回り始める歯車
「はあっ……はあっ……はあっ……」
「お疲れ様でした。今日はここで終わりにしましょう」
「はい……」
傍にあった椅子にゆっくりと腰を下ろすと、俺はリハビリ技師の方にお礼の言葉を告げる。技師の方はにこやかに無言の微笑みを返すと、「失礼します」とリハビリルームから退室していった。恐らく、何か野暮用があったのだろう。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
呼吸を整えつつ汗を拭う。しかし汗はまだ止まりそうにはない。
今日も今日とて、俺はリハビリに励んでいた。骨への負担を考えて、1日に出来るのは2時間だけ。その間、俺が行うのはただ"歩く"ことだけだ。1週間前に"ツブヤイター"に投稿したあの動画のように、一歩一歩を踏み出すのに全神経と体力を費やすあれを、今日も俺は行っていた。
「そう言えば、反響えげつなかったな」
そんな俺の独り言に誰かが言葉を返してくれるはずはないが、別に構わない。俺は脳裏にあの動画──【九頭竜倫人"再起動"】を投稿した後のことを思い出していた。
はっきり言えば……ドン引きするくらい話題になった。
まぁそりゃあ前例のないない尽くしだったからな。まず所属アイドルの個人的なSNS利用は原則禁止しているジョニーズ事務所が、よりにもよって影響力が馬鹿デカい"日本一のアイドル"である俺に"ツブヤイター"の使用を許可したこと。そして、その内容が俺のリハビリ動画であったこと。
もうトレンド入り待ったなしだった。"九頭竜倫人"が日本のトレンド1位に浮上し、世界中でも話題になってたし。
なんなら、複雑骨折を記者会見で発表した時よりも反響が大きかったな。"倫人様ロスにサヨナラバイバイ"なんて変な言葉も生まれてたな。
「まぁ、ファンの皆を元気づけられたみたいで良かったな」
色々な感情が湧いたけど、やっぱり嬉しい気持ちが一番大きかった。
俺が大怪我をしたことで、嘆き悲しむ人達がいたこと、その絶望がずっと続いていたこと、それは実際に目にした訳じゃないけど肌で感じてはいた。
それは理屈なんかじゃなく、アイドルとしての仕事を続けていく内に養われた一種の第六感みたいなもので。人の喜びや幸福以外にも、そういった負の感情も感じ取れるようになっていた。
だからこそ、今はハッキリと分かる。日本を覆う悲しみが、絶望が、確実になくなっていってる。今の俺のありのままを証明する動画を見てくれた人達が、悲しみから立ち直ってくれていることが。
「……頑張らねえとな」
俺は決意を新たにする。
待ってくれている人達がいる。その人達を、俺の本来の姿で笑顔にしたい。
そう、強く、願うような決意を。
「お待たせ致しました。今日でちょうどリハビリ開始から1週間ですが、順調に回復して来ていると思います。九頭竜さん自身の感覚はどうですか?」
「はい。激しい痛みなどもありませんし、特にこれと言った異常もありません」
「そうですか。何か微笑んでいらっしゃいましたし、リハビリが順調そうで良かったです」
「あ、あはは……」
おっと、決意を抱いていたら思わず顔に出てたか。ちょっと恥ずかしいな。
それはともかく、今日も今日とて的確且つ徹底的に安全に配慮してくれたリハビリを指導してくれた技師さんには感謝の念しかないな。この人の腕は一流だな、間違いなく。
いや、よくよく考えれば根本的な所から感謝したいな。一流の技師の方に加えて俺専用の貸し切りのリハビリルームも用意してくれたのは、間違いなくシロさんや黒影さんの。普通なら確実にこうはいかないからな。復帰したら必ず何らかの形でお礼をしないと。
……でも超ブルジョワな2人に俺が出来る恩返しってなんだろうな? プレゼント……はよほどのものじゃないといけなさそうだ。俺の将来に向けての貯金全てを使い果たしそうだ……。
「この調子でいけば、予定されているよりも早く退院することも出来るかと思います。アイドルのお仕事も、早めに再開出来ますよ」
「本当ですか!」
「はい。とは言え、焦りは禁物です。無理してリハビリをして過負荷をかけてしまうと、骨や筋肉系を再び痛める恐れがありますから。今後のリハビリでも、焦らず、ゆっくりと、無理をせずにやっていきましょう」
「はい!」
シロさん達への恩返しの件は、技師さんの言葉で頭の片隅に追いやられた。そん時はそん時だし、今集中すべきことはリハビリだしな。
しかし、技師さんの言う通り順調にいっている時こそ慎重になることも必要だ。特に、今回の大怪我は俺も初めての経験だし、素人判断で高負荷のトレーニングをするなんて馬鹿な真似は絶対に駄目だ。
……でも、あれだけ多くのファンの方が悲しみから立ち直ってくれたことを実感すると、どうしても気持ちが逸ってしまいそうにもなるな。
上手く気持ちをコントロールしつつ、1日でも早く復帰したい。ファンの皆を、今度は悲しみから立ち直らせるだけじゃなく、笑顔にして輝かせたいな。
早く……"あの場所"に帰りたい。皆と一緒に輝ける、"あの場所"に──。
そうは思いつつも、今日のリハビリを全て終えた俺は、技師さんに連れられて自分の病室に帰っていったのだった。
「ふぅ。さてと……始めるか」
夕食も終え、本来なら一服をしている午後8時26分。
"ツブヤイター"を始めたことで、俺の日常はほんの少し変わった。
それは、自身の呟きに対する反応を見ることだ。
とは言っても、俺の1つの呟きに対し万単位のリツブヤキー(呟きを拡散すること)やイイよ!(様々な捉え方はあるものの、基本的にはその呟きに好感触だった時にする評価機能)がついたり、リプがついたりとするので、そっちにはあんまり本腰を入れていないが。
"ツブヤイター"をやってて思ったのは、自分の呟きを発信する以外は何もしない方が良さそうだということだ。
一般人と喧嘩して炎上する芸能人とか、昨今じゃ珍しくない。そりゃあ"ツブヤイター"は自由な発言が出来る場所ではあるが、芸能人ともなれば自身の影響力を考えないまま不用意に呟くべきではないからな。
それはそうとして、先の俺の言葉が何を意味しているのかというと、今日投稿する動画の編集が終わったことだった。
もちろん投稿するのはリハビリの進捗で、事務所や総合マネージャーの支倉さんを通じて許諾を貰った上での呟きだ。流石に炎上はしないだろう。
「よし、呟くか。……って、フォロワー520万人突破してんな……」
呟くべく自分のページを開けば、今もなお増え続けるフォロワー達が目に入る。ほんの1週間で500万人を超えるだなんて、俺も事務所も予想外で口あんぐりだよ全く。
なお俺はジョニーズ事務所公式アカウントと【アポカリプス】公式アカウントしかフォローしていない。我ながら無難だ。
それはさておき呟きを投稿だ。しかし、リハビリ動画だけじゃそろそろ味気なくもなって来たな。何か別のことをし始めようかな? 詩の朗読とか良いかもなぁ。もしくは百人一首朗読とか? ……教育系テレビの内容まんまだな。
「んおっ!?」
考え込みつつ、呟きを投稿しようとしていた俺は不意打ちを喰らった。
とは言っても、俺の命を狙う殺し屋がM16片手に病室に乗り込んで来たとかじゃなくて、携帯が揺れていた。誰かが電話をして来ていただけなんだが。
「はぁ……?」
画面を見て電話を掛けて来た主を確認すると、疑問に満ちた声が出た。
どうしてこんな時に、こいつが? と。
疑問は尽きないものの、別に出られない訳でもないので、溜息を1つついてから俺は応じていた。
「もしもし」
「ささのはさらさら♪ のきばにゆれる♪ おほしさまきらきら♪ きんぎん すなご♪」
「あのなぁ、用がないなら切るぞ──アリス」
「あら、随分と短気なのね、倫人。いや、これは早漏と言うべきかしら」
と、悪びれる様子もなく電話の主──アリス・天珠院・ホシュベリーはさらに俺をからかう。
女性アイドルの頂点に立つこいつがそんな下品な言葉を、さらに九頭竜倫人に向けて言っていたと世間に知られたら……瞬く間に大スクープだな。
まぁそれは口にしないでおこう。
「短期でも早漏でもねえよ」
「あら、じゃあ短しょ──」
「言わせねえよ!? ってか急に電話を掛けて来たと思いきや、その電話の主が歌ってたら誰だって不気味に思うだろうが。で、何の用なんだアリス?」
「ふふ、何の用なのか当ててみて?」
「お前なぁ……」
文字通り、俺は頭を抱えた。
ある種、アリスは我が愛すべき幼馴染の清蘭以上に厄介な存在だ。
それは、掴みどころのない自由奔放過ぎる性格が主な理由だ。前にナースに扮して俺の病室に忍び込んだ時もそうだったが、とにもかくにも自分のやりたいことに関しては躊躇うことなく実行してしまう。
清蘭とは別ベクトルだが、人の迷惑を省みないという点では似通っている。
だけど、いつも何の意図があるのか分からないミステリアスな部分を感じさせるのは、清蘭と全く異なる部分だ。
「そうだな……リモートお見舞いって所か?」
「ブー」
「じゃあ、暇潰し?」
「ブッブー。まぁでも半分は合ってるからブーにしておいてあげるわ」
「結局不正解じゃねえかそれ」
「はい時間切れ。残念ね」
「時間制なら先に言えよ……」
「それじゃあお待ちかねの答え合わせといこうかしら。答えは、宣伝よ」
「宣伝?」
「そう。【Cutie Poison】の新曲『Die Kill a 唯』の初披露ライブの日程が正式に決まったから、あなたに伝えておこうと思って」
「ふーん、そうだったのか」
新曲の宣伝の為に電話してくるなんて分かる訳ねえだろ。
っていうか、そういうのは普通は事務所の発表があってからするものだろ。ホントにこいつは自由奔放だな。……まぁ、アリスだからこそ出来るって感じだな。
「いつなんだ?」
「それも考えてみなさい。今度は一応ヒントをあげるわ。ヒントは、最初に私が歌っていた歌よ」
「最初に歌っていた……?」
何言ってんだコイツと内心思いつつ、記憶を探って電話を掛けて来た時のことを思い出していく。
「あっ」
それは、誰もが一度は聞いたことのあるものだった。
小学校の音楽の授業で習い、歌ったりもした──『たなばたさま』。
「ひょっとして……7月7日か?」
「ピンポーン。今度は正解ね」
「……そうか」
この場に清蘭達がいたら、どんな顔をするのだろうか。
俺はそう考えずにはいられなかった。
『Die Kill a 唯』
その初披露ライブの日は、7月7日。
──清蘭達のグループのデビューライブと、同じ日だったから。