他人
私は夢を見ている。世界で一番幸せだった一日を。
「おかあさん、これほんとうにわたしの?」
「…そうよ」
お菓子いっぱいで、一度も買って貰えなかったおもちゃも今日は沢山で歌いたくなっちゃう!
その時には繋がれていた手もプレゼントで埋まっていたから離れてしまっていて…。私がもっと力持ちだったら、おかあさんとはぐれたりしなかったはずなのに。
「嘘」
「え?わたし?」
鏡みたいなわたし。もう一人の私、の様だけれど…。
「私を捨てたんだよ」
「ち、ちがうもん!」
「なんでそう思うの?」
「それは…」
答えられない。なんで私がもう一人いるのかも、お父さんがいないわけも。おかあさんが毎日泣いている理由も。
子供だから。私が病気で、小さい体のままで成長が他の皆より遅いから。
「わたしの…せいかな?」
「知らない。でも確かなのは、私は一人だってことよ」
「い、いやだ!」
………
もう一人の私が消えた。さっきまでいた街の人もいつの間にか消えている。背筋がぞっとした。
「だれか、かみさま…」
助けて。
朝、確かに現実であるとお腹の空腹が教えてくれる。
世界で一番最悪な夢を見たな…。
これから私、どうなっちゃうんだろう。不審者に連れ去られてこれから殺されるのだろうか?
あの時、抱きしめてくれたのはなぜ?信じてもいいの?他人には散々ひどい目に合ってきたのに今更信じられる?
「はあ、おなかすいた」
「はあ、お腹すいたか」
「げっ」
不審者。貧乏特有のオーラを感じる人、何考えてるかわからない。巷で噂の「ろりこん」という人間なのかもしれない。となると何されるか、わからない。
逃げる手段はあるけどこの街からどこへ?行けばいいのだろう。そもそもこれから、どうやって生きていけばいいのだろう。
「嫌いな食べ物とかあるか?」
「…しらない」
「野菜炒めとご飯でいいか?」
ぐっ。野菜のコーナーは嫌いのオンパレードで、どれか一つとして得意が存在しない。きっと永遠に分かり合えないだろう。
「お?野菜は苦手か?」
「…べつに」
きゅるるる、と虫が鳴いた。どんな状況であっても体は常に正直だ。なのにどうしてか目の前に置かれた食事に手を付けれない自分がいる。変な人は「食べろ」とか言わずに黙々と食べている。そういえば前にも同じようなことがあった。
街で子供たちに食べ物や着るものを沢山分けてくれる人がいた。その時もなぜか受け取れずに、逃げるように身を隠してやり過ごした。後で何度も後悔しながら、素直になるべき人だと気付いた時には遅かった。もう親切な人はいなくなってしまった。死んだという噂が流れてきたとき、悲しいと思うより、怒りが沸き上がってくるのを感じた。貰う前に死んでくれるなんて、どうしてくれるんだと。そんな自分がいるってわかって、悲しくなってくる。
「今日、服を買おうと思うんだが」
「…いらない」
「裸族?」
「うわあ…」
冗談だよ、と言うと変な人は再び食事に戻った。相変わらず何を言っているのか理解できない。
「わたしには、かかわらないでください」
「なんで?」
「わたしは、びょうきでダメなにんげんなんです」
変な人は真剣な眼差しで、私のことを見つめてくれている。話は通じるわけだし、ここにいる間だけでもほっといてもらおう。そう、自分だけを信じて生きていくんだ。
「ふくも、いらないです。はなしかけられてもこまります」
「嫌だ」
「なっ…」
「俺は毎日ギャンブルで金儲けしているような人間だ。自分以外はゴミだって思っているような奴だ。そんな俺にも、宿敵と呼べる奴がいたんだ」
変な人が言う、「しゅくてき」とはきっとアノ人のことだろう。本当に死んだんだな…。
「お前なんかよりずっと悪いことしてきたんだ。昨日はたまたま気分が良くて、お前みたいな可哀そうな奴がほっとけなかっただけ。それだけだ」
それだけだ、と呟く顔は冗談を言っている雰囲気ではなかった。ただ、私はこの人を一発いや百発殴りたいという目標ができた。そのためにはこの拳じゃできっこない。箸を持つのも限界なんて冗談ではない。
「むかつく」
「…そっか」
「きもいです。いみふめいです。いってること、よくわからないです。けど、こんなからだじゃなんにもできない。だから、しばらくわたしはここにいるので、かってににげないでください」
「了解」
それからの日々は最悪な夢を見ることもなくなって、別に悪くはないと思えるぐらいだ。おじさんが言っていたギャンブルで稼いでいる話が本当だってことと、ニートであることに変わりないってことがわかった。
「おじさん!身体臭い!風呂に行って!」
「はい!」
「ゴミは分別するって言いましたよね!?」
「い、今します!」
「面接なんかで緊張しない!」
「が、がんばります!」
なんだか、殴る目標以前の問題が多すぎて頭をかかえてしまう日々が続いた。
「子供に注意されるなんて、恥ずかしくないの?」
「お前は特別だから」
「冗談は自分の服を畳んでから言ってください」
「本当だ。俺は、グハッ」
これで朝から腹パン三発目。記録はどこまでも更新されて、まだ若いのに白髪が生えてきそう。
そしてもう一つ問題がある。頭の中で「お前は特別だから」という声がリピート再生一位で、頭というより顔がなんだか熱くなってくるのだ。この生活が終わってほしくないと思うと同時に、もう一人の私が「それは出来ないことだ。諦めろ」と囁いてくる。私は恐らく長くない。身長が、という意味ではなく、残り時間が、という意味だ。あのまま路地裏で静かに消える命だったんだ。今更、どうするつもりもないけど。けど、追いつけない身体と届かない心があのクリスマスの夜に置き忘れたまま。
「買い物に行こう」
地味な仕事にようやくありつけて、給料も恐らく贅沢できるほど貰えたわけじゃないはずなのに。それでなくても生活は苦しいのに、何を買うというのだろうか?
「何買うの?」
「秘密」
口元にシーの合図でニシシと笑う顔がムカつく。いいよと言うべきではない、なのにホイホイ付いて行ってしまうのは、切ないラストを迎える前にせめて幸せでありたいと思うからだろうか。
「今日ってクリスマスだったんだね」
「おう、だからケーキ買ったんだろ?」
「う、うん」
別に甘いものが嫌いというわけじゃない。気付いたら、ということはあっという間に時間が過ぎて、私は…
「おい、どうした?顔が暗いぞ」
大体の原因である本人に私の頭を揺らされて、さらに思考の闇に飲まれていく。その時になったら一人で消えてしまおう…。そう決意しようとしたとき、前方に懐かしい背中が見えた。
「おかあさん?」
「え?って、おいどこ行くんだ!」
お母さんが人込みに紛れて見失ってしまった。だけど、なりふり構わず他人を押しのけながら進んでいく。あぁ、せめて別れを言わせてほしかった。バカって言ってやりたかった。愛してるって何度も叫んで伝えたかった。
私はただがむしゃらに走った。街の綺麗な灯りが、ぼんやりと霞んでいく。
「まって…おねがい、だから…」
一人に、
「ひとりになりたくないよおおお」
本当は全部知っていた。自分のせいじゃないって、お金がないのも私の診察代のせいだ、なんて思い上がりだってこと。親切な人が私にも接してくれたのは見た目が幼いからで。十何歳のくせに、学校の授業についていけないのが怖くて、優しい大人に甘えてしまっていた。自分にとって一番のバカは自分自身だ。
…もう、わたしなんて死んでしまえば…
「お、俺がいるっ!」
振り返るとおじさんが息切らして私に近付いてきた。
「せっかく、これから楽しくなるところだったのに。それなのにお前は、一人で勝手に悩んで苦しんで。俺だってなぁ、お前の幸せって何か考えてるんだよ!」
「だ、だって!」
「だって、なんだよ!」
「だって!私たち、他人じゃん!友達になっても忘れられるし!家族でも離れ離れになっちゃうんだよ!こんな…こんなわたしは大っ嫌いなの!おじさんもどっか行ってよ!」
お願いだから、今は、今だけは一人にさせて…
両手で顔を押さえるのに精一杯なんだよ。その場に崩れ落ちるようにストンと落ちてしまった。その上を覆いかぶさるように、ぎゅっと抱きしめられた。あの日と同じように。
「わたしね、もうすぐ死んじゃうんだ…。産まれた時から身体が弱くて、お母さんも泣かせてばかりで。本当にダメな私なの。このまま一緒なんて叶わない願いなの。だからもう離して」
「病気のことなら心配ない」
「え?だ、だって治療にはお金がかかるし…」
「なぁに、金ならある」
ぐへへ、と笑い声。汚い大人だなあ。まあ、知っていたけど。
腕をおじさんの背中に回す。それまで止まらなかった震えが少し収まった気がした。
そんなことより、体をくっ付けているだけなのに、春風が誘う昼寝のような穏やかな気持ちが流れ込んでくる。このことに驚いている以上に安心している自分がいる。
ああ、そうか。引き返せないほど誰かを好きになるって死ぬほど怖くてたまらないけれど、簡単にまるで生き返ったような気持ちになるんだな。
そして、鼓動の音を聞きながら、私は「大好きだよ」って囁くのでした。




