清蘭、突然の全校集会
6月8日
朝8時30分
この日も変わらず日本中は雨空模様。都内某所にある秀麗樹学園も例に漏れず、今日も今日とて大雨に晒されていた。
「……」
雨音以外は何も聞こえない静寂。その状態が全校生徒が集まった体育館でも保たれているのはこの時だけだ。これから全校集会を控えた秀麗樹学園生は、誰もが沈黙を貫いていた。
その理由は秀麗樹学園の生徒が他と比べて真面目だから、ではなく。
近年稀に見るレベルの梅雨で毎日雨が降り続けて憂鬱だから、でもなく。
──"九頭竜倫人"がいないから、であった。
「……」
誰も彼も、話さない。話す気力が湧かない、と言った方が適切だった。
倫人自身の口から発表された超ド級の衝撃的活動休止宣言から1ヶ月が経過しても、秀麗樹学園生もとい日本中の憂鬱は晴れないでいた。
一時期収まったかのように思えた"倫人様ロス"も、ふとした瞬間に発症することからまるでPTSDのようなものとなっており、日本中の精神科医がヒィヒィ言ってるとも週刊誌で報じられる程で。未だに収まる傾向にないのは、とんと生気のない顔でボーっと突っ立ってる全校生徒が証明しているようなものであった。
(……急に、どうしたんだろ。清蘭さん)
しかし、中には"倫人様ロス"から立ち直り、人間としての感情を取り戻した顔つきをしている者もいる。
親友がこれから何をする気なのかという疑問に満ちていた。その少女──能登鷹音唯留の顔は。
(急に『今日全校集会するから、生徒は全員第一体育館集合ねーっ!!』って校内放送があったから驚いちゃったなぁ。一体何を話すんだろ……?)
今朝からの出来事を振り返ると、音唯留の疑問は深まるばかりだった。
今の秀麗樹学園の生徒会長は清蘭である。それでも、如何に清蘭と言えども学校運営上の計画に従って行われる全校集会その日急に行うという横暴はしなかった。
だがこの日、遂にと言うべきか突然の全校集会宣言を清蘭がした。
その意図は、親友である音唯留にも分からないもので。ひょっとしたら清蘭の満たされない自己顕示欲がとうとう臨界寸前となり、今日ここで自己顕示欲大爆発して清蘭礼賛の儀が執り行われるのかもしれない……と、音唯留の顔には不安も表れ始めていた。
「あーあー、テステステス」
そんなことを思っていると、審判の時はやって来た。
マイクチェックをする清蘭の声が静寂を破る。
声に出したり手でマイクを叩いたりなど入念なチェックがされ続ける中、時間と共に音唯留のハラハラが増していく。
果たして、今回の全校集会で清蘭は何をする気なのか。
校歌を自身に向けた讃美歌に変更すると高らかに言うのか
清蘭を唯一神とする新たなカルト宗教"清蘭教"が出来上がるのか
それとも……自分を見てくれない全校生徒に愛想を尽かし、全員を退学にさせるのか
音唯留のハラハラドキドキが極限に高まり、あわわと顔に書かれるくらい分かりやすく表情に出たその瞬間──清蘭は動き出した。
「とうっ!!」
それまで姿を見せなかった清蘭は、ライトが当てられている壇上の演台の上にくるくると前宙返りをしすると、派手に音を立てて着地していた。
演台がミシミシっと軋む音をさせるほどの着地は、片膝を立ててもう一方はつけて、片方の拳も同じようにしてつけて顔は上げない、いわゆる"スーパーヒーロー着地"をして清蘭は皆の前に姿を表していた。これには思わず音唯留もぽかんである。
少し間を置いてから、顔を上げる清蘭。
その表情は真顔で、何を考えているのか分からない。あれだけ派手な登場をしたのに誰一人として驚くどころか反応しない所を見てかんしゃくを起こすのではないかと、音唯留は再びハラハラドキドキする羽目になる。
真顔のまま、清蘭はゆっくりと立ち上がり、ゆっくりとマイクを口元に持ってくる。
果たしてその第一声や如何に……音唯留は祈る想いで清蘭を見つめた。
「おっっっっっはよぉぉおおぉおおおおおぉぉおおおぉおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおっっっっっ!!!!!」
息をすうっと吸い込み、第一声を放った清蘭。
それは、全力の''おはよう''だった。
体育館中に響き渡る清蘭の声は、最早マイク要らずの大声量であり、音唯瑠を初めとする生気を持った極わずかな者は反射的に耳を塞ぐしかなかった。
手で塞いでも耳にビリビリとした感覚が走るほど、清蘭の声は凄まじく。ようやくその反響もなくなったところで、清蘭はいつものドヤ顔を浮かべて体育館を見渡した。
「……」
しかし、目に飛び込んできた光景に今度は清蘭が黙り込む。
あれだけの声を出そうとも、''倫人様ロス''に陥ってる者達は注目していない。どころか、存在すらも認識出来ているのかどうかも怪しくて。
清蘭はフンっと鼻息を鳴らすと、俯いている生徒達にキッパリと言い放った。
「あんた達、本当につまんない奴らね」
一切棘を隠す気のない鋭い声が、体育館を駆け抜ける。
その言葉にヒヤッとしたのはもちろん音唯瑠、そしてエデンやエルミカであった。
清蘭という人間をよく知る音唯瑠達からすれば、ここから清蘭は大爆発を起こすに違いない。自分を見て貰えない、構って貰えない、ということを極度に嫌がる清蘭だから、あれだけの大声を出したのに見向きもされないのは耐えられないに違いない──と。
「そうやって下ばっか向いて、前すら見る気ないなんて、本当につまんない。つまんなさすぎて、笑えないって」
だが、音唯瑠達の予感、予想はその時に外れた。
鋭く棘のある声色、しかしそれを一定に保ったまま冷静に清蘭が話していたことで。
「あのね、あんた達がどれだけ悲しんでも、倫人が怪我したって事実は変わらないの。過去は……どう足掻いても、やり直せない。変えられないの」
自らの境遇──両親から愛されず、見向きもされなかった過去の自分が頭を過ぎる清蘭。
それによって、声が少し震える。過ぎ去ったこととは言え、その思い出は清蘭の心の芯の部分に鋭く刺さり、深く染み渡っていたから。
だとしても、清蘭はもう振り向かないと決めていた。
''過去''の傷が、''今''の人達のおかげで癒せると、分かったから。
''今''の自分が、''今''の人達のおかげで変えられると、分かったから。
そして──''未来''の自分が、''今''からならいくらでも創れると、分かったから。
「まぁ、それでも悲しむならずっと悲しんでおけばいいわ。そしたら、あたしは声高に叫んでやるわ。九頭龍倫人は……''日本一最低のアイドル''だって」
その言葉に、顔を俯かせていた生徒達は顔を上げる。
あの九頭龍倫人をそのように呼ぶのも呼ばれるのも、秀麗樹学園の生徒にとっては地雷である。それを清蘭は真正面から踏み抜いたのだから。
「ははーん。聞こえてくるわよ。あんた達が黙ってても、『いくら世界一可愛い甘粕さんでもそれだけは言ってはダメでございます』ってね。でも、あたしは取り消さないわ。だって、倫人は今こうしてあんた達を悲しませてるんだから」
清蘭はまたドヤ顔を作ると、撤回しない意志を強く主張する。
清蘭がこの学園で尊敬されるべき''学園一の美少女''であることに異議を唱える者は誰一人としていない。
しかし、清蘭を超えて皆が尊敬の念を向ける存在、倫人に対してそのような呼び方をされると……流石に我慢ならなかった。
「……ください」
「えっ?」
「取り消して……ください! 倫人様は……''日本一のアイドル''です!!」
体育館のどこからか、そんな声が聞こえた。
音唯瑠の声でもエデンやエルミカの声でもなく、清蘭の知らない声。その声は怒りと悲しみがごちゃ混ぜとなり、震えていた。
遂に、重い扉を清蘭はこじ開けた。''倫人様ロス''に陥り、言葉すらも失った者の……心を呼び覚ましたのだ。
「そうね。じゃあ一つ言っといてあげる。倫人を''日本一最低のアイドル''にしてるのは……あんた達だってことを」
「……えっ?」
「だってそうじゃない。倫人は、【アポカリプス】の活動を通して、あんた達を笑顔にしてくれたじゃん。輝かせてくれたじゃん。それが何よ、倫人が怪我したからって悲しんでばっかで、倫人がくれたものを忘れてる。本当に、つまらないわあんた達」
本当につまらない。
何度その口から飛び出したであろう言葉が、その時になって初めて意味を伴っていた。
清蘭がそう思っていたのは自分に構ってくれないことではなく、悲しみに塞ぎ込んで立ち止まっていたことに対してであった。
清蘭に反旗を翻した女子生徒のみならず、体育館中がざわめきに包まれる。その中でも、清蘭は構わずに話を続けた。
「倫人がくれた輝きを、自分達から見失っといて何が''倫人様ロス''よ。怪我をしていようがいなかろうが、倫人は倫人よ。何も変わってないし、これからも……あいつは変わることはないわ」
ふと懐かしさが込み上げ、清蘭は笑みを零す。
両親から見放され、祖父母の家に預けられた時のこと。
隣の家に住んでいた、こけるとすぐに泣いてしまうようなか弱い男の子。その子と過ごす内にいつしか自分の傷が癒えて、また笑えるようになっていたこと。
九頭龍倫人は──誰かを笑顔にして、幸せにさせるのが本当に似合っている。
だからこそ現状を変えたいと、清蘭は強く願って。拳を握りしめて、想いを乗せて、言葉にする。
「時間はかかるだろうけど……倫人は必ず戻ってくる。戻ってきてくれる。そんな時に、あんた達は倫人をそんなしょぼくれた顔で迎えるつもり? ハッキリ言ってあげる。そんな奴はクズよ!! 倫人の事をちゃんと迎えたいなら、復帰した時の倫人が見せる以上の笑顔で、倫人を迎えなさい!! 誰かを悲しませるのが倫人の仕事じゃないでしょ!! 倫人が居なくても、倫人がくれた言葉や輝きがあるでしょ!! ずっと雨に打たれてるみたいに悲しんでる場合じゃないでしょ!! 顔上げなさい!! だってそこには必ず──太陽があるから!!」
想いが昂り、いつしかマイクを放り捨てて清蘭ほ叫んでいた。はぁはぁと息を切らすほど、叫ぶのに夢中になっていた。
再び、静寂が訪れる。それはしばらく続き、自分の想いや言葉が届いていなかったのかと清蘭も不安に思いかけた中──パチ、パチ、と音が静かに空間を穿った。
それは紛れもなく、拍手だった。
音唯瑠、エデン、エルミカの3人が送る極わずかな拍手。
しかし、それらは徐々に音と勢いを増していく。拍手をする人数が、増えている。
そして──遂には、体育館中が拍手の雨に包まれて。元々の雨の音など全く聞こえなかった。
清蘭の言葉は、悲しみに暮れ絶望していた生徒の心を……動かしていたのだった。