世界を飲み込む者達
──7月7日──
日本では七夕と呼ばれるその日は、年に一度互いに想い合う織姫と彦星が出会うことを許されたという伝説が残るロマンチックな日だ。
6日の夜にも世間を魅了した綺麗な星々。それが今日も見られそうな雲一つない夕暮れ。都内某所にあるライブ専用アリーナ施設【MUSASHI GARDEN】は人々で溢れ返っていた。
「早く開場しないかなー?」
「今日何時から並んでる?」
「昼過ぎだなー! 学校サボってきたべ!」
夏にも差しかかり暑さも厳しくなりつつある時期だったが、ここに集った人々の大半はランチタイム頃から並んでいた。夕暮れになり少し暑さが緩くなったとは言え、その額には汗を浮かべていたりするも、それすらも気にしていなくて。
それもそのはず、この者達はこれから──【Cutie Poison】によって、今年一番の"熱"を体感するのだから。
「皆様大変お待たせ致しました! ただいまから開場致します! 順番を守って、列を乱さないようご入場下さい!」
拡声器を通したスタッフのそんな声が響いたのは5時26分、ライブ開始の約30分前だった。
もうすぐ訪れる歓喜の瞬間、熱狂の時間を今から想像して入場するファン達は胸を躍らせる。しかし、よく出来たものでスタッフの言葉通り列を乱す者は皆無で、誰もが規律を守っている。
当然、それは今日このデビューライブに参加出来た者達のマナーが良いということもあるが、加えて彼女の影響が大きかった。
──【Cutie Poison】のリーダー、アリス・天珠院・ホシュベリーの影響が。
アリスが掲げるのはただ1つ、"己の世界を魅せること"のみ。いつ如何なる時も、どんな場所であろうとも、アリスが"アリス・天珠院・ホシュベリー"としてパフォーマンスをするのであれば、ただひたすらに己の世界に相手を惹き込み、魅せる。
それを阻害するもの……彼女の言葉で表すと"不純物"は、何であろうとも許さない。同じメンバーであっても、自分達のことを応援してくれるファンであっても。
それ故、アリスは以前に迷惑行為を働いたファンをファンクラブから除名し出禁にするほどの措置を取ったこともある。もちろんその異色すぎる行いにはバッシングが集まるも、アリスの不動のスタンスに徐々に世間は黙らざるを得ず。
そうして残ったのが、今回のライブに参戦するような精鋭達、という訳だ。
「はぁ~どんな曲なんだろうね。『Die Kill a 唯』! 楽しみだなぁ~!」
「アリス様の御姿をこの目の焼き付けとかないとな……。瞬きしないようにしないと」
「奏ちゃんの歌声って聞く度に鳥肌だよね~!」
「リューのダンス、今回はどんな感じなんだろうな! ますます力強くなってそうで楽しみだ!」
「ティッシュ2箱持ってきたけど、これで足りるかな? ロリィたそってばマジでガチにマジ天使だかからなぁ」
「透ちゃんの笑顔、今回は見れるかな? 普段のギャップもあって見れたらすっごく眼福だよね!」
今もなお入場列は乱れないが、ファンの間で会話は弾む一方だ。
アリスを筆頭に他のメンバーの話をしつつ、新曲である『Die Kill a 唯』に期待を膨らませていく。
この時点で、既にファン達は【Cutie Poison】の魅せる世界に入っていた。普段の生活で感じるストレスなども、ここでは最早"不純物"。彼女達以外の話をする者など、誰もいなかった。
彼女達が魅せてくれるであろう新世界『Die Kill a 唯』、それにファン達が期待にドキドキを加速させていく中、当のアリス達はと言うと──
「すまなかったッッッ!!!」
何故か、控え室にメンバーの1人であるマッス・リューの声が木霊していた。しかも、叫んだ本人は土下座をもしているという、奇奇怪怪な状況。
だが、これは本人達からすれば不思議でも何でもなく、リューの土下座は必然であった。音無奏も、蕗莉野ロリィも、不知火透も、それを分かっている顔つきで。
ただ1人、その顔つきに別の感情を滲ませるのはアリスだけであった。地べたに土下座をするリューを、凍りついた視線で刺しながら彼女は言い放つ。
「……何度も言ったでしょ? あなたは今日のライブをやる資格はない、って」
「そりゃあそうだがッ……! だが俺はッッ……!!」
「しつこいわ。贖罪もせずにのうのうとステージに立てる、なんてまさか思っている訳じゃないでしょうね?」
「ッッッ……!!」
食い下がろうとするリューを一蹴するアリス。
以前に清蘭と言い争いになり、そのまま取っ組み合いの喧嘩に発展しかけたリュー。暴力沙汰はアリスの中では、アイドルが魅せる世界とは全くの無関係のまさに"不純物"そのもの。
故に、アリスはリューを許す気にはなれなかった。リューは今日に至るまでずっとアリスに謝罪を続けて来たが、それは虚しくもアリスの心には響かなかった。
しかし、1つだけ気になることもアリスの中に生まれていて。それは、リューがこんなにも今回のライブをすることに何故か拘っているということであった。
普段であれば、自らが課した"罰"には従順に従うのに、今回に限っては何度も何度も土下座を繰り返して……それは本来であればプライドの高いリューがしないはずのことだった。
「別に、【Cutie Poison】を辞めろと言っている訳じゃないのよ。なのに、あなたはどうしてそんなにも今回のライブに拘るの? 新曲デビューライブなんて、いつもやってることじゃない」
「それはッ……アイツと……いやアイツら出会ったからだッッ……!!」
「遠回しにせず、ハッキリ言いなさい」
「……【12345!】の奴らだよッッッ……!!」
「……清蘭ちゃん達、ね。どうしてあの子達と出会ったことが、今回のライブに出ないといけないことに繋がるの?」
「んなモン、決まってんだろぉがッッッ!!! アリスも感じただろッッッ、アイツらの……"熱"をよッッッ!!!」
「っ……」
責めの言葉を視線を止めなかったアリスに、その時初めて別の色が表れる。
思い出されるのは清蘭の魅せた"世界"。ほんの僅かな間ではあったが、自らが生み出した世界の氷を溶かしてその場にいた全員を引き込む程の魅力を持ったそれは、今でも鮮明に覚えている。
心と、身体のどちらも、彼女が魅せた"熱"を覚えている。
「今日、俺達のライブの後にアイツらのライブがあるんだろッ……? だったら、尚更今日のライブに俺
は出なきゃいけねェんだッッッ!! せっかく今日来てくれたファン達にッッッ、そしてあいつらにッッッ、全身全霊ありったけの俺達を魅せずしてッッッ、どうすんだよォッッッ!!! そっちの方がッッッ、俺は"不純物"だと思うぜアリスゥゥゥッッッッッ!!!!!」
体勢は土下座のまま、顔を上げたリューは必死の剣幕で叫ぶ。息を飲むほど皆は圧倒され、アリスも反論出来ないほど、驚愕していた。
その気迫にではなく、アリスに真っ向から歯向かったという事実に、皆は驚くしかなかった。
今まででは考えられないリューの謀反、それをさせたのは紛れもなく──脳裏に浮かぶ、鮮烈な5人の姿だった。
「ふふっ、あはははははははっ!!」
リューの視線を受け止めながらも、アリスは突然笑い出していて。皆はさらに困惑することになるが、構わずアリスは声を上げて笑い続けた。
既に……清蘭達の魅せる世界はここまでの領域に達していた。それをリューを通してまざまざと見せつけられたことに、アリスは笑わずにはいられなかった。
──嗚呼、なんて面白い。嗚呼、なんて素晴らしい。最高よ、あなた達。
実際に清蘭達がいたのなら、そう言葉をかけたいと思いつつ、アリスはいつもの微笑みを浮かべ、リューの言葉に応える。
「分かったわ、リュー。そこまで言うのなら、今日のライブに出ることを認めてあげるわ」
「ほ、本当かッッッ!!?」
「えぇ。でも、誓いなさい。必ず、今日のライブでは死力を尽くすことを」
「ああッッッ、もちろんだぜッッッッッ!!!!! アイツらにゃあ絶対に負けねえよッッッッッ!!!!!」
目を生き生きとさせ拳を打ち鳴らすリューに、皆も胸を撫で下ろす。
メンバー全員でのライブが決まった所で、もうライブ開始の10分前となっていて。アリスは、全身から自らのオーラを放つと、改めて告げる。
「さぁ、行きましょう──【Cutie Poison】の世界を魅せて、全ての人々を飲みこみに」
微笑みが妖艶に光り、アリスは先頭を行く。
輝かしいステージに、それ以上の輝きを放つ自分達を──"魅せる"べく。