第一章 海岸
窓の外には青い空と海が広がっていた。青い空には白い雲が浮かびゆっくりと流れていく。海はキラキラと太陽の光を乱反射して瞬く。空は天に向かって濃さを増していき、海は手前に向けて白が混ざり水色に変わって見える。空の青、海の青は同じ青でも全く違っていて、それが水平線に向かって混ざっていく。
沖縄では、空に白い雲、海には白い砂浜があり、同じ青に白でも趣は全く違う。それでも、それぞれの青を白が引き立てている。沖縄でなぜ海が、空がこんなにも美しく見えるのだろうか。海はそれぞれの場所で違っていても、空はどこでも同じ空のはずなのに。沖縄で見る空の青は他の場所とは違って見える。沖縄に住んでいる人には、気付くことができないのかも知れない。
「リュウト、ちょっと待つさ!」
波照間琉人は学校が終わり帰ろうと自転車にまたがったとき、背後から呼びかけられた。琉人は声で誰だかは分かったが、声のした方を見ると予想通り同級生の仲間朱里が小走りで近づいてきた。
「なんね?」
朱里が琉人のそばまで来て聞いた。
「また先に帰ろうとしたさー。少しは待ってくれたっていいね!」
「朱里待ってたら遅くなるさ。オレは自転車だからいいけど、朱里は歩きさ。ゆっくり帰ったらいいね」
「そう言わないで、一緒に帰ったらいいさー」
朱里と話しをしながら琉人は校門に向かって自転車を進めようとする。朱里は慌てて琉人の自転車の荷台に捕まり、その勢いに引っ張られて一緒に歩いていく。琉人もいつものことで、それ以上は強く漕いだりせず、朱里の歩くペースに合わせてゆっくりと自転車を漕いだ。
波照間琉人と仲間朱里は、小学校から高校までずっと同じ学校に通ってきた。どちらかがどちらかを追って、という訳でもなく、家から近いのもありたまたまだったが、昔から気が合い男友達のような関係だった。
二人は二年生になり、四月を過ぎると常夏の国の本格的な夏がすぐそこに来ていた。
沖縄県沖縄市に住む二人の通う学校は、泡瀬干潟が広がる沖縄本島中部の東海岸の海が見渡せる高台にあった。一年生のときの教室は一階だったのであまり景色は良くはなかったが、二年生になって二階になると教室からその日の海の様子を見ることが出来た。窓際の席になると授業中に、海を行き交う船を眺めることができる。三年生になると三階に上がるので、さらに高いところから見る海をみな楽しみにしていた。
琉人と朱里は自転車置き場を過ぎ、並んで校門を出た。すぐに目の前の国道が見えるが、ここまで来ると目の前を遮るものがなくなり、そこから海が見えた。ひらけた場所に出て、海が見えると琉人は自転車を止めた。朱里も並んで海を眺めた。
「今日もいい天気さ。朱里、海行くね?」
ふと足を止めて海を見て、右手には本島南部と泡瀬干潟、左に視線を移すと泡瀬漁港の向こうに与勝半島と太平洋が見える。海はキラキラと輝き、穏やかな様子だった。その手前の下に、高原の住宅地があり、家々が並んでいて、沖縄の赤瓦の屋根が多く見られる。それがまた景色を美しく彩っていた。
「琉人は行く予定だったの?」
まぶしそうな笑顔で海を見つめる琉人に横並びになった朱里が聞いた。
「夕方前におとうが海に出るさ。それに、一緒に行くことになってる」
「朱里もいいの?」
うれしそうに聞き返す朱里に、「いいさ」と琉人が応える。
「健治や雪子も呼ぼうか?」
続けて琉人が言うとその言葉に、朱里は飛び跳ねて応える。朱里は、「ひさしぶり!」と言いながら、スキップをするように歩を進めながら携帯電話を手にしている。
学校の入り口の目の前を泡瀬の街に降りる国道が通っている。国道沿いを通っても、それぞれの家にそれほど遠回りせずに着く。それでも、ほとんどの生徒は裏道を選んで通っている。バスで通っている者は国道沿いのバス停を使う。多くの生徒は自転車で、上ったり、下ったりでそれぞれの家に向かって帰って行く。
目の前の国道を横断することは学校で止められていたが、車が途切れるのを待って、二人は足早に渡り目の前の細い道に入って下っていく。騒々しい国道沿いを避け、ほとんど車の通らない道をいつものように下っていく。
「琉人、健治も雪子も大丈夫だって!雪子がまだ学校みたいだから、それに合わせて港に行くさ」
「オッケー。また、時間がだいたい分かったら、メールしてよ」
それから二人は、家に向かってほぼ真っ直ぐ続く小道を、並んで歩いて行った。青い空と沖縄特有の石灰岩が多く使われた白い道や建物がそれぞれを際立たせる。その道から家の狭い間を縫って行くと、時々建物の陰から空の青と石灰岩の白が混ざったような海が見える。
琉人は家に帰ると、母親は家にいたが、父親の姿は見えなかった。「おとうは?」と母親に聞くと「港に行ったさ」との返事が返ってくる。制服を脱いで、水着を履いてTシャツに着替える。
「港行ってくる」
そう言い残して、琉人は家を出た。乗ってきた自転車に再びまたがり、港に向かう。父親が家にいなかったのは、想定内だった。琉人の帰ってくる時間はだいたい分かっているから、何時頃に船を出そうかを、考えてくれているのだろう。
軽快に自転車を走らせるが、家から港までは歩いても大してかからない。漁港の建物の脇に自転車をいつものように停めて、父親の船を目指した。
「おとう」
船の前に来た琉人は船の上で作業をしている父親に向かって声を掛けた。
「琉人、来たね。今日はどうするさ?」
父親は少し顔を上げて琉人を見た後、手を止めずに尋ねた。
「朱里達も来るってさ。おとうまだ船出さなくて大丈夫ね?」
琉人は船に降りて父親に向かいながら答える。
「今日は、仕掛けの調子を見に行くだけだから大丈夫さ。沖に出たら、みんなで少し泳いだらいいよ」
いつものように優しい口調で答える父親に「何か手伝うことある?」と琉人は言う。おとうは顔を上げて笑みを浮かべた。
「りゅうと―」
琉人がデッキブラシで船を洗っていると、離れたところから数人の呼ぶ声が聞こえる。
「おとう、来たさ!」
琉人は船縁にデッキブラシを立てかけて父親に声を掛けると、岸壁を上がって道に出る。漁港の入り口の方を見ると、三人の男女がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。琉人が船から上がってきたのが見えると「りゅうとー」とちょっとその場の三人が盛り上がったのが分かった。琉人は船の前でみんなを待ち構えた。
仲間朱里と照屋雪子、喜屋武健治の三人が到着する。それぞれがTシャツに短パンという出で立ちで、サンダルを履いている。後は小さな荷物を持ってきていた。
みんな小学校よりも前から友達で、中学校まで仲良くやってきた仲間である。今は琉人と朱里が同じ高校に通っていたが、二人はそれぞれ別の高校に進学していた。それぞれが、自分に合った学校に家から通っていて、家は近くだから、時々連絡を取っては遊んだりしていた。
「水着は着てきたね?」
琉人が聞くとみんな当たり前のことのように返事をする。
「ちょっと待ってるさ。おとうと準備するから」
琉人は三人を岸壁に待たせて船に降りた。先ほどまで使っていたデッキブラシを持って船尾に片付ける。琉人が父親といくつか会話を交わしていた様子が見えた。
三人はのんびり様子を見守っていた。喜屋武健治も琉人も髪は短く、背は百七十後半ほどで沖縄では高い方だった。琉人は放課後に漁師である父親の手伝いを、健治は中学校から続けている陸上を今も趣味の延長線のような感じで続けていた。雪子は、中学校で吹奏楽部に所属したことで、音楽に目覚めて、バンドに興味を持っているらしい。だからといった訳ではないが、女の子でも髪を短くし、縁のある眼鏡をかけ、離れたところから見ると女の子とは分かりづらいらしく、よく男の子に間違われた。それでも、雪子はそれを気に入っていた。雪子からすると朱里は女の子としては全く違うタイプのようだったが、気が合うようだった。朱里は小さな時からずっと少女のままで、雪子はずっと少年のままのようだった。
「じゃあ、乗るさー」
父親と話していた琉人が、健治達に向かって来ながら声を掛けた。キャッ、キャッと話していた雪子と朱里が話をやめる。琉人は船首まで来ると立ち止まって手を伸ばした。健治は一番近くにいたが一歩下がり、その次に近くにいた朱里を見た。朱里は健治を見て、一歩前に出てゆっくりと手を差し出す。すぐに琉人につかまれ、ゆっくりと引っ張られる。その勢いに任せて、岸壁の端から歩調を合わせながら船に飛び乗る。続けて雪子も琉人の手を取って船に飛び移ると、健治は手を差し出される前に飛び移ってきて、琉人にふざけて抱きついた。
みんなを船に乗せると、琉人は軽い動きで岸壁に戻って、繫留用ロープをつないであるビットから外すと、顔を上げて父親を見る。エンジンのかかる音が聞こえ、目線を合わせて、問題ないことが分かると、ロープを船に投げ入れ船に飛び乗って、舳先から岸壁を蹴って船を離す。琉人が蹴ったと同時くらいでエンジンが回転を上げてゆっくりと動き始めた。
港を出るまでは、琉人は舳先に立って辺りを注意深く見ていた。何かあったときに、父親に手で合図を伝えることになっていた。朱里達は、船尾に移って、おとなしく座って様子を見ていた。
港を出る防波堤を抜けると、琉人が船尾に移ってきた。そのタイミングから、みんなの緊張は解けて、話し始める。父親も、少し琉人達を見て笑った。琉人達は時々大きく揺れながらも、気にせずに楽しく時を過ごした。
二十分ほどたつと、ゆっくりと減速を始める。すぐに琉人は気づき、立ち上がって位置を確認してから、「ちょっと、待ってるさ」とみんなに言うと舳先に向かった。残った三人は、楽しそうに話を続ける。琉人とおとうは特に会話をしない。おとうは船を操り、そのタイミングに合わせて、琉人は言われないでも作業をこなす。
ほぼ、船が止まりかけたとき、ドボンと飛び込む音が聞こえる。船尾で座っていた健治が、舳先の方を見ると、海に入った琉人が船から出ているロープをブイにつなげていた。エンジンを切ったおとうも、舳先から琉人の作業をのぞき込む。琉人の作業に問題がなさそうなことを確認すると、おとうは顔を上げて、海を見た。
波は穏やかで、日が沈むまでは、まだ少し時間がありそうだったが、日差しの強さはずいぶん弱まったように感じた。空は海よりも薄い青で、広がる雲が薄めているようだった。海は深い青色に見える。辺りを見ても、この船以外には何も見えず、遠くに本島と津堅島が海の向こうに見えるだけだった。
「おとう、この後どうする?」
ロープをブイに結んだ琉人が、ブイにつかまったまま顔を上げて父親に聞いた。遠くを見ていた父親は、下にいる琉人を見た。
「仕掛けの様子は俺が見るから、その間は琉人は何か捕ってきたらいいさ。健治達は、その間はまだ待たせておく」
そう言うと、父親は船尾を振り返った。
「健治!まだ少し待ってるさ!その間、琉人には、漁をさせておくから、船の上で受け取ってやって」
父親が言うと、「はーい」といろんな声が混ざって聞こえた。琉人は苦笑を浮かべたが、誰も気付かなかった。すぐにシュノーケルをつけた父親が海に飛び込んでくる。父親は黙ったまま琉人を見て頷くと、琉人はその場を離れた。
琉人は、大きく息を吸って海に潜った。ゆっくりと泳いでいき、海底にたどり着くと、サンゴの端に捕まって辺りを見た。何か、いい物はないかと物色していると、目の前を小さな魚が通り過ぎる。自然と、目が魚を追う。
十数匹のカラフルの小魚が、並んで泳いでいく。琉人の周りを数周すると、今度は目の前で円を描いて泳ぎ始める。
(もういいよ)
琉人は声に出さずに、想った。すると、小魚たちは、何事もなかったかのようにバラバラの方向に泳いでいった。
(ごめん、怒った?)
(違うよ。怒ってないよ)
(リュウト!久しぶりだね)
(うん)
話し?ながら、琉人は辺りを泳いで、獲物を探した。
(元気だった?)
(うん、元気だよ。きみは?)
(ボクも変わりないよ)
琉人は会話を続けながら、サザエを見つけるとつかみ、岩から剥がすように力を入れて捕ると、海面に向かって泳ぐ。船の側面に上がると、「健治!」と呼ぶ。そのまま海面に浮いていると、少しして健治が船縁から顔を出し、引っ込んでから十秒ほどで、みんなの顔と一緒に、網が差し出される。琉人の近くまで網が来ると、琉人は持っていたサザエを網に入れた。健治が網をたぐり寄せると「わぁ」と船上で声が上がったのが聞こえた。琉人は照れ笑いをしてすぐ、再び大きく息を吸って潜った。
(何か探しているの?)
(おとうが作業をしている間だけ、獲れるものを捕ろうかなと)
(手伝おうか?)
(いいよ。今日は、待っている間だけだから、獲れなくってもいいんだ)
そこまでの会話が進むと、(そう)と、なんだか寂しそうな声が聞こえてきた。
(ありがとう。でも、いつも通りでいいんだ)
琉人が想いながら潜っていって、また、さっきとは違うサンゴの端にしがみついて辺りを探した。
(いいよ。何か獲れるといいね)
声の少し後で、琉人はまたサザエを見つけた。
(あった)
(何がいたの?)
(サザエ)
(今日は、誰と来ているの?)
その声の後に、琉人は少し離れた岩場のサザエをつかんだ。
(アカリとケンジとユキコだよ)
(リュウトのお父さんもいるよね)
(いるさ。沖に出るときはいつもおとうと一緒さ)
琉人の想いが終わるとすぐに言葉が返ってくる。琉人はその場を離れて、隣の岩場にたどり着き、アワビをつかんだ。
(うふ)
と、聞こえた気がしたが、琉人は気にせず、また海面を目指した。海面に出ると「健治!」とまた声を掛ける。すると、すぐに船縁から網が姿を現し、続いて健治達の顔が見えた。両手に持ったサザエとアワビを続けて網に入れると、「琉人、すごいね!」と雪子の声が聞こえる。琉人はその声に軽く手を上げて応える。網が引っ込められ、再び船上から「わあ!」と聞こえてくる。
琉人は、何度か深呼吸をして、呼吸を整えた。ポチャンと小さな音を立てて再び海に潜ったが、音に反応して朱里が顔を出すと琉人が去った後の波紋が見えた。朱里はしばらく波紋の広がりを見ていた。
(今日は、なんだかうれしそうだね)
再び海底を目指しながら泳ぐ琉人に聞こえてくる。
(そんなことないさ)
琉人も辺りを見回しながら,応える。岩礁に捕まり、そのくぼみの奥をのぞき込む。何かに気付くと素早く手を突っ込むと、引き抜いた手には大きな伊勢エビがつかまれていた。手の中で、必死に逃れようとあがいていた。琉人は伊勢エビを見ながら、首をかしげる。海面を見上げて、浮上し始める。
(ねえ、何かしてない?)
伊勢エビを持たない左手と足で水をかきながらゆっくりと浮上していく。
(なんにもしてないよ)
(ふーん)
聞こえてきた声に納得がいかないように意思表示をする。
(まあ、いっか。ありがと)
(なんのこと?でも、獲れて良かったね)
船の近くに顔を出すと、琉人はまた健治を呼ぶ。少しして船縁から出てくる網に、伊勢エビを入れる。その網が引き上げられ、船の上に消えると今まで一番大きな驚きの声が聞こえてきた。
琉人は、まだ潜る時間はあったが、潜るたびに何か獲れるので、気が引けて海面をのんびり泳いでいた。時々、おとうの様子をうかがった。少しするとおとうに呼ばれる。
「リュウト、こっちはもう大丈夫だから、みんなで泳いだら良いさ」
そう言われると、船上で待っていた健治達が「やったー」と声をあげる。すぐにみんなは、短パンを脱いだりして水着になる。
「いくよー」
かけ声のすぐ後に健治が飛び込んできた。健治は琉人の近くに飛び込んできて、笑顔で向かい合う。少し離れて泳ぎながら船上を見ていた。すぐに、船縁から朱里と雪子がゴーグルをつけた顔を出して琉人達を見た。
「来たらいいさ」
琉人が声を掛けると、まずは雪子が笑みを浮かべて、前転をするように飛び込む。続けて、ジャンプして朱里が足から飛び込んでくる。
「うわー、気持ちいいさ」
海に入った朱里と雪子が喜んで言った。
「ちょっと、まだ冷たいねー」
続けて健治が言ったが、「気持ちいいぐらいさ」と琉人が返す。みんなが海に入った後、おとうが船の前後に浮き輪を落とした。しばらくの間、みんなで海面をバチャバチャ泳いだり、浮き輪で休んだり、潜ったりしていて、琉人はみんなを見守りながら、一緒に遊んでいた。
(友達といると楽しそうだね。うれしそうにしていたのが分かったよ)
(そう?そんなことないと思うけど)
みんなの様子を見ながら話していると健治と朱里と雪子が揃ってこちらを見ている。琉人は何か気付かれてしまったかと思いドキッとした。
「リュウト!鬼ごっこしよう。リュウトが鬼ね。三十秒数えて」
健治が言うだけ言うと、朱里や雪子も「キャー」と言って離れていく。琉人はあきれながらも「イチ、ニイ、サン・・・」と数え始める。数えながら泳ぎ、船縁につかまる。
「ニジュウク、サンジュウ!行くさー」
最後に聞こえるように大きな声を出す。わざと聞こえるように、みんなのいる方にバシャバシャと泳いで向かった。船首に向かって泳ぎ、船首を越えてみると、みんなは船尾の方に逃げているのが見えた。みんなにも琉人が見えたのを確かめてから、ポチャンと潜る。
潜って船の底からみんなを見ようとすると、船尾の方で三人が浮き輪につかまりながら、揃って潜って琉人の方を見ていた。そのまま数秒するが、動こうとしないので、一旦海面に顔を出して息を吸うと、船尾の三人も顔を出した。じっと琉人を見ていた。
琉人は皆に背中を向けると、足を下にしたままゆっくりと沈んでいく。二メートルほど沈むと、向きを変えて一気に船尾に向かって船底を泳いでいく。すると、琉人が向かってくるのに気付いた三人は慌てて、バチャバチャと左右に散る。琉人はそれを笑いながら見て一旦船尾にたどり着く。
(捕まえないの?)
(ん?慌てないさ)
船尾から潜ってみんなの様子を見ると、左右に分かれた三人が再び船首で合流していく。一息つきながら浮き輪につかまった。
(いいの?また、三人一緒になっちゃったよ)
(大丈夫。・・・見てて)
琉人は一旦潜って、船首に三人がいることを確認すると、上に手を伸ばして、勢いよく浮かび上がると船尾に捕まって、一瞬で船上に上がり、作業をしていたおとうの「おっ」という声を通り過ぎ、船首に向かって走り抜き、そのまま海に飛び込んだ。その後すぐに、船上にいたおとうに「ワー」「キャー」と声が聞こえて、すぐに静かになった。
(やったね)
(どっちでも良いんだよ。遊びなんだから)
「リュウトずるいさー」
捕まった朱里が不服そうな顔で言う。健治も雪子も、半分怒り気味だ。ただ、ゴーグルをして怒っているみんなの顔を見て、琉人は大きな声で笑い出す。不満を言っていた三人は、揃って琉人に水をかけ始めた。
「おーい、そろそろいいかー。あんまり長いと冷えるぞ」
笑っているところに水を掛けられた琉人は、口の中に海水が入ったことで、三人に反抗するように力一杯水をかけ始め、そこで船上からおとうの声が聞こえた。琉人に水を掛けられた三人は逃げようとしたところで、琉人の反撃がやんで動きを止めた。
「分かったさー。みんなで船尾に向かうよー」
琉人は言うとみんなにそれぞれ視線を合わせた。
「なんねー、リュウトはずるいさー」
船尾に向かいながらも雪子が琉人に笑いながら言う。
「なんでね。ユキオが溺れる前に決着をつけてやったんだよ」
琉人の言葉に、他の二人も笑い出した。「それもそうだねー」と何事もなかったように朱里も言う。そのまま四人で船尾まで船沿いを伝わりながら泳いでいった。
「ケンジ、先上がってあげるの手伝って。リュウトは一応最後ね」
船尾ではおとうがみんなが来るのを待っていて、言いながら健治に手を差し出す。琉人はみんなのようすが見えるように、少しだけ離れる。船の周りの海を気にしながら、ブイに結びつけたロープをほどき始める。おとうと健治はその間に浮き輪をしまった。
(もう帰るの?)
(いつでも話しできるさ)
(今日は、みんなが楽しそうで、海も明るくなったよ)
(そういうのあるの?)
(ボクの中ではね)
健治が先におとうに引き上げられると、健治とおとうで朱里と雪子が引き上げられる。おとうは皆が船上に上がった事を確認すると、琉人がロープを外し終わるのを待って、ロープを戦場に引き上げる。
(じゃあ、またね)
ロープが船縁に消えたのを合図にして、琉人は勢いよく飛び上がり、船尾の縁に捕まると船上に上がる。おとうは操縦桿を確認し、周囲を見回し、一度網の様子を見る。
「みんないるねー。出発するよー」
そう言うと、琉人が「おとう、オッケーさ」と応える。おとうはチラリとみんなを見るとエンジンを掛けた。
「みんな、座ったらいいさ。冷えるからタオル掛けた方がいいよ」
琉人が先に座って、みんなにも促した。船はゆっくりとスタートし、穏やかな海を、ゆっくりと進んで行く。少しだけ傾き始めた日の光を受けて、みんなは船から見える景色に見入っていて、琉人は髪をなびかせる朱里に目を奪われていた。
「何ね、リュウト」
琉人の視線に気付いた朱里の言葉に琉人は意識を取り戻す。
「い、いや、なんでもないさ」
「リュウト顔赤くなってるー」
慌てる琉人に、雪子が笑いながら言う。健治も一緒になって騒ぎ始める。船尾が盛り上がっている様子をおとうはうれしそうに見て笑みを浮かべ、視線を前に戻す。
「みんな、今日は夕飯うちに食べ来れば良いさ」
船尾の様子が落ち着いたのを見て、おとうがみんなに声を掛ける。
「リュウトが捕った獲物もあるし、みんなで食べたらいいさ」
おとうの呼びかけに、みんなは顔を見合わせる。
「いいの?」
先に声を挙げたのは雪子だった。
「ねえ、みんな行こうよ」
雪子が健治と朱里を見て言う。雪子の勢いに押されながら、遠慮がちに二人は頷く。琉人は黙ってみんなの様子を見ていたが、みんなが来ることになりそうで自然と笑顔になった。
「おとう、みんな来るってさ」
船のエンジン音があり、いつもより大きな声で琉人はおとうに伝える。
「そうか。じゃあ、琉人、おかあにも3人が行くってメールしといて」
おとうの言葉に、琉人は「分かった」と返事をし、携帯を取り出してメールを打ち始める。朱里と雪子は、女子同士の話をしながら、見える景色に時々盛り上がる。健治はのんびりと景色を見ていた。
船は漁場からゆっくりと港へ向かう。船から泡瀬に向かうと、右手に与勝半島が見え、天気が良いときは勝連城跡まではっきりと見える。平らな山のような津堅島は背後に位置する。青い空と白い雲が、緑色の山の上に広がり、海の少し水色がかったアクアブルーが彩りを添える。
船が防波堤を越える頃には、琉人はまた船首に移動して、港内の様子に注意を払っていた。おとうも琉人の動きを気にしながら、船を慎重に進める。
船がエンジン音を大きくして、速度を弱めると、琉人は背中を向けたまま、おとうに岸壁までの距離や位置を手で合図する。琉人が大きく手を挙げるとロープを岸壁に投げ、琉人自身も飛び移る。
エンジンが止まり、一瞬の静寂が訪れる。琉人はロープを拾いピットに縛り付ける。三人は黙って琉人の動きを見守っていた。
「いいさー」
琉人のかけ声で、おとうが辺りを確認し、「じゃあ、降りようか」と三人に声を掛けた。その声で、皆は立ち上がり、荷物を持って船首に向かう。岸壁で琉人はみんなを待ち構え、手を差し出す。順番に琉人の手をつかんで、岸壁に移った。
「じゃあ、まだ少しやることあるから、三人は一旦帰ってから、夕方また来てよ」
ここでようやく、水着の上から短パンをはいたりして、やることのなくなった三人に琉人が声を掛ける。
「おじさん、ありがとねー」
「また、夕方行くねー」
船で作業しているおとうに向かって、朱里や雪子が声を掛ける。おとうは、顔を上げて、「遠慮しなくていいさ。お腹すかしてくればいいさ」と言うと、また作業に戻った。健治はおとうが顔を上げたときに軽く会釈をする。みんながうれしそうに帰っていく様子を見て、琉人もうれしくなり、笑みを浮かべながらクーラーボックスを洗ったりしていた。
「こんばんわー」
作業を終えて、先に帰ってきていた琉人はベッドに横になっていた。うつらうつら眠りそうになっているところで、階下から声が聞こえてきて目を覚ます。ドタバタと階段を降りて行くと、玄関に三人が立っていた。
朱里はTシャツに短パンの軽装で、髪を洗ってきたようで薄く茶色がかった濡れた長い髪が揺れて、とてもかわいく見えた。雪子は、ボサボサの頭のようでいてセットされていて、半袖のシャツにゆったりとした短パンを合わせていて、健治はいつもと変わらず、近くを通りかかった近所のおじさんのようだった。
「上がっていいさ。ほら」
琉人は視線をすぐにみんなに向けて言うと、朱里への視線がばれないように目をそらして、みんなを先導して進んだ。玄関入ってすぐ横の居間に入っていくと、二部屋続きの居間は広々としていて、テーブルの前では、TVを見ながらおじいとおばあが並んで座っている。おじいはもう飲み始めているようだった。
「おじい、おばあ、ユキコ達来たし」
琉人はおじい達に言うとみんなを通した。朱里達は「おじゃまします」と丁寧に言って中に入る。
「ユキコ、アカリ、ケンジも、よく来たね」
顔を見たおばあが、みんなを笑顔で迎え入れる。
「さあ、どこでも座ったらいいよ」
おばあが立て続けにみんなに言うが、いつものことなので皆も笑顔で応えゆっくりと並んで座った。おじいも皆の顔を見て「元気ねー?」などと聞いている。琉人はその様子を見てから、台所に顔を出す。
「おかあ、みんな来たさ」
台所では、おかあの他におとうも料理をしていて、おかあは朱里達が来たことに気付いて、お茶の準備をしていた。
「琉人、お茶持って行って!」
琉人に気付くとおかあが琉人に言う。琉人も分かっていて、お盆を手に取ると、さんぴん茶の入ったコップをお盆に載せる。「ありがと」と言って琉人はみんなの元へ戻る。
その後は琉人は手伝いは断られ、みんなと一緒に居間で過ごした。おとうとおかあで夕食の準備をしてくれ、それまで少しの間はおじいやおばあも入れてみんなで楽しく話していた。
「はい!琉人が捕ったアワビと伊勢エビね」
居間でのんびりしているとおとうがテーブルにお皿を置いて言った。その言葉で、見るとお店で見るような伊勢エビの頭が付いて身が切り分けられていて、アワビは貝殻の上に切り分けられていた。それを見た健治達が「オー」とか「わぁー」とか歓声を上げた。その声に、満足そうな顔でおとうはみんなを見て、キッチンに戻って行く。
料理が運ばれ始めたのを見て、おばあも立ち上がりキッチンに向かう。琉人もおばあに続いた。一通りの料理が運ばれると、おかあも居間に来てご飯をよそうのを手伝う。その間におかあと一緒に戻ってきたおとうはもう泡盛を飲み始めていた。
「さあ、たべるさー」
おかあの声でみんなはうれしそうに箸を上げる。みんなから「うまいねー」とか「うまいさ」と聞こえてくる。調理したおとうやおかあもうれしそうにしていて、捕った琉人もなんだか誇らしくなる。
「琉人が採った伊勢エビ美味しいよ」
朱里が琉人の方に向いて言うと、琉人は恥ずかしそうに朱里と目を合わせる。照れる琉人を見て、朱里も少し恥ずかしくなる。慌てて、小さい声で「おいしい」といいながら視線をそらす。
琉人が捕ってきたものや、おとうが捕ったイラブチャーの刺身やチャンプルーなどおかあの手料理が並ぶ。おじいとおとうは酒の肴にゆっくりとつまみながら、みんなは少し慌てるようにして食事していた。
「食べたさー。おじさん、おばさん、ありがとーう」
満足げな声で体を伸ばしながら雪子が言った。少しして朱里も「ごちそうさま」と言って箸を置いた。健治と琉人は食べ続けていたが、食べ終えたおかあが、空いた皿を片付け始める。酔ってきたおじいの三線がゆっくりと奏で始める。健治と琉人は食べ終えるとそっと箸を置き、三線に聞きいった。朱里と雪子は三線の響きに合わせて頭を揺らす。
「おばあ、歌うか?」
おじいが三線でリズムを刻みながらおばあに聞く。
「そうね。今日はお客さんもいるし。いいねー」
時々お茶を飲みながらのんびりしていたおばあは、みんなを見て笑顔でおじいに明るく応える。
「何にしようかねー」
おじいは、弦をはじく力を少し強め、リズムを刻んでいく。
「そうだね。最初だから、“てぃさんぐぬ花”にしようかね」
おばあが元気に言うと、おじいは「いいね」と言って三線のリズムが早まる。
「おばあ、いいねー」
三線の音が大きくなってきて、雪子が手拍子を始めながら声を挙げる。おばあは座ったまま、声が出やすいように背筋を伸ばす。おじいの三線も調い、あばあによる「てぃんさぐぬ花」が始まる。
おばあの唄が始まると、先ほどまで、網戸越しに聞こえていた虫の声が消える。音の大きさは変わらず、全ての生き物が聞き込んでいるように、辺りが静まりかえる。おじいの三線とおばあの唄が部屋をゆっくりと満たしていき、網戸を抜けて外へ広がっていく。
時々泡盛を飲むために途切れる三線を気にせず、おばあはみんなの手拍子に合わせ抑揚をつけて気持ちよさそうに歌い上げた。
「じゃあ、次はわーがいくさ」
少し音を抑えていた三線を、おじいが自分でテンポを整えながら、次の曲へ間をおかずにつなげていく。琉人、雪子も手拍子を始める。三線のリズムで、「谷茶前」が始まるのが分かる。
おじいの唄は、力強く、強弱の差も大きく、部屋を満たす前に外から跳ね返って聞こえてくる。おばあやおとうは、おじいの唄を笑顔で聴きながら、ときどき泡盛を口に運ぶ。
「次は、誰がいくね?」
唄が終わり、おじいは泡盛を口に含むとアイドリングを続けながら、うれしそうに言う。
「わたし、いくさー」
すぐに元気に言ったのは雪子だった。「何にするねー」とすかさずおじいが返す。
「やっぱり、安里屋ユンタかね」
雪子は少し迷いながら言うと、「いいねー」と言ってすぐにおじいが音程を変える。そして、雪子の様子を見ながらゆっくりとイントロを繰り返していき、「いくよ」といってイントロの音量を上げて弾いていく。
雪子の女の子っぽくない、ハスキーな声が沖縄民謡をちょっと違った雰囲気に変えていた。おばあが雪子の唄に合わせて、ハーモニーを付け加える。朱里も「サイ」と合いの手を入れる。歌うのが好きな雪子は、楽しそうに歌い上げた。
「次は、琉人ね。何にするさ」
雪子の唄が終わると、音量を下げて、楽しそうにおじいが言う。琉人もおじいに言われて、少し嫌そうな顔をするも、すぐに考え込む。
「じゃあ、花にしようかな」
「そうね。琉人、チバリよ」
普段から時々おじいの三線で唄っている琉人は、自然と雪子の後に唄うことになったが、小さい頃から何度も繰り返されてきたことなので、あまり気にしていなかった。それでも、みんなの前で唄うのは久しぶりだった。ゆっくりとおじいがイントロを始める。
雪子ののびのびとした唄とは違い、琉人は歌い始めから緊張が伝わってきた。それを健治が応援しようと、手拍子に合わせてかけ声を上げる。皆の手拍子にのって、琉人はすぐに落ち着いてきたようで、声が大きく響いた。
琉人が終わると、健治が自ら名乗りを上げた。
「おじい、島唄いけるかね」
「おお、いいさ。大丈夫ね」
健治の言葉に、おじいは快く応じて三線を奏で続ける。音調をかえて唄い、場の雰囲気が華やかになった気がした。雪子や朱里もうれしそうに聞いている。
「わたしも歌うさー」と言って、健治の唄の終わりに最後になってしまった朱里が声を出した。健治が唄っていたときから、もう自分の番だなと思っていていたようだが、明るく言った表情の中に緊張感もあった。
「朱里ねー。なんにするさー」
三線の手を止めずに、うれしそうにおじいが言う。唄うと言った朱里だったが、何を唄うまでは決まっていなかったらしく、考え込む。その様子をみんな微笑ましく見守っていた。
「それじゃあ“童神”(わらびがみ)にしようかね」
朱里の声に、おじいはまた「いいねー」と言ってリズムを上げていく。朱里の顔が紅潮していくのが分かった。イントロが始まると、さらに緊張している様子が伝わるが、丁寧な歌い出しで笑顔に変わった。朱里の「童神」は、朱里の性格をそのままに暖かさを感じる柔らかい声で、周囲を包み込んでいく。みんなで優しく「よいよい」と相槌を入れて、部屋の明かりが外に漏れるように歌声も広がっていく。
子ども達みんなが唄うと、おじいとおばあが代わる代わるに唄い、おとうとおかあも時々唄った。おじいの泡盛がなくなり、音が途切れたところで、健治達は席を立った。おとうもおかあも座ったまま笑顔で送り出し、琉人は送るように促された。
「琉人、今日はありがとうね」
一緒に外に出た四人が、同じ方向に向かって歩いて行く。細い道を広がって、ダラダラと歩いて行く。みんなの家の方向へ、泡瀬の中を西に向かって、路地をつないで歩いて行く。琉人の家ではないどこかで、三線の音色が聞こえてくる。
「今度、久しぶりにウミホタル見に行こ-」
とりとめない話をしているときに、朱里がみんなに言った。
「そうだなー。そんな時期だね」
朱里の言葉に健治が応える。
「そうさ。見に行こうよ」
健治の言葉に朱里が跳ね返すように言う。それでも、皆の反応は鈍い。
「何で何も言わないさ」
みんなの前に進み出て振り返った朱里が大きな声で言う。
「朱里、いつぐらいね」
琉人が朱里をなだめるように言う。琉人の質問に朱里は考え込んだ様子を見せる。
「うーん、おとうが来週頃がいいって言っていたさ」
「いいね。行けたら久しぶりに、みんなで行こー」
寂しそうにする朱里をなだめるように雪子が声を挙げた。雪子の言葉に、朱里は雪子の手を取って、「ねっ、ねっ」と言ったりしている。
「俺も、まあいいけど」
続けて琉人があまり乗り気がなさそうに言う。
「琉人も行くね。健治はどうする?」
朱里が雪子の手を持ったまま、健治をにらみながら言う。
「来週も行ける日と行けない日があるさ。また、そのとき連絡くれたら行くさ」
「そうね。健治も行くよ」
朱里は、やっと雪子の手を離す。解放された雪子が「わたしも日によっては駄目かもよ」と朱里をあまり刺激しないようにそっと言う。朱里はちょっと雪子に視線を戻すが、「楽しみだなー」などと言って、歩き出す。
外の空気は、肌に触れて心地よさを感じさせる。所々にある街灯の明かりに照らされながら、四人で泡瀬の住宅街の細い道を歩んで行った。潮の香りが漂っていた。
ある日、学校からの帰り道、琉人は朱里と一緒にならなかったので家までの帰り道を大通りにそれると、途中に本屋やレンタルショップ、スーパーなどの入る複合商業施設のショッピングセンターに寄った。いくつかは入り口を同じにして、立ち並んでいる作りをしている。琉人は本や文房具、CDなどひととおりながめて特に買い物をせず帰路についた。その日は、おとうの手伝いがないことを聞いていたので、のんびり自転車を走らせ、いつもとは違った道で帰ってきた。
家について、制服を抜いて部屋着に着替え、ラジオをつけてベッドに横になった。ラジオからは、沖縄出身のバンドの音楽が流れ、聞き入ってしまう。のんびりしているとメールの着信を携帯電話が知らせる。琉人はすぐには携帯を取らずに、ラジオの曲の合間にふと気がついて確認した。
メールは朱里からで“また先帰ったさ。なんでまってない。ウミホタル明日どう?”というものだった。すぐに返信はせず、またベッドに横になった。
夕食時に琉人は下に降りた。まだ準備はできていなかったが、おじいが居間でテレビを見ながら飲み始めていた。そのうち風呂から上がったおとうが来て飲み始める。琉人は特に気にせず一緒にテレビを見ていたが、帰り道の途中で見かけた看板のことを思い出し、聞いてみることにした。
「おとう、泡瀬干潟の埋め立てって、もう決まっているの?」
不意の琉人からの質問におとうは一瞬止まり、持っていたグラスをゆっくりと置いた。おじいも聞こえたようで、動きが止まった。一旦室内が静まりかえり、テレビからの音だけが流れる。
「今のところは、埋め立てされるだろうな」
絞り出すような声でおとうが言う。
「なんでね。漁師のみんなだって困るだろうし。具志川には広大な埋め立て地が使われずに残ってるって言うさ」
「そうだな。おとうとしては、埋め立てしないで泡瀬干潟はそのまま残して欲しいと思ってる」
おとうは少し間を置いて、泡盛を口に運んだ。おじいは黙ってグラスを揺らしていた。
「でもな、組合の方針には逆らえない。漁師仲間も、ほんとはみんな埋め立てなんかしないで、豊かに暮らせて行ければいいと思ってるさ。でもな、漁師だけじゃなくて、みんなが豊かに暮らしていこうとしてるから、おとうには止められない」
言い終えると、おとうはグラスの泡盛を飲み干して新しく注ぎ始める。おじいはその様子を、穏やかな表情で見ていた。
「琉人、海を守りたいのはみんな一緒さ。ただ、今住んでいるこの泡瀬だって、埋め立てて住めるようにしたものを、おじい達がやってきて漁師始めたさ。漁港も浚渫して船が出入りできるようにしたから漁師ができているさ」
ここまで言って、おじいもグラスを空けて、一呼吸してまた話し始める。
「今では、西海岸で、那覇、浦添、宜野湾なんか海岸線が全部埋め立てられているけどさ。まだ、沖縄が日本じゃなかった頃飛行機で沖縄に帰って来たときなんか、空港までの西海岸はほんとに綺麗なサンゴの海がずっとつながっていたさ。青い綺麗な海を見て、帰って来たと思ったもんさ。今じゃ、港や基地で、見て悲しくなるさ。
美ら海は失ってはいけないさ。でも、誰が悪いかなんて、言えないよ」
おじいは言い終えると、おとうと同じように泡盛をグラスに注ぐ。おとうは、テーブルの上のグラスをつかんだままおじいの話しを聞いて考え込んでいるようだった。少しの間沈黙が続き、琉人は「ごめん」と言った。琉人もそれ以上何も言うことができなかった。
「どうしたねー。静かにテレビ見ちゃって。何か面白いことやってるね?」
少しすると、おかあが料理を運んで来ながら言った。おとうは「いや別に、なんともないさ」と言うと、止まっていた時間が動き出し、持っていたグラスを口に運んだ。続けておじいが「美味しそうだねー」と陽気な声を挙げる。琉人は黙って手伝いに腰を上げた。
次の週のある日、夕食を終えて部屋でのんびりしている琉人の元へ、朱里から“ウミホタル見に行くよ。明日は天気悪そうだから”とメールが届く。メールに気付いてから少しすると、“着いた”というメールと同時に外から「リュウトー」と声が聞こえてきた。
いつものことだが、準備はしていても朱里には驚かされる。慌てて下に降りて、居間にいるおとう達に「行ってくる」と言って返事も待たずに玄関へ向かった。居間からおかあの声で「気をつけてよー」と聞こえてくる。伝えてはあったので、あまり気にしていないようだった。
慌てて外に出ると、朱里が笑顔で出迎えてくれた。朱里を見て、琉人は一呼吸を置いて立ち止まった。
「一人ね?」
サンダルをはき直したりして、落ち着いてから辺りを見て琉人が言う。琉人の言葉に、朱里は変わらずニコニコしている。
「雪子も健治も今日は駄目だってさ」
朱里は応えると通りの方を向いて歩き始める。琉人から朱里がどんな表情をして言ったのか分からなかった。琉人は先を行く朱里を慌てて追いかけて横に並ぶ。
「明日にしようかとも思ったんだけどさ。明日は天気悪いって言うし。次いつになるか分からないしさ」
朱里は、子どもがゆっくりと足を開くような足取りで、泡瀬の堤防に向けて、朱里の家の方を目指す細道を歩いて行く。琉人は「まあ、いいさ」といって、朱里の歩調に合わせながら横を歩いた。
どの道を通っても良かったが、一番単純な道で行き、大きな通りに出ると南に向きを変える。そのまままっすぐ行くと、堤防と基地のぶつかる所に出る。道路から海に抜ける道を歩き、前之浜のところの堤防沿いをフェンスに沿って進んでいく。
フェンス沿いは二人で並んで歩くほどの幅はなく、琉人が先を歩き朱里が後に付いてくる。朱里は機嫌がいいようで、先を歩く琉人に、朱里の鼻歌が小気味良く聞こえてくる。
「朱里、今日見られるといいね」
後ろを歩く朱里に琉人が声を掛ける。日没は過ぎたが、辺りはまだ暮れの薄明かりで見ることができていた。緩やかに曲がっていきながらフェンス沿いをさらに進むと、ほぼ直角に曲がる。曲がってすぐに琉人は立ち止まり、その後ろを下を見ながら慎重に歩いていた朱里は、立ち止まった琉人に気付いて顔を上げて「うわー」と高い声を響かせた。
「綺麗さ」
朱里が続けて言うと、琉人も「いいねー」と相づちを打つ。手前に木々が並ぶ島の上、うっすらと与勝半島が広がるその上に真円の薄く光る満月が見えた。その満月から、真っ直ぐに琉人達に向かって月の光の道が延びてくる。海面の揺れでキラキラと輝く。二人は少しの間そこで立ち止まった。
「大潮の満月か、今日、ウミホタル見られるといいね」
二人で海を見ているとき、琉人が言うと歩き始める。朱里は離れる琉人に向かって「見られるよ」と言って早足で追いつく。夜空に浮かぶ月を横目に見ながら、再び堤防の上を歩き続ける。少し行くと、円を描くようにぐるっと回り込んだ作りになっている。そのままフェンス沿いを進むと堤防の下に細い砂浜の道が見える。その向こうは木が生えた小さな島があるように見える。
「ここでいい?」
砂の道の上で琉人は立ち止まって聞いた。二人は今まで、特に目的地について話をしていなかったが、二人ともウミホタルを見るということで、この場所に来るのは当たり前のようになっていた。
「ここでいいよ」
朱里は特に何の疑問もなく答える。朱里の言葉を聞くと、琉人は堤防から砂浜へ飛び降りた。すぐに振り返ると、片足を堤防に掛け手を伸ばした。朱里はかがんで琉人の手を取るとゆっくりと砂浜に降りた。朱里が降りるとすぐに琉人は手を離す。朱里は琉人の表情が見えなかったが小さい声で「ありがと」と言う。琉人はまた先を歩き始める。砂浜を少し行くと、島のように見える中側に木が何本も立っていて、その周りの砂浜を歩く。すぐに一周してしまいそうだが、途中で琉人は立ち止まった。
そこからまた月を見ると、広く薄く伸びた与勝半島の上に浮かんでいるのが見える。その手前が海で砂浜まで月の光の道が延びていた。
「まだ、あんまり潮引いてないね」
朱里が横に来るのを待って琉人が言う。朱里も海を見て「まだ、ちょっと深そうだね」と言う。
朱里の言葉に琉人は少し考えて、「じゃあ、ちょっと座って待とうか?」と言うと、朱里もすぐに「そうだね」と言って、海に向かって砂浜に座り込む。琉人も朱里の隣にゆっくりと座った。
風もあまりなく、海も穏やかで見る環境としては申し分なかった。後は、もう少し時間がたってみないと分からなそうだった。二人並んで座ると、海が近づき、空が広くなる。立っていたときと、それほど大きな変化ではないかもしれないけど、宇宙が近づいているように琉人は感じていた。
「数学の課題やった?」
「やったよ」
琉人が聞くと朱里はすぐに答える。
「えっ、もうやったさ。帰りに貸してよ」
「だめさー、自分でやらないと力つかないよ」
「えー、英語は朱里のクラスどこまでいってる?」
琉人が聞くと朱里はすぐに答えてくれる。それからしばらく、授業のことや、友達のこと、先生のことなどを話していた。
「そろそろ行けそうかな」
二人で話していると、時間があっという間に過ぎたようで、海の何か見える砂丘が大きくなったように見え、さっきは海の近くに座っていたはずが、海が離れていた。
「行けるかな?」
朱里が答えると、琉人は立ち上がって「ちょっと行ってみるさ」というと、靴のままバシャバシャと海の中に入っていく。途中で「おっ」と言ってバシャッと大きな音を立てたが、躓いただけのようでかまわす進んで行く。膝より上、腰まで海に入ったところでそれ以上水位は上がらずに琉人は対岸の砂浜にたどり着くことができた。琉人は先ほどよりも、バシャバシャと大きな音を立てて戻ってきた。
「朱里、俺で腰まできたさ、朱里だともう少し入っちゃいそうだね。どうする?::おんぶしよっか?」
琉人が言うと、朱里は考え込んだ。朱里から琉人がどんな表情をしているのか分からない。少し、朱里は恥ずかしくもあったが、「おんぶ」と小さい声で言う。
「あぅ、なんて?」
朱里の言葉が聞こえなかったのか、琉人が聞き返すと「おんぶして!」となんだか朱里は怒ったように言うので、琉人は意味も分からず、とりあえず背中を向けてかがみ込んだ。ゆっくりと朱里が乗ろうとする。
「つめたっ」
「仕方ないだろ、さっきので下は濡れちゃったんだから。朱里だって、おんぶしてもお尻ぐらいは濡れると思うさ」
琉人の言葉で、一度離れた朱里は琉人の肩に手を置き、ゆっくりと背中に乗った。
「いいか」と言って琉人は立ち上がると、またバシャバシャと海の中に入っていく。
「転ばないでよ」
朱里の言葉で、琉人は「おっ」と言って、少し速度を落とした。石につまずかないようにゆっくりと足を交互に出しているのが分かった。朱里はおんぶされながらも、足とお尻が濡れて変な感じになる。琉人は砂浜に着くと向きを変えて朱里を下ろした。
「お尻だけ濡れたさ」
朱里が両手をお尻にやりながら言う。
「もう少し、待った方が良かったかな?」
琉人が謝るように言う。
「でも、それだけで済んだから良かったさー。ありがとー」
少し沈んだ声で言う琉人を心配して朱里が声を掛けた。朱里の言葉に琉人は「そう」と言いながら気を取り直したようだった。
「大丈夫ね?じゃあ、ゆっくり行こうか」
琉人と朱里は今度は並んで歩き出した。小さな砂丘を歩いて行く。視界の先に月があり、海面がキラキラ輝いていて、砂丘も月明かりで白く浮かび上がり、動くとあちこちでキラキラと輝く。砂丘を越えると、その先はまた海で閉ざされていた。
「じゃあ、少し海に入っていようか?」
琉人が言うと朱里は「そうだね」と言って、琉人に並んで海に入る。膝まで入らないくらいでパシャパシャとゆっくりと動き、砂浜の感触を味わう。
「あんまり遠くに行くなよ」
「分かってるー」
琉人が言うと、朱里はすぐに応え琉人の方を見た。ただ、月明かりの中あまり表情が読めない。琉人と朱里は近い場所で、海の中でバシャバシャと動いていた。
空は暗く、東の空もすっかり島影も分からないほどに空との境目はなくなっていた。それでも辺りは月明かりに照らされ、近くの砂浜が白く光っているので不安はなかった。二人はしばらくの間、転ばないように気をつかいながら海の中に入って歩いていた。
「あっ、リュウトー」
突然の朱里の言葉にびっくりして朱里を見ると、朱里は立ち止まって下を見ている。
「なんねー」
明里に向かって歩き始めながら琉人が聞くと、「いたー」と言う。その言葉で琉人は理解し、立ち止まって足下をじっと見た。
「おおー、ほんとだ」
「結構いるよ」
琉人の返事に朱里が続ける。
「ちょっと砂浜上がろうか?」
琉人が言うと「そうしよっか」と言ってバシャバシャと歩いて砂浜へ上がる。二人とも砂浜に上がって、波打ち際をじっと見ていると。少しずつ青白い光の点が打ち上げられてくる。そのうちに波の動きに合わせて青い光が大きく動いたり揺らめいたりする。少しずつ、少しずつ点の光が集まり線になっていく。その線の光が波でぶつかると美術で絵の具を垂らした後に息で吹いて絵の具を広げるような様子で、白い光が広がる。波によって少しずつ光が集まってくる。月明かりが乱反射する海面に青い光が瞬き、伸びたり広がったりする。その場所だけ見ていると現実の世界ではないかのような錯覚に陥る。
しばらく二人でその様子を見ていたが、突然朱里が走り出してバシャッと海に入っていく。そのまま光の方をバシャバシャ進んでいく。琉人は最初少し驚いたが、いつもの朱里の様子が微笑ましかった。朱里の動きにつられて海面の光が、びっくりするような、逃げるような動きで反応して動く。上からの月明かりと海面からの弱いに光にも照らされた朱里が真っ暗な舞台の上にいるように見えて綺麗だった。
「良かったねー、見られて」
水をすくう動作をしている朱里が琉人に向かって言う。琉人は朱里の言葉で、見とれていた自分の意識を取り戻す。
「良かったさー。ウミホタル見たの久しぶりだけど。ほんと綺麗だねー」
離れた朱里に向かって少し大きめな声で琉人は言った。
「琉人は来ないのー?」
琉人が言うと、朱里はすぐに琉人に言った。朱里の言葉に琉人は少し考える。
「いいさー。あんまり行くと、にごるさ。ここからでも充分綺麗だよ。あかりはおもしろい?」
琉人が応えて聞くと「面白いよー」と朱里は言って相変わらずバシャバシャしていた。結構長い時間、朱里は海に入って砂浜の周りを歩き回っていた。
「おーい、朱里、そろそろ戻ろうか?」
のんびり朱里やウミホタルを見ていた琉人は携帯の時計を見て、九時を回っていることに気付き朱里に声を掛けた。その時、朱里が突然「キャッ」と高い声を挙げた。琉人は朱里の声で驚き、朱里が見ている方向を見るため振り返ると、初めて近くに人影があるのに気付いた。琉人は黙ってその人影を見と、その人影も動きを止めて琉人を見ているのが分かった。琉人と同じくらいの背丈で、男のようだった。
「あの、すいません。ウミホタルを見に来たんですが」
人影が慎重に琉人に言った。男の声で、穏やかな口調であり、琉人は少し安心する。
「ウミホタルならこっちに来たらいいさ」
琉人が答えに戸惑っていると、海に入っている朱里が声を掛けた。人影は朱里の言葉で海に入り「おおー」と声を挙げて驚いていた。朱里に近づきながら「綺麗だねー」と朱里に話し掛ける。
「そうさー。綺麗さー。おにいは初めてね?」
朱里は足をバシャバシャさせながら話しを続ける。おにいと呼ばれた人は、「初めて!こんなに綺麗だと思わなかった」と返す。
「内地の人ね?」
「そうそう、ないちゃーね」
「あー、ないちゃー分かるんだ。どこから来たさ」
朱里はふらふらと海をかき混ぜながら、おにいと話を続けている。その様子に,なぜかイラッとした琉人は浜辺から海に入っていく。
「埼玉なんだ」
「おー、サイタマか。都会だね」
「いやー、そんなことないよ。東京に近いところは都会だけど、俺は結構田舎の方の出身だよ」
おにいの言葉に、朱里は「へー」と不思議がっている。
「朱里なんね?そろそろ帰るさ」
会話に割って入るように、琉人は朱里に近づきながら声を掛けた。
「そうなんだ。もうおそいもんね。教えくれてありがとう」
男は、琉人に連れられて離れていく朱里に手を振り、「ありがとー」と改めて言った。朱里も離れながら「バイバーイ」と言って返す。
琉人と朱里は砂浜に上がり来た方を目指す。琉人が少し不機嫌な様子だったが、朱里はその意味も分かり放っておいた。気にせずに琉人に「今日は、見られて良かったねー」と言う。
「もっと遅い時間にならないと見られないと思っていたけど、今日はこの時間で見られてラッキーだったさ。あんまり遅くならずに帰れそう」
気を取り直した様子の琉人が言う。
「ほんとね。遅くなっても待つつもりだったけど、早く帰れるのはいいさ。帰ってシャワー浴びたいし」
朱里の言葉に、琉人は「ハハ」と苦笑いするが、朱里には伝わらない。
「ちょっと待って、おとうにメールするさ。帰る時間気にしていたから」
思い出した朱里の大きな声で驚きつつ、琉人は朱里を見て「そうだね。ウミホタル見られたって伝えておいてよ。ありがとうってもさ」打つメールを見ながら言う。
「よしっ、行こっかー」
メールを送り終わった朱里が言うと琉人の前を歩き始める。琉人ものんびり並んだ。砂浜の小さな丘を越えて、来るときに背負ってもらって渡ってきた浜に出る。
「帰りは歩いて渡れそうだね」
浜を見て琉人が言う。
月明かりで海面がキラキラと輝き、来たときよりも対岸までの幅がかなり狭くなっているのが分かった。朱里は水位の様子を見て「行けるねー」と言って、琉人の先をどんどん進んでいく。琉人はゆっくりと後を歩いた。深いところでも、膝より少し上くらいで対岸に渡ることができた。堤防へは琉人が先に上って、朱里を引っ張り上げた。
その後の帰り道は、月が高く上がり、来るときよりも足下が照らされていて、歩きやすかった。泡瀬の町に入り、途中の朱里の家で分かれて琉人はのんびり帰った。




