マジ天使が舞い降りる
「清蘭ちゃん、ちょっと早い! 皆の動きに合わせて!!」
「うぇぇ!?」
「音唯瑠ちゃんは逆にちょっと遅い! もう少し頑張って!!」
「は、はいっ!」
「白千代ちゃんも同じだ! テンポを上げて!」
「うん~っ」
「エデンちゃんエルミカちゃん、ちょっと動きが小さい! 遠慮しなくて良いよ!」
「はいっ!」「はいデスっ!」
6月27日、土曜日。午前9時26分。
都内のダンススタジオ【テレプシコーラ】には、軽快なサウンドと共に時折それすらを上回る声がある部屋から響いてくる。
怒声に近いような気迫の籠もったそれは男の声で。傍から聞いていても思わず生唾を飲み込んでしまいそうになるほどの迫力に満ちていた。
「動きが乱れて来てるよ皆! あともう少しだから頑張って!!」
そんな声を響かせる男──矢場井雄和太は、自らの事務所の所属アイドルである皆に厳しく目を光らせる。
デビュー曲をBGMに歌なしでダンスのみの通し。しかし、その熱の入れようは最終確認のリハーサル並であり、どんな些細なテンポのズレや動きのブレがあったとしても、すぐさま雄和太は指摘していた。それが誰であろうとも。
「よし、お疲れ様。5分休憩したら、もう1回最初からだよ」
それだけ告げると部屋を後にする雄和太。残された5人は息も絶え絶えにその場に座り込んでへばっていた。が──
「あーもー細かすぎっ!! プロデューサーってば分かってること何度も言わなくて良いのにーっ!」
やはり最初に大声と共に不満をぶちまけたのは、メンバー内随一のスタミナ馬鹿で自分の気持ちには正直すぎる清蘭だった。
床に背をつけながら足をブンブンと振り続けるその様は、まるで好きなおもちゃを買って貰えない女児のようで……いや寧ろそんなことをする女児の方がいないので、清蘭はそれよりも精神年齢が低いと言えた。
「はぁ……ぜぇ……わ、私も何度も指摘されてしまいました……」
「はぁ~……はぁ~……そうだね~……。清蘭ちゃんの速さをボクや音唯瑠ちゃんに分けて貰えたら、お互いにちょうど良いかもね~……」
必死に酸素を取り込みつつも、宥めるように清蘭の話に参加する音唯瑠と白千代。「そーなればいーんだけどなぁー!」と現実的でないと分かりつつも、白千代の言葉通りになれば良いなと思いながら清蘭は勢い良く身体を起こしていた。
「ってか、エデンとエルミカあんま指摘されてないよね。あんた達ってやっぱ上手いんだねー」
「ふぅ……いえ、わたくし達もまだまだです。現に、5回指摘されてしまいました」
「はぁ……デスねー……。動きが小さく見えてしまうというのはちょっと勿体無いのデス……。もっと身長が伸びてくれれば解決するんでしょうかデス……」
「いや、わたくしも同じ指摘を受けてるから身長の問題じゃないと思うぞエルミカ」
「むきゅう……」
エデンとエルミカに話題を振るも、2人も浮かない顔だ。
やはり、自分の至らぬ部分を指摘されて快く思う人間はそうはいない。5人の間に意気消沈したような雰囲気が流れ出す……が。
「よーしっ! 次は絶対に直してやるんだからっ!! 見てなさいよプロデューサー!!」
唐突に、そう叫ぶ清蘭。
その瞳は悔しさも映りつつ、それ以上のやる気に満ち溢れていて。そんな清蘭の叫びに皆も呼応するように立ち上がっていた。
「ふふっ、そうですね。目指すは"5000兆点"ですもんね」
「清蘭ちゃん凄いやる気~。ボクもへこたれていられないね~」
「底なしのポジティブさ、流石は清蘭先輩です」
「何だか、グングンやる気が出て来ましたデスよーっ!!」
先ほどのムードは一気に消え去り、皆の顔には笑顔が戻る。
そこからは雑談をしながらストレッチをしたりと休憩明けに向けての準備を進める清蘭達。
しかし彼女達は、いや清蘭は知る由もない。
この時既に自身が''ある資質''に目覚めていたことに──。
「えーっと、清蘭先輩がオレンジジュースで、音唯瑠先輩がスポドリで、シロさんが麦茶で……」
スタジオ内にある自販機の前に向かいながら、注文を言葉にしてエルミカは思い出していく。
先ほど行われたジャンケンで負けてしまったが故の買い出し役、とは言ってもその顔に不満げな様子は一切なかった。
頼まれたものも普段から変わりはしないのだが、念の為ということもあっての呟きで。「それで、お姉ちゃんとワタシがコーラ!」と元気良く言うと、ちょうど自販機の前に辿り着いていた。
「あっ」「あっ」
しかし、そこでばったりと他の利用者と出会ってしまった。
同時に声を出して気がついたその利用者は、偶然にも自身と背丈が同じくらいの小柄な少女であった。帽子を目深に被り、マスクもしているのでその顔は見えないがその声色はとても可愛らしくて。また、その声の幼さも自身と同じくらいであった。
となれば、年上である自分が譲るのは自明の理。エルミカは両手を自販機の方に向けて、譲る意志を分かりやすく伝える、
「あ、あのっ、お先にどうぞデス!」
「い、いいえっ! あなたの方からどうぞですっ!」
「いえいえそちらから!」
「いえいえあなたから!」
しかし、そこからお互いに譲り合う形となり、中々進展しなかった。
互いに徐々に早口になっていき、どうぞどうぞと譲り合いの精神をオーバーヒートさせていく始末。はやく買ってこないと休憩が終わるという焦りもあり、エルミカは少々パニクり気味になってしまうが。
「わっ、きゃあっ!」
自分と同じようにあたふたとして焦っていたあちらの少女が、何かの拍子に足をもつれさせこけてしまう。
無論、エルミカは「大丈夫デスか!?」と駆け寄ろうとしたが──それを、ふわりと舞った桃色の髪が止めていた。
「えっ……」
それを見ると、エルミカは身体を硬直させる。
その髪の美しさに見惚れた……訳ではない。帽子に全て押し込まれていたせいで気づかなかったが、エルミカにとってその桃色の髪は見覚えしかないものだったのだ。
「いたたた……す、すみません。ロリィ、よく何もない所でこけちゃうんです……」
少女が、自身の一人称らしきものを口にしながら立ち上がる。
ふわふわと羽毛のような柔らかさを持った桃色の髪が腰辺りまで伸びている少女。
つけていたマスクも、こけた拍子に外れてしまっていて。その顔つきは、エルミカと同じかそれ以上の幼さと可憐さを放っていた。
それらにも、当然エルミカは見覚えしかなくて。
「ろ……ろ……──蕗莉野ロリィ……ちゃん……!?」
【Cutie Poison】における自らの最推し。自らのマジ天使。
目を見開き、身体を震わせ、鼓動を爆発的に速めながら──エルミカは少女の名を口にしていた。