地下牢の悪魔とご学友
コツン、コツン。
地下牢に響く、革靴の足音。その音を聞きつけて、早々に獄卒達は立ち上がる。
足音の主が姿を現すと、獄卒二人が敬礼をしたのに対して、太政大臣が営業スマイルで「ご苦労様です」と挨拶をした。
すぐに獄卒が鍵を開けて、太政大臣を中へと促す。
中にいたのは山賊の頭領である、クリンダ王国の元侯爵、ローランド=アタックス。彼が中々口を割らないので、獄卒達が苦労していると言う話だ。
ローランドは拷問によってボロボロになっていたが、確かにその視線は意志の強さを感じた。
油断ならない様子で、太政大臣を睨みあげている。
キィ、と音を立てて鉄門扉が閉まる。その鉄柵に寄りかかって、太政大臣は余裕の表情で腕組みをして見下ろした。
「随分と頑張っているようですね、アタックス元侯爵。獄卒達に頑張っても無駄だだと言われませんでしたか?」
「どのような拷問をされようが、私は口を割ったりしない。私をなめるな!」
「舐めているわけではありませんよ。ただ、あなたのしていることが、気の毒なほどに無駄な努力だと申しているのです」
「なんだと!」
訓練されている者や、本当に話す気のない者は、どれだけ拷問しようとも無駄だ。だが、太政大臣を前にすれば、その法則すらも無関係となる。
話すまいとする、その努力が一切無駄になる。
いつの間にか、地下牢の前から獄卒の姿が消えていた。
それに気づいたローランドは、目の前で佇む男と、これから何が起きるのかという不安から、不気味な感情が渦巻きだす。
だが、無駄と言われても話す気は無かった。クリンダ王国で失敗したとしても、秘密さえ守れば彼には返り咲ける機会はまだ残されているはずだったからだ。
ローランドの瞳に宿る闘志は、未だ揺るがない。それを見て太政大臣は溜息をついた。
「私は多忙な身でして、あなたのような小物に構っている暇はありません。ですから二つの選択肢を用意しましょう。時間はかかりますが、特に害もなく簡単に口を破る方法と、短時間で済みますが、精神崩壊して口を割る方法。どちらがお好みでしょうか?」
その言葉にローランドは激高して、ガラガラと鉄の鎖を引きずりながら、届かない距離にいる太政大臣に迫った。
「私を愚弄したな! 小物は貴様の方だ! 魔王の手下の分際で……」
「陛下は魔族の王ではありますが、魔王ではありません。埒が明きませんので、私の方で後者を選択いたしますね」
そう言った太政大臣が両手を広げて、上半身をゆらゆらと揺らめかせて頭を振って舞い始める。その独特なダンスを不審そうに見ていたローランドだったが、ある瞬間に頭を抱えた。
直感的にわかった。なにかが心の中に侵入した。
情欲、喜悦、恐怖、優越、嫌悪、あらゆる感情の制御がきかず、心の中を駆け巡るように暴走し始める。
彼の目に見えるのは、これまでの記憶。幼少からの思い出、貴族としての日々、王宮での敬意の視線、「あの方」との出逢い。
まるでそれは走馬灯のように、そして強制的にローランドの精神を駆け巡っていき、徐々に蝕まれていく。
「やめろ! 私の中から出て行け、悪魔!」
頭を抱えてそう叫んだのを最後に、床にうずくまったローランドは、ブツブツとなにやら独り言を言い始め、その瞳には虚無しか映されていないようだった。
それを見届けて太政大臣は、彼の親友にして尖兵を呼び戻した。
(北都、情報は得られたか?)
(バッチリだよ。今から送る)
(頼んだ)
北都と呼ばれた彼の親友、彼の悪魔が、情報を送ってくるのを吟味しながら、太政大臣は地下牢から出て、少し離れた場所で待機していた獄卒達に労いの言葉を送り、その場を後にした。
山賊討伐から数週間経っても、理一達に面会を求める客の数は一向に減らない。
あの戦いは多くの人に目撃されていたし、新聞や噂などで面白おかしく尾ひれをつけて広まってしまったせいだ。
しれっと鉄舟が女遊びをしていることや、理一はいつも飲み歩いているギャンブラーだとか、菊が超人気アイドルだとか、園生の女子力がヤバすぎるとか、安吾が将軍に勝ったとか。
そりゃもう色々と語り草になっていて、最早弁解することも面倒臭く感じるレベルだ。
「なんか僕、完全にダメ人間みたいに思われてるよね。酒場には情報収集に行ってただけなのに」
「道理で理一のジョブに遊び人が入っているわけね」
「女神様にもそう思われてるのか僕は」
落ち込む理一と慰める菊を横目に見やって、鉄舟も溜息をつく。
「俺ぁ真面目に女の子と遊んでただけなんだがなぁ」
「鉄舟は遊んでる時点で真面目じゃないじゃないのぉ。ていうか安吾はぁ、将軍に勝ったって本当なのぉ?」
「試合には勝ちましたが、勝負には負けましたよ。あの人は自分より遥かに強いです」
「アンゴより将軍は強いのか。いつも思うが、この国は人財に恵まれておるな」
「マケテモ、オツルハ、ご主人様ガイチバンスキ!」
「ははは、ありがとうおつる」
「私もクロが一番好きよぅ」
「主人? なぜおつるに対抗した? まぁ構わんが」
主従二組がうふふきゃっきゃやっているのを見て、理一は自分たちの仲間はどこにいても平和だなと思った。
だが彼らが集まっているのは雑談のためではない。国王からのある依頼のためである。
黒犬旅団人気に目をつけた国王は、理一達にこんな話を持ってきた。
「今やお前達はこの国の英雄といっても過言ではない。であれば、その名声を利用せぬ手はない。近く、織姫が短期留学に出ることになっている。お前達は織姫の護衛につけ」
大国の姫君を護衛する、Sランク冒険者。黒犬旅団とミレニウ・レガテュールの蜜月関係を知らしめるには絶好の機会といってよい。
短期といってもその期間は一年だ。その留学先に集まった王侯貴族に、ミレニウ・レガテュールの権威を示すには十分な時間がある。
とはいえ、織姫は国王に匹敵するくらい強いと言われているので、本当の意味での護衛など必要としない。要は、理一達は「ご学友」というわけだ。
「お前達は高等教育を受け、貴族階級の礼儀作法も身につけてきた身の上だろう。織姫の学友として不足はない。くれぐれも、この国の名に泥を塗らぬよう、心せよ」
国王から浴びせられる絶対零度の視線に、理一は冷や汗を流しながら頭を垂れたのだった。
そういうわけで、黒犬旅団は織姫の「ご学友」として留学することになった。
ミッションとしては難易度の低いものだし、こちらの世界の学校というものにも興味はある。正直な話、少し楽しみだ。
なにより面会希望者に殺到されなくて済む。
国王が織姫の結婚に反対しているというのは王宮内では有名な話なので、結婚を控えているはずの織姫を国外に出そうとしているのも、この辺のことが絡んでいるのだろう。
太政大臣にちょっと同情した。
そういうわけで雨季が終わった頃に、織姫と黒犬旅団は留学先の魔術公国トゥーランにある、トゥーラン王立学院へと向かったのだった。




