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最近、机を買い換えようかと本気で考え始めました
午後12時前、リンボ・シティ12番街のとある大通り。
「……ふふふ、懐かしいわね」
黒い奇婦人は人気の無い路地を歩きながら、何やら楽しかった事を思い出しているようだった。街中に外出禁止令が発令されていると言うのに、婦人は鼻歌交じりに街を散歩している。彼女は胸元から何かを取り出し、金色に光る表面を指で摩りながら呟いた。
「ふふっ、焦っちゃダメね。ずっと待っていられたんだから……あと少しくらい我慢しなきゃ」
婦人の背中に生える羽のような触手が、彼女の鼻歌に呼応するように揺れていた。
◆
「エイトの奴遅くねえ? どんだけ遠くに煙草買いに行ってんだよ」
「ああー、好きな煙草が近くに売ってないらしいわよ。あの子、味の好みにうるさいから」
「あと5分遅れたら今日の給料減らすか。10分遅れたら今日の給料100%OFF待ったなし」
12番街の路地裏にひっそりと佇むバー『Naughty dogs』。エイトの再就職先であり、店長含めて店員は殆どが異人。強烈な個性のある店員揃いである事で知られており、13番街の喫茶店『ビッグバード』とはまた違った魅力を持った店である。
身長3mの二足歩行するオオカミに似た獣人型の異人である店長と、桜色の口紅と口ピアス、そして洗練されたオカマ口調が特徴のスキンヘッドのラルフという長身男性が特に有名だ。
「もしかしてナンパしにいってるんじゃね? あいつ元
「しーっ、言ってやるなよ。本人は気にしてるらしいからよ」
「でも少し老け顔だよねエイトくん、あの顔に引っかかる女の子って結構な物好きだと思うよ!」
「えぇー、お姉さんはあの子の顔好きよ? いい男じゃなぁい……」
「「「……」」」
「おいこら、黙るなよ。さっきのノリはどうしたよ? お前ら」
他にも耳が長い以外は人間と変わらない姿を持つジョージ、小柄な獣人型の異人だが面倒みがよく心配性なブルック、軽い性格で女癖の悪い爬虫類型の異人であるベニー、生粋の煽り屋かつ人を小馬鹿にした態度が目立つも仲間思いのパパス森城といった一癖も二癖もある面子が目白押しであり、人によっては一度来ただけで胸焼けを起こすとか。
「ヒューマンは贅沢なもんだなぁ」
「本当にねー」
「ヒューマンの中でもどん底にいたらしいけどな」
店員の服装は男性が紳士服、女性店員が居ないので店員用のメイド服だけ用意して随時募集中だ。これは店長の趣味で、服装にケチをつけると給料を減らされてしまう。色々と訳ありな過去を抱えた者が懇意にする場所でもあるNaughty Dogsの店長だけあってその腕っ節は強く、チンピラどころか特殊な訓練を積んだプロであっても軽く捻られてしまうという。
「うん、5分経つな。減給処置確定―」
「あららー、エイト君ご愁傷様
「うーっす! 遅れてスミマセン!!」
その言葉と同時にドアを蹴り開け、息を切らせたエイトが駆け込んでくる。彼は無事に魔法使いの捜索を掻い潜って店へと辿り着いた様だ。
「おかえりエイト。お前今日の給料半分な、あとドアは蹴って入らないで?」
「す、すんませんマスター。あとちょっとお願いが……」
「何だね……エイト、その子は?」
エイトが手を引いてきたキャロラインの姿を見て店内の空気が一変する。店長や店員、そして常連たちも彼女の姿を無言で凝視している。
「な、何よこの店……彼らは??」
「ああうん、俺の上司と先輩」
「……エイト」
「はい、あの……マスター
「お前、休憩時間にナンパしに行ってたのか!!」
店長は声を荒げて叫んだ。店長に続いて先輩である店員達もエイトを取り囲んで威圧する。
「エェェェイトくんんん!? 貴方、ちょっとアタシらのこと舐めてなぁぁぁぁい!??」
「え、えとラルフ姐さん違うんですこれは
「吊るそうぜ! 吊るそうぜ!!」
「ジョージ先輩も話聞いてください、実は
「何なんだぁ、この娘はぁ!? 可愛いじゃないかぁん! ぶち殺すぞ、ヒューマン!?」
「パパ城さん……話、聞いて
「お前ここから生きて帰れると思うなよぉ!!?」
「みんな話を聞いてよぉ!!!」
エイトは先輩の殺意に満ちた表情と威圧的な態度に恐れ慄きながらも必死に弁解しようと試みる。しかし彼等は聞く耳を持たず、全員でエイトを睨みつけている。
「な、何よ、この人たち……顔、顔が変よ!!」
「ホアッ!?」
「えっ、待って。待って待ってお嬢ちゃんひどくない? この顔の何処が酷いのぉ!?」
「す、すんません! キャロラインさーん!? 何てこと言うんだよ、言っちゃダメだろ!! 思っても言っちゃダメだろ!!?」
「だ、だって……」
「聞こえてんぞ? エイト君コラ、思ってたって何よぉおおおおお!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「簀巻きだ! 簀巻きにして川に沈めちまおうぜ!!」
「話聞いてぇぇぇぇぇえええええ!!」
先輩達に担ぎ上げられ、エイトは何処かに運ばれそうになるが必死に声を上げて叫ぶ。その光景を常連客は手を叩いて爆笑しながら見守っていた……実に混沌とした酒場である。
「聞いてくれよ、その子追われてるんだよ!! 魔導協会に!!!」
「は!?」
彼の叫びを聞いてまたしても店の空気が一変する。店長は目を見開き、姐さんと敬称で呼ばれているスキンヘッドのオカマの動きも止まった。店員達どころか常連客も固まっている……彼等の時が動き出す前に、エイトは続けて話し出す。
「何だか分かんねえけどさ、その子……キャロラインって名前なんだけど! 協会の魔法使いに追われてんの!! それも殺されかけてた!!!」
「……」
「ナンパしたんじゃねえって! 俺も巻き込まれたんだよ!!」
「で、俺の店に逃げ込んで来たと??」
「……はい、すみません。協会の魔法使いが街中を見回ってるし、警察もあいつらと協力関係にあるし……此処しか逃げ込めなかったんだよ」
エイトの言葉を聞いて店長は黙り込む。ラルフも口に手を当てて考え事をしているようで他の先輩達も互いの顔を見合わせている……そして
「……仕方ないわね? ボス」
「よし、お前ら」
「オーケー、ボス」
「仕方ねぇなあ」
彼らはエイトを静かに降ろす。エイトは店の床に正座し、緊張の面持ちで店長を見つめる。キャロラインは状況が理解できずに困惑していた。店長はキャロラインに近づき、彼女の眼を見ながら言った。
「お嬢ちゃん、何か悪いことをしたのか?」
「……してません」
「追われることに心当たりは?」
「そんなのないよ……自分でもわからないんだもの! 何もしてないのに、魔法使いが私を殺そうとして……!!」
「そうか……」
店長は振り返り、正座するエイトを見下ろす。ただでさえ大きい3mという巨躯に加え、床に正座しているという状態も手伝ってかその威圧感は凄まじいものであった。エイトの顔には自然と脂汗が浮かび、ただ縮みあがるしかなかった。店長は大きな溜息をついたあと、彼に向かって重い口を開いた。
「エイト」
「……はい、マスター」
「一日だけだ。一日だけ、彼女を店で匿ってやる……あとお前は三日間タダ働きな??」
「……ありがとうございます!」
その言葉を聞いてエイトは深々と土下座する。すると先輩達はどっと笑い出し、エイトの背中をバシバシと叩く。店長は何とも言えない表情を浮かべながら、カウンターへと戻りラルフは困った笑顔を浮かべて叩かれるエイトを静観していた。
「感謝しろよぉ、エイト!! 本当ならお前簀巻きルートだったぜ!!!」
「あい、すんません。あとそろそろ叩くのやめ
「そうだよなー! 追われてる女の子を見たら男なら助けたくなっちゃうよなぁー!!」
「あい、そろそろ骨まで響いてるんで叩くのやめ
「はははははーっ!! 俺はてっきり攫ってきたのかと思ったよ!!!」
「だから痛えからやめろって!!」
「ちょ、ちょっと、そろそろやめてあげてよ!!」
見かねたキャロラインは彼らを制止する。先輩達は一斉に叩く手を止め、皆立ち上がって笑いながら仕事に戻っていった。ラルフはキャロラインに近づき、声をかける。
「大変ねぇ、魔法使いに追われるなんて。怖かったでしょう?」
「あ、あの……」
「大丈夫、此処のみんなは訳ありの子が多いけど……優しい子ばかりよ。特にアタシらのボスはね、困ってる子は見捨てられないのよねぇ……」
「訳あり……?」
「そ、訳あり。ほら、エイト君もさっさと立って彼女をあの部屋に案内してあげなさい」
「いってーなぁ……、背中が軋むんだけど」
「仕事サボった罰にしちゃ軽いでしょうが、おらおら動きな」
エイトは痛みを堪えながら立ち上がり、キャロラインを店の奥にある非常ドアに案内する。常連客達はエイトを煽るように口笛を吹き、笑いながら二人を見送った。ラルフの近くにいた常連の一人が彼女に声をかける。大分酒が回っているようで、その魚のような顔は真っ赤になっていた。
「まーったく、甘いんだねぇ姐さんもマスターも」
「うーっさいわね。いいじゃない、たまには人助けしたって」
「人助け……ぶっ、はははははは! そうだなぁ!! 人助けもしねえとなあ!!!」
「あーっ、その笑い方ムカつくわ。後でアンタから出汁とってやろうかしら」
「生きたままフライにしてやってもいいぞ??」
「……ごめん」
店長とラルフのドスの効いた声を聞いて酔いが覚めたのか、魚面の男は大人しくなった。ラルフの言葉通り、このバーの店員達は過去に間違いを犯してしまった者が多い。店長の対応から見られるように、警察や協会に追われて逃げ込んで来た者が匿われたりする事もある。店長は色々な意味で鼻が利き、逃げ込んできた相手が『根っからの悪人』か『訳ありの悪人』かを、その眼を見つめ匂いを嗅ぐだけで判別する能力を持つ。訳ありの場合は彼女のように匿われるが、根っからの悪人の場合はその場で蹴り出すのだそうだ。
「で、あの子はどうだったの? ボス??」
「ああ、かなりの上玉だな」
「どっちの意味で?」
「はっはっ、両方の意味かな」
ラルフの問いかけに店長は少し困った様子で答えた。
小学生時代から使い続けてきたビンテージ品です