第9話
彼女は安心させるかのように私へ頷いてみせ、彼女の言う通りにした。
彼女が乗ってきた馬車に揺られ、私は叔父の邸へやってきた。
使用人から知らせを聞いたらしい叔父が私と彼女を出迎えにやってくる。
彼女に支えられながら馬車を降りて来た私に、叔父はぎょっとした。
「マルグリット……! どうしたのかね!」
おろおろした様子で私にどう声をかけたものか迷っている様子だった。
隣にいた彼女が前に出る。
「ルイ。しばらく……いいえ、もっと長くていいわ、この子をあなたのところに居させてあげて」
「オリヴィア。これはいったいどういうことだね。説明してくれるかい? いや、マルグリットがここにいたいのなら一向に構わないし、むしろ歓迎するが」
「私はたまたま外出先で出会って、話を聞いただけ。それよりも、ルイ。この子を取り巻く状況は想定よりもずっと深刻よ」
叔父は困惑した顔で、どういうことかね、と聞き返した。
「その、マルグリットが婚約破棄されてしまったことは知っているが……」
彼女はかすかにためいきをついた。
「同じ女性だからこそわかることもあるのよ。ルイ、リケの家はもう取り返しがつかない。あなたの姉妹がいた頃とは違う。この子の味方はあの家にはもういないでしょうし、この子は亡くなった母親のために踏ん張っていただけ」
「……そう。そうだな。私も、すがりついていたのかもしれないな。あの男も、さすがに実の娘にひどいことはしないだろうと……姉が愛した人だから、と……」
叔父の胸中にもいろんな気持ちがよぎったのだろう。しかし、すぐに叔父は私をまっすぐに見つめた。
「マルグリット。この場にいるということは……もういいんだね?」
「はい」
言葉とともに最後の迷いを吐ききった。
私は、家を守るための戦いに負けた。そもそも勝負ですらなかったのかもしれない。それを認めたくなくて、必死にあがいていたけれど。
亡くなった母の望みは、そこにはないことを今は信じられる気がした。隣にいる彼女の口を通じて、知らせてくれたように思えたのだ。
母は私を愛してくれていたから。だからこそ諦めて手放す勇気を持ちたいと願った。
「叔父様。ご迷惑をおかけしますが……」
「迷惑なものか!」
叔父は食い気味に否定する。
「私はマルグリットが来てくれるのをずっと待っていたのだ。よし、歓迎の宴を開かねば……! おい、ルドルフ! ルドルフ! いるかね!」
大声で家令を呼び始める叔父に、傍にいた修道女がこっそり耳打ちした。
「ルイは相当に喜んでいるわね。まるで子どもみたいにはしゃいで……」
「はい」
今は素直に叔父の気持ちが嬉しかった。
こうして、私は叔父の邸でしばらくお世話になることに決めたのだった。
初めこそ「歓迎の宴だ!」と叔父様が騒いでいたけれど、家令に「マルグリット様は先日お倒れになられたばかりですよ」と窘められたため、歓迎の宴はひとまず延期となった。
叔父様の邸には元々、私の部屋があったけれど、長期滞在用ではなかったという。叔父様の一声で、叔父様の自室にほど近く、以前よりももっと大きな部屋が用意された。
私のためにと調度品をあれやこれやと吟味しているし、食事ひとつにしても、医者に尋ねさせて、身体の負担にならないものを用意してくれる。疲労のためか調子を崩してベッドの上で過ごしていても、時間を見つけては私が退屈しないように話しかけにきてくれた。
昔からよくしてくれる叔父様だとは知っていたけれど、ここまで私に甘くなれる人だとは思っていなかった。これまでそのように扱われていなかったものだから、なんだか落ち着かなかった。
「マルグリット、もう体調はよさそうかな」
「はい。もう大丈夫です」
「うん。医者ももう太鼓判を押していたよ。来た時と比べて血色もよくなった」
「……叔父様。本当にありがとうございます。感謝しています」
「よかった」
叔父様は笑み崩れた。
実母も美しい人だったと聞くけれど、実母と同じ血を引く叔父もまた年を取っても相当な美丈夫である。若いころは相当女性の人気をさらったと聞くが、前妻を亡くしてからもずっと独りを貫いている。子どももいなかかったら、なおさら私のことがかわいくて仕方なかったのかもしれない。
「この邸はもうマルグリットの家でもあるから、好きな時に好きなようにしていいのだぞ」
「ありがとうございます。ところで叔父様……リケの家からは何も言ってきていませんか?」
叔父様の顔に影が差した。いや、と首を振る。
「何も言ってきていないとも。叔父さんのほうでうまくやっているから心配しなくてもいい」
――うそだわ。何もないわけない。
体の調子のよい時は、少し屋敷内を歩くこともあった。その時に、リケの使用人が手紙を持ってきているのを見かけたのだ。
叔父様は私を心配させまいとしているだけだ。
今もリケの家のことを思うと、胃のあたりが重くなるような気がする。
「ああ、そうだ。今日も今からあそこへ行くのだろう?」
唐突に話題を変えた叔父様に、私は慌てて頷いた。
「ええ、参ります」
――いつもは聞かないのに。どうして今日に限って……?
叔父様をじっと見たけれど、特に何もわからなかった。
「そうかい。もう制限はしないから、好きなだけ過ごしなさい。あ、だが、食事と睡眠はきちんととること! おじさんと約束しなさい。守らないと、新しい本を入れてあげられなくなってしまうぞ」
「それは困ります……!」
「そうだろうそうだろう」
叔父様は満足そうに頷いた。そこで部屋の扉がノックされる。
「旦那様。そろそろお時間です」
「わかった」
使用人の声に返事をしてから、叔父様は私へ向き直った。
「少し所用があるから外出してくる。また夕食で会おう」
「わかりました。叔父様、お気をつけて」
「うむ」
そのまま外出する叔父様を見送る。手持無沙汰になった私は邸の中を歩いた。
――叔父様はいくらでも邸にいていいと言ってくれているけれど、甘えていてばかりもいられないわ。
体調が回復してくると、ふとした時にそんな考えが頭をよぎるようになっていた。
――これからどうするのか考えないと。