第二章 沖合
第二章沖合
放課後でもまだ日は高く、少し前までのスコールを起こした雲は東の海で雨を降らしているのが見える。雲と雨が一緒に移動し、雲から海がつながる大きな柱のようになっている。
スコールが過ぎてあまり時間がたっていない中、乾き始めたアスファルトの坂道を朱里は一人でゆっくりと下っていた。学校から大通り沿いの狭い歩道を、前後ろ気をつけながら歩く。下り終わったところの信号を曲がると、歩道にもいくらか余裕ができ、国道から外れるので車通りも落ち着く。道沿いに弁当屋、クリーニング店、飲食店などが間隔をおいて営業している。それぞれの様子を見ながら通り過ぎていく。家に帰るまでの途中にあるショッピングセンターへ寄った。
駐車場を抜け、店内に入る自動ドアに近づいた時に近くの自転車置き場で見慣れた姿を見つけた。半袖短パンで短髪、少年のような出で立ちだが、朱里はその姿を小さいときから見て来た。ちょうど着いたばかりのようで、背中を向けていたが振り返って朱里の方に向かって歩き始めた。
「雪子!」
朱里の言葉で照屋雪子は朱里を見てすぐに気付いた。「あかりー」と言って笑顔で小走りに近づいてくる。
「今帰りー?」
「うん、雪子、学校は?」
「行ったよ」
雪子の言葉に朱里は不思議に思った。朱里の学校は家から歩いて通えるが、雪子はバスで通っているので、この時間に私服でいるのは変だった。
「何で、早いね」
朱里の言葉に、雪子は自分の服装を見なおして「あー」と言って笑った。
「今テスト期間ね。今日午前中テストで、ちょっと気分転換さ」
「そうね。うちは来週からだよ。早いねー」
雪子の言葉で朱里は安心して、笑って言った。入り口近くは邪魔になるので、少し離れて二人でしばらく話をしていた。
「すいません」
朱里と雪子は突然声を掛けられて、会話を止めて声の方を向いた。朱里達よりもいくらか年上の男の人で、短髪の好青年のような印象だった。二人は男を見るが、見覚えがなかった。二人は訳が分からずキョトンとした様子で男を見た。
「あの、この前ウミホタルを見に行ったりしましたか?」
男は黙っている二人に向かって優しく言った。男の言葉に二人は少し考える。
「あー、あの時の」
突然声を挙げた朱里に雪子はびっくりするが、男は逆にうれしそうにした。
「そうそう、ウミホタル見に行ったときに教えてもらった。:あの時は暗くて、よく見えなかったけど。たまたま、買い物に来たら聞いたことある声だなっと思って」
「あの時のにいにね。無事帰って来られて良かったさ」
男の言葉に、朱里も元気に返す。
「高校生だったんだね。今帰り?」
「そうさ。学校帰りに寄り道しているところ」
朱里は笑いながら答える。
「あの、俺、今井って言うんだけど。四月に沖縄に来たばかりで、あんまり沖縄のこと分からないんだよね」
ここまで今井と名乗る男が話して、会話を止めた。
「朱里、なんねこの人?」
横で見ていた雪子が朱里を引いてそっと聞く。
「この前ウミホタル見に行こうって誘ったさ。結局琉人と一緒に行ったんだけど、沖の浜の所まで行って無事見られたんだけど。そこで、このにいにに会ったって訳さ」
朱里が雪子に説明している間、今井は黙って見ていた。
「朱里ちゃんって言うんだ。君は?」
今井は朱里に言った後、雪子にも聞く。
「雪子です。朱里の友達で、女です」
雪子は聞かれて少し間を開けたが、落ち着いてすぐに自己紹介をする。
「にいには、ないちゃーね?どこから来たさ?」
「埼玉の田舎だよ。どうも、よろしくね」
雪子の言葉に今井は丁寧に答えて言った。
「まっ、朱里ちゃんと雪子ちゃんね。また会ったらよろしくね」
今井はそこまで言うと、軽く会釈して駐車場の車に向かって歩いて行った。朱里と雪子も「どうもー」と言って見送り、店内に入って行った。
今井貴志は、沖縄に来て数ヶ月がたち、やっと生活に落ち着きが見えてきた。仕事は二つのバイトを掛け持ちしながら、曜日に関係なく働いていた。
土曜日の朝、八時頃に携帯電話のアラームで目覚める。カーテンの隙間から光が入り、天気が良さそうだということは起きてすぐに分かった。カーテンを開けると目の前に道路を挟んで駐車場と堤防があり、その向こうに海が見える。住んでいるマンションが南西向きに建てられていて、海の向こうに中城辺りの山が見える。マンションの目の前が泡瀬干潟で、堤防まで出ると比屋根からの内湾から大洋までを見ることができた。
今井貴志は、テレビをつけて顔を洗い、着替えてすぐに家を出た。沖縄に来て買った軽自動車のワンボックス車、いわゆる軽のバンに乗り込む。車を買うときに特に車種にこだわりはなく、安くてある程度広さがあれば良かったので、紺色の軽バンに乗っている。
マンションの前の駐車場から道路に出て、大通りに向かう。比屋根湿地や運動公園を抜けると中城村の町中にでる。国道に出るがそのまま山を越える道を上っていくと人家が減っていき、両サイドはフェンスに囲まれた米軍基地関連の敷地の中を通っていく。そのまま進んでいくと国道をまたいで米軍基地のゲートが見える。貴志の車はそのままゲートに進んでいく。
ゲートに行くと、担当の兵士が出てきて、貴志の身分証を簡単に確認すると、軽く頷く。貴志は「Thank you」と言って基地内へそのまま車を走らせていった。
来る途中から両サイドに米軍敷地があったが、密集して建つ沖縄の民家とは違い、同じ沖縄の地であるのに、米軍基地内の住居は庭のついた戸建てがかなり余裕を持って等間隔に並び、綺麗な芝生で囲まれている。時々、住居の近くで米軍関係者の親子の様子など見ることがあるが、その景色はテレビなどで見る海外の住宅地そのもので、なんとも言えない不思議な感覚を感じた。
貴志は基地内を車で進んで行き、建物の裏手の決められている場所の駐車場に車を止めた。貴志のバイト先は基地内のレストランだった。昼間はビュッフェスタイルのレストランで、夜はバーも合わせたレストランとして営業している。貴志は自分自身の英語に自信がないから、それほど英会話を必要としない準備、片付けや皿を下げたりする仕事をやっていた。英語をあまり必要としないといっても、レストランを仕切るマネージャーは米国人だし、ドリンクの注文を受けたりする。不安もあるが、なんとかこなしつつ、少しずつ慣れてきてもいた。
従業員は、軍属の人もいて、貴志と同じようにバイトできている人もいたが、ほとんどが日本人で安心していた。ホールとキッチンに分かれ、貴志はホールを三、四人で担当していた。九時頃には着いて、黒のスラックスと白シャツは家から着ていたので、更衣室でベストと蝶ネクタイを着けてキッチンの人たちに挨拶しながらホールに出て行く。来た人から準備を始めていて、ビュッフェラインの準備から、テーブルセッティングなど。ドリンクの準備などもホールの担当だった。キッチンには男性が多く、ホールは女性が多かった。貴志は、声を掛け合いながら協力して準備を進めていった。
営業が始まると、客が入ってくるまではグラスや銀器を拭いたりする。他にもいろいろやることはあって、何かをして過ごすが、客が入ってくるとホールに立って、ドリンクの補充や注文を受けたりする。客が入ってからは、空いたお皿を下げるなどのバッシング作業が中心になる。忙しいときは、待ちがでることもあり、テーブルがあくと急いで片付けて、次の客をテーブルに通す。その繰り返しを昼営業終了の十四時まで行う。
貴志のこのバイトの楽しみの一つが、昼休憩だった。従業員割引があり、割安で食事をすることができた。日本と違ってチップもあり、チップの扱いは場面によって違うが、ビュッフェの時は一旦集めてからの人数で割る流れだったので、食事代もチップで払っても余裕があった。食事はビュッフェラインの残り物をそれぞれが好みのものを自由に取ることができ、片付けを終えて帰る前にホールとキッチンの従業員が交ざってテーブルで話をしながら食べる。
料理はアメリカ的な味で大雑把な感じもしたが、ビュッフェだからそんなものだろう。貴志としては、大満足だった。良く好んで食べたのが、カリカリベーコンとフレンチトーストだった。女の子はデザートのケーキなども食べていたが、ただ甘い印象で貴志的には、時々食べることもあったが、あまり好みでもなかった。
十五時半頃にはベースを出ることができた。このまま家に帰るときもあるが、その日はもう一つバイトが入っていた。ゲートを出てすぐの国道を北に行って、少しして西に行く道に曲がると国道58号に出る。58を北に進む。貴志のもう一つのバイト先が恩納村のリゾートホテルだった。四十分から五十分かかる。その道のりが遠く感じることもあるが、北谷に入ると左手に海を見ることができ、水色の海が見え隠れする。白い砂浜も見えることがある。読谷村の辺りで一度山の中に入り緩やかな上りになるが、すぐに下ると恩納村の綺麗な海が視界いっぱいに広がる。ビーチや丘や漁港なども含めた景勝が続く。その感慨にふけるまもなく、恩納村のリゾートホテルが並ぶ地域に入る。
米軍基地のレストランは、ギリギリ沖縄市で、宜野湾市に近い。恩納村は沖縄市の北西に位置し、沖縄本島の東海岸から西海岸へと移動しなければならないが、距離は意外と近い。どこも道はそれほど混んではいず、スムーズに移動できた。
貴志はホテルの従業員入り口に近い、端の駐車場に車を止めて道路を渡って通用口から中に入る。ベースで食事を採らなかったときなどは、ホテルの社員食堂で食事を採ることもある。バイト開始までの時間に余裕があれば、仮眠室も使えた。ホテルのバイトが昼と夜にダブルで入ることもあり、そんなときは昼のバイトが終わると、食堂で食べて仮眠をし、また働くような時もあった。
ホテルでの仕事も配膳の仕事で、朝にビュッフェラインの仕事の時は、ベースのレストランと同じようにドリンクの補充やお皿を下げて、テーブルを綺麗にするなどの仕事になる。昼間は、婚礼の披露宴や宴会、夜も披露宴や宴会や修学旅行生のビュッフェの食事対応などがあったりする。婚礼や宴会では、円卓の何卓かを任されて、料理を出したり、ドリンクの注文を受けたりする。バーを任されたりすることもあった。婚礼ではスポットライトを担当することもある。貴志は、学生の時に接客の経験があり、ある程度の仕事はそれほど抵抗なくできたが、いろいろ勝手が違うことがあり、慣れるまでは大変だった。
その日のホテルの仕事は、婚礼で卓のセッティング、乾杯まで少し待機時間があり、乾杯が始まると料理を運び、ドリンクの注文を受けたり、補充をする。披露宴は二、三時間で終了するが、片付けを行い、翌日の準備まで行う。二十二時ぐらいには終わって上がる。
通常はそのまま帰ってくるが、今日は最近貴志が出入りしていて泡瀬干潟の保護活動をしている「泡瀬干潟保護の会」で、今後の活動について会議があるというので寄るつもりでいた。恩納からは泡瀬に向けて帰ってくる途中のコザ十字路を沖縄市中心部に向けて西に入る。緩やかな上り坂を進んで坂の途中に事務所があった。駐車場は離れたところにあり、車を止めて事務所の中に入る。
二十三時前だが、まだ中に人がいて話をしている様子が分かった。共同代表の二人と事務局の数人、他にボランティアで協力している人などが話しを聞いていた。女性も二人いる。貴志は「こんばんは」と挨拶しながら入り、話し合いをしている大きなテーブルには座らずにそばに置いてあるソファーに腰を下ろした。
泡瀬干潟は、沖縄本島の中部、東側の沿岸にあたる。中城湾の北部に位置し、沖縄市にある干潟および浅海域である。現存する干潟や藻場などの浅海域の広がりとしては南西諸島でも最大級の規模を誇り、面積は二百九十ヘクタールほど、サンゴ礁の礁湖に形成されるタイプの干潟である。
すぐ北側の他市の沿岸には、かつて川田干潟と呼ばれた干潟が広がっていて、泡瀬干潟とともに中城湾北部の浅海域を形成していたが、現在は、二千百七十億円を投じて実施された「新港地区埋立事業」によって大部分が埋め立てられ消滅している。
泡瀬干潟の埋め立て計画または開発事業は、沖縄市の「東部海浜開発計画」として、当初は比屋根湿地を含む陸続きで三百五十ヘクタールを埋め立てて港湾などを整備する予定だった。しかし、比屋根湿地に生息する絶滅危惧種のトカゲハゼなどの生態系の保全案を環境団体などの指摘で変更せざるをえなくなり、予定していたゴルフ場の整備をなくし、百八十五ヘクタールを埋め立てる出島形式の計画に変更していた。現在も、生物調査などで希少生物が確認されたりしている。
会議では、住民投票に向けた取り組みや、市、県の対応などについて話し合われていた。その他に、来月の七月下旬の日曜に予定している「泡瀬干潟スケッチ大会」の準備などについて確認した。貴志はその様子をソファーで聞きながら、朝からの仕事の疲れで眠くなっていた。会議に終わりがない中、時間で何人か帰り、貴志も二十四時を過ぎて、自分の手伝えることを確認してその場を離れることにした。途中のコンビニで買い物をして、一時前に家に着いた。
明日の日曜も、今日とほぼ同じ時間の流れで働くことになっていた。寝るまでにそれほど余裕がある訳ではなかったが、土日が忙しいことが多く、平日は休める日があったりするので、それほど大変には感じていなかった。
六月二十三日、貴志の沖縄での初めての慰霊の日は、土曜日ということもあり、朝からバイトでその日も午後からホテルのバイトも入っていて、帰って来た頃には日が替わりそうだった。テレビをつけると、慰霊の日の式典について各局が報じていたが、沖縄に来たばかりの貴志にとって、太平洋戦争による沖縄で亡くなった人を追悼する日だとしか分からなかった。この日が、どのような意味を持つのかなんてあまり考えずに、内地から来た貴志にとって詳しく理解していなかった。
翌、二十四日の日曜日、貴志は昼の基地のレストランでのバイトが終わって、その後のバイトはなかったので、途中で食料などの買い物をして帰って来た。昼間は暑くエアコンの効いた部屋で過ごしたが、遅い夕方の日が沈む前に缶ビールを二本とスナック菓子を持って外に出た。
Tシャツと短パンでサンダル、レジ袋を下げて貴志はマンションを出た。日差しはあったが、海からの風で、暑さはそれほど感じなかった。前の道路を渡って駐車場を越えて堤防の一段低くなっている小段の上にあがった。小段に上がると堤防の高さがちょうど肩より下くらいになる。大人なら堤防に肘をついてのんびり海を眺めることができた。堤防の上にビニール袋を置くと、堤防の上にあがり海側に足を出して座った。堤防の海側にはテトラポットが置いてあり、そこに足を乗せることもできる。
マンションのすぐ目の前が海で、風向きによって干潮で潮が引くと磯の匂いもするが、汚泥の匂いも混じることもあった。その日はちょうどこれから満潮になる時間で、潮が満ちてきていて,干潟など陸の部分は見えなくなっていたので、潮の香りが強かった。太陽は、中城の山に近づきつつあり、東の空はすっかり暗くなり始めていて、正面に見える中城の山上の空は赤みを帯び始めていた。貴志はのんびり空を見ていたが、思い出したように横に置いたレジ袋から缶ビールを取り出して、プシュッと開けた。
貴志は、夕焼けと海を見ながらビールを少しずつ飲んでいた。堤防に座る背後の小段を犬の散歩をしている人たちが通り過ぎていく。堤防は比屋根湿地のある大通りから、泡瀬の地域を囲むように設けられていて、端からずっと歩いてくる人もいる。貴志は気にせずに海を見ながら飲んでいたが、若い女の子達の話し声が近づいてきて、ふと気になってしまった。後ろを彼女たちが通り過ぎる時、貴志は少し目をやると一人の女の子と目が合った。
「あー」
少しうるさい声の大きさで、女の子が声をあげた。貴志は改めて顔を向けると、朱里達だと気付いた。
「こんにちは」
貴志は軽く会釈しながら言った。
「にいに何してるね?」
朱里が貴志に聞いてくる。貴志は「んー」と考えて、「暇つぶし、かな」と答える。
「お酒飲んでるね。」
朱里が貴志が持っているビールに気付いて言った。「いいねー」なんて言って笑う。
「雪子、琉人達ここで待とうさ。ゆんたくしていこー」
朱里が雪子の手を取ると、貴志と少し間隔をおいて海に向かって堤防に座り、雪子も横に並んだ。
「うわー綺麗さー」
朱里が言うと、雪子も「綺麗だねー」と応える。二人が座った頃には、中城の山に太陽が沈み始めようとしていた。西の空はすっかり色を失い、西の空から東の空に向かって闇の濃さが増していった。海は闇にのまれつつ、西の海だけは夕焼けを映し出している。太陽が山にかかり、夕焼けはどんどん赤みを増していくと、海も同じように赤く染まる。太陽は少しずつ欠けていった。太陽が全て山に隠れると太陽の残り香のように夕焼けが真っ赤に染まり、海全体も真っ赤に光る。三人は何も言わずただずっと辺りを見ていて、貴志は時々ビールを口に入れた。
暗い室内の片隅に薄明かりの間接照明が置かれているかのような空、その光がどんどんと小さくなっていき、闇に包まれていく。
朱里は「あっ」と言って、携帯電話を取りだした。
「ごめん琉人、今どこね?::そしたら、今堤防にいるさ。ここまで来れる?::カーブの大通りの方、喫茶店の近くさ」
朱里の電話のやりとりを聞いていた貴志と雪子は朱里が今いる場所を説明していること、これから誰かが来ることが分かった。
「琉人と健治来るって?」
電話を終えた朱里に雪子が聞く。
「うん、もう近くにいるって、待ってたみたい」
朱里が応えると雪子は「そう」といった感じであまり気にしていないようだった。
「えっと、朱里ちゃんと雪子ちゃんだっけ?」
貴志が言うと、貴志がいることを忘れていたかのような様子で朱里と雪子が見てくる。
「そうそう、にいによく覚えているさ。こっちが朱里で、こっちが雪子、二人とも女子校生さ」
「分かるよ。この前制服だったしね」
「にいにはここで海見てるの?」
朱里が人懐っこく貴志に聞いてくる。
「そう。家がすぐそこだから、ビール持ってきて海見てた」
「いいねー。今度みんなでゆんたくしてもいいね」
朱里が言うと、雪子が「あんた、まだ酒飲んじゃ駄目でしょ」とつっこむと、貴志は笑った。
「にいには仕事何してるの?」
貴志がまた一口ビールを飲むと、今度は雪子が聞いてきた。
「今は、ベース内のレストランと恩納村のホテルでウェイターみたいな感じかな」
「えー、いいねー。基地、まだ入ったことないさ」
貴志が、伝えるのに考えながら言うと、朱里が驚いた様子で言った。朱里は雪子にも「雪子はある?」と聞く。雪子は小さく首を横に振る。
「そっか。そうだよね。近くにあるものだけど、なかなか用はないもんね」
「えー、にいに、英語しゃべれるね?」
「いやー、そんなに得意ではないよ。中学英語で大丈夫だよ。あとは、サービス業の基本的な言葉だけ覚えれば」
貴志の言葉に、二人は「ふーん」と言った感じで聞いている。
「朱里!雪子!」
三人で話しをしていたところを背後の堤防の下から声を掛けられる。
「あー、琉人と健治、待ってたさ」
堤防に座ったまま、朱里が振り向いて声の主に言った。辺りはかなり暗くなっていて、見た目だけでは誰だか分からない。朱里は声と二人の人影で判断した。
「そうそう、琉人。この前ウミホタルの時に会ったにいにがいるさ」
朱里が貴志のことを紹介し、貴志も「こんにちは」と人影に向かって言った。二人の人影は一段上がって朱里と雪子の後ろに来る。
「にいにね、基地内のレストランで働いているんだって」
朱里が琉人達に言う。琉人は「へー、行ってみたいね」と言う。
「朱里どうする?」
背後にいる健治が朱里に聞くと「行くよー」と元気な声を出して立ち上がると堤防から降りる。雪子も続く。
「にいに、またねー」
小段を四人で歩き出しながら、朱里は貴志に言う。
「あ、あのさ」
離れようとしていく朱里達に向かって貴志が声を掛ける。四人はその場で立ち止まった。
「もし良かったら、夜のバイトが入ったときにベースに連れて行けるよ。みんなが夏休みに入った頃でも」
貴志がここまで言うと、朱里が「ほんと?」と言って戻ってくる。
「じゃあ、メアド教えて」
朱里は言いながら貴志の横に来た。貴志が朱里にメールアドレスを教えている間、三人は話をしながら待っていて、「にいに、バイバイ」といって仲間の元に急いだ。
貴志は朱里達が去った後も、スナック菓子をつまみにして残りのビールを飲んだ。暗くなった世界で、海が街灯や車のヘッドライトを反射してキラキラ光っていた。
朱里、雪子、琉人、健治は一緒に歩いて大通りに向かっていた。泡瀬の大通りに出て渡ると、地元のスーパー“サンエー”がある。そこに行ってみんなでアイスを買うつもりだった。
「もうすぐ夏休みだね。エイサーの練習もまた始まるさ」
琉人と健治が先を歩き、朱里と雪子が後ろを歩いていた。琉人の後ろからうれしそうに朱里が言う。
「健治、練習来られそう?」
朱里の言葉を聞いて、琉人が健治に言った。
「昼間は部活あるけど、夜は時間あるから参加する。毎回は無理だと思うけど」
「俺も毎回は無理だと思う。たまに飯食って横になって寝ちゃうさ。健治が来て、俺がいなかったら連絡してよ。朱里達は?」
琉人は健治に答えながら朱里達に聞いた。
「雪はさー、バンドの練習があるんだー」
「ユキオ、メンバー決まったね」
雪子の言葉に健治が素早く返す。
「えー、エイサーの練習、雪子どうするの?」
朱里も雪子の言葉に驚いて言った。
「そんな、毎日は練習しないさー。普通に行けると思うよー。朱里は?」
抱きつくようにして聞いた朱里を見て、笑いながら雪子が言う。
「朱里はさー、もちろん大丈夫だよ。琉人とおんなじで寝落ちして行けない時もあるけどね」
朱里は雪子の腕をつかんだまま、前後に振りながら言う。
「そうだ、さっきのにいにが言ってたけど、基地のレストランも一緒に行くさー」
朱里が続けて言うと健治が「ほんとかなー」とか「入れるのかなー」とつぶやいている。四人でそのまま話をしていきながら、スーパーでそれぞれアイスを買うと、みんなの家に向かいながらアイスを食べ、話をしながら帰った。
夏休みに入り、琉人は海に来ていた。できるだけ父親の漁の手伝いをするようにしていた。定置網の網締めの時は夜中の内から起き出して、三時頃には船を出し、網締めを行い、日が出る前に帰港し選別などを行った。
定置網は、毎日ではなかったので、それ以外で日が良い日などは、潜水漁や一本釣り漁をすることもあった。その時々で出港時間は違ったが、琉人は強制ではなく、タイミングが合わない時は行けなかったし、前日夜のエイサー練習で戻ってきて、寝ずにそのまま行くこともあったし、少し眠っていくことも、もちろん行けないこともあった。
(リュウト、今日も来たんだね)
その日はおとうの潜水漁に同行し、交代で海に入っていた。朝は早い朝食をとり、朝から日差しが強かったが、天気の良い穏やかな日で,絶好の潜水漁日和と言って良かった。
(琉:今日は、普通の漁だから、何にもしなくていいからね)
海はいくらか冷たく、暑い夏には心地良かった。潜っていっても明るく、透明なゼリーの中にいるかのような気持ちだった。
(今日は、海が澄んでいて良いね)
(琉:そうだね、よく見えるから、探しやすくていいさ)
琉人は、珊瑚礁の端に手を掛けると、周囲を見回した。
(学校はどうしたの?)
(琉:今は夏休みに入ったんだ)
(夏休みは前もあったね)
(琉:そう、あっつくなると、学校がしばらく休みになるんだ)
(学校休みなんだ。琉人勉強嫌いだから良かったね)
(琉:ばっ、バカ。勉強が嫌いっていう訳じゃないさ)
琉人はトモダチとの話しで空気を吹き出してしまい、少し慌てて水面を目指して浮上した。海面に出て、呼吸を整える。
(琉:勉強は嫌いじゃなくて、苦手なだけさ)
(そうなんだ。今までの話しだと嫌いだと思ってた。勉強が嫌いだから、海に来ているのかなーって)
(琉:家で勉強したくないから来ることはあるさ。海に来て、君と話ができるのも楽しいしさ)
琉人は海に入って、獲物を探しながら話をしていたが頭の中に(フフフ)と聞こえる。
(琉:トモダチと話すの楽しいよ)
(良かった。ボクもリュウトが来てくれるとうれしいよ)
(琉:そうだ。この前から近くで船が座礁しているでしょ)
(うん。ここから少し離れたところの浅い海のところだね)
(琉:困ってるね?)
(うん。夜にね。大きい船がまっすぐ行ったら浅いところに入っちゃうと思って、魚が飛び跳ねたりして知らせようとしたんだけど、まっすぐ行っちゃって。海の底に引っかかって止まっちゃったんだ)
(琉:そっかー、大変だったね。タンカーって言う大きい船だってさ。もう今は移動できないから、引っ張って行ってくれる船が来るのに少しかかるってさ)
(しばらくかかるんだ)
(琉:タンカーのせいで海が汚れたりしてない?)
(今はね。タンカーも早くまた泳ぎに行けるようになるといいね)
(琉:タンカーってさ、石油も積んでいるから漏れたら大変さ)
(そうなんだ。ケガないといいけど。みんなの住む場所も傷つけないでくれるといいな)
(琉:そうだね。いろんなものが無事だといいさ)
(魚たちも、海藻も、いろんな仲間も元気に過ごしていてくれればいいんだ)
(琉:キミは本当に優しいね)
話をしながら、琉人はずっと漁を続けていた。琉人の言葉に(そう?)と言って、照れているのが分かった。トモダチが照れているというのが不思議に感じながら、いつものことでもあるので、海の中で自然と笑顔になってしまう。
そのうち、何度目かで潜りながらトモダチと話をしていると海の中で「コーン、コーン」と鈍い音が聞こえてくる。琉人が(んっ)と思ったときにトモダチから(どうしたの?)と聞こえてくる。
(琉:おとうが呼んでる)
(もう帰るの?)
(琉:多分そう。結構潜っていたからね。遅くなると出荷できないしさ)
(気をつけて帰ってね)
(琉:うん、ありがとー)
琉人はトモダチとの話が終わると、海面に顔を出し、「おとう!」と声を掛ける。船につなげていたブイに採ったものを入れる網をつけていたので、琉人の声で船上からおとうが顔を出すと、ブイと網を引き上げていく。その間に、琉人は船尾に泳いでいって、ブイにつないだロープを外すと船に上がった。
船にあがってからは、琉人はしばらく自分のことだけをしていた。おとうと琉人が採ったものは、おとうがすでにクーラーボックスに入れてくれていた。シュノーケルとウェットスーツを片付け、水着姿になり、体を軽く拭いた。
タオルを肩にかけ、辺りを見ると、近くに与勝半島と津堅島が見える。遠くに中城の丘と久高島が見えるが、それ以外何もなかった。今は琉人とおとうだけがこの海の上でポッカリ浮かんでいるかのように感じる。琉人が船尾に座り海を見ていると、おとうは周囲を一回り見て、琉人にも目をやるが、そのまま何も言わず船のエンジンを掛け、ゆっくり進みながら進路を港に向けた。
琉人は船の動きに合わせて変わる景色を見ていた。船が進み、港が見えてきた頃に琉人の携帯が振動して、カタカタと小刻みな響きを出して動く。手に取って確認すると、圏外から戻ってきて一気にメールを着信したようだった。
数通のメールが届いていて、その中に朱里からのものがあり、確認すると、“今週の木曜日の夜、ベースに行くよ”というものだった。琉人は、エンジン音のする中、おとうに木曜の用のことを伝えると簡単に了解をもらえた。琉人は「ありがと」とおとうに言うと、泡瀬漁港に入る前に“了解”の返信を朱里に送ることができた。
防波堤を越えた頃、琉人はいつものように船の先頭に立ち、漁港内の動きを確認する。船はゆっくり進んでいき、琉人は周囲に目を配りながら考えていた。
夜のベースに行くというのは楽しみではあった、何か大人の世界に入るようなものを感じる。その上で、ないちゃーのおにいのことが気になりもした。朱里とないちゃーとの関係や朱里の思いなど分からないことばかりだが、それが全て不安に変わるようだった。
今井貴志は前日は遅くまで仕事だったため、帰って来て翌日に急ぎの用がなかったので、のんびりテレビ見たりパソコンをいじっている間に明け方近くなり、それから布団に入った。昼過ぎにゆっくり起きて簡単に食事を済ませて、後は夕方からの仕事に合わせて時間調整をしていた。
十七時過ぎ、マンションの前に停めている軽バンの扉を全部開けて床の砂を取ったり、埃を払ったりしていた。荷室には、洗車セットが載っているだけだったのでそのままにしていた。一通りそうじ済ませると、出かける準備をして、待ち合わせまでまだ時間があったので、堤防に出て座って海を見ていた。夕方になり、日差しは弱ってきていたが、まだ過ごしやすいほどではなかった。それでも、磯の匂いを嗅ぎながら、海と中城の丘をのんびり眺めていた。
「にいにー」
明るい女の子の声で、貴志は朱里達が着たことに気付き振り向いた。朱里達はドアが全開になっている軽バンの近くにいた。貴志が堤防から降りると、朱里が手を振っているのが見えた。貴志は軽く手を上げて返し、急ぎ足で向かった。
「時間ちょうどだね。うちなータイムだったらどうしようかなとも思っていた」
貴志はみんなに向かって笑って言った。
「ちょっと待っていてね、匂いがあると嫌だから扉開けていたんだ」
貴志はみんなを待たせていることで、急いで扉を閉めていきながら運転席と助手席のドアが開いたまま車のエンジンをかけ、エアコンを強めに設定した。
「ごめん、ちょっと待っていてね。今エアコンつけたから」
貴志は言って、残りのドアを一旦閉めた。
「えっと、四人だから、一人が後ろのトランクで三人が後部座席かな」
貴志がみんなに向けて言うと、すぐに琉人が「俺が後ろでいいさ。広いし」と言ったので、みんなそのまま納得したみたいだった。
「じゃあ、乗ろうか」
貴志はもう少しもめるかなと思っていた中、あっさり決まったので、少し不思議に思った。
「じゃあ、トランクの子は俺が開けるから入って」
後部のスライドドアを開けて、入るように促すと琉人に向けて言いながらバックドアを開けた。落ちてこないとは分かっていながら、貴志はバックドアを支えて琉人が軽く会釈しながら乗り込むとドアを閉めた。その間に、残りの三人も後部座席に入っていた。貴志が運転席に入ると同時ぐらいにスライドドアが閉まる。
「ごめんね、まだ暑いけど。もう少ししたら落ち着くと思うんだ」
貴志がバックミラーでみんなの様子を見て言うと「大丈夫さー」と答えてくれる。「じゃあ、出発するねー」と言って車をスタートさせる。
少し進むと、後ろの女の子達は気が緩んだようで「キャッ、キャツ」と話している様子が聞こえてくる。「そうだ、えーとっ」と貴志は話し掛けると、また静かになった。
「今日は、俺のバイト始まりが六時だから、それに合わせたんだ。終わりは十時でちょっと遅いけど、俺のいつもの終わりよりは早いんだよね。この時間でのバイトって滅多にないから、丁度いいかなと思って、朱里ちゃんに連絡したんだ」
貴志の説明をみんな静かに聞いていた。
「それで、今、後部座席に三人で座っているけど、ゲート入るときは伏せていて欲しいから、もう一人もトランクに移ってくれるといいかな。一応見つかったらやばいからね。まあ、よっぽどじゃなければ、見つからないから。ゲート通るときは、動かないで我慢してくれるといいかな」
貴志がここまで説明すると朱里と雪子が揃えて「はーい」と返事をする。その様子に、貴志はかわいらしく感じ、小さく笑った。
車は、中城の山を登りゲートまではまだまだあるが、基地のフェンス沿いを進む。みんなカーラジオから流れる音楽に聞き入っていた。その時、沖縄民謡のような三線で奏でられながら、男の人の声で、穏やかな優しい歌が流れた。みんな黙って聞いていた。貴志が「これ何の唄だろう?」とつぶやいた。
「Beginさんの“涙そうそう”ね」
貴志の言葉に雪子が反応して教えてくれた。貴志は「あのビギン?」と聞くと、「石垣島のビギンさ」と雪子がすぐ答えた。
「久しぶりに Begin 聞くけど、いい唄だね。新曲?」
貴志が続けて聞く。
「最近、よく聞くよ。でも、去年ぐらいからかな?」
「へー、内地では聞いたことなかったな。いい曲だね」
雪子と貴志の会話が続き、貴志の言葉の後で4人が「いい曲ね」と揃って言って笑った。貴志も続けて笑う。
曲が終わって、思い出した貴志が話し始める。
「そういえば、Begin って、ボーカルが比嘉さんだよね。この前、恩納のホテルで結婚式のバイトの時、客として来てたよ。最後歌ってた」
貴志の言葉で、「えー、いいなー」とまた後ろから声が上がった。
「いやー、でも、まだバイトそんなに慣れてないから、全然音楽聴く余裕はなかったんだけどね」
話をしている内に、ゲート前の信号に向かう坂道にさしかかる。貴志はウィンカーを左に出してゆっくりと停車する。
「じゃあ、もう少しで基地に入るから、もう1人トランクに言って、二人はとにかく動かないで伏せてて」
貴志が言うと、健治がシートをまたいでトランクに移る。朱里と雪子は「キャー」と言いながらシートに伏せる。貴志はゆっくりと発進させて緩やかな坂をあがっていく。信号のある交差点で、国道をまたぐと基地に入るゲートがある。
軽バンの後部は、スモークガラスになっていて、外からあまり中は見えない。ベースのバイトで友達を入れることは聞いたりしていたので、大丈夫だとは思いつつ、貴志も気が気ではなかった。平静を装いながら、ゲートに向かい速度を落とす。ゲートで身分証兼通行証を提示する。米兵は軽く貴志の顔と身分証を見るだけで、小さく頷いた。貴志は、それを見て「サンキュー」と言ってゲートを離れた。
「無事通れたね。帰りは素通りだから、後は大丈夫。朱里ちゃん達は顔を上げて大丈夫だけど、まだちょっと席の移動は待っていてね」
貴志が車を進めながら、みんなに伝える。いつもの駐車場に車を止めると、朱里達には待っていてもらい、一旦貴志は着替えて準備をしてから、朱里達に入ってもらう話をした。貴志は一旦車を出た。まだまだ、日が沈んでいなくて、外は明るかった。貴志は一旦バイト仲間に挨拶すると、車に一旦戻ることを伝えた。
貴志は車に戻り、四人を車から出して、レストランの入り口を指し示し、入り口から入ってくるように伝えた。少し間を置いて入るように言って貴志はまた裏口から中に入った。
レストランはもう営業開始していたが、店内は一組しかまだ入っていなかった。先客の注文が終わっていることを確認すると、貴志はホールに出て入り口が見えるところに立って待った。少しすると、打ち合わせ通りに、四人が揃って入り口に顔を見せる。貴志はそれを見て、四人を席に案内した。
朱里は女の子らしいワンピースのスカートで、雪子もいつもの短パンではなく、ズボンとシャツを合わせて着ていた。男の子二人は、いつもと変わらず、短パンにシャツの出で立ちで場に少し合わなくもあったが、米軍の人たちも同じような服装の人もいてそれで目立ちはしなかったが、若い日本人の集団は珍しく、その点では目立ってしまいそうだった。
貴志は席を案内し、水を運んだ。
「メニュー見て、なんとなくで選んでくれればいいよ。肉とかサンドウィッチ、ハンバーガーとかあるから。お金はいいしね。いつもチップもらって使ってないのがあるから、それで払うから大丈夫だよ」
貴志はメニューを開いて渡して、簡単に説明しながら言った。みんなは多少緊張した様子を見せ、貴志は笑みを浮かべてその場を一旦離れた。他のホールスタッフに知り合いの席のことを伝え、その注文は貴志がとることにした。朱里達の注文が決まるまで、貴志は気にしながらも、通常通りの仕事をこなしていた。時々目をやっていると、朱里が貴志を見て軽く手を上げたので、貴志は朱里達のテーブルに向かった。みんなは遠慮してか、英語メニューに臆したか無難な物を選んで、それぞれ好みのハンバーガーを選び、飲み物はドリンクバーをみんな選んだ。
貴志はメニューを厨房に伝えて、朱里達はみんなでうれしそうにドリンクを取りに行く。貴志は時間があるときに朱里達の席に言って少し話をしたりした。みんなにはゆっくりと食べてもらい、その後は貴志が仕事終わるまでバーとクラブが交ざったようなスペースがあるのでそこで待っていてもらうことになった。
「ハイよー。ハンバーガーできたよ」と厨房から声が掛かると、貴志は「ありがとうね」と言って受け取り、「残りも俺が運ぶよ」と言葉を残し、大皿にのったハンバーガーとポテトの二皿を持ってホール内へ出て行く。朱里達の席に持って行くと「わあー」と言ってうれしそうにするので、貴志もうれしくなった。
「残りもすぐ持ってくるからさ」
貴志は知り合いの注文であることを厨房に伝えていたので、戻って残りの皿を受け取り、朱里達の席に届けた。貴志のことをあまり良く思っていないような態度を見せる琉人と健治も「おお」とうれしそうな声を挙げて、朱里達と顔を見合わせうれしそうにした。
「美味しそうだね。さすがアメリカって感じがするさ。他のお客さんも外人ばかりさ。基地の中だねー」
朱里が辺りを見回しながら、テンション上がり気味で言って、雪子に「朱里、落ち着け」とつっこまれる。その様子を見て貴志は声を出さないように笑った。琉人も「朱里うるさいね」と冷静に言う。
「じゃあ、ゆっくり食べててね」
テーブル全体に貴志は声をかけて一旦その場を離れた。しばらくは、通常の仕事をして、注文を取ったり、料理を運んだりした。時々朱里達のテーブルの近くを通るときに、食べている様子などを気にかけていた。
朱里達は食事後もドリンクをおかわりしたりして、テーブルでゆっくりしていたが、時間を持て余し始めている様子も分かった。貴志はテーブルに行ってこれからのことを話した。
貴志は十時には仕事が終わるので、それほど遅くならずに一緒に乗せて帰れること。たた、これから待っている場所は、お酒を飲む米兵達もいて、絶対安全とは言えないということ。余裕があれば踊ったりしてもいいけど、一人で行動したり一人でトイレに行くことも男女関係なく駄目だということ。飲み物を勧められても決して飲まずに、自分で買った物を飲むようにすることを伝えた。
雪子が「クラブなら那覇に行ったことあるから」と言うと朱里達は驚いていたが、貴志としては雪子がよく分かっていそうで安心した。
「那覇のクラブも米兵の人たちも来るから、気をつけることは同じようなことかな」
続けて雪子がみんなに言う。
「踊れるんだったら、踊ったりしてもいいんじゃない。でも、気をつけてよ。琉斗君と健治君、頼むね」
貴志は半分冗談で、琉人達に言った。
だいたいの流れを説明したことで、貴志が伝票を引き取ると、みんなを連れてバーカウンターのある場所まで案内した。
レストラン内の照明は、夜の営業では少し薄暗い程に調整していて、メニューを読み取ることができるくらいは明るかった。レストランとクラブの部分は隣接していて、レストラン脇から通路を抜けるとクラブなどバーカンターがあるスペースがある。レストランほど広くはないが、広い会議室くらいはあった。ただ、通路から照明が消えていて、クラブ内は壁に掛かるネオンなどの明かりしかなく、うっすらと中央に小さなテーブルが何台も置かれていて、その周りに人が立っているのが見えた。
クラブ内に入り、少し心配でもあったが、部屋の隅のソファーの所に案内し、ドリンク代として二十ドル渡した。
「ジュースなら一人一、二杯くらいは飲めると思うんだ。バーカウンターは日本人で日本語分かるから」
貴志は言うと、札を雪子に渡し、バーカウンターの従業員にも説明し、何かあったら教えて欲しいと伝えてその場を離れた。
貴志は、客が帰ったテーブルの片付けや、新たな客からの注文、ドリンクの補充や、グラスやナイフ、フォークを拭いたりした。時々、バーの方に行って朱里達の様子を見たりもした。
最初は、おとなしくソファーから動かずに辺りを見回していたが、何回か見に行ったときにいなくて、心配して周りを見ると、曲に合わせて踊っている女子と、首で拍子を取っている男子が近くにいて安心した。少し見ていたが、大丈夫そうだからバーカウンターの仲間に声をかけて戻った。
レストランの仕事をしながらも、少し無理をして高校生をこんな場所まで連れてきてしまったことに後悔もあった。ただ、一緒に働いている仲間の中には、去年まで高校生で、米人の彼氏を持つ子がいたりして、感覚が鈍っていたのもあったかも知れない。雪子が、少し場慣れしている様子に助けられた。
貴志は気が気でなく、働きながらも何か焦っている自分がいた。レストランの営業時間より前のバイト時間だったから、できることはやりながら、時間になると慌ててホールのメンバーや厨房にも挨拶してその場を離れた。
ロッカーで、ベストと蝶ネクタイを外して、ボタンの上を外して従業員だと目立たないように、カバンを持ってロッカールームを出た。急いでクラブの部屋へ入り、慌てたままで朱里達を探した。やはりじっとしている訳もなく、最初に案内したソファーの所にはいなくて、あちこちに目をやりながら中に入って行った。貴志としては、心配がどんどん広がっていったが、結局はすぐに見つかり、最初の所から少し離れた、バーカンター寄りのテーブルを囲むように四人で立っていた。皆がまず無事でいることに、今更ながら貴志は一安心した。
「大丈夫?なにごともなかった?」
貴志は四人のテーブルにたどり着くとみんなの様子を見ながらいった。
「でーじ、楽しかったさー」
貴志を見ると雪子がうれしそうに言った。他の三人も、不安があった中のクラブで心配だったようだが、いざ過ごしてみると、みんな気さくで片言だが日本語で話してくれて、朱里だけではなく、琉人や健治についても優しく接してくれたとのことだった。雪子と朱里は踊り疲れて琉人達のいるテーブルに戻って休んでいたところだと言う。夜の十時を過ぎ、うちなーんちゅの高校生としては大丈夫な時間のようだったが、貴志の出身地としては高校生だけで遊んでいていい、ギリギリの時間だった。皆に帰ることを伝え、バーカンターにお礼と帰ることを伝えてみんなと一緒に外に出た。
外は日差しがなくなった分いくらか涼しくなっていたが、今までクーラーの効いた室内にいたので、まだまだ蒸し暑かった。貴志は急ぎ足で車に向かうとエンジンをかけクーラーのスイッチを入れた。みんなには、助手席も使っていいと言ったけど、琉人がトランクに入り、他三人が後部座席に入り、結局行きと同じになった。
みんなが車に乗り込み、貴志はゆっくりと車を発進させる。基地内をゆっくりと走らせて、みんなに見せるために少しだけ遠回りして走った。ゲートが見えると速度を落とし窓を開けて、ゲートにさしかかると窓から米兵がこちらに目を向けたのが分かり、貴志は軽く会釈しながらゆっくりとゲートから離れていった。
泡瀬に入ると高校生達はコンビニで下ろしてくれればいいと言うので、堤防のある道を通り過ぎて、次の交差点のコンビニの駐車場に入れて停車させた。貴志は運転席にいたまま、高校生は車から降り、降りながら「にいにい、ありがとうね」とみんな言っていった。貴志もドアが閉められると、「気をつけてね」と言って軽く手を上げると、その場を離れた。
学生達の夏休みの終盤、八月最後の週末の日曜日、泡瀬の干潟では「泡瀬干潟保護の会」主催による「スケッチ大会」が催されることになっていた。
貴志はその日のバイトは入れずに、十時頃胡屋にある保護の会の事務所に行き、頼まれた荷物を車に積み込み泡瀬に戻ってきた。泡瀬の防波堤にある駐車場に車を入れると、荷物を下ろし保護の会の人たちと一緒に荷物を運んだ。他にも車を出してくれる人がいて、みんなで所々に案内の看板を置いていきながら、泡瀬前之浜の所から防波堤を歩いて泡瀬通信施設のフェンス沿いを進み、東端の砂浜まで協力して運んだ。スケッチ大会の受付の机や椅子を置いて、日陰のテントを張り準備をした。ビニールシートを敷いて荷物置き場を作った。
午後一時からの開場で、保護の会に出入りしている若い人で、男の久場と女の新里と貴志で最初は案内の役割をした。保護の会の代表や幹事の人たちで泡瀬干潟の自然に詳しい人がいて、スケッチ大会に来た親子連れなどの案内を干潟に入っておこなった。最初は十数人しか訪れず、案内をしていた貴志も、心配に感じていた。それでも、すこしずつ親子連れが訪れ、ある程度の時間になった頃に案内を止めて干潟に向かったとき、堤防の上から会場の方を見ると結構な人数が干潟に入っている様子が見られた。
「結構いるさー」
一緒に案内を引き上げた新里が声を挙げた。
「早く合流したいね」
新里が続けて興奮して言った。みんな泡瀬干潟を守りたいという思いを持って手伝っている。多くの人に干潟に入ってもらうことで、干潟の良さに改めて気付いてもらいたくてこのイベントが開かれていた。期待していたほどの人数が来たとは言えなかったが、いつもはほとんど人の姿を見かけない干潟の砂浜に多くの人が見られるのは新鮮な気持ちだった。
貴志は久場、新里と一緒にそのまま干潟に入った。半袖シャツに短パンでマリンシューズを履いていたので砂浜からバシャバシャと海に入って沖の砂浜に渡る。貴志は夜のウミホタルを見たとき以来の干潟の砂丘に来ていた。一緒に砂の丘を登っていく。丘のてっぺんに立つと視界が開けた。海に入って遊んでいる子ども達やそれを見守る人。みんなの様子を見ながら歩いている人、ただ海に手を入れて何かを探している人、みんな日差しの中、生き生きとしているように見えた。
「あれっ」
声を挙げたのは貴志だった。砂浜を歩きながら不思議な光景に気付いた。砂浜の砂の表面が、小さな球形の粒で規則正しく、全体が覆われている。自然にできたとは思えないような状態だった。
「あー、これはミナミコメツキガニだよ」
貴志の疑問に久場が教えてくれた。
「これはね,たくさんのコメツキガニが砂ごと食べて、中の微生物だけ食べて吐き出した砂さ。一斉に並んで食べるから、ほんとに綺麗な模様を描いたようになるんだよね」
久場の説明を聞いて、貴志は改めて砂浜を見つめた。青い空、白い雲、それを鏡のように映す海。その海の中を砂丘の島が続いている。少し先の砂丘を見ると小さな物体がかすかに動いているのが分かる。そこに人が近づくと砂の上に波立つように一斉に引っ込んでいく。足下には、京都などの有名な寺の庭で見られるような砂紋が広がっていて、綺麗な模様が描かれていて足を出すのがためらわれた。。
四時に終了の予定で、その前から来場してくれた人たちが帰り始めていた。スケッチしてもらった絵を預かったり、埋め立てを問う住民投票のための署名をもらったりしていた。貴志が受付で対応していたとき、「にいにー」と堤防の方から声が聞こえた。貴志が見ると、朱里と雪子が堤防の上で手を振っていた。貴志が泡瀬干潟の保護に向けて活動しているのを知っていたので、様子を見に来てくれたようだった。貴志は大きく手を振り返した。
「にいに、元気ねー。この前はありがとう」
雪子が先に言うと、朱里が「ありがとー」と一緒に続けて言った。二人の笑顔はかわいく、いつものようにTシャツと短パン姿が若さを引き立て眩しかった。
「今日はどうしたの?」
「にいにがいるかもー、て言うので来てみたさ」
貴志の言葉に雪子が返す。
「そっか、ありがとう。もう少ししたら片付けちゃうから、ちょっと干潟に入ってくれば。海は少しぬるいけど、気持ちいいよ」
貴志の提案で、朱里達は目を合わせて考える。貴志に聞こえないくらいで、小さい声で話し合っていた。
「じゃあ、ちょっと干潟行ってきて、片付け手伝うさ」
雪子が相談した内容を伝える。
「ほんと、じゃあ、片付けの時にお願いするね。始めるときは何度も往復したから、人がいてくれると助かるよ」
貴志がうれしそうに言うと、朱里と雪子も笑顔で「いいよー」と返してくれる。
「じゃあ、ちょっと行ってくるさ」
また、朱里ではなく、雪子が言うと海に入って行く。貴志が二人を見送っていると「高校生?」と久場が聞いてきて、「そう」と答える。
まだ、日は高くはあったが、夕方が近づき空と砂の色が濃さを増していた。太陽が東の空に移動し、砂丘の間の海にいる二人は影になり、その周りが切り取った絵のように見える。二人の周りの海が空を映して、別世界にいるようだった。
「かわいい子達だね」
二人を見ていた貴志に向かって、一緒にいた新里が言う。
「沖縄の子達は、みんないいこだねー。ホテルで一緒に働く子達も、みんないい子達で、からかったりするんだけど、なんかかわいいよ」
貴志は新里の言葉で、視線を戻して言ったが、言った後また朱里達に、干潟の景色に見入ってしまった。
四時になると、干潟に散っていたメンバーや幹部達がテントの周りに集まってくる。絵の受け取りや住民投票のための記入場所を残したまま、テントをたたみ始める。
「じゃあ、俺、少し荷物持って車こっちにもって来ますね」
貴志は使っていないパイプ椅子を持って言うと、そのまま堤防に向かって歩き始めた。そのほかのメンバーもイベントに参加してくれた家族に挨拶をしたり、署名を書いてもらったり、片付けを始めたりした。少しすると何も持たずに貴志が戻ってくる。他に車を出した人も、車を浜の近くまで持って来ていた。
貴志が戻ってきた頃には、荷物はかなりまとめられていて、人も集まっていた。関係者と少し離れたところに、朱里達もいた。みんなには、前之浜の近くの道路に車が停めてあることを伝えた。貴志は、かさばるビニールシートを一抱えに持つと、朱里と雪子にも少しの荷物を持ってもらい案内するようにまた車へと向かった。
時々後ろの二人に向かって「大丈夫―?」とか「ありがとう」と声をかけながら堤防の上を歩いて向かう。堤防が切れて、前之浜を横目で見て少し歩くと道路に出る。そこに車が停められていて、貴志はバックドアを開けると先にビニールシートを積み込んだ。その後すぐに朱里達も積み込んだ。貴志は自分の荷物を積んで朱里達に入れやすいよう道を空けたが「あっ」と声が聞こえて、すぐに「にいに、ごめーん」と続いて聞こえる。「どうしたの?」と聞くと、朱里が振り向いて、「ビニールシートに穴が開いちゃった」と言う。
朱里と雪子が持っていたのはテントを固定するための杭などで、それがビニールシートに刺さってしまったようだった。
「いいよ。いいよ。これ俺の持ち物だから大丈夫」
貴志は、心配そうに見る朱里と雪子に向かって笑って言う。
「それよりも、重かったでしょ。もっと軽いのでも良かったのに、わざわざありがとう」
心配そうにしている二人に続けて貴志が言うと、二人は安心したようだった。
「そうだ。俺、もう一回浜辺に行ってくるから、ちょっと車開けとくから、見張っててもらってもいい?」
貴志はお願いすると、二人はすぐに了承してくれ、そのまま「ありがとー」と言ってまた戻って行った。貴志が残りの少しの荷物を持って戻ってきたときには、車の横で二人が「お疲れ様でーす」と言って車に荷物を積むのを手伝っていた。貴志は笑いながら車に近づいて行った。
「朱里ちゃん、雪子ちゃん、ありがとう」
貴志が言うまで、二人は貴志が来たのに気付かなかったが、貴志の言葉に「いやー」と謙遜して言う。二人は笑顔で、貴志も笑顔で返した。
貴志は最後にトランクルームの荷物を崩れないように確認した。もう一台の車の方にも行って、全部運び終わったことを確認してバックドアを閉めた。
「今日はありがとう。もうすぐ夏休み終わりでしょ。宿題とか大丈夫?」
貴志が言うと、二人は顔を見合わせる。それぞれが「大丈夫―」と言って答えたが、そうではないように貴志には見えた。
「にいに、九月入ったら旧盆で、エイサーで道ジュネーするさ。見に来てね」
雪子の後ろから、朱里が貴志に言う。貴志は「道ジェネー?」と聞き返した。
「あっ、エイサー踊りながら、練り歩きするさ。にいにの家の前も通るはずよ。太鼓を鳴らしながら行くから、近づいてきたら分かるはず」
朱里がすぐに疑問に答えた。
「ほんと、えー、見に行くよ。楽しみ。エイサーをバイトの時に舞台で見たことあるけど、ねりあるきは見たことないから」
「琉人と健治も一緒さ」
雪子が付け加えて言った。
「へー、結構みんな出るんだね。余計楽しみだなー」
貴志は雪子に向けて微笑んで答える。
「今日はありがとうね。これから胡屋に行って荷物下ろさなければならないから。エイサーは見に出るからね」
貴志は続けて言いながら、運転席方面に移動し、ドアを開けて乗り込んだ。エンジンを掛けて窓を開けると朱里達は運転席の見える道路の反対側に移動していて「じゃあ、勉強とエイサー頑張ってねー」と言って手を振って車を走らせた。
二〇〇一年、この年は八月最終日と九月の二日間が旧盆に当たっていた。ちょうど、金、土、日の三日間で、貴志の初めての沖縄での盆としては、不思議な気もした。週末なので、三日間ともホテルやベースでのバイトが入っていて、日曜の夜が道ジュネーで練り歩くことを朱里からメールで知ることができた。たまたま日曜のバイトが昼間だけで夕方には帰って来られそうで安心していた。
日曜日のバイトはホテルでの婚礼の配膳だった。二回転ある日もあるので、その日は一件のみの準備から婚礼のウェイター、片付けまでを行い四時頃には終わって、少し買い物をしながら夕方には帰って来ることができた。シャワーを浴びて、テレビを見ながらのんびりしている内に眠ってしまっていた。
貴志は太鼓の音で目が覚め、時計を見ると七時を回っていた。朱里達との約束もあり、慌てて窓から外を見るがどこにいるのか分からなかった。通り過ぎてしまった可能性もあり、急いで短パンをはいて出かけられる格好にしてサンダルを履いて部屋を出た。
まずは目の前の道路まで出ると、太鼓や三線、指笛の音は聞こえてくるが姿は見えなかった。音は東側の泡瀬の奥の方から聞こえてきて、ゆっくりと歩き出すと、だんだんと音が近づいてくる。エイサーのゆっくりとしたテンポの太鼓の音と明るすぎない赤っぽい温かい明かりが貴志の方へ向かって来ているのが分かった。
貴志は一旦立ち止まると、家の前まで戻って防波堤の小段にあがって待つことにした。少し高いところから見ていると、エイサーの道ジュネーの集団がいると思われる空間が温かい光で包まれていて、それがゆっくりと動いて向かってくる。家の前の真っ直ぐな道路に軽トラックを先頭に出てきたのが見えると、貴志は小段から降りて道路脇の歩道に待機した。周囲を見ると音を聞きつけ他にも通り沿いに見に来ている人影が見えた。
近づいてくる前に音は止んで、ゆっくりと進んでくる。貴志のいる手前ぐらいで止まると、一旦水分補給などをして、間を取ってまた始めるようだった。照明とスピーカーを積んだ軽トラックを先頭にして、みんな琉球衣装をまとい中太鼓の数人の男の人、小太鼓の十人ほどの男の人、その後ろに十数人ほどの女の人が見える。奥の方で水分補給をしようとしている女の人の中で朱里が見えた気がした。
少しするとスピーカーから指示を出す声が聞こえ、皆が整列をし直す。少しの沈黙の後、太鼓と三線の出だしで、琉球衣装を着た太鼓を持った男の人が踊り始める。太鼓と三線、指笛で沖縄の雰囲気が一気に広がる。
貴志はホテルの婚礼などで、琉球舞踊や最後に必ず行われるカチャーシーなどを見てきていたので、初めてではなかったが家の前の道路を封鎖して行われる道ジュネーが醸し出す雰囲気が異世界にいるようで不思議な感覚だった。
道ジュネーはエイサーの太鼓のテンポのまま、ゆっくりと進み目の前を過ぎていく。小太鼓の集団の中に琉人と健治がいるのが分かった。普段から沖縄の男のたくましさが垣間見える二人だったが、高校生とは思えないような海人の若者だった。隊列と一斉の掛け声、踊りを乱れることなく合わせて踊る琉球衣装を着た姿が格好良かった。
太鼓を持った男衆が過ぎていくと、女の人たちがゆっくりと同じペースで踊りながら進んでくる。よさこい踊りとは違って見え、着物をまといタスキがけをし、足元は島ぞうりで、力強い男踊りに対して、しなやかな踊りの中に手先の緩やかな動きの踊りではかなさも感じる。その集団の後方に朱里と雪子も並んで踊っている。
貴志が踊りを見ていると、朱里と雪子の口元が動き、二人の視線が貴志に向き目が合うと、踊りながら二人が笑みを浮かべる。少し笑った様子を見せながら、踊り続けて貴志の前を通り過ぎていく。男衆とは違い、はかなさ、美しさやかわいさ、いろんなものが際立って見えた。
貴志は、その場から動かずに離れていく道ジュネーを見送りながら、太鼓と三線の音色、指笛の高鳴りに聞き入った。大通りの手前の交差点で泡瀬の住宅地に入る道を折れて行く。音が遠ざかってゆき、道ジュネーの集団が見えなくなるまで貴志は見送っていた。
九月に入り、夏休みが明けた琉人は、週明けの始業式から木曜まで学校に行ったが、金曜日から家から出られなくなってしまっていた。朝にゆっくりと起きて下に降りていく。居間にはおじいとおばあ、父、母がのんびりテレビを見ていた。
「どうね」
琉人は居間に顔を出すと、誰に向かってでもなく言った。
「しばらくうごけんね」
琉人の質問におばあが答えてくれた。昨日からゆっくりと近づいてきていた台風の暴風域に今日の未明から沖縄本島が入り早い段階で学校の休校が分かっていた。しかも、通常は一日もすれば台風は通過してしまうが、今回の台風に限って進路予想がはっきりせず、本島を暴風域に入れたまま数日まで先が分からないでいた。
琉人の学校はもちろん、父親も漁に出ることができずに、琉人もただ家でじっとしているしかなかった。琉人は少しの間一緒にテレビを見ていたが、台所に行って麦茶を飲むと二階の部屋に上がった。
「琉人―、買い物いかんね」
夕方にベッドに横になっていた琉人はぼうっとして過ごしていたが、母親の声で起き上がり窓から外を見た。雨はそれほど強くはなさそうだが、風が強く景色が霞んで見える。それでも買い物に行くのか?と疑問に思いながら、やることがなく暇をしていたので「行くー」と階下に向けて声を挙げた。
琉人は台風の中、母親の車に乗って近くのスーパーにやってきた。台風の暴風域に入っていても、道路を走る車の量が減っているぐらいで、店は強風対策で一部シャッターを下ろしているが普通に営業している。店内に入ると他にも買い物に来ている人がいて、琉人は仕方なしに母親の後をカゴを持ってついて歩いた。特に欲しいものがあった訳ではないが、夕飯のリクエストとスナック菓子を追加させてもらう。買い物終わって荷物を車に積むと「歩いて帰る」と言う琉人に呆れた母親だったが、駐車場を出て行く車を見送って、雨の中を歩いた。
大降りではなかったが、全身がずぶ濡れになりながらゆっくりと歩いた。風雨で遠くは霞んで見えて、服が濡れて張り付き少し不快な部分もあったが、ほどよい涼しさで気持ち良くもあった。裸足のサンダルだったので、水たまりでバシャバシャしながら、家に向かう。帰るついでに漁港の方を回ることにした。
船は数日前から他の船とも繋ぎ合わせて護岸に固定してある。特に問題ないだろうと思いながら護岸に着いて船の様子を見た。雨が降っているので、磯の匂いも弱まっていた。
(特に問題ないな)
漁港内は防波堤が入り口に設置されたりしていて、それほど波は強くなかった。いつもと同じとはいえないが、波に合わせてたくさんの船が上下に大きく揺れている。風は変わらず強く、海の近くに来たことで口に入る雨水が少ししょっぱかった。
(リュウトどこにいるの?)
護岸で船を見ているときに、ふと友達からの声が聞こえたので琉人は少しびっくりした。でもすぐに、口の中のしょっぱさで納得した。
(琉:聞こえるね?)
(うん、聞こえるよ。リュウトどこにいるの?)
(琉:今、港の海の近く。海に入っている訳じゃないから、君と話せると思わなかった)
(そうなんだ。今、海の動きが激しいからね)
(琉:そう。台風が来てるんだよ。しばらく近くを動かないみたい)
(台風?あー、大きな渦ね。海のみんなも深いところに逃げてるよ。しばらく近くを動かないの?それなら、みんなに教えてあげないと)
(琉:何かそうみたいなんだ。もう何日かみたい)
琉人は海の様子は見たので、家を目指すことにして、しばらく護岸沿いで、できるだけ海の近くを歩き始めた。
(琉:ねえ、今さ、海から少し離れて行っているからそのうち話せなくなるかも)
(うん、いいよ。また、海が落ち着いたら、ゆっくり話そうよ)
(琉;そうだね。海に入っていなくても話せると思っていなかったから、今日はびっくりしたさ)
(そう。::ボクの声が届かなくても、リュウトの声が聞こえるときもあるよ。だから、驚かないけどね)
(琉;そうだったんだ。今日は話せて良かったさ)
(良かったよ。リュウトは元気?)
(琉:元気だよ。ありがと)
ある程度歩いてきた琉人は、護岸の端まで来て、家までは護岸から離れるしかないところまで来てしまっていて、少し立ち止まって海を見た。
(良かった。渦がくるとみんな大変そうにするから、心配なんだよね。いろいろな声が聞こえてくるから)
(琉:そうだよね。みんな、大変なことにならなければいいね)
(うん、最近は減ったけど、海の中で船が沈んじゃうことがあったりするから。そんなことがあると、悲しい声がいっぱい聞こえてきていやなんだよね)
(琉:そっか、キミは大変だね。今回、そういうことがなければいいね)
(うん、なければいいね)
(琉:じゃあ、そろそろ行くね。ここから、海から離れるから聞こえなくなっちゃうと思うんだ)
(うん、じゃあ、またね)
友達の声を聞いて、琉人は(じゃあね。またね)と想い、家に向かって歩き始めた。




