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夢の続き  作者: 中島 遼
23/55

写真1

 待機日だったので、遠出する訳にもいかず家で読書をしていたが、何だか気鬱になったので村山は本を閉じた。

 亡き桐原は読書家で、書斎には本が所狭しと並んでいたが、何となく気になって手にしたのは昭和の初めに書かれた哲学書だ。

 学生時代に彼が初めてこの本を読んだとき、人が道具と関わるその連関の中で、世界の諸対象が人間の存在に対して露わになるという部分でひどくほっとしたことを今もまだ覚えている。

(……それなら自分も人間存在のカテゴリーに含まれると思ったから)

 だが、今は……

「ちょっと散歩してくる」

昼ご飯までには帰ると詩織に言い置いて、彼は外に出た。

十五分ほど歩いたところに洒落たスーパーができていたので、そこで輸入物のチョコレートをしばらく物色した後に買い、再び帰途につく。

「あっ、涼ちゃんだっ!」

 その途中、彼はばったりと姉の家族と遭遇した。

「真緒!」

 姪が昔と同様に飛びついてきたが、もう大分重くなっている。

「見るたびに大きくなるな」

 彼は真緒を一度持ち上げてからゆっくりと地面に降ろした。

「わ、チョコレートだ!」

 彼女は降り立つや否や、ちょうど目の前にあったポリエチレンの袋の中を覗き込んだ。

「こら、真緒!」

 志村が娘を叱る。

「断りもなく、勝手に人の荷物をあさるなんてみっともない」

「いいですよ、義兄さん」

 村山は笑う。

「真緒と一緒に食べたいなって思って買ったんだから」

「ほんと?」

「だから全部はあげない。半分こな」

「やった!」

「もう、駄目よ真緒……涼ちゃんも甘やかしたらこの子、どんどんつけあがるわよ」

 袋のチョコの数を数えて二つに分ける娘を見ながら、姉が優しい目で微笑んだ。

「……でも、ほんとに久しぶりね」

「うん」

「たまには顔を見せてね」

「ごめん、こないだは行けなくて」

 彼岸の墓参りを彼は仕事を理由にパスしていた。

「忙しいから仕方ないけど、時々はお仏壇に挨拶しに行きなさいよ」

「うん」

 言いながらもどこか余所余所しい気持になる。

 彼には母親の記憶はない。

 あるのは仏壇の横に飾られた、知らない女の遺影だけだ。

 だから墓参りと言っても、その他大勢の先祖とさほど変わらない感慨しか抱けない。

「……それより、君も大変そうだな」

「え」

 どきりとして志村を見る。

 姉の前で、あまり病院の話はして欲しくなかった。

 特に今日は……

「うちの外科はあんまり評判よくないしな」

 あまり路上で話す話題ではないように思うが、内科の部長をたしなめるわけにもいかない。

「入院している患者さんからも時々聞くよ」

 もちろん村山も薄々気が付いていた。

「……外科は内科と違って、病棟も年季の入った旧館ですしね」

 彼の病院は循環器内科で有名だったのでマルチスライスCTなど、田舎の私立にしてはとても便利な機械が揃っており、彼も恩恵にあずかっている。

 医師数も充実しており、レベルの高い医療を行っている……と言われていた。だが、

「そうじゃない、医員のレベルだよ」

 ずばりと言われて胃が痛くなる。

 本当に姉や真緒の前ではやめて欲しい。

「済みません」

「いや、君のことを言ってるわけじゃないんだ。全体のレベルのことだよ」

 わかりやすい嘘に何だか哀しくなった。

「うちの大学も外科は今ひとつだからな。いや、もちろん頑張ってくれてるのはわかってるんだが」

 志村の出身大学は彼の病院と提携しており、第一外科もそこの医局から医師を派遣してもらっている。

 乳腺の三宅医長は五年前に前任の担当医長がやめたときに募集して来てくれたので大学とは関係がないが、消化器チームは明石以外は全員がそうだった。

 森田部長は今は大学の医局に席はないが元々はそこの出であり、その顔で今泉や佐々木を引っ張ってきてくれている。

「循環器は頼まなくても医師がいくらでもやって来るのに、消化器の方は頭を下げないと来てくれないし仕方はないんだがね」

「……はあ」

「君も何か困ってることがあるだろ?」

「いえ、特には」

 彼は村山の背を叩いた。

「そう言わずに、何でも相談してくれ。力になるから」

 再び生返事をしかけたが、心配そうな姉の瞳に行き当たり、慌てて無理に微笑む。

「涼ちゃん、ひょっとして疲れてない?」

「大丈夫、仕事も楽しいし」

「だったらいいんだけど……」

「こっちに来てから充実してるし、いい経験もさせてもらってる」

 志村が笑った。

「君がどうして楽しいかについて、色々噂は聞いてるよ」

「え?」

「いつ仕事を頼んでも嫌そうな顔をするナースたちが、君だけには自分から、『やっておきまーす!』って愛想がいいってさ」

「……はあ」

 それは恐らくタイミングの問題だ。

 あと、彼に病棟勤務が多いことも起因していると思う……

「そうそう、さっき外科は人気がないって言ったけど、彼女達には今、一番ホットな科らしいね」

 頼むから姉の前ではそういうのをやめて欲しいと村山は切に願う。

「明石先生に負けるなよ。」

 しかも気鬱の原因名を出され、彼はそのまま家に逃げ帰りたくなった。

「そう言えば、彼とはあまり仲良くないって聞いたけど?」

「そんなことはありません」

 慌てて首を振った彼に志村は少し笑った。

「ま、やりにくいとは思うよ。明石はかなり変わってるから」

 姉が少し硬い顔をしているのが、とても気になる。

「外科チームでも浮いてるだろ? かと言って預かりものでもあるし、むげに追い出す訳にもいかなくてね」

「預かりもの?」

 志村は頷く。

「貴一君に頼まれて預かったんだ」

 篠田貴一は脳神経外科の部長だ。

 桐原の祖父の妹が篠田姓であり、詩織の又従兄弟にあたる。

 貴一は脳外科だったが、彼の兄が消化器外科医であり名古屋で開業医をしているので、そのつてで明石を紹介したのかもしれない。

 ちなみに桐原の祖父には弟が一人、妹が二人いた。

 なので本来なら詩織の又従兄弟に桐原姓の男がいてもいいはずなのだが、昔から女系家族で先代から二度養子を取って桐原姓を維持している状態だ。

 なお、祖父の二人の妹は篠田と二村に嫁ぎ、二村の長男の妻の弟が志村姓であり、志村部長はその第一子である。

 従って義兄は、詩織や篠田貴一のかなり遠いながら縁者でもあった。

「ひとところに居着かない男で、しばらく勤務医を務めて金を貯め、気に入らないと飛びだしてしばらく遊び、金がなくなったらまた医師をやっての繰り返しだそうだ」

 明石の話は続いている。

「……へえ」

 佐々木もそんなことを言っていたような気がする。

「うちを選んだ理由も多分、待遇がいいからだろう」

 彼の病院は田舎なので、そこそこ給与や福利厚生を良くしないと医師が来ない。

「着てるスーツも三流品ばかりだし、一体何の遊びで金を使っているのかしらんが、そういう訳だから金が貯まったらあいつはすぐにやめる。君もそれまでの我慢だ」

 と、

「はい、涼ちゃんの分」

 いい頃合いに、真緒が彼にチョコの入った袋を返した。

 そして自分の分は、ピンクの毛でふわふわのかばんに入れる。

「ねえ、今からみんなでランチ食べに行くんだけど、涼ちゃんも一緒にいこ?」

 彼の手を引っ張る可愛いしぐさに少しは気も紛れた。

「あれ、ご飯食べに行くのに、車じゃないの?」

「うん。パパがワイン飲むから」

「タクシー呼ばずに?」

「真緒が三人で歩きたいって言ったから、大通りまで行くの」

「それはいいね」

 村山は微笑む。

「誘ってくれてありがと。でも俺、今日は家からあまり離れちゃいけないんだ」

「あ、呼び出し(オンコール)がファーストの日ね」

「そう」

 さすがによく知っている。

「また、別の日にゆっくり遊ぼう。せっかく真緒と一緒なのに病院から電話があったら俺も面白くないから」

「わかった、約束よ!」

 指切りをしてから真緒に手を振り、村山は三人と別れた。

 真緒や姉はともかく、志村と離れられてほっとする。


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