査問会5
「明石先生!」
喫煙所に続く北出口側の廊下で、村山は明石を呼び止めた。と、
「……勘違いするなよ」
相手は顔も向けずに肩をすくめる。
「俺は今でもお前が大嫌いだからな」
むっとしたので明石の右横まで早足で歩き、白衣の袖を引いて引き留める。
そして言うはずだった言葉を後ろに捨て、真逆の台詞を言い放った。
「そちらこそ勘違いなさらないでください。俺は礼ではなく文句を言いに来たんです」
明石は立ち止まった。横顔でもわかる、わずかにしかめられた顔。
だが、どうしてか今日は怖くない。
「……言って見ろ」
「医長の手術の事です。何であんなことを言ったんですか?」
「本当は一括に切除したかったが、とりあえずは院長に癌腫の位置を教えてやるに留めた。俺にしては抑えた方だ」
答えようがなくて、話題をすり替える。
「だいたい、癌性癒着を剥がすときに破れる血管をいつも素早く結紮してるのは俺じゃなくて明石先生でしょう?」
「固有名詞は言ってない」
「あそこであんな言い方したら、俺がそんなこと言ったみたいじゃないですか」
明石は広い肩をそびやかした。
「ま、やってることは似たようなもんだろ」
「俺は未熟で鉤一つ引けないんです、それだけです」
彼の嘘を軽蔑するように、またいつもの冷ややかな目が村山を貫く。
(……ああ)
ようやく明石が何故自分を嫌うのかを彼は何となく理解した。
仕方なしに、言い訳がましく言葉を続ける。
「……仮にそうでないとしても、あんな風に言ったら今までの俺の努力が水の泡じゃないですか」
「……努力?」
小馬鹿にしたような顔がこちらを向く。
「なんだそれは?」
人を人とも思わないふてぶてしさに、今まで溜まっていたマグマがどかんと噴火するみたいな怒りが突沸した。
「俺は貴方と違って、いつもいつもいつもいつも、これ以上ないほど気を遣ってるんです。その積み重ねをたった一言で壊してしまうなんてどんだけ無神経なんですかっ?」
「お前は何であいつに気を遣う?」
医師不足の折り、こんな田舎に医師を派遣してくれている提携大学の機嫌を損ねてどうする?
「俺のモットーは何事も穏便になんです。仲良し子良しが居心地いいんです」
明石の眉間に縦皺が寄る。
「……だから俺はお前を嫌いなんだ」
「嫌いになるのに理由はないって、以前おっしゃったような気がしますが」
村山はわざとらしく口の端をわずかに上げた。
「『だから』というのは、理由を表す順接の接続詞です。先生、ご存じないんですか?」
「……では言い直す」
こういう言い方をすると大抵の人間は怒り出すのに、明石は悔しそうな顔をしながらも一応間違いを認めた。
「俺は何よりも卑屈な奴と馬鹿が一番嫌いなんだ」
「俺は貴方みたいな嘘つきが嫌いです」
案の定、明石はむっとした顔をした。
「俺がいつ嘘をついた?」
「ラパコレで俺が普通に手術して普通に終わってるのは、エコーで引っかかっただけで何事も起こっていない健康な胆石患者しかやってないからです。さっきもそう言ったのに全然聞いてくれないし」
「中には無自覚で深刻な患者だっていただろうが。多少大袈裟に言ったのは確かだが、嘘はついていない。そもそもお前、だらだら時間を稼いで五十分前後で手術が終了するよういつも引き延ばしてるのを、どう説明するつもりだ?」
「え……」
明石は彼をにらみつけた。
「それに、お前は本当に出血が少ない手術をする。それは事実だからな」
「あの程度の手術で血を見る方が難しいと思いますが」
明石は目を見開き、そして小さく呟く。
「……馬鹿」
「確かに俺は馬鹿かもしれませんが、今までの会話のどこが馬鹿だかは理解不能です」
「じゃあ、偽善者」
本気でかちんと来た。
「好戦主義者は、しばしば平和主義者をそう罵るようですね」
「偽善者でないならお前は確実に馬鹿だ」
「どうして?」
「……本当にわかってないのか?」
明石はようやく身体をこちらに向け、彼に対峙した。
「……お前、結局の所、馬鹿か天才かどっちなんだ?」
「どっちでもありません。ごく普通の人間です」
「両極端を足して二で割るな。正規分布してないのに平均を語るな」
相手は腰に両手を当てた。
「大学出てからそんなに経ってない普通の人間に、あんな凄い手術は普通できない」
「AAA破裂は運が良くて……」
「黙れ」
明石は目を細める。
「そういえば、どうしてか俺は、お前の手術を雑だと言ったらしいな」
「え……」
「どういう了見だ? そんなことを言いふらす目的は何だ?」
「俺に聞かれたって困ります。先生が最低な手術だなんて捨てぜりふ残して去っていくから、皆が勝手な憶測するんじゃないですか」
「誰も手術を最低だなんて言った覚えはない。大動脈の遮断時間もべらぼうに短いし、後でカルテを見直した時にも改めて鳥肌が立った。最高だったと褒めてやろう」
明石は一歩前に出た。
「最低なのは、それだけの腕を持ってるのに隠したり出し惜しみするお前の根性だ。俺がお前だったら絶対に言うね、ヘルニアとラパコレばかりでなく、もっと他のをさせろって」
正直言うと、腹腔鏡下胆嚢摘出術はカメラを介して腹の中を見るので、出血の臨場感が少し薄れるため村山は好きだった。
しかしそんなことを今言うとややこしいので、彼は正論を口にする。
「それは仕方ないと思ってます。難しい症例は全部大学病院に送るし、そこそこなのはベテランがやるし、そうなると頑張ってもその辺りが俺の適応かなと」
「では聞くが、できるのに隠すのは何故だ?」
「隠すって……」
「冬ぐらいからわざとゆっくり結紮したり、何でもかんでもオートスーチャーで縫合したりしてるだろ?」
「……雑と思われたくなくて」
「それが卑屈なんだ」
明石が怖い顔をしたので、村山はびくりと身体を引きつらせた。
「およそ外科医なら、雑なのか素早いのかぐらいは見ればわかる」
「院長は外科医じゃないし、どうせ見に来ることもないし」
不意に彼はじっと村山を見つめた。
「お前」
「……え?」
突然明石が詰め寄ってきたので、ちょっとびびって後ろに数歩下がったら壁に背中がついた。
「おかしいとは思わないのか?」
「何を?」
「今、俺が言ったことだ」
「……だから何を?」
明石が左手を村山の頭の横に伸ばす。
(……?)
壁に手を突くつもりなのかと思ってそのままでいたら、いきなり耳を引っ張られた。
「あ、あいたたっ!」
「これは何だ?」
「先生、痛いですっ!」
「これは何だと聞いている」
「み、耳に決まってるじゃないですか」
ひねられて村山はさらに悲鳴を上げそうになった。
「いっ!」
「……耳、か」
「じ、耳介……です」
やってることが子供の割には、真剣な表情で明石は村山の顔を覗き込む。
「使えよ」
「はあ?」
「ほんと、イライラさせる奴だな! だからこいつを使えって言ってるんだ」
「いっ、痛っ、意味分かりませんっ……ていうか、ほんと勘弁してください、ちぎれますっ!」
「使ってないならちぎれったって問題なかろうが」
「そんなこと言ったって、意識して耳介使ってる人間なんて……いっ!」
村山がさらに言葉を継ごうとした時である。
突然、扉の向こうから電話の鳴る音が聞こえた。
ぎょっとして二人がそちらを向くと、北出口の扉が開いてばつの悪そうな顔をした脳外科の医師が出てきた。
「おい、ちょっと困るなあ、今いいとこだったのに……あ、いや……済まん、何でもないです」
医師は看護師に呼び出されたのか、ピッチと会話している。そしてその後続いてぞろぞろと三人が続く。
(……こ、こんなにいたのか)
この時間、人などいないと思いこんでいたし、人がいれば、扉半面の磨りガラスに何となく白い影が見えるはずなのだがそんな気配もなかった。
「……な、なぜ」
明石が呟きながら耳を離すと、精神科の医長が目尻にしわを寄せた。
「そりゃ、息をひそめて聞き耳を立てていたに決まってるよ」
「え!」
同じく精神科の部長がにこにこと人の良さそうな顔で笑った。
「ま、要するにそっと入り口に近づき、ドアの側でしゃがんでたんだ」
明石と村山は茫然と立ちすくむ。
「いやあ、二人は仲が悪いって噂で聞いてたけど、実はケンカ友達だったんだね」
「見るのと聞くのとは大違いってことか」
「それにしても、やっぱり一外は体育会系だな」
村山もよく世話になる麻酔科の医師がそれには首を振った。
「いや、体育会系なら村山先生は先輩に口答えをしちゃあいけません。そこはひたすら忍従です」
「ではこのあと、彼はさらにお仕置きですか」
蒼白な顔をして立ちつくす明石に、精神科の部長がうむうむと頷いた。
「安心しなさい。我々だって言いふらしていいことと悪いことの区別ぐらいはつくから」
医長が困ったような顔をした。
「容赦なく耳を引っ張り続ける明石先生と痛がってもだえる村山先生のところ、うちの静ちゃんに言っていいかな?」
「ああ、静ちゃん、明石先生大好きだからな」
「付き合ったらDVになるからやめた方がいいって今のうちに教えておかないと、オペ室に希望出してしまう」
「だけど、『あたしも耳、意地悪言われながら引っ張ってもらいたーい』とか言われたらどうします?」
「先生、耳ではなく耳介です」
四人は和んだ風に彼らの横を通り過ぎていく。
「あ、あの……」
口をぱくぱくさせた村山に、ようやく電話を切った脳外科の医師が残念そうな顔で振り向いた。
「まあ、ごゆっくり」
思わず脱力して壁に後頭部をつける。
明石も毒気を抜かれたようで、ポケットから煙草とライターを取りだすと扉の向こうに黙って消えた。




