9
忘れたくても、忘れさせてくれない出来事があったりしますよね
「ホワアァアアアアアーッ!?」
「うふふふーん、言うじゃないエイト君。お姉さんちょっとときめいちゃったかも!」
「いやー、まさか真顔であんなくっっさい台詞吐けるとは……これが、人間の力か!!」
「えふんえふんっ、えほっ……ごめんちょっと突発性くさい台詞アレルギーが。ああ、俺のことは心配するなエイト……女の子の前じゃカッコつけたいもんな!!」
「うん、オレは素直にカッコイイと思ったよ!」
「キャー、エイトクンカッコイー!!!」
先輩達はエイトに暖かい声援を浴びせた。どうやら二人の会話は彼等に丸聞こえだったようだ。羞恥心のあまりエイトは顔を真っ赤にして無意識に壁を力一杯殴った……怪我をしている右手で。
「のおおおおおぉおおー! 右手がぁああああああああー!!」
「大丈夫、エイト君!? あらやだ大変、血が出てるわ!!」
「うわぁ、いったそー。おいジョージ救急箱とってきてやれ」
「あいよー。そういやヒューマンの血って赤いんだよなあ。ワインみたいで美味そう」
「あ、それオレも思った。美味そうだよなー!」
「キャー、エイトクンカッコワルーイ!!!」
「あぁぁぁあああー!! 畜生めぇえええええー!!!」
エイトは自分の胸を焼く恥ずかしさと情けなさに行き場のない怒りを乗せ、ただひたすら叫んだ。その声は部屋の中にいるキャロラインにも聞こえており……
『うるさいわね!! 静かにしなさいよ、馬鹿!!!』
「……ッ!!!」
部屋の中から痺れを切らしたキャロラインの怒声が聞こえてくる。思わずエイトは口を紡ぎ、その様子を見て先輩達は更に愉快そうに笑った。
「あっはははは!! ……おっといけなーい、仕事に戻らなきゃーん!」
「救急箱、此処に置いとくからな。じゃあ、ごゆっくーり」
「頑張れよエイト。ああ、今日はもういいよー早退って事で店長と話をつけといてやるから」
「ああそうそう、女とは早い内に上下関係をハッキリさせた方がいいぞエイト! 一度尻に敷かれたらもうおしまいだからな!!」
「キャー、エイトクンガンバッテー!!! マケナイデー!!!!」
エイトは力なく壁にもたれ掛かり、そのまま床にしゃがみこんだ。彼は頭を抱え、ブツブツと小言を呟いている。やはり彼もまた、不幸の星の下に生まれた男だったのだ。
「……」
一方のキャロラインは部屋の中を見て思い詰めた表情を浮かべていた。この部屋はラルフが 趣味 で集めた女性用の衣服と靴が並べられており、そのどれもが彼女の趣味に合わないものであった……。
「未来の服は……変なものばかりなのね……」
溜息を吐きながら彼女は衣装を一つ選ぶ。選んだ衣装は白地に黒いフリルのついたワンピース服で、その衣装の背面には黒い翼のイラストが描かれていた。
「お前ら、営業中だよ? 何で仕事放ったらかして新人いじめてんだよ」
一人カウンターで仕事をこなす店長は不真面目な店員達にボヤいた。彼等は皆一様にほっこりした笑顔を浮かべており、とても上機嫌になっていた。
「だってーぇ、あの二人の会話を聞いちゃったらねぇ?」
「そうだぜボスー、あんなの聞かされたら集中出来ねえよ」
「聞きたくなくても聞こえてくるもんな!」
「いいから働けお前ら。まだお客さんが」
不意にバーの扉が開かれる。店員達は慌てて持ち場に戻り、店長も姿勢を正して新しいお客様を笑顔で迎え入れた。
「いらっしゃい」
「やぁ、マスター。最近どうだい?」
「別に、変わらないさ……あのヒューマンの新人には困ったもんだけどな」
「こんにちは、店長」
「おや、スコットさんじゃないか。今日は昼間っから自棄酒かい? いつもの席空いてるよ」
「いいや、今日はカウンター席で」
店を訪れたのは、ウォルターとスコットだった。
店長は別段驚いた様子も見せず、涼しい顔で彼らを接待する。ウォルターは少しふらつく足取りでカウンター席につき、店長の顔を見つめながらにっこりと笑う。スコットも彼の隣の席に着き、店の中を見回す……賑やかだった店内の空気は一変して静まり返り、ラルフ含めた店員達も気が気でない様子だった。
「ひどい格好だな、喧嘩でもしたのか? それともカズヒコに殴られたか??」
「ははは、そんな感じだよ。彼に殴られた場合はもっと酷い顔になってたけど」
「だよなぁ、ご注文は?」
「ジプシーのショート……スコッツ君は?」
「いつものやつをショートで」
「はいはい、少し待ってな」
注文を受けた店長は彼等に背を向け、カクテルの用意をする。ラルフは音を立てないように気を使いながら非常ドアに向かおうとするが
「ラルフさん、今日は静かなんだね。君の話は面白いから大好きなんだけどな……今日は話すようなこともないのかい??」
「あらぁ、ありがとぉん! ウォルターさんに言われると嬉しいわぁ……」
ラルフは接待モードにスイッチを切り替える。素っ気ない態度を取れば、ウォルターは直ぐに勘付くだろう……あるいは既に勘付いているのかもしれない。ラルフは明るい笑顔を浮かべ、ウォルターに世間話を持ちかけながらも彼に気付かれないよう背後に隠した左手のジェスチャーで店員達に指示を出す。
「そういえば、今日はルナちゃん居ないのねぇ。どうしたのぉ?」
「ああ、お留守番さ。彼女はこの店が苦手だからね」
「傷つくわぁ~……こんなにいい店は中々ないわよ! ねぇ、ジョージ?」
「え、自分から言うの?」
「そこは乗ってよぉ!」
「そうだね! いい店だよホント!!」
小柄なブルックが身を屈めてこそこそと非常ドアに向かう。それに気づいているのかいないのかはわからないが、ウォルターは笑顔で彼等と会話を楽しんでいる。スコットもとりあえず彼に合わせて笑顔を作った。
「はい、ジプシーとテキーラ・サンセットのショートタイムだ」
店長が二人に用意したカクテルを差し出す。その見た目に似合わず彼の用意するカクテルは好評であり、隠れた名店として密かに知られている。特にスコットはこの店を懇意にしており、激務に身を削る彼にとっては心の拠り所となっていた。
「ありがとう、マスター。スコッツ君……悩みがあるなら相談に乗るよ?」
「何も言うな、頼むから……」
二人はカクテルをゆっくりと飲む。店長は二人の魔法使いを見つめ、困った笑顔を浮かべていた。店長は既に気付いているのだ、この二人が店を訪れて来た理由に。
「なぁ、まだかー?」
彼等が訪れた事を知らないエイトは怪我をした右手に包帯を巻きながら、キャロラインを待っていた。
『……』
「あのよー、あんまりのんびり着替えられると困んのよ」
『……』
「聞いてるー?? キャロラインさーん」
「うるさいわね! 今、着替え終わったわ
「エイト!!」
着替えを終えたキャロラインが部屋から出た瞬間、ブルックが非常ドアから慌てて飛び込んできた。彼の表情を見て、エイトは察した……。
「……まじで?」
「ああ、ウォルターと協会の魔法使いが店に来てる。目的は多分……」
「そんな……!!」
「お前らは裏口から逃げろ、二人は俺たちで何とかする」
「……いいんですか?」
「いいんだよ! いいから行けよ!!」
ブルックはエイトとキャロラインの身を案じて早く店を出るよう急かす。エイトは深く頭を下げ、キャロラインの手を取って裏口へと向かう。
「あ、あの……ッ!!」
「いいから、今は逃げるぞ!」
「……ッ!!!」
丁度その頃、ウォルターはカクテルを飲み終えていた。スコットはストローで音を立てながらカクテルを啜り、その音が静寂に包まれた店内に響き渡る。
「スコッツ君、行儀が悪いよ」
「……そうだな、すまん」
「別に謝ることもないけどなぁ。俺は慣れてるし、愚痴を延々と聞かされるよりは
「店長、やめて。まじやめて」
「ところでスコッツ君、君はカクテル言葉というものを知っているかい?」
「へ?」
「花言葉や宝石言葉があるように、カクテルにもそういったものがあるのさ」
不意にウォルターから妙な事を言い出されてスコットは呆気にとられる。店長は表情こそ変えないが、その肩が僅かにピクついた。
「スコッツ君が飲んでいる、テキーラ・サンセット」
「ああ、これ好きなんだよ」
「そのカクテル言葉は『慰めて』だ」
スコットは思わず吹き出し、咳き込んだ。ウォルターは実に愉快そうな顔で咳き込む彼を眺め、ラルフも小さく笑う。そして畜生眼鏡は静かな声で続ける。
「そして、僕が飲んでいるジプシーなんだけど」
「ゴホッ、ゴホッ……、何だよ畜生!!」
「聞きたいかね? スコッツ君。言っていいかい? マスター」
「ゲホッ……お前本当に嫌な奴だな! 聞いて欲しいならさっさと言えって!!」
「ああ、言えよ」
「……『しばしのお別れ』という意味だ」
ウォルターは店長の顔を見ながら、静かな声で言った。彼の言葉を聞いた店長、そしてラルフ含めた店員達の表情から笑顔が消える……常連客も一斉に席を立った。
「そのヒューマンの新人君、女の子を連れて店に逃げ込んできただろう?」
「何の話だ?」
「困るんだよ、彼女を匿われると……会わせてくれないか?」
「おかわりはしないのか? 注文は?? 用が無いなら帰ってくれ」
店長はウォルターがどういう男であるのかを知っている。だからこの男が敵に回った時、どれ程危険な存在であるのかも承知の上だ。だが、それでも店長は何とかキャロラインの事を隠し通そうとした。深い理由など無い……キャロラインを咄嗟に助けたエイトと同じように、彼も困った相手を見捨てる事が出来ないのだ。
「……店長、すまないが店の周りは協会所属の魔法使いに包囲されている。何も言わずに、二人を俺たちに預けてくれないか?」
「あのさぁ、お前らさっきから何言ってんの? 困るんだけど」
「マスター? 無理な隠しごとはいけないよ。だって君たちはともかく、常連のみんなが昼間から無言で僕を迎え入れるなんて有り得ないじゃないか……」
「・・・・・・」
ウォルターは寂しそうに笑いながら言った。
彼の切ない言葉を聞いた常連達は頭を抱え、ラルフを始めとする店員達も思わず目頭を押さえる。その言葉の通り、店員の皆さんはともかく常連の皆さんが彼をすんなりと迎えるのは開店以来一度たりとも無かった。真っ先に聞こえてくるのは『クソメガネ』から始まる悪口のフルコース、それに続いて『帰れ』&『出て行け』のフルコーラス。ルナが隣に居た場合は例外で紳士的な彼等が見られるらしい。
だがそれが仇となり、この店にキャロラインが匿われている事が彼等に知られてしまった。
バー『Naughty Dogs』の周囲は多数の魔法使いに取り囲まれており、裏口の前にもロイドが待ち構えている。スコットはテーブル席の下に隠した片手で携帯端末を操作して先程別れた後輩や、12番街に散っている協会所属の魔法使い達に連絡を入れていた。
「……マジかよ」
職員専用通路に備えられているモニターは店の外の光景を映し出し、もう逃げ場がないという非情な現実をエイト達に突き付ける。
「そんな……ッ!!」
「……無理そうか? エイト」
「ちょっと……無理そうです」
さすがのエイトの表情にも諦めの感情が色濃く浮かび上がる。彼の義足は異人すら容易く蹴り殺す力があるが、魔法使いと真っ向勝負を挑んで勝利できる程のものではない。例え蹴りかかろうとしても、その脚が相手に届く前に魔法で無力化されてしまうだろう。エイトが魔法使い相手に上手く立ち回れたのも、相手が油断していたに加えて魔法が使えない程の至近距離に偶然入り込めたからに過ぎないのだ。
「マスター、彼らを渡してくれないのか?」
「……」
「僕は、この店が好きだし君のことも……店員さんのことも本当に気に入っているんだ」
「あらぁ、光栄だわぁ……」
「でも今日は……わかるね?」
「わからねえよ、この歳になっても俺はNaughty Dogだからな!」
店長は大きなカウンターテーブルに手をかけ、力ずくでひっくり返した。床にしっかりと固定されている筈のテーブルは、店長の常軌を逸した怪力で固定ネジごと引き抜かれて勢いよく倒される。ウォルターとスコットは危うく席の下敷きになる所だったが素早く背後に飛びずさり、ウォルターが前方にいる店長に、スコットは後方にいる常連客や店員達に杖を向ける。
「……残念だよ、マスター」
「俺もだ、ウォルター・ファッキン眼鏡・バートンさんよ」
「お前たち、動くなよ。今日の俺には民間人相手に手加減できるほどの余裕はないんだ」
「なぁによぉ! アンタたち!! 此処はただの飲食店よ!? 何も悪いことしてないじゃないのさ!! いい加減にしないとアタシもブチギレるわよ!!!」
「二人を、渡せ。そうしたらこのまま出ていく」
「断る」
「言うと思ったよ、君は優しいからね」
ウォルターは杖に魔力を込める。店長とはカズヒコ程ではないがそこそこ長い付き合いであり、彼がこの街にやって来た時からの友人だ。威圧感溢れる外見からは想像もつかないが、店長はカズヒコ以上に底無しのお人好しであり困っている相手、店に逃げ込んでくる相手を放っておけないのだ。
「彼女は、殺さなければならない。それがこの街の……君たちのためなんだ」
「知っているさ。あの娘がキャロライン・マッケンジーだろ? 130年前に起きたマッケンジー家獣害事件唯一の生き残り……ひでえ事件だったそうじゃないか」
「ああ、そうだ。今もこの目に焼き付いてる……忘れられないよ」
「そして、その事件を引き起こした腐れ外道の異世界種……そいつの幼体が植え付けられている最後の宿主が彼女なんだろ?」
ウォルターは思い出す……あの日の事を。今まで自分達が殺し続けてきた 彼女 の顔を。説得が無理だと悟り、ウォルターは目つきを変える。そんな彼に向けて、店長は言う。
「アンタは、毎年そんな顔であの娘を殺してきたのか……?」
「ああ……今年もそうさ。そしてこれからも」
「……アンタは抱え込んでいるものが多すぎる。たまには降ろしちまってもいいじゃないか」
「じゃあ僕が抱えていた荷物は、誰が背負ってくれるんだい?」
「さぁな……お人好しの誰かさんだ」
店長の目つきも変わり、両腕に力を込める。そしてラルフや他の店員、そして常連客達も殺気立った表情に変わった。店の中に居る全員を緊張の渦が包み込み、その場居る誰もが身動きを取れなかった。
店の中にいた者達は全員が同じ事を思った、今日はとんだ厄日だ……と
それが頭に浮かんだ時、私は変な声を上げてクールダウンした後に紅茶を飲みます




