ける場所を模索していく道を、俺は推奨する」
リューくんは「うーん」と唇を尖らせた。
「しんちゃんの言葉は難しくてよく分かんねーけど、とりあえず、もっと自分が楽しいと思えるところに行けってこと?」
「行けとは言っていない。検討の余地ありと言ってるんだ」
リューくんは腕組みして唸り、「いやでも、おれ、別にそこまでここが嫌いってわけじゃないしな。でも……」としばらく考え込んでいた。
帰り道、うんうん唸りながら下山していくリューくんの後につきながら、あたしは堤くんの背中を叩いた。
「あんた、たまには良いこと言うじゃん」
堤くんはふんと鼻を鳴らし眼鏡を光らせた。
十時になると、グラウンドにはタープテントが二つ張られた。そこに並べられた長机の上には、すでに必要分の材料や道具が置かれてある。
あたしら高校生四人と子ども八人の全員が集結すると、ジュン兄が説明をはじめた。
「じゃあ、これから竹を使ったホイッスル作りをしていきます。ちなみにこの竹、実はうちの裏山のやつなんだ。放っておくとどんどん増えちゃって、他の木の日当たりを邪魔するから、たまに俺が間伐してるの」
それはメダケという種で、細身の小さなホイッスルを作るのに向いているらしい。
ジュン兄は束になったメダケの一本を手に取った。
「この竹、全部同じように見えて、一本一本太さも厚さも違う。だから同じ作り方をしてもそれぞれ音色が違うんだ。自分のホイッスルがどんな音になるのかは、作ってみてからのお楽しみだね」
それから、とジュン兄は続ける。
「うちで作るホイッスルは、利き手ごとに持ちやすいように筒の横っちょにくぼみを掘ります。指がかりってやつだね。さらに、ウッドバーニングの電熱ペンとかスタンプも用意したから、自分の好きな柄とかイニシャルを焼き付けましょう。世界に一つしかない自分だけのホイッスルだね。特別感を出すための俺なりの演出です」
「そういうのって、あえて言わないのがオツなんじゃねーの?」
リューくんの憎まれ口に笑いが起きる。「おっと、いいツッコミいただきました」とジュン兄も笑う。
刃物を使う作業が多いため、高校生一人につき子ども二人のグループを作ることになった。あたしのグループには小四のマナちゃんと、小三のルリちゃんが入る。
マナちゃんは、本名をマナブくんという。肩まで伸ばしたきれいな髪を一つに結んでおり、見た目も振る舞いもまさに女の子という感じだ。
ルリちゃんは、本名を野口ラピスラズリというらしいが、彼女の本名に触れるのはNGと聞いている。ホイッスル作りに使うノコギリやナイフが怖いのか、「ルリ、できない」と彼女はあたしの服の裾をつかんだ。
「大丈夫、あたし見てるし、本当に無理そうだったら代わるから」
マナちゃんも元気づけるようにルリちゃんの肩をぽんぽんと叩いた。
「さっきぃお姉さんがついてるから、頑張ってみよう」
お姉さん。生まれてこのかた馬鹿兄貴の妹やってるあたしにはだいぶ染みる。
あらかじめジュン兄が切り分けていた一メートルほどの竹を、さらにノコギリで十センチほどに切っていく。あたしが竹を抑え、ルリちゃんは結局マナちゃんに手を添えられてノコギリを引いていた。
歌口と呼ばれる息のぶつかる切り込みを入れるときも、ルリちゃんはナイフを怖がってしまった。
「あたしがやってあげるから、もし自分でやってみたくなったら言ってね」
あたしはお姉さん然として優しく微笑む。
隣のテーブルの吉村くんが、異星人でも見るかのような目つきでこちらを見ていた。咲子さんじゃないみたい、とでも言いたいのだろうか。やかましいわ。
ジュン兄は全体を見て回りながら、合間を見つつ自分でもホイッスルを作っている。
「それはご自分用ですかー?」と真由。
「ああ、これは乃愛用」
ノア姉は事務仕事のため、この体験学習に参加できていないのだ。
「昔も乃愛にホイッスルをプレゼントしたことがあるんだけどさ、あいつ失くしちゃったんだよ。だから、またあげようかなって」
リューくんがヒューヒューと囃し立てた。男子小学生だなあ。
結局、ルリちゃんの分を作るので時間いっぱいになってしまった。あたしはジュン兄に事情を話して道具一式を借り、自分の分はあとで作ることにする。
明日は朝からハイキングをすることになっていて、そこで自作のホイッスルを持っていこうという話になっていた。なる早で作らなければならない。
「ごめんね、さっきぃお姉さん」
あたしは笑顔でルリちゃんの頭を撫でる。そんなあたしを、吉村くんが長机を運びながらやはり疑わしそうに見てきた。あとで蹴りを入れておこう。
午後のこと。
野鳥の鳴き声を聞きつつ、コテージ前に設置されたベンチに座り込んで竹にナイフを入れる。コテージの室内からは、真由がテレビで爆笑する声が漏れ聞こえてくる。うるさくて集中できないから外に出てきたのだ。今日中にホイッスルを完成させなければならない。
しばらく作業していると、前方から小道の砂利を踏む音がした。
顔をあげると、中学生の花音ちゃんだった。彼女はずっとピンクの不織布マスクを着けており、いまだに素顔をちゃんと見ていない。
「あ、さっきぃさん、今いいですか?」
そして、会話をするのも多分これが初めてだった。
あたしは若干きょどりつつ、作業を止めてベンチを立つ。
「どうしたの、困りごと?」
「や、そういうんじゃないんですけど……あの、良かったらこれ」
花音ちゃんは袋入りのチュッパチャプスを差し出してきた。なんで? と思いつつ受け取る。
「今日のホイッスル作りのとき、ヨッシーさんに聞いたんですよね。さっきぃさんは飴が好きだよって。あげたら話聞いてくれるかもって」
「いや、そんな飴くれなきゃ喋ってくれないやつみたいな……」
ヨッシーさん。吉村くんのことだ。タイミングがなくて蹴れずじまいだったけど、今度こそしっかりしたやつを入れたい。
とはいえ、チュッパチャプスそのものは嬉しかった。形状的にかさばるので、旅行で持ち運ぶには向かないのだ。
「良かったら、座る?」
あたしはベンチを示した。
花音ちゃんは頷き、二人でベンチに収まる。しばし気まずい沈黙を挟むと、突然、ばっと花音ちゃんがこちらを見た。
「あの、ほんと、うちみたいなブスに話しかけられて迷惑じゃなかったですか?」
あたしはびっくりして彼女を見返す。
マスクのせいで口元は分からないが、目はぱっちりしているし、二重だし、顔も小さそう。
全然ブスじゃないでしょ、と言いかけて口をつぐむ。
ただの謙遜なのか、それともそういうコンプレックスなのか、あたしにはまだ読み取れない。
「うち男子苦手だし、女の子は小学生ばっかりだし、ノア姉はいつも忙しそうだし、妊婦さんだし、あんまり話し相手がいなくて……でも、まゆまゆさんみたいな陽キャもちょっと違うなって。あ、さっきぃさんのお友達ですよね、すみません」
真由は陽キャというか、陽バカというか。
「自分と同じ空気感じた?」
「え、そうなんです。さっきぃさんもそう思います? うちら似てますよね?」
興奮したように花音ちゃんから手を握られる。かと思えば、急にしゅんとした顔で手を離された。
「ごめんなさい、きもいですよね。さっきぃさん綺麗だし、うちみたいなのとは違いますよね」
情緒が忙しない。中学生っぽいけど。
「うち、ほんと自分に自信なくて、それで学校行けてないんです。いじめられたとかそういうのはないんですけど、なんか行く気しなくて。うち、整形したいんですよ。そしたら学校行けると思うんです。でも親からは、中学生はそんなことしなくていいって、そんなお金もないしって」
よっぽど話し相手がいなかったのか、花音ちゃんはまくし立てるように喋る。
「うち、中学卒業したらもう働きたいんですよ。で、十八歳になったら風俗とかAVやって、早くお金貯めて整形したい。これ、親に言ったらぶん殴られました。別、よくないですか? うちの人生なんですよ? あ、それやりながらで大丈夫ですよ」
手のひらで竹を指され、全然集中できる気がしなかったがあたしはナイフを動かした。
「それは……親に言ったら怒られるかもだね。風俗とかそういう話はさ」
子どもたちの考えを否定しないであげて、とは言われているけど、こういうときの返しは余計難しい。
「やっぱり、さっきぃさんも馬鹿だなって思います?」
「そういうんじゃないけど」
「さっきぃさんは綺麗だから、そういうのなさそうですもんね」
リューくんといい、どうして人の人生が簡単みたいに平気で言えるんだろう、とあたしは未熟にも憤ってしまう。それと同時に、こうして傷ついた自分の気持ちを抑え込んで、うまく表現できないことがあたしの問題なのだと自覚する。こういう場合に大事なのは反発することじゃなく、寄り添い、分かりあうことなんだろうな、とも。
「あたし口下手だし、うまく言えないんだけどさ。花音ちゃんがやりたいことなら別にやってもいいと思うんだよね」
「だから言ってるじゃないですか、やりたいって」
「整形がしたいっていうのは分かった。でも、風俗とかってきっとやりたいことじゃないよね? ただのお金を稼ぐ手段というか。いやもちろん、そういう仕事が好きならやればいいとは思うけど」
花音ちゃんは眉根を寄せて黙り込んでいる。
「たとえお金を稼ぐためでも、やりたくないことするのって勿体なくない? どうせならしたいことで稼いでさ、いやそりゃ、時間はかかるかもしれないけど……」
何が言いたいのか自分でも分からなくなってきた。
「ともかく、一緒に考えてみないかってこと。あたしもぼちぼち将来のこと決めなきゃいけない時期だし、花音ちゃんもこっちの話も聞いてよ。ってわけで、えーと、LINE交換しよ?」
なに言ってんだあたし。恐る恐る横目にうかがうと、花音ちゃんはポケットからスマホを取り出した。
「……します」
花音ちゃんが立ち去ったあとも、あれでよかったのだろうかとしばらく自問したが、いい加減ホイッスルも仕上げなければいけなかった。あたしは左利きなので、歌口に向かって右側に窪みを掘っていく。次にデザインナイフでイニシャルを彫って、それから……。
作り終えたのは、夕食開始ぎりぎりの頃だった。
翌日は昼前から皆でハイキングに出かけた。
それぞれが昨日作ったホイッスルを首から下げている。結局昨晩は、イニシャルの字体にこだわり過ぎて遅くまで没頭してしまった。
「ノア姉、今日も不参加なんですねえ」
出発直後、真由がそう言った。
「乃愛、学生時代は山岳部だったから参加したがってたんだけどね。でも、流石にお腹の子に無理はさせられないから」
「マユ、まだノア姉とあんまりお話しできてないんですよねえ、残念」
ジュン兄は苦笑した。
「乃愛は子どもたちのお勉強メインだし、経営の事務作業も忙しくてね。逆に俺はこういう外遊びしか出来ないから、住み分けって感じかな」
すると、真由が何かひらめいたように指を鳴らした。
「じゃあ今日の夜、ノア姉にうちのコテージ泊まってもらおうよ。ね、咲子さん、マユたち三人で女子会!」
真由はジュン兄の方を振り向く。
「いいですよね? ノア姉、一晩お借りしても」
「いいけど、妊婦さんだからあまり夜更かしさせないようにね」
「はーい。わくわく楽しみーっ」
真由の足取りは一気に軽やかだ。ノア姉の意思確認まだなんですが。
低山の頂上までは、子どもたちの足でも一時間ほどだった。
開けた頂上に着くと、みんなで一斉にホイッスルを手に取り、思い思いに吹き鳴らした。不揃いな音が重なり合い、山の空気をかき混ぜていく。
あたしも負けじと吹いてみると、これが中々澄んだ高音を響かせてくれた。
「おや、咲子さんらしからぬお上品な音色だね」
しがみついてくるクロトくんを引きずりながら吉村くんが茶化してきた。とくにこの小四のクロトくんは甘えん坊らしく、四六時中吉村くんから離れようとしない。どころか吉村くんの周りには常に誰かしらの子どもがついており、中々彼に暴力を振るうタイミングが訪れない。
「あらら、何だか知らないけど咲子さん拗ねてる」
と残し、吉村くんはまたクロトくんを引きずって歩いた。
夜、あたしと真由のコテージに、ノア姉がお泊まりバッグを抱えてやってきた。
「お邪魔します」
マタニティウェアのノア姉。あらかじめジュン兄や男子陣に手伝ってもらい、ツインルームにノア姉の分のベッドを移動していた。三人でベッドに寄り添うように座ると、真由が嬉々としてスケッチブックを広げた。
「ノア姉、聞いてほしいことがあって。紙芝居のことなんですけど」
どうすれば子どもたちに伝わるか、真由はわりかし真剣に相談している。ノア姉は元教員の視点から丁寧に耳を傾けていた。
「難しい言葉を使わない、っていうのはもちろんなんだけど。子どもたちって、『なぜ』を素直に聞いてくるから、あらかじめアンサーを用意するつもりで作るといいかも」
「なるほど……」
真由はメモを取りながら何度も頷く。
そのとき、コテージの外からかすかに物音がした。何かを叩くような乾いた音。
「なんの音ですかね?」
あたしがノア姉の肩に触れて訊くと、彼女は耳を澄ませるようにしてから答えた。
「あぁ、今度野外炊飯をやる予定があってね。ジュンちゃんが薪割りしてるんだと思う。この近くに薪割り場があるの」
なるほど、とあたしは頷いた。乾いた音は、しばらく一定のリズムで続いていた。
「木こりって感じの音、なんか癒されますねえ」と真由。
「ジュンちゃんの生活って、ほんと日本昔ばなしの世界観だよね」
愛おしそうに微笑むノア姉が眩しい。
それぞれお風呂に入ってからも女子会はしばらく続いた。さていい加減寝ようか、という空気になった頃だった。
コテージの扉が、コンコンコン、とノックされた。
「はい?」
一番扉に近かったノア姉が立ち上がり、扉を開ける。
そこに立っていたのはジュン兄だった。小脇に薪の束を抱え、ノックしたばかりの右手を宙に浮かせたまま、少し驚いたような顔をしている。
「えっと……あ、ジュンちゃん。どうしたの?」
ノア姉は彼の全身を見回し、ジュン兄だと認識してから言った。
ワークキャップの下、ジュン兄の額や首筋は汗でびっしょりと濡れていた。比較的涼しい夜とはいえ、薪割りは暑くてしんどいのだろう。
「いや、まだ寝ていないようだったら叱りつけてやろうと思ってね」
「もう、なによそれ。子どもじゃあるまいし」
あたしの後ろで真由が「チューしにきたのかな、ねえ咲子さんあれチューするのかな」とか言ってる。
夫婦はおやすみを言い合い、あたしらもジュン兄に手を振る。扉が閉まると、真由ががっくりと肩を落とした。
「えー、チュー見たかったぁ」
本当にうるさい。




