19
午後1時45分、魔導協会本営 『賢者室』
「……はい、わかりました」
「居場所は掴めたの……?」
「はい、キャロライン・マッケンジーと彼女を連れて逃げる男は現在、マッケンジー邸に向かって逃亡しているようです。既に現場の魔法使いが警察に連絡を入れ、彼等が屋敷に急行しています……」
「そう……」
「大賢者様?」
執務机の上で手を組み、大賢者は思い詰めた表情を浮かべて沈黙していた。あの時、クレイン氏に時計を渡さなければ、こんな事にはならなかったのだから……。
「もう時間がありません、彼女は確保次第……」
「そうね、それしかないものね……。場合によっては一緒に逃げている男性も」
「恐らく……警官たちもそのつもりでしょう」
「せめて、時計が見つかっていればね。……サチコ、紅茶をお願い」
「はい……」
サチコが背を向け、紅茶の用意をしている間に大賢者は曇天の空を見上げた。頬を一筋の涙が伝うが、彼女はそれを静かに拭う。そして自嘲気味に笑い、小さく独り言を呟いた。
「……本当に、今日は酷い日だわ。そうでしょう? ウォルター」
◆
同刻、リンボ・シティ12番街の大通りにて
マッケンジー邸から少し離れた場所にある大通りでは、クロと触手の魔人が戦闘を再開していた。一撃の威力や純粋な力比べではクロが圧倒しているが、魔人は無数の触手による怒涛の連続攻撃で彼女に対抗する。
「あははははっ! あーっはっはっはー!!」
「……!!」
「いっ……てぇ! あはは、やったな!! 殺す、絶対ぶっ殺すー!!! 」
目の前で繰り広げられる人外同士の壮絶な殴り合いを前に、魔法使い達は尻込みするしかなかった。クロに加勢しようと魔法を放っても魔法は触手で弾かれ、魔人を無視して二人の後を追おうとしてもやはり黒い触手に行く手を阻まれる。
「くそっ、何だ……!? あいつは、あの二人を守ろうとしているのか!!?」
「そうかもしれませんな、では失礼……クロ様のお手伝いをしてまいります」
「は!? ちょ、ちょっと……」
「彼等の対処はあなた方にお任せします、それではご武運を」
そう言い残してアーサーは駆け出し、クロの加勢に入る。迫り来る老執事に向けて魔人は触手を伸ばすが、彼は自分に襲い来る触手を軽く叩き、その軌道を逸らす事で対処した。魔法使い達はアーサーの人間離れした動きに再び唖然とし、ロイドはスコットを支えていた腕の力が抜け、支えを失ったスコットはそのまま地面に思い切り倒れ込んで後頭部を強打した。
「うわぁああーっ! 先輩―っ!!」
「うわっ、ロイド何やって……おいおいおいおい頭から血が!!」
「スコットさ……っていってぇ! ちょっと触手さん空気読んでよぉ!!」
「何なんだこいつは!!」
「しっかりしてくださぁああい!! 先輩ィイ────っっ!!」
我に返ったロイドが、頭から血を流して昏倒する先輩を抱えて必死に声をかけていた頃、無数に迫り来る触手を素手で払い除けながら、老執事は魔人と殴り合うクロの傍まで辿り着く。魔人は人間を軽く卒業した体捌きで、黒い触手を去なす彼の姿を思わず無言で二度見した。
「……!?」
「クロ様、失礼いたします」
「あぁん!?」
背の低いクロの頭の上からアーサーは槍のように手を突き出し、魔人の顔面に鋭い貫手突きを食らわせる。魔人は老執事による予想外の痛打を受けて大きく体勢を崩し、クロはその隙を見逃さずに腹部に向けて渾身の右後ろ回し蹴りを叩き込む。魔人は前のめりになって後方に吹き飛び、受身を取る事もできずにそのまま地面を転げ回った。
「邪魔すんなよ、じーさん!」
「申し訳ありません、苦戦しているようでしたので」
「かーっ! ちょっと押されるくらいが楽しいの! わかる!?」
「わかりません」」
血湧き肉躍る人外との殺し合いを楽しんでいた所を横合いから思い切り邪魔され、クロは地団駄を踏みながらアーサーを罵倒する。
「ぐあーっ、ふざけんな! この老いぼれ毒舌ノッポ執事が!! 次邪魔したら腕折るぞテメーッ!!!」
「はっはっはっ、クロ様になら折られても構いませんよ。寧ろご褒美でございます」
「何だその眼は! マジで折るぞ、折っちまうぞぉ!?
しかしそんな彼女を前にしても老執事は涼しい顔で応対した。端から見たらまるでワガママな孫をあやすおじいちゃんにしか見えないが、実際にはそんな微笑ましいものではない。二人が口論している内に魔人は起き上がり、その場から離れようとするも魔人のすぐ傍にあった脇道からマリアが現れ……
「クロ様と遊んでくれてありがとうございます。でも……もうお休みになってよろしくてよ」
その言葉と共に、マリアは鋭い貫手で魔人の胸を貫く。
完全に不意を突かれた魔人は防御する事も避ける事もできず、急所への攻撃をまともに受けてしまう。マリアは腕を引き抜き、腕部にべったりとこびり着く人間の血のような赤い血液を見て一瞬躊躇した後、その血を必死に振り払った。
「化け物のくせに赤い血をしているなんて……気に入りませんわ」
致命傷を受けた触手の魔人は数歩後ろに下がり、何も言わずに空を仰いだ後、ついに力尽きて倒れた。黒い触手も魔人が倒れたと同時に動きを止めて地面に伏す。
「……おやすみなさい」
マリアは魔人を見つめながら静かに呟いた。その声は疲れて眠る子供に向けたかのように、とても優しい声色だった。
「あぁあああーっ! おまっ、おまっ……マリアアアァ────ッ!!!!」
アーサーに気を取られている間に獲物を横取りされたクロは激怒しながらマリアに駆け寄り、彼女に向けて飛び蹴りを放つ。マリアはくすりと笑いながらクロの飛び蹴りを軽く避けると、彼女が地面に着地した瞬間に背後からぎゅっと抱き締めた。
「ぐああああーっ! 離せえええー!」
「うふふふ、離しませんわ……せっかくご用意したお着替えをこんなにして、いけない子ですわねークロ様は」
「ぎゃああああ! その乳を背中に押し付けるのやめろぉ!! やめろぉおおー!!!」
「やめませんわー。ほーら、むぎゅーっ!」
マリアは嫌がるクロに構わず、その豊満な胸を彼女の背中に強く押し当てて挑発した。アーサーは少し離れた位置からマリアに侮蔑の眼差しを向け、魔法使い達はスコットをロイドに任せて動かなくなった触手の魔人に走り寄る。
「死んだのか!?」
「……そのようだな。くそ、一体何だったんだこいつは」
「急いで本営に連絡を入れてくれ、俺たちは二人を追う!!」
「あと、向こうで伸びてるあいつらも頼んだぞ!!」
「えっ、ちょっ
「「頼んだぞ!!」」
スコットとロイド、そして倒れている不憫な二人の介抱役兼連絡役を残して若い魔法使い達は逃げるエイトとキャロラインを追いかけた。既にエイト達の姿を見失っているが目的地がわかっている以上、彼等が確保ないし処理されるのは時間の問題だろう……。
「たまにはいいものだね、誰かを頼るというのも」
魔法使い達が走り去った後、スコットを涙目で介抱するロイドの傍にある男が現れた。その眼鏡の男はロイドの肩をポンと叩き、隣にウサ耳美少女を侍らせながら触手の魔人の死体に歩み寄る。
「え、あ……あぁ!? アンタ!!」
「おや、旦那様。休まなくてもよろしいのですかな?」
「ああ、もう大丈夫さ」
「うふふ、たくさん慰めてあげたもの」
「人前でその話はやめようか……」
「ぐああああーっ!!」
「あらあら、旦那様。もうよろしくて?」
「ああ、大丈夫だよ。手を煩わせてすまないね」
ウォルターはマリアに抱きしめられてもがき苦しむクロを華麗にスルーし、動かなくなった魔人を見下ろして複雑な表情を浮かべる。130年の時を経ても、彼一人では魔人に勝つ事は出来なかった。キャロライン達に気を取られ、不意を突かれ続けた事もあるがあのまま戦闘を続けていても楽には勝たせてもらえなかっただろう。その悔しさもあるだろうが、胸に引っかかる何かが彼の心を憂鬱にしていた。
結局、触手の魔人は何がしたかったのか 最後までわからなかったからだ。
「……何だろうね。この化け物を見ていると、なぜか遣る瀬無い気持ちになるよ」
「ウォルター?」
「それに、何処か満足しているようにも見えるね。全く……よくわからない奴だったよ」
「……そうね」
「あの、ウォルター・バートン。その死体に触らないでくださいよ? 後で生物班が回収しにきますし……何だかまだ動き
「おい君、やめろ。それ以上いけない」
連絡役を任された若い魔法使いが、余計な一言を口に出そうとしたところでウォルターは釘を刺す。若い魔法使いからすると至極真っ当な心配だが、今はそれ以上何も言及しないのが事態を穏便に済ます為の鉄則というものだ。
◆
「なぁ……なぁ! もうすぐ着くぞ!! あれだろ!? あの大きな屋敷だよな!!?」
「……」
「なぁ、まだ死ぬなって!!」
エイトは必死にキャロラインに声をかけながらマッケンジー邸を目指していた。既に目的の屋敷は見えており、後は今走っているマッケンジー邸まで続く一本道を直進するだけだ。
「エイト……私、ちょっと変なの」
「何だよ!?」
「怪我をしたのにね、痛くないの……。血も止まったみたい」
「……!?」
「見てよほら、私の胸……傷がもう治っちゃった」
エイトに抱き上げられたまま、キャロラインは自分の血で真っ赤に染まったワンピースの胸元をめくり、彼に傷があった場所を見せる。
「……ッ!!」
エイトは一瞬見た後、すぐに視線を前に戻した。彼女の胸元にある筈の傷は既に塞がっていた……そして、彼には見えてしまった。キャロラインの皮膚の下で、何かが蠢いていたのを。
「さっきから体の中をね、何かが動き回っている感じがするの……」
時刻は午後2時前、パイデスが体内で成長し、キャロラインの体を突き破るまでまだ1時間は残されている筈だった。しかし彼女の体には不気味な変化が起きており、まるで体内から何かが彼女の体を侵食しているようだった。それ以前にも、キャロラインはケイルスによって右腕を傷つけられ、そして屋敷から裸足で逃げ出したために足裏を負傷していたというのに、その傷は短時間で完治してしまっている。
しかしエイトは敢えて深く考えようとはしなかった、考えたくなかったからだ。
「何も言うな……もう着くからよ……」
「でもね、全然気持ち悪くないのよ……。どうしてかしら、体の中が暖かくて……」
「頼むよ、あと少し
「そこの男、止まりなさい!!」
マッケンジー邸まであと数十mと言うところで、屋敷前の横道から急行してきた3台のパトカーがエイト達の行く手を塞いだ。車から降りた4人の警官たちは銃を彼等に向け、足を止めるように要求する。だがエイトは既に覚悟を決めていた、キャロラインを必ずあの屋敷に届けると。
そして彼女の為に、この生命をかける事を。
「……しっかり捕まってろよ、キャロライン」
「エイト……、何をする気なの?」
「何でもしてやるっていったろ??」
「……!!」
「止まりなさい!止まっ……、対象に抵抗の意思有り!無力化する!!」
警官達はエイトに向けて銃弾を放った。エイトは発砲される直前に力の限り地面を蹴り、15mもの高さまで跳躍して道を塞ぐ警官達と彼等のパトカーを飛び越える。しかし、問題は着地した後だ。どうやっても着地した瞬間は完全に無防備になってしまう。彼等は決してその隙を逃さないだろう、だが今のエイトにはそんな事はどうでもよかった。
キャロラインが屋敷の中に辿り着ければ、それでいいのだから。
彼はマッケンジー邸の庭に着地し、数秒の硬直の後走り出そうとするが、背後からは銃声が聞こえ────彼の背中に数発の銃弾がめり込んだ。




