拉致
自室の机に向かいながら、高津は大きな溜息をついた。
悪いのはタイミング、そして馬鹿な自分だ。
萌が好きで彼女が村山のことを好きだと知りつつ、つい告白してしまったが、それが彼女の負担になっていると秋頃に気づいた。
だから自然体で接してもらうために、わざと村山の話をして盛り上げたり、特に萌を好きでなさそうな振りをしてみた。
それはある意味成功して、今では萌はすっかり高津を空気みたいに思っている。
だが、それは同時に彼の萌への特別な意識を理解してもらえないという弊害も生んだ。
(……まあ、藤田ごときじゃ敵にはならないってこと、わかっただけでも良しとするか)
確かに昨日、彼は藤田に嫉妬した。
元々二人で勉強会の予定だったのに、後から来て萌を独占するなんてひどい話だ。正直かなりむっとしてもいた。
だが、藤田が萌の眼中にないことがわかってほっとすると同時に、逆に絶望感がひたひたと増加する。
(長期戦は覚悟してたけど)
このままでは村山が禿げでもして、萌の気持が醒めるまで待たなければならないかもしれない。
(……禿げずにロマンスグレーなんかだと、村山さんが死ぬまで無理かも)
シャーペンの芯が折れた。
(……?)
何となく不安を感じながら、高津はシャーペンをノックする。
そうしてもう一度問題集を見た。
(おかしいな)
いつになく嫌な気分だ。古典の活用が頭に入らない。
(全部村山さんのせいだ)
深い溜息をもう一度ついたとき、携帯電話が鳴った。
着信音からすると萌だ。
高津は何かを期待してボタンを押す。
「もしもし、萌?」
「高津、圭介さん?」
知らない男の声に、高津はびくりとして電話を握る。
「……そうですけど」
「ああ、よかった。すぐに来て欲しいんだ」
「は?」
「道で女の子が倒れてて、彼女が自分の携帯を俺に渡して君の名前を言ったものだから……」
一気に血の気が下がる。
「た、倒れてるって、どんな状態?」
「車にでも当たったのかな、でも、本人が救急車は呼ばないで欲しいって言ってるし……」
「替わってもらえますか?」
「いや、ちょっとしんどそうだから。とにかく場所を言うよ」
男が言ったのは、萌の家の近所にある神社の側だった。
畑が広がる人気のない場所で、どうして萌がそんなところを歩いていたのかわからない。
「あ、何か具合悪そう……彼女の様子を見るから電話切るよ」
「え、」
ツーツーという音に高津は携帯を切り、家を飛び出した。
必死で自転車を漕ぐ。
(……まさかとは思うけど、本当に軽く車に当たったんじゃ)
それで、ひき逃げされでもして、そこに倒れていた所を親切な人が助けようとしてくれたのか。
(でも、それだったらすぐ救急車だよ)
どうせ萌の事だから村山の救急当番とかを熟知していて、そこに割り込む……いや、逆にそこにならないように痛みを我慢しているに違いない。
(馬鹿か、あいつはっ!)
心配を通り越して腹まで立つ。
意識はあるようなので大丈夫とは思うのだが……
神社が見えてきた。
だが、ワゴン車が止まっているだけで特に誰かが倒れているような気配はない。
「!」
と、車のドアが突然開き、男が二人現れた。
「高津圭介君?」
高津の自転車のハンドルをつかみ、男は車の中を指さした。
「あっ!」
後部座席に、縛られた萌が転がっていた。
「萌っ!」
その頬にはナイフが当てられ……
「彼女の顔に傷をつけられたくなかったら、質問に答えろ」
男をよく見ると赤い……
「心配するな。聞きたいことがあるだけで、それを教えてくれたら二人ともすぐに解放する。どうもお嬢ちゃんは知らないようなので、君に聞きたいと思って」
「聞きたい事?」
萌が必死で首を横に振ろうとして、抑えつけられるのが見えた。
「暁と夕貴という子供を知っているな?」
「え?」
「彼らがどこに住んでいるかを教えてもらおう」
高津の足はがくがくと震えた。
「……知らない」
「この女の子がどうなってもいいのか?」
「だって、知らないものは知らないから……」
男があごをしゃくると、あっという間に高津もロープで縛られた。
「大声を出したりしたら、本当に痛い目に遭うからな」
そうして、蹴るようにして車に乗せられる。
迂闊だった。
(萌が絶対自分から車に突っ込んだと思い込んで……)
そのために他の可能性を全部排除したことが悔やまれる。
(それに……)
また身体が震えた。
どうして彼らは暁と夕貴の所在を探しているのだ?
どうして彼らはそれを萌や高津に聞くのだ?
「騒いだら、彼女が可哀想なことになるから気をつけるんだよ」
そのまま車は十五分ほど走り続け、やがて住宅地に入った。
(……?)
一般的な三階建ての家の前で止まると、彼らは高津の戒めを切った。
「さ、普通の顔して家に入れ。妙な事を考えると、彼女はただじゃ済まないからな」
宅地なだけに、周りの目を気にしての事だろう。
多分、高津が家に入ったら、今度は高津を盾に萌にも同じ事を要求するつもりなのだ。
玄関から入ると有無を言わせず三人に押さえ込まれる。
そして再び身体をロープで縛られた。
「くそっ!」
「静かにしろ」
三階まで引きずるように連れていかれる。
しばらくすると、萌も同じように……いや、幾分彼よりも派手に暴れながら部屋に連れられてきた。
「さて、さっきの続きと行こうか」
男は全部で四人いた。
下っ端っぽい男は二十代前半ぐらいで、茶髪で細身だ。鼻は低く、目も小さい。
三十代ぐらいの男は背が低く、オールバックで事務職風。眉毛は八の時で気が弱そうに見える。
高津を引きずった男は腕っ節が強く筋肉質だ。三十代ぐらいで背も高い。
最後、目つきのあまりよくない年齢不詳の眼鏡で小太りの男はずっと黙ったまま腕組みをしている。
「暁と夕貴の二人はどこにいる?」
高津は首を横に振った。
「知らない」
「彼らの名字は?」
「知らない」
言いつつ少し高津は驚く。
そんなことも知らないでどうして彼らに興味を持つのだ?
「じゃあ、今度はお嬢ちゃんに聞こうか」
さるぐつわを外された萌は、強い目で相手を睨む。
「……それ、誰よ?」
筋肉質の男は目だけで笑った。
「痛い目に遭いたくなかったら、言った方がいい」
「だって知らないもん」
萌は髪の毛を掴まれ、そして左右に頭を振られた。
「痛いっ!」
「彼氏の前で色んな事されてからじゃ遅いぞ?」
蒼白になった高津とは逆に、萌の顔には怒りが浮かぶ。
「知らないものは知らない」
「ま、それはそれでお楽しみが……」
「ま、待ってくれ」
思わず高津は叫ぶ。
「ほう、言う気になったか。さすが男は賢いな」
萌が今度は高津を見つめる。
曲がったことを許さない瞳の力が高津を刺した。
「お前達が子供らと面識があることはわかっている。下手な嘘はつくなよ」
高津は策を巡らせる。
時間稼ぎは必要だ。彼らに何かあったとわかるのは、家に帰ってこなくて家人が騒ぎ出す八時以降。
「その二人を知らないとは言わない。でも……」
そして、この男達に彼らのことがどこまでばれているかを取り急ぎ確認する必要がある。
「その二人が住んでいる場所を俺たちが知らないのは本当だ」
彼らの表情が動く。
何も言わないところを見ると、それは信じたようだ。
「では確認だ」
今度は高津の髪を筋肉質の男が掴む。
「……村山っていう総合病院の医者は子供の居場所を知っているのか?」
萌が目を見開く。
もちろん高津も口を開けた。
「し、知らない」
高津の動揺が声に出たためか、小太りの男がにたりと笑った。
「なるほど、奴だけが子供の居場所を知っていると言うことか」
「ち、違うってば」
「……やはり高校生と違って、その辺りは抜け目がないな」
「どういう意味だよ?」
「大人は利益が第一だって言ってるのさ。だから奴もお前達に子供の居所を教えない」
言ってることがさっぱりわからない。
と、萌が男を睨んだ。
「……どうして村山さんの事を知ってるの?」
というか、どうして彼ら五人の事を知っているのだ?
「当初のターゲットは奴だった。だが、なかなか病院から出てこないし、出てきても家まで歩いて五分、なかなかチャンスがなかったんでな」
「そんなことは聞いてないわ」
高津もそう思った。質問と答えがちぐはぐすぎる。
「ま、とりあえず、お前達を人質にして、奴に子供を連れてこさせるというのは当初計画通りだ」
男は目を細くして笑った。
「何だと!」
高津は愕然とする。
「今ここで、賢い君たちがちょっと子供の住所と名前ぐらいを言ってくれれば、そこまではしないつもりだったんだけどな」
彼は息を吸い込んだ。
「……お前達はどうして暁と夕貴を捜しているんだ?」
男は答えず、後ろの男に顎をしゃくった。
「予定通りだ。行け」
若い茶髪の男が立ち上がって出て行った。
「もし……」
萌が低い声で呟く。
「……村山さんに何かしたら、ただじゃおかないから」
その言葉に全員が笑った。
「お嬢ちゃん、一番立場悪いのはあいつじゃなくてあんただよ」
萌が大きく息を吸い込み、大声を上げようとしたその時。
「あ!」
そのまま萌は再び口を塞がれる。
「女はすぐに悲鳴を上げたがるからな。おっと、男の方はいいだろう。声を上げれば彼女が酷い目に遭うとわかっているからな。それにひょっとしたら、時間が経てば子供の住所を思い出すかもしれん」
高津は眉を寄せる。
メールの一本も村山に打っておかなかったことを後悔しつつも、病院内では彼は電源を切っているのだと踏ん切りを付ける。
どうせ高津のメールよりもこいつらの脅迫電話の方が早いだろうし。
(弱ったな)
何とかする手だてはないか……
顔を上げると萌がこちらを怒ったような顔で見ている。もちろん怒りの対象が彼でないことは明白だ。
高津は頷く。
「大丈夫、あの人は賢いから」
(……村山さんがこの状況を知ったなら)
高津みたいにのこのこ出て来て、あっさり人質になったりなぞしない。
「二人を守り通すと思うよ」
萌は小さく頷いた。




