18
いきなり涼しくなったのでお腹の調子が悪いです
「キャロライン……逃げろ」
「駄目……走れない」
「頼むよ……ここまできたらわかるんだろ。俺がなんとか食い止めるから」
「動けないんだってば……」
「くそったれ……!」
もう駄目だ、二人は思った。せめてキャロラインを自宅に送り届けてから白黒つけようと思っていたエイトもさすがに諦めた。彼はキャロラインと違い、黒い獣がどんな姿であったのかはわからないが、背後に居る化け物はそれの同類であろうと直感的に理解した。
そしてこの化け物が、自分の手には負えない相手である事も……。
「……」
「何よ、一体何なのよ……殺すなら、一思いにやってよ!!」
「逃げろよ、バカ女!」
「腰が抜けてんのよ、察してよ! もういいわ、好きにしなさい!! 殺すなら殺して!!!」
様々な感情が脳内を駆け巡ってオーバーヒートを起こしたキャロラインはその場に倒れこむ。そして両手を広げて もう好きにしてください と言わんばかりのポーズを取り……
「殺すなら、殺せーっ!! 私はもう逃げないんだから!!!」
「……」
「パパ、ママ、ルーク、キャサリン! 見てる!? 私、頑張ったわよ!! 精一杯頑張りましたーっ!!!」
「……こんな結末アリかよ」
エイトも思わず涙を浮かべて彼女から目を逸らす……愛する家族と共に天国にいる30人のキャロライン達も今頃、涙を流して31人目の彼女を見守っている事だろう。しかし触手の魔人が彼女達を襲う気配はなく、突然胸元に黒い触手を入れて何かを取り出す。魔人は呆然とするキャロラインに向けて触手を伸ばし、先程取り出した金色に光る何かを渡した。
「……え?」
「……」
「嘘……どうして、どうしてこれが!?」
「……なんだよ!?」
「跳躍時計……、そうよ! これがその時計よ!!」
魔人が彼女に渡したのは、所在が解らなくなっていた筈の跳躍時計であった。
どんな数奇なめぐり逢いを経てこの時計が魔人の手に渡り、そして今31人目のキャロラインの手元に戻ったのか……恐らくこの世の誰にも理解できないだろう。それこそ今まで時計を隠し持っていた(故)ライザー・レイバック氏に問い詰めるしかない。しかし、その時計が彼女の手に渡った事でこの事件の終わりが見えてきた。まだまだ謎は残されているが、今はただこの異形に感謝し、全力でマッケンジー邸まで駆け抜けるだけだ。
「あ、あの……ありがッ」
────そう思った瞬間だった。黄色い光の弾丸がキャロラインを背後から貫く。突然、胸元に風穴が開き 自分の身に何が起きたのか理解できない彼女はただ困惑するしかなかった。
「……え?」
キャロラインから後方に20m程離れた場所には、杖を構える2人の魔法使いの姿があった。彼等は何も言わず、ただ悲痛な表情を浮かべながら立っている。彼等は既に覚悟を決めていた……彼女の為に、彼女を殺す事を。その少女に課せられた運命とは、やはり残酷なものだった。
ワンピースは傷口から溢れる血で染まり、キャロラインは無意識にエイトの顔を見ながら倒れた。
「……あぁあぁあああああああああ────!!!!!」
エイトは思わず絶叫し、横たわるキャロラインに駆け寄る。彼は自分の前方には魔法使いが、後方には魔人がいるという絶体絶命の状況にも関わらず無我夢中でキャロラインに声をかけた。
「おいっ、おい……嘘だろ、おい! 嘘だろ!?」
「……」
「おい、死ぬなよ? ここで死ぬな、頼む、頼むから!!」
「エイト……」
「ああ……、生きてるな。お前の家に帰るぞ……」
「ふふふ……やっぱり、私は……死んじゃうのね」
キャロラインは力なく笑いながら呟いた。胸から止めど無く溢れる血はその傷が致命傷である事を暗に告げていた。それでもエイトは彼女に声をかけ続ける。
「お前の家は何処だよ!! 連れてってやる……連れてってやるから!!!」
「……」
「まだ死ぬな! 俺が殺すから……、俺が殺すまで死ぬな!!!」
エイトは血まみれの彼女を抱き抱え、必死に声をかける。その悲痛な叫びに胸を焼かれ、二人の魔法使いは思わず目を瞑った。一人が連絡端末を起動し、遣る瀬無い想いを抱えながら協会に連絡を取る。
「対象を処理しました……これから遺体を確保します」
「おい、待て……二人の後ろに誰か……ッ!!」
キャロラインの追跡に必死だった魔法使い達は、彼等の背後に立つ黒い異形の存在に気づくのが遅れてしまった。そしてエイトの背後から、ゆっくりと魔人の黒い触手が伸び……
「頼むよ、死なないでくれよ!! 俺は……俺は……ッ!!」
「おい、早く逃げろ!! 後ろに!!!」
「!!?」
魔法使いが発した言葉で我に返り、振り向いたエイトの目前に黒い触手の群れが迫る。避けきれないと悟ったエイトはうんざりしたような笑顔を浮かべ、キャロラインを強く抱きしめながら静かに呟いた。
「ああ、畜生……ついてねぇな。本当に」
だが触手は彼を攻撃せず、彼を避けるようにして魔法使い達に向かって突き抜けていく。
「何っ!?」
「……くそっ、来るぞ!!」
彼等は迫り来る黒い触手を迎撃しようと魔法を放つが、一斉に襲いかかる触手を捌ききれずに全身を打ちのめされる。二人は悲鳴を上げる前に意識を刈り取られ、そのまま膝から崩れ落ちた。エイトは不意に視線を前に向けるが、そこには二人の魔法使いが倒れているだけだった。
状況が理解できずに困惑するエイトの眼前に伸びる触手は、彼を襲わずにある方向を指し示した。
「な……っ!?」
「……」
その触手の先にあるのはキャロラインが愛した我が家であった。
エイトは触手の魔人の意図や目的がわからず、ただ涙ながらに唇を噛んで魔人の姿を目に焼き付けた後にキャロラインを抱き上げ、触手が指し示した方向に走り出した。今は触手の魔人が何故自分達を助けたのかを細かく考えている余裕はない……彼女が死ぬ前に、マッケンジー邸に到着しなければ全てが無駄になってしまう。
「何だよ、何なんだよあいつは! 何がしたいんだよ……!!」
「……私ね」
「ああ!?」
「私……本当は、嬉しかったみたい。貴方に助けられたのが」
「……ッ!!」
「ふふふっ……何よ、ひどい顔……」
キャロラインは泣きながら走るエイトの頬に触れ、か細い声で言った。魔人は伸ばした触手を戻し、彼等を追おうともせずに見つめていたがそんな触手の魔人に向かって叫ぶ何かが近づいてきた。
「見ぃぃぃいいいいいつけたぁああああああ────!!!」
ようやく獲物を見つけたクロは地面を蹴って跳躍し、触手の魔人に向けて万感の思いを込めた飛び膝蹴りを放つ。魔人はクロの全体重を乗せた膝蹴りをモロに受け、そのまま吹き飛んだ。
「よぉ、久し振りだなぁ!!!」
「……!?」
「逃げ切ったと思ったか!? ざーんねぇぇぇえん!!!」
魔人の身体に膝を乗せたまま地面に叩きつけ、仮面のような不気味な顔を覗き込みながらクロは獰猛な笑みを浮かべる。
「遊んでくれよ、お前が死ぬまでの間でいいからさぁ!!!」
叩きつけた触手の魔人のマウントを取り、クロは笑いながら顔面に殴りかかった。たまらず魔人は黒い触手で彼女の全身を打つが、それでも彼女の猛攻は収まらなかった。
「はーっはっはー! もう逃がさねえぞ、お前が死ぬまで!! 絶対に逃がさねえぞー!!!」
「……!!」
「くそっ、何処に……ってあぁ!?」
「どうしたんです……ッてうわぁ!?」
其処にスコットとロイド、そして別方向から彼等と別れ、更に片手間に倒された不憫な二人と手分けしてエイト達を追跡していた魔法使い達が通りかかる。
「うおっ、例の男の姿を確認……ッ何だ!!?」
「ファッ!?」
「早く追えよ……ってなぁにこれぇ!?」
狂気の笑いをあげて異形を殴り続けるクロに戦慄しつつも今は無視し、魔法使い達は走り去るエイトを追いかけようとする。しかし魔人は執拗に攻撃されながらも触手を伸ばして彼等を妨害し、自分の上に跨るクロの首に触手を巻きつけて締め上げた。
「かっ……はははは……ッ!!」
「……」
触手の魔人は彼女の首を締め上げたまま持ち上げ、そのまま地面に数度叩きつける。彼女を叩きつける傍ら、残る触手を伸ばして魔法使い達を攻撃していた。そして触手の攻撃に怯むスコットに向けてクロを投げ飛ばし、彼は飛んでくる彼女を咄嗟に受け止める。
「うおおおっ! 何だ、大丈夫か!?」
「ははっ、うるせぇ! 離せ、あいつを殺す!!」
「……」
「おやおや、また服が汚れて……痛々しいお姿になられましたなクロ様」
「あ、執事さん!? どうして此処に……」
「はーなーせー! はーなーっせー!! こーろーすーっ!!!」
アーサーも遅れて到着し、衣服が破れて眩しい肌が露出しているクロに声をかける。彼女は久しく居なかった強敵との邂逅に極度の興奮状態にあり、周囲の言葉が全く聞こえていないようだ。
「だばぁああああーっ! 離せぇええええええー!!!」
「わかった! わかったから暴れ────おぶしっ!!!」
親切に自分を受け止めてくれたスコットの腕の中で、手足を振り回しながら駄々っ子の様に暴れ、しまいには彼の頬を殴打する。
「先輩ーっ!!」
突然の無慈悲な右フックを顔面に受けたスコットは白目を向き、クロから手を離して地面に落とすが、彼女は地面に四つん這いの姿勢で着地して目前の魔人を睨みつける。スコットはそのまま後ろに倒れこみ、ロイドに受け止められた。
「とんだ災難ですな、スコット様。今のクロ様には関わらないのが吉ですぞ」
「どういうことなの!?」
「くそっ、警察の人! 聞こえますか!? 二人を発見!! 繰り返します、二人を発見しました!! 彼らはマッケンジー邸の方向に向かって走っていきます、至急確保してください!!!」
畳み掛ける衝撃に動転する若い魔法使い達を尻目に、クロは魔人に向かって勢いよく駆け出した。可憐な見た目からは想像できないような、狂気の笑みを浮かべながら。
「ははっ……、ぼーっとするなよ! もっと遊んでくれよぉおおー!!」
相対する触手の魔人も再び黒い触手を周囲に伸ばし、突撃してくるクロを出迎えた────。
時刻は午後1時40分。130年続いたマッケンジー家獣害事件がその幕を下ろす時が近づいてきた。今はただ、祈るしかない。31人目の彼女を託された男と、31人目の彼女が何かを成し遂げられる事を……。
紅茶を飲むと悪化しそうですが、飲むのをやめられません。宿命です。




