10.否定され続けた存在
レスタト視点です
リリアージュの状態はひどい。
長年かけて国に洗脳されてきたのだろう。
俺たちのとって普通の食事を与えた途端、リリアージュは目をキラキラと輝かせて、年相応の女の子のような反応をした。
今までどんな暮らしをさせられていたのだろうか。
リリアージュを見つけた塔の中も監獄のような場所だったらしい。
床に毛布だけ置き、祈りの道具という名の拷問器具――ナイフやペンチやノコギリ等――が並べられていたらしい。
リリアージュは幼少期からその生活で、それが当たり前なんだと思いこんでいる。
マリアの言葉の意味がわかった。
『ワタクシにあの子は救えない』
マリアはきっとリリアージュの現状に気づいて国を捨てたのだろう。
そしてその妹であるリリアージュを救うということは、彼女の洗脳を解いて普通の少女にさせること。
ただ、長年にわたる洗脳はなかなか解けない。
肉体的な暴行、精神的な汚染が染み付いている。
そんな日常が当たり前なわけがないのに、リリアージュは当たり前といって聞かない。
塔の中でリリアージュを見かけた部下が『化け物』と言ったのにも共感できた。
人間の負の心を全部押し付けられた少女から語られる過去の日常は気味の悪い言葉だらけだった。
「祈りではない暴行……ですか? あぁ、ありましたよ。週に2回くらい。国の騎士さんが殴ってくれたんです。自分でやる祈りとは違って、びっくりするくらい痛かったですね。でも私は聖女なのですから、その人たちを受け入れないといけませんし」
リリアージュはあっさりと暴行について話してくれた。
ひどい洗脳だ。
相手を全く憎んでいない。
それどころか当然のことにように受け入れている。
寄ってたかって小さな少女に暴力を振るう。人間という生き物はこんなにも醜い生き物なのか。
実の姉であるマリアが救えなかったこの少女を、俺は救えるだろうか。
――いや、救わないといけない。
リリアージュに専用のメイドをつけて、毎日衣服も整えさせ、髪も香油で溶かした。豪華な食事も与えて、共に眠りについた。
こうやって、今までよりもこっちの生活のほうが良いと分からせるしかない。
城に来てから、リリアージュはいつも驚いた表情を浮かべるが、一瞬たりとも笑ったことはない。
俺は昔、リリアージュに助けられた。
その恩を返さないといけない。
リリアージュを幸せにさせてやりたい。
「レスタト様、祈りの時間をください」
リリアージュが直談判をしてきた。
大広間の中で、彼女は大きな声をあげた。
「ダメだ。あんな『祈り』は許可できない」
指を6本落としていた時には驚いた。
片手が使えなくて、最終的に足を使って5、6本目を切り落としていた。
「では、どんな祈りなら良いのでしょう?」
「そうだな。普通に手を合わせて神に願うくらいならいい」
「普通に手を合わせるだけって、それじゃあ祈りにならないです!」
「じゃあ祈ることは全部禁止にする」
俺の言葉をきいたリリアージュは、ぐぬぬ……と俺を強い目で見つめてくる。
俺はずっと思っていたことを彼女に尋ねてみることにした。
「何でお前は聖女で在りたいんだ?」
「それは……」
リリアージュが薄ら笑いを浮かべる。
俺から目を逸らす。
「聖女だったら、たくさんの人を助けられるから」
「たくさんの人を助けて、お前に何の利がある」
「……聖女として、人を救えたという誇りが残ります」
「何が誇りだ」
あんなに痛めつけられて、洗脳までされて、それでもまだ人間を救おうとするのか。
「自惚ぼれるな。お前はただの人間だ」
俺はリリアージュの両腕を掴んだ。
「利用されているだけとなぜ気づかない! 都合の良い存在にされているとなぜ気づかないんだ!」
俺の声は自分でも驚くくらい震えていた。
「……国は私を殺さないでくれました。忌み子である私を生かしてくれたんです。だから国に感謝をしないと――」
「生かした末すえがあの扱いか。人間以下の扱いを強いられて、なぜ気づかない!」
「……――気づいて、ます」
リリアージュは俺の目をまっすぐに見て言った。
「わかってます。私が受けている扱いは酷いものだって言われてることも、そういうことをされていることも。でも……逆らうことなんてできるわけないじゃないですか」
彼女の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「私は……逆らったらいつでも殺されるんです! 聖女じゃなくなったら価値がなくなる。死ぬ前に私はこの世に私が生まれた意味が欲しいんです! 無価値のまま死にたくない!」
「国のためか?」
「はい。私が祈るのは全て私を生かしてくれた人たちのためです」
リリアージュの目がすっと細くなった。
そして彼女は服の裾から棒状のものをだした。
「――だからっ! 死んでください!」
彼女が手に取っていたのはナイフだった。
気づけば俺の脇腹にはそのナイフが刺さっていた。
通常であれば上位種族の俺に、ナイフなんてものは効かない。だが、このナイフはリリアージュの血が塗りたくられている。
聖女の血に塗れたナイフは、流石に俺の身体に傷を与えた。
「こんなものでお前が救われるなら、俺はお前を受け入れるよ。リリアージュ」
「……レスタト様」
元より彼女に生かされたこの身だ。
幼い頃、リリアージュから受けた治療がなければ俺は今ここにいない。
「……食事は美味かったか?」
「……はい」
「布団は暖かかったか?」
「……はい」
「この城で過ごすのは、苦痛だったか?」
リリアージュの瞳から、大きな涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「そんなわけ……ないじゃないですか……」
彼女は俺の身体からナイフを抜いた。
「全部、全部、嬉しいことばかりでした……温かいご飯なんて初めてでしたし、布団の中にはいつもレスタト様がいて、優しく受け入れてくれていて……。この城にいるみんなが私を道具扱いしなくて……」
ナイフが床に落ちる。
血が床にぼとぼとと流れ落ちる。
「わ、私は……今まで正しいと思っていたことが全て不幸だなんて思いたくないんです。そんなことをしたら、これまでの人生をすべて否定することになるから……。なのに、なのに……今の方が前よりも嬉しいなんて、楽しいなんて……全てがあべこべで……わけがわかんないんです。私は何を信じれば良いんですか? どうしたらお姉ちゃんみたいな聖女になれるんですか? どうしたら『しあわせ』になれるんですか?」
リリアージュは刺してきた跡――傷口に手を当てた。
「回復」
「お前……っ!」
リリアージュの回復術は、相手の傷を肩代わりするものだったはずだ。
俺の傷跡は塞がり、彼女の脇腹から血が流れ出す。
「ごめんなさい。レスタト様。貴方を傷つけてしまって……」
彼女の涙が止まる。
「レスタト様は最初から、私が……お姉ちゃんじゃないって……マリアじゃないって気づいていたんですね」
「いいからっ……喋るな!」
彼女の口元から血が流れ落ちる。
聖女とはいえ、彼女はただの脆い人間だ。
「……嬉しかったです。ちゃんとリリアージュを……私を見てくれて」
徐々に弱ってくる彼女の鼓動。
「さいしょから、私なんて……産まれなければ、よかったんです……」
「すぐに医療班をっ!」
俺は側近たちに命じる。
彼らは俺にナイフを向けてきたリリアージュを警戒していた。けれどその傷が彼女に移っていたことで状況を理解したらしい。
「私は……レスタト様の笑顔が、好きです。だから……笑って? レスタト様」
顔色が悪い。
彼女の身体は手元にあるのに、心がどんどん遠くなっていく。
彼女の心に触れることが出来た。彼女の精神を正しい方向へ導くことが出来た。
――だから
あと少しなんだ。
「ありがとう、ございました。助けてくれて……」
冷たくなってゆく手を掴む。
――助けられたのは俺の方なのに。
力が入っていない。
ぼとりと床に落ちる。
もう少しなのに。
声が届かない。
リリアージュは笑顔で息を引き取った。
上級種族でも死んだ者を生き返らせることはできない。そんなことができるのは神しかいない。
この世界に神なんていないのに。
俺の腕の中にいる少女は、生まれたときから最期まで、ずっと不幸だった。
幸せにしてやりたかった。
もっと声を聞きたかった。
もっと笑ってほしかった。
もっと、愛を囁きたかった。
それなのに……
「……なんで、お前は……いつも自分のことを後回しにするんだよ……」
作られた存在でも構わない。
聖女じゃなくて構わない。
ただただ普通の女として、彼女と言葉を交わし、幸せを教えてやりたかった。
哀れな少女に。
「あら。お呼びですの?」
凛とした声が響き渡る。
大広間に堂々と立っていたのは、リリアージュと同じ容姿をした少女、いや、ホンモノ聖女。
マリア・ルージュ・ダルクだった。
上位種族には沢山異人がいるのですが、そこをもうちょっと掘り起こしたいなぁと思っていたら話がクライマックスに入りかかってました。




