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十六話(終) 日野咲子

 文化祭の翌日。

 振替休日となった月曜日に、あたしたち文芸部三人と吉村くんはとある駅前で待ち合わせをしていた。

 例によってあたしが一番最初に到着し、続いて真由、堤くんと集まってくる。

 最後にのんびりやってきたのは、やはり吉村くんだった。

「やあやあ、名ナレーターの真由ちゃんじゃないか!」

 遅れてきたくせに生意気にもこの上機嫌ぶりである。

「リハーサルのときはあんなにグズグズのゴミ朗読だったのに、なんだいあの本番の覚醒っぷり! ちょっと僕、鳥肌立っちゃったんだから。声優目指した方がいいんじゃないの?」

 本人からのリアクションはない。真由は昨日の本番が終わってからずっと魂が抜けたような顔をしている。

 そのとき、「小峰」と堤くんが仁王立ちで静かに呼んだ。

「昨日の小峰のナレーション、しかと聞かせてもらった。評価は、百点満点中──」

 堤くんはくいっと眼鏡をあげる。

「三百点だ」

 すると、真由がぶわっと両目から涙をこぼした。両手を差し出し、堤くんと固い握手を交わす。

「ありがとう、堤先生。先生がいなかったらマユ、絶対あの紙芝居完成しなかったよぉ……」

 それから真由はあたしにも握手を求めてくる。あたしはまだ、堤くんが手放しに人を褒めたのが信じられなくて呆然としている。

「咲子さんがいてくれたから最後まで朗読頑張れたよぉ……」

 吉村くんもにこやかに右手を差し出した。

「吉村くんはムカつくから握手しない……」

 真由はそっぽを向いて歩き出した。


 実際、紙芝居ミュージカルは大成功だったと言っていいだろう。子どもたちの黄色い歓声と拍手は舞台袖まで届いていた。

 演目が終わった瞬間、舞台で演じた者たちは子どもや生徒たちからもてはやされた。特に真由の囲まれ具合は顕著で、本番後の疲れもあって目を回していたのはさすがに可哀想だった。

 子どもたちへ行っていたというアンケート結果も上々だったようで、「来年もまたやろうな」と演劇部の顧問に詰め寄られたときは苦笑いを返した。来年、卒業してるんですけど。


 駅近くの大型ショッピングモールに到着する。

 せっかくの休日に、わざわざこの四人で集まったのには理由があった。

 ノア姉が無事出産したというので、うちら夏休みの合宿メンバーからも出産祝いを贈ろうという話になったのである。今日はその祝い品を選ぶために集ったのだ。

 堤くんに三百点を出されたあたりから精魂が復活したらしい真由は、あたしら三人を置いていく勢いで次々とベビー用品店を物色していく。

 こりゃ長い一日になりそうだ、とあたしは肩を鳴らした。


 買い物終わりのカフェにて。

 来週の土曜日、退院したばかりのノア姉のところに祝い品を届けにいく役目を、あたしと吉村くんの二人に任せてくれないかとお願いしてみる。予想通り、真由からは猛反対された。

「咲子さんたちばっかりずるい! マユたちだってノア姉の赤ちゃん見たいよ! ねえ堤さん!?」

 大人数で押しかけるのは悪いから、などと言い訳をしてみたが、さすがに苦しい言い分だったようだ。「咲子さんならまだしも、なんで吉村くん? そこはマユでしょ!」と譲らなかった。

 そこで、吉村くんがあたしの肩に手を回してきた。その手は冷や汗で湿っている気がした。

「実はさ、ノア姉と赤ちゃんに会ったあと、咲子さんをデートに誘ってるんだよね。そのまま夜の街に消えちゃおうかなぁ、と」

 あたしは固く目をつむり、甘んじてその言い訳を受け入れる。目をつむっていても、真由と堤くんからの軽蔑の視線をひしひしと感じた。

 バン、とテーブルを叩かれる音がして、あたしと吉村くんは同時に肩を跳ね上げる。やっぱり真由だった。

「よくわかりました。じゃあ今日買ったお祝いはお二人にお願いします。そのあとラブホでも何でも行けばいいよ。けがらわしい」

 ラブホ言うな。

 真由はごそごそと自分のバッグを漁った。

「でもこれだけは絶対、マユが渡しにいきます!」

 取り出したのは一冊の絵本。表紙に描かれた青い鳥と木笛のイラストで、それが何なのかすぐに分かった。

 紙芝居ミュージカル原作、『ふいてごらん 〜小鳥の笛と森のうた〜』。その絵本版のようだった。

「ノア姉の赤ちゃんのために作った特別製本版だよ。これだけはマユの手で直接渡すって決めてるの。再来週の土曜日に行く! ついてきてくれるよね、堤さん!?」

 あまりの剣幕で肩をつかみあげられた堤くんは、「まあ、世話になったのだし礼は尽くすべきか」と青ざめた顔で漏らしていた。


 ジュン兄とノア姉の全貌を知らない二人の前では、どう考えてもできる話ではなかった。あたしたちはその日、出産祝いに加え、ジュン兄に関する大事なものをノア姉に渡しに行くのだから。

 翌週の土曜日に吉村くんと落ち合い、ノア姉の家を目指す。

 静岡のかざみの里を、ではない。

 東京の一角にある賃貸アパートだ。

 あたしはあの合宿の中で花音ちゃんと連絡先を交換しており、大体の事情を彼女から聞いていた。

 ジュン兄が、本名を後藤仁として殺人および死体遺棄の容疑で逮捕されたこと。

 またノア姉はそれを契機に、かざみの里の施設長を辞職したということだった。

「かざみの里を無くしたくないからって、コバちゃんが名乗りをあげてくれたんです。ノア姉の跡を継ぐって」

 電話越しに花音ちゃんは涙声で教えてくれた。かざみの里の風評は失墜し、親の意向で退所させられてしまう子どもが大半なのだそうだ。

「でも、うちの居場所なんです。まだ親と揉めてるけど、絶対残りたいんですよね。どうやったら存続できるかなって、コバちゃんやリューくんとも今話し合ってて……」

「え、リューくん?」

 あたしは思わず引っかかってしまった。

 あぁ、と花音ちゃんはあたしの驚きを察したようだった。「あの子って、素直じゃないんですよね」と、ちょっとだけ笑っていた。


 地図アプリを頼りに、東京の慣れない街を歩いてようやく辿り着く。

 彼女が住んでいるのは、駅からは少々離れているものの比較的新しそうな木造アパートだった。

「お邪魔します。さっきぃとヨッシーです」

 扉を開けてすぐに名前を名乗る。今は名札をしていない。

「ああ、いらっしゃい。二人が住んでるのって神奈川だったよね。遠くなかった?」

 ノア姉は変わらず優しい笑顔で出迎えてくれた。吉村くんも物腰柔らかく返す。

「神奈川から見て同じ隣県でも、静岡と東京じゃ行きやすさが全然違いますから」

 部屋は2DKタイプで、女性と赤ちゃん二人なら十分な広さのようだった。しかし、部屋の隅ではまだ解かれていない段ボールが山積みだった。

「赤ちゃんのお世話をしてると中々片付かなくて。ごめんね、みっともなくて」

「いえ、吉村くんは赤ちゃんいなくても部屋片付いてないんで大丈夫です」と、あたしは余計なことを言ってみる。

 さっそく赤ちゃんを拝ませてもらう。

 ベビーベッドの中で、その小さな天使はすぅすぅと寝息をたてていた。これにはさすがのあたしも、「きゃーもう可愛すぎ」などと自分らしからぬ女子な反応が出てしまう。

 天使が眠っている今のうちにと、先週用意した祝い品を手渡した。

 結局一つにはまとまらず色んな物を買ってしまった。木のラトル、スタイ、ママ向けのカフェインレス紅茶とハーブティーセット。まあ、高校生なりの低予算である。真由の特製絵本は……真由訪問時のサプライズということで内緒にしておく。

 とっておきの最後の一品は、おくるみだった。

「音叶(おと)ちゃん、でよかったですよね?」

 それは名前入りの刺繍が入ったおくるみだった。音叶ちゃんという名前をイメージして、猫がラッパを吹いている絵柄を選んでみた。

「素敵。ほんと、今の子ってしっかりしてるんだね」

 ノア姉は感心したようにおくるみの柔らかい手触りを楽しんでいた。それから、『音叶』の刺繍に目を落とす。

 音が叶う。あるいは、音を叶える。

「あらかじめ二人で話し合っていてね、これしかないよねってなったんだ。わたしと仁くんの子ども、って感じの名前だよね」

 仁くん、とノア姉の口から出た瞬間、あたしは胸が熱くなった。その名前を認め合うのに二人がどれだけの勇気と覚悟を賭したのか、いくら想像を尽くしたって足りない。

「あの、これめっちゃ下らない話なんですけど、ちょっといいですか」

 あたしの口をついて出ようとしていたのは、この場にそぐわないあまりに小規模な話だった。だけど、ノア姉の前なら息がしやすいんだって、いつか花音ちゃんが電話で言っていた。

 それはきっと彼女の病気のせいなんかじゃない。ノア姉と再会してみて、あたしはそれを改めて実感していた。

「うち、兄貴がいるんですけど、いつも喧嘩してるんです。なんだか反りが合わなくて、しょっちゅう。でもお互い本音のところまでは言い合えていないような気がして……実際あたしも、本当に伝えたいことに限って言えなかったりとか」

 ノア姉は優しく頷きながら聞いている。

「まじ、下らないことですよ。あたし飴が好きなんですけど、一回沖縄黒飴がめっちゃ美味しいって言ったら、それ以来兄貴、その飴ばっか買ってくるようになったんです。それこそ、その味に嫌気が差すくらい。でもそういう小っちゃい不満に限って言えなくて、その積み重ねでいつか兄貴とすれ違っていくのかなって、ちょっと不安になるくらい」

 だんだんノア姉たちを引き合いに出すのが申し訳なくなってくるが、それでも聞いてほしかった。

「でも、お二人が勇気を出したのを見て、あたしも言おうって決めました。この飴は飽きたからもういらないって」

 そろそろ吉村くんに茶化されそうだな、と思ったが、意外にも彼は真剣な表情で耳を傾けていた。

「そしたら兄貴、なんだよ早く言えよって、じゃあ今はなんの飴が好きなんだって言ってくれました。兄貴だって善意で買ってきてくれたのに、怒られるかなって思ってたけど、全然そんなことなかった。それで気づきました。あたし、人に気を使って言わなかったわけじゃない。ただ、人とぶつかることを恐れていただけだったんです。人と向き合うことから逃げてたんです」

 だから、とあたしは一度息を呑む。

「お二人のことをどうこう言うつもりはないんです。ただ、勇気をくれてありがとうございました。これだけ言いたくて」

 そこで、自分の頬がだいぶ火照っていることに気がついた。顔あっつい。

 ノア姉も、それで何故か吉村くんまで微笑ましそうにうんうんと頷いていた。

 そこで天使が泣き出した。

 

 ミルクをあげておむつを変えると、吉村くんと交互に音叶ちゃんを抱っこさせてもらった。

 あたしの腕であくびをする音叶ちゃんに癒されていると、隣で吉村くんがA4サイズの茶封筒を取り出した。

「実は仁さんが自首される前、梶原さんが彼に会いに行かれたようでして。その際に撮った写真をお持ちしたんです」

「そうなの? 全然知らなかった」

「ええ、赤ちゃんが無事に生まれてから見てほしいと、仁さんご本人から」

 茶封筒から、A4の印画紙が引き出される。

 ノア姉はそれを受け取り、そこに映し出されたものをじっと見つめた。実はあたしもここに来る前、それを見せてもらっていた。

 写真の背景はあのアトリエだった。

 ジュン兄──仁さんは、画角の中央でお手製の丸椅子に座っている。

 左腕をそっと曲げ、右手はその下に添えられている。そして彼は、左腕の肘あたりに目を落とし、優しく笑っていた。

 初めは、それが何を意味するポーズなのか分からなかった。

 ノア姉が囁くように言う。

「仁くんが警察に行くぎりぎりまで、音叶を認知してもらうか悩んだんだ。わたしは、認知してほしかった。でも仁くん、音叶を殺人犯の子どもにはさせたくないからって」

 その声は少し震えていた。

「でも、それは戸籍の上だけの話。戸籍には載らなくても、俺は音叶の父親の、仁なんだって。わたしもそう思う」

 あたしはノア姉の目に光る、ひと雫の涙を見ていた。

「あなたの子どもだよ、仁くん」


 彼はそこに優しい笑みを注いでいた。左腕に、小さな頭と背中が乗っている。右腕はそっとお尻を支える。

 仁さんが両腕で抱く空蝉には、確かに音叶ちゃんの姿が見えていた。

●シリーズの時系列

 

【三部】ボーダーライン(中三・冬)

 ↓

【四部】屍体写真(高一・春)

 ↓

【一部】食人鬼(高一・秋)

 ↓

【二部】ペルソナの笑み(高二・夏)

 ↓

【五部】移ろう記憶(高二・冬)

 ↓

【六部】空蝉のままごと(高三・夏)

 ↓

【七部】未定


●最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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