始まりの瞬間
7月7日、夜6時50分。
あと10分も経てば、その時は訪れる。
甘粕清蘭
能登鷹音唯留
大山田白千代
エデン・エクスカリス
エルミカ・エクスカリス
5人の少女達の運命が、世界が。
大いに変わるかもしれない始まりの瞬間が。
「もうすぐ、ですね」
「そうだね~お客さんの入場は始まってるんだっけ~?」
「始まってますデス。いやードキドキワクワクデスね!」
「この壁が上がれば、嫌が応でも分かります。どれくらいの方々が見に来ているのか」
「あーじれったいなー! 早く開かないかなこれ?」
あの後、雄和太に送り出された清蘭達は、一列に並んで待っていた。
【BEGINING STUDIO】では客席とステージを開演までは完全防音の壁で仕切るため、あちら側からもこちら側からも状況の把握が出来ない仕組みだ。
それでも客席までに繋がる通路を使えば、一応様子を伺うことも出来る。しかし、それは今回はナシとしていた清蘭達。どれだけの人が見に来てくれるのか、その感動を共に感じ取る為に。
……あるいは、感動ではなくその対極、絶望になる可能性もあるにはある。【Cutie Poison】のライブがあったことで、こちらに来るはずの観客がいなくなることもあり得るのだから。
しかし、その可能性から目を背けずに皆は受け止めつつ。それでも観客がいるということを信じ、開演時間を心待ちにしていたのだった。
「……ありがとね、皆」
おもむろに放たれた感謝の一言。
それを発したのは遊園地のオープンを待つ子どものように、開演を待ち遠しく騒いでいた清蘭で。皆の視線はおのずと清蘭に注がれる。
「どうしたんですか?」と皆を代表するかのように音唯留が尋ねると、少し間を置いてから清蘭は二の句を継いでいた。
「あたしね、こんな風に誰かと一緒に一つの目標に向かって何かをやるって、初めてだったんだ。そりゃ学校で運動会とか文化祭とかもあったんだけど、なんていうかその、本気になれたのってアイドル活動だったなーって思って」
これまでを思い出しているような表情をして話す清蘭。
笑顔を浮かべながらも、その声には様々な想いが込められていた。
「もちろんそういうのも楽しかったし、あたしなりに全力を尽くしてたと思う。だけど……辛いはずなのに、嫌で逃げ出したくなったはずなのに、続けたのってアイドル活動だけなんだ。レッスンじゃプロデューサーが細かくグチグチ言ってくるし、センターに向いてないって言われた時は……アイドルやめようかなって思ったりもした」
声が僅かに震える。その時のことを、克明に思い出して。
清蘭がセンター失格の烙印を押されたその瞬間は皆も見ていた。清蘭が覚えているのと同じように、皆の脳裏にも鮮明に甦ってくる。その時の悲痛な表情や、逃げ出すようにして事務所から飛び出して行った清蘭が。
「でも──皆がいてくれたから、あたしは今ここにいる、いれるんだよ」
清蘭の笑顔から陰りがなくなった。
満面の笑みと言う他にないその表情を、清蘭は1人1人に向けて伝えた。ありのままの想いを、ありったけの感謝を。
「音唯留、あたしと親友になってくれてありがとね。音唯留の歌声はすっごく綺麗だし、あたしはいつも聞き惚れてるんだ。それに、いつもあたしを褒めてくれるし、本当に嬉しい! これからも親友でいてね、大好きだよっ!!」
「シロさん、いつも優しくしてくれてありがとう。シロさんって凄くマイペースだし、不思議に思う時もあるけど、そんな雰囲気に癒されることが多くって。レッスン後に頭撫でてくれるの、これからもお願いね、大好きだよ!!」
「エデン、今まで色々アドバイスしてくれてありがとっ。最初はプロデューサーみたいに細かく言ってくるからウザッて思った時もあったけど、今じゃあんたのことも結構好きになれてるよ。ううん違う、大好きだよっ!!」
「エルミカ、いつも元気をくれてありがとうっ。どんなに辛いレッスンの時でも、エルミカの笑顔を見たら何か乗り超えられそうな気持ちになるんだ。その笑顔、これからもずっと見せてよね、大好きだよっ!!」
嘘をつくことや自分の気持ちを偽ることなどない清蘭の言葉。満面の笑み。
それを知っているからこそ、伝えた想いはどこまでも真っ直ぐに皆の心に届いた。身体に優しい温かさが溢れて来るほどに。
しかし唯一、目だけはジーンと熱くなっていた。
「清蘭さんっ……!」
「わわっ」
清蘭への抱擁。
その行為を最初にしていたのは音唯留だった。普段は控えめで自分の気持ちを身体で表現することは滅多にない音唯留。そんな彼女からの抱擁に、清蘭も皆も驚かされる。
「私も……清蘭さんにありがとうって伝えたいですっ……! 大好きだって言いたいですっ……! ……清蘭さんはいつも明るくて、私をいつも鼓舞してくれてっ。勇気づけてくれる憧れの存在ですっ……!」
「音唯留……」
「ボクも~音唯留ちゃんと同じ気持ちだよ~。清蘭ちゃんを見てると弱気な自分がふわ〜ってどっかに行っちゃって〜前向きになれるんだ〜。いつもありがとう〜大好きだよ清蘭ちゃん〜」
「シロさん……」
「以前からも、清蘭先輩はわたくしの憧れの存在です。清蘭先輩の何者にも負けない自信や勢いは、本当に尊敬しています。わたくしもその……好きです、清蘭先輩のこと」
「エデン……」
「ワタシも清蘭先輩が大好きデス! 今でも時々理不尽で傍若無人な所もありますデスが……でもそれ以上に清蘭先生のことが大好きデスっ! 清蘭先輩と出会えて、本当に良かったデスっ!」
「エルミカ……」
音唯瑠に続いて、皆も自身の想いを口にしながら清蘭を抱きしめた。いつも通りマイペースな白千代、少し照れくさそうにしているエデン、天真爛漫な笑みを見せるエルミカ、とそれぞれ異なるが、清蘭への温かな想いは変わらず。
「皆……ありがとねっ、ホントに!!」
抱きしめられていた清蘭は、それまでよりもさらに笑顔となると。その短い言葉にありったけの感謝と好きという想いを込めて、皆に言い放っていたのだった。
緊張も、強ばりも、何もかもが吹き飛んで。
ただ心に感謝と幸せが満ちたその時、目の前を覆っていた壁が下がり始め、隙間からはあちら側の光が漏れてきた。
清蘭達はそれらに気づき、正面を見る。ゆっくりと下がり続ける壁は、あと数秒もすれば清蘭達に''現実''を教える。
だが、もう笑顔がなくなることはない。そんな確信すら、清蘭達は抱いていて。
たとえ見てくれる人が一人だけだったとしても、全力で、本気で、自分達の''輝き''を魅せる。
そう心に決め、遂に始まりの瞬間を迎えていた──。