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夢の続き  作者: 中島 遼
26/55

写真4

「……それにしても、坊ちゃまが奥様の写真を見たいなどとおっしゃるなんて」

「そんなにおかしい?」

「そうではありませんけど、初めてなんですもの、そんなことをおっしゃるのは」

「……そうだったかな」

 白々しく言ってみる。

「ええ、だってお写真はほとんど旦那様のお部屋から出たことがないんですから」

 彼の部屋からこっそり写真を持ち出した千代は胸を張った。

「確か随分前、お嬢様がこれをみていらっしゃった時に、坊ちゃまが急にお泣きになられたんです……するとそれを見た旦那様が泣くなら見るなとおっしゃってご自分のお部屋に全部お仕舞いになったんです。今日お出ししたのはお嬢様に頼まれてこっそり持ち出した数回を除けば本当に初めてで……だって坊ちゃまはその日以来一度もお母様のお写真を見たいと口になさらなかった訳ですし……」

 千代の言葉にぼんやりと相づちを打ちながらページをめくっていた村山は、突如ぎくりとして一枚の写真を凝視する。

(……これは)

 端正で清純そうな顔立ちに似合わぬ、その挑むような眼差し。

 そして彼女が着ている白いスーツ。襟とそでの一部に上品なレースをあしらったそれに彼は見覚えがあった。

(……あの女が着ていたものと同じ)

 もちろん幻影の中では半分以上が朱に染まっていた。だが、この袖のフリルは間違いなく……

「でも、今にして思えば、どうして旦那様をお止めしなかったのかって思いますよ。小さい子が母親を思い出して泣くのは当たり前ですもの」

「……あ、ああ」

 声が震えないように気をつけながら彼は返事する。

 なぜ、彼が今まで母親の写真を見ようともしなかったのか。なぜ、姉が見ていたアルバムで泣きだしたのか。

 答えは一つ、ただ、怖かったからに違いない。

「っ……」

 ゲームソフトの幻覚の一部が不意に脳裏を過ぎった。

 ……お前のせいだ……

 暗闇が実体のように彼を血の海へ突き飛ばす。

 ……お前のせいだ。お前が殺したのだ……

 父親の声に彼は震えた。

 ……死ね、死んで償え!……

 目を閉じ、胃の出口側辺りを手で押さえる。

(……そうか)

 知っていたはずの、しかし思い出さなかった事実。

(確かに俺は突き飛ばされたんだ)

 頭がぐちゃぐちゃになった母親の血溜まりの中に。

「……坊ちゃま」

 気づけば千代が不安そうな顔でこちらを覗き込んでいた。

「ご気分でもお悪いのですか」

「大丈夫」

「……でも、お顔の色もお悪いし」

「あのね、俺はこれでも医者だから」

 彼はひきつった笑顔を相手に向けた。

「そんなことより、俺は母さんが他界した日のことをはっきり教えてもらったことがないような気がする」

「坊ちゃまはお優しいから、旦那様やお嬢様がお辛いのをわかって聞くのを我慢してらしたんでしょう」

「穿ちすぎだよ」

 彼は嫌な顔をして首を振った。

「でもいいや。今日、千代さんから聞くから」

 千代はふと不安げな眼差しを揺らした。そこには何かとまどいのようなものがある。

「千代はあまり存じておりませんので……」

「知ってることだけでいいよ」

 村山はにっこりと笑った。

「親父と母さんと、そして俺の三人でいたときの事故?」

「はい」

 図星に胸が縮まる。

「何で外出?」

「確か、お散歩だったと」

「……そこの大通りで、トラックにはねられたって聞いたことがある」

「……ええ、左様でございます」

「何ではねられたの?」

 千代が黙ってしまったので、彼は少し強い声を出した。

「はっきり教えてくれないか。もう数年で三十三回忌なんだよ?」

 千代は伏し目がちに頷いた。その着物の襟からはみ出した首の皮膚は、しばらく見ないうちに一段と水気を失っているように見える。

「車にはねられ、落ちたところに反対車線をトラックが……」

「どうして車道に飛び出したりしたんだろ?」

 黙りこくった千代を村山はじっと見つめる。

「小学校のとき、母さんが死んだのは俺がふざけて車道に飛びだしてそれを庇ったからだって聞いたけど」

「そ、そんなこと、誰に言われたんです?」

 これは出任せだったが、千代は真っ青な顔で彼を見上げた。

「千代は坊ちゃまがそんな酷いことをお友達に言われていたなんて、今初めてお聞きしました。どうしてその時に言ってくださらなかったんですか」

 村山は困って千代を見下ろす。

「そりゃ、普通言えないだろう、色んな意味で。他にももっと酷い話があったよ、…… お前のお母さんは頭が変だったとかさ」

 青い顔をさらに青くして彼女がうつむいたので、村山は慌てて年老いた肩に手を置いた。

「いや、別に千代さんに言わなかったのは特に意味があった訳じゃなくて……ほら、子供社会じゃ良くあることだけど、親に告げ口したとか何とかで殴られたりさ。俺はそっちの方が怖かっただけ」

 言いながらも村山は事実を把握する。

 千代ははっきりした女だ。

 彼の言ったことが間違いならとっくに否定して、村山を叱りとばしているはずだった。

「……それで千代さん、それは本当のことなの?」

 千代がうつむいたまま何も言わないので、彼は重ねて尋ねた。

「この年になったらね、知らないでいることの方が傷つくんだ」

 千代は顔を上げた。その顔には苦渋が見える。

「……詳しいことは、旦那様にお聴きなさっては如何でしょう」

 村山はうんざりする。さすがにそんなことを修造に尋ねる度胸の持ち合わせはなかった。

 それで千代には悪いが、村山は深々と溜息をついた。

「やっぱり、事実だったんだ」

「坊ちゃま……」

 村山はそっとアルバムのフィルムをめくって、白いスーツ姿の母の写真を取り出そうとした。

 すると千代があっと声を上げ、すぐに口をつぐむ。

「どうしたの、いけないのかい?」

「……いえ、旦那様がお怒りになると一瞬思ったのですが」

 彼女は村山が止めた手の上からアルバムの写真を取り、彼の指の間に挟んだ。

「考えてみれば、三十年も旦那様がお一人で独占してこられたのだから、坊ちゃまにも少しくらいそれを持っている権利がおありだと思います」

「こんなアルバム、しょっちゅう開けたりなんかしないだろうし、どこにどんな写真があったかなんて覚えていやしないだろう。……でも」

 村山は笑った。

「万が一このことがばれて親父がかんしゃく起こしたとしても、千代さんは絶対に俺をかばうんじゃないよ。黙って知りませんでしたって言わないと収まらないから」

「坊ちゃま」

「昔からそうだったけど、俺は今、輪をかけてあの人に嫌われているんだ」

 千代は突然、強い眼差しで村山を見つめる。

「親が子供を嫌いになるなんて事はありません。最愛の奥様を亡くされて旦那様はずっとお辛く、お寂しかったのです。それをわかってあげてください。……もちろん、坊ちゃまがお辛いのも承知しておりますが」

 顔をしかめた彼に、千代はさらに言葉を継いだ。

「旦那様は坊ちゃまが小学生の頃から、少し感情的にお叱りになったと思われた時には私をそっとお呼びになって、幾ばくかのお金をお渡しになりました」

「……え?」

「それで坊ちゃまに好きなものを買ってやれと」

 どうしてか心の奥にどす黒いものが吹き上がった。

「……だとしたら」

 村山は思わず呟く。

(だとしたら俺が思っていたよりもずっと……)

「……え?」

 慌てて彼は首を振った。

「……何でもない」

 村山は立ち上がった。

「ありがとう、千代さん」

 不安げな顔に笑いかける。

「アルバム、親父の部屋に返しに行くんなら、持っていくよ。場所、教えて?」

「坊ちゃま」

「そろそろ帰らないと詩織に怒られる。多分、昼ご飯、食べずに待ってるから」

 老婆が何も言わずに頷いたので、彼女と一緒に父の部屋に赴き、アルバムを直して早々に実家を辞去した。

(……なんてこった)

 眉間を指で押さえ、正気を維持する。

(……こんな)

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