07.聖女であるために
「うっかりしていた。まだ食事も出していなかったな」
眠りから覚めたレスタト様はそう言って、私を他の部屋に連れて行ってくれた。
魔王城の中はとても広い。一人だとすぐに迷ってしまいそうだ。
そして案内されたのはとても広いダイニングルームだった。
「すごい……」
私はうっかり言葉を漏らしてしまった。
そこにはたくさんの食事が並んでいたからだ。
上位種族の食事は人間なのだと思っていた。
けれど食卓に並んでいるのは海鮮類や肉類、それも美味しそうに調理されている。
今できたばかりなのか、温かそうで美味しそうな匂いが漂ってくる。
「食べろ」
魔王様はそう言って席についた。
こんなに豪華な食事を食べるのは初めてだ。私は気になることを一つだけ恐る恐る尋ねることにした。
「こ、この食事の中に人間が混ざってたりはしませんか?」
「するわけがないだろう。お前が食べる食事の中に人間を入れるか」
「そ、そうですか……」
安心して私はパンに手を伸ばした。
パンは触り心地からして全然違っていた。いつもかちこちに固まった冷たいパンを食べていたけれど、そのパンはホクホクしていて、とても温かい。
口の中にいれると、柔らかい感触とパンの旨みが広がった。
「んん〜。すごく美味しいです」
最高の食事だった。
こんなに美味しいパンを食べることができるなんて……あとでバチが当たってしまいそうだ。
サラダは勿論、海老や蟹、豚肉や牛肉も美味しく調理されている。
「……急いで食べなくても余裕はある」
レスタト様は私の様子を見て、ため息をついた。
「こんな豪華な食事をありがとうございます。一生の思い出になります」
「何を言ってる。これから毎日同じように食事は出す。旬のものを使った料理を料理長に作らせる。一日三食。昼にはティータイムもいれてやる」
「そ、そんな贅沢……っ! 一日一食で充分です! 断食も聖女の修行なので」
「その聖女を辞めろと言ってるんだ」
――そういえばレスタト様はずっと私に聖女を辞めろと言ってくる。
聖女ではない私に存在価値なんてないのに。
……あ、そうか。
「わかりました! 私を丸々と肥やして食べる気なんですね!」
「……お前は本当に」
レスタト様の声には怒りが孕んでいた。
「お前は俺の嫁だ。食べないと何度言ったらわかる」
「……うーん」
何度言われてもピンとこない。
何で魔王であるレスタト様は、聖女じゃない私を求めるのか。
「とりあえずその鶏ガラのように痩せた身体をどうにかしろ」
「……はい」
とりあえず食べれるだけ食べた。
元々胃袋が小さいから、食べる量も少なかった。
「それで足りるのか? もっと食べろ」
「いえいえ! もうお腹いっぱいです! これ以上食べられません!」
「……もっと食べれるようになれ」
「は、はい……」
贅沢地獄とはこのことを言うのだろう。
それからーー
毎日食事は三食、お昼にはアフタヌーンティーが振る舞われた。
レスタト様は日々の業務が忙しいらしく、全部に同席してくれてはいない。
でも夜は必ず一緒にご飯を食べてくれた。
そして夜は一緒のベッドで眠った。
けれども、レスタト様が私に手を出してくることは全くなかった。
いつも仕事に襲われている彼は、私を抱き枕のように抱きしめながら眠っていた。
毎晩彼の鼓動を聞きながら、ふかふかな布団で眠った。
もう祈りをやめて3日が経つ。
私はただの人間になってしまうのだろうか。
いや、それは嫌だ。
レスタト様は私に聖女を辞めろと言った。
でも聖女を辞めるということは、私にとって「生きるのをやめろ」と言われているようなものだ。
毎晩横で眠るレスタト様に、こっそり治癒魔法をかけて自分の力を試した。
治癒魔法をかけると、どっとした疲れが私の身体にのしかかってきた。これだけレスタト様は毎日疲れているのか。
「……変な人」
突然いなくなった姉。
上位種族に乗っ取られた国。
まるで息を合わせたかのようなコンビネーション。
お姉ちゃんはもう戻ってこないと言っていた。
聖女として、私はこの国を守らないといけないのに。
レスタト様の優しい寝顔を見ていると、何だか心が温かくなる。
私に豪華な食事を与えてくれて、ふかふかなベッドを用意してくれる、優しい変な人。
私は彼の寝顔を見つめていた。
――その時、ふと思った。
私が国のためにできる唯一のこと。
この人を殺せばいいんだ。
魔王を殺せば、きっと国は元に戻ってくれる。そしてきっとお姉ちゃんも戻ってきてくれる。
ふかふかな布団や豪華なご飯とはお別れすることになるけれど、それでも私は国に生かされているんだ。
こんな至近距離まで近づくことができている。
でもまだ殺せない。
上位種族の生命力がどれくらい違うか知らないといけない。
首を切っても生きてるかもしれないし、心臓を刺しても殺せないかもしれない。
彼らのことをもっと知って、そして魔王を殺す。
それがきっと私に与えられた試練なんだ。
その時、彼がボソリと呟いた。
「……リリアージュ……」
寝言だったけれど、はっきりと聞こえた。
私は驚きを隠せなかった。
……なんで私の名を知っているの?
私は名乗っていない。姉のマリアの名前を借りて名乗った。私の存在も名前も国家機密なのに。
やっぱりこの人は殺さないといけない。絶対に。
リリアージュを知っているこの人を。