立ち止まっていられない!〜エデンとエルミカ、そして清蘭〜
都内某所、とある一軒家。
一軒家と言っても、6LDKほどもあり、立派な天然芝の庭付きという豪邸のような作りとなっていて。その自慢であろう天然芝の庭で、2つの影が向き合っていた。
「エルミカ、いくぞ」
「オッケーっ!」
人影の正体は、そこに住んでいるエデンとエルミカであった。
音唯留や白千代がランニングに精を出している中、エデンとエルミカもまた雨の中で自主トレに励んでいた。
「はぁあああぁああああっ!!」
「やああぁあああぁああっ!!」
しかし、2人が行っているのはランニングではなかった。
音唯留や白千代とは異なり、体力の下地がある2人が励んでいたのは、何故か模擬徒手格闘戦であった。雨音が空間を割いていく音の中に、2人の叫び声が木霊すると共に、エデンの中段蹴りとエルミカのハイキックが交差する。
もちろん模擬なので、実際に当てることはなく寸止めである。寧ろ、それがこのトレーニングの肝であり。
「次だ! うおおぉぉおぉおおおおおおっっっ!!」
「よーし! だりゃああぁああああぁあああっ!!」
初撃の状態からお互いに距離を取ると、二撃目を放つエデンとエルミカ。地面を蹴り、舞う土が再び大地に落ちる前に一瞬で距離を詰めて放たれたのは、エデンが正拳突きでエルミカが回転を加えての裏拳。
「あっ……」
しまった、という顔をしたのはエルミカの方だった。それは、エデンの頬にほんの少し、当たってしまったからだ。
このトレーニングの意図は、互いに激しい動きながら決められたポーズでぴたりと止まる、というものだった。それは歌とダンスを求められるアイドルにおいて、さらには今後5人で活動していく中でその技術をより伸ばす必要があると感じたからであった。
「ふむ、まだまだだな」
「ちぇーっ」
「ふて腐れてる暇はないぞ。次だ次」
エデンは冷静にエルミカを諭すと、所定の位置に戻ろうとしていた。
「ん……?」
が、その途中で何やら気配を察知して。
振り返ると、エルミカが空を見上げて雨に打たれてまま立ち止まっていた。曇天をじっと見つめるその顔は何か思う所があるのが明らかで、「どうしたんだ?」とエデンは尋ねずにはいられなかった。
「お姉ちゃん……アリス様の言ってたこと、どう思った?」
「あぁ、自分の世界云々の話か」
エルミカの隣に立つと、同じように空を見上げるエデン。雨粒が目に入ろうとも一向に気にすることなく、打たれ続けながら改めてアリスの言葉を思い出す。
「図星、だったよ。確かに、わたくし達は"ダイヤモンドハンティング杯"で、アリス様の言う自分の世界とやらの糸口を掴んだ。だが……アリス様のように、普段の立ち居振る舞い、言葉からそれを魅せられるかと言うと……今はまだ出来ていないな」
「そうだよねー。アリス様と言い倫人様と言い、本当に凄いんだなーって思い知らされたよね! あーあ、ちょっとは上達って思ったのになーっ!」
半ばヤケクソ気味に呟くと、芝生の上に仰向けにエルミカは転がる。傍から見れば本当に自棄になったのかと、エデンは声をかけようとしたが。
「ワタシ、絶対に見返してやるって思った!」
「エ、エルミカ?」
「だって、今回馬鹿にされたのはワタシだけじゃないもん! ワタシも、お姉ちゃんも、白千代さんも音唯留先輩も清蘭先輩も、ワタシが大好きで尊敬してる皆が馬鹿にされたんだもん! ぷんすかだよワタシっ!」
直後、跳び起きたかと思えばやる気を燃やし、地団太も踏んでいたエルミカ。
これまではエデンとエルミカとして、2人で頑張ってきた。清蘭にコテンパンに負けた時も、涙が出るくらい悔しかった。
しかし今回の勝負にすらなっていない敗北、屈辱には、純粋な怒りが込み上げて来ていた。それも、2人で負けた時以上の激情が、身体を動かさずにはいられなくて。
「お姉ちゃんっ! 絶対絶対、''日本一のアイドル''になろうねっ! ワタシとお姉ちゃんと、皆さんでっ!!」
両手を胸の前でグッと握りしめ、力強く宣言するかのように言い放ったエルミカに、エデンの励まし言葉はもう必要はなかった。
「……あぁ、もちろんだ。アリス様の言う自分の世界、それを皆で創り上げよう。そして……なるぞ、''日本一のアイドル''に、倫人様のように」
代わりに口から飛び出したのは、了解の意を含んだ決意の言葉で。
笑みを浮かべると空を見つめ、そこにエデンはグッと拳を突き上げていたのだった。
「……何してるの?」
「え、えーと……雰囲気でだな……」
「……」
目覚めた美少女は、まず鏡を見つめた。
寝ぼけ眼でハッキリとは見えないが、目をこすると徐々に自分の姿が見えて来て。
「よし、今日も可愛いわね」
己の可愛さを確認、もとい確信すると美少女は──清蘭はベッドから立ち上がった。酷い寝癖が生み出す芸術的な汚さのベッドを直すこともなく、ふわぁ〜とひとあくび。
清蘭にとって、自身の圧倒的可愛さを確認するのは日常茶飯事だ。今日も例に漏れず、立ち鏡の前でドヤ顔を決める清蘭、しかしあることに気がつく。
「……あれ? まだ起きなくて良かったじゃん」
と、ふと携帯電話の画面を確認すると時刻がまだ5時を回ったばかりなことに気がつく。
いつもなら6時半頃までしっかりと睡眠を取り、倫人のモーニングコールで起きるはずなのに。今日に限って何故かこんな時間に起きてしまったことに首を傾げずにはいられなかった。
「何であたしこんな時間に起きちゃったんだろ? うーん……まぁいっか。もっかい寝よっと」
が、特に理由を考えることなく再びベッドインし、スヤァを決め込もうとした清蘭。
『あなた達は──''日本一のアイドル''にはなれない。自らの世界すら作れない者が、世界を変える者にはなり得ないのよ。絶対に、ね』
だが、閉じかけた瞳はアリスの言葉によって一瞬にして見開いていた。
「だぁああああああぁあ〜〜〜っ!! 何なのよアイツ!! ホントにムカつくっっ!!」
激情が瞬間沸騰し、清蘭は部屋の隅に枕を全力投球。枕の冥福を祈るばかりだ。
「あのクソアマっ……!! ふざけたことばっか抜かしやがってっ……!! あんたなんかあたし達が本気を出せばぎったんぎったんのめっちょめちょのおたんこなすトーヘンボクにしてやれるんだからねっ!!」
既に死体となった枕に、文字通りの死体撃ちをぶち込んでいく清蘭。
蹴りを浴びせる度に羽毛が舞い、部屋中にふわりと落ちていくが構わず。枕をアリスの超然たる綺麗な顔に見立ててひたすら蹴りまくっていた。
「ハアッ……ハアッ……ハアッ……」
罵倒の言葉を叫び怨嗟の念を込めて蹴り続けること十数分、枕も成仏して(羽毛が抜け切って)体力的にも疲れた所で、清蘭は冷静さを取り戻していた。
「自分の……世界……」
アリスの言葉は、ずっとずっと胸にあった。
昨日中々寝れなかったのも、こんな朝早くに目が覚めてしまったのも、そのせいだと清蘭は気がついていて。
「あたし……いや、あたし達の世界って……何なんだろう……どんなものなんだろう……?」
ベッドに座り込んで、考えてみる。
アリスは言動の一つ一つにおいて、周囲にまるで吹雪が舞い氷があるように見えた。否、魅せられた。それは、彼女が持つ人智を超えた美貌と、トップアイドル足るプライドが生み出していたものであった。
「まだ……何者でもないあたし達が……生み出す世界……創れる世界……」
その答えは──なかった。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も……分からない。
自分達の世界が、清蘭には全然イメージ出来なかった顔を俯かせ、しばらく清蘭は黙り込んでしまう。アリスの言う通り、自分達は決して''日本一のアイドル''にはなれないのかと。
「何よそれ……そんなの……──すっっっっっごく、面白そうじゃん!!」
だが、清蘭が思ったことは全くの真逆で。その瞳はキラキラと、宝石のように輝いていた。
「あたし達がどうなっていくのか、あたし達ですらも分からない。それって、よくよく考えたら滅茶苦茶面白いじゃん!! ヤバくない!?」
まるで子どものようにはしゃぐ清蘭は居てもたってもいられず、パジャマのまま駆け出す。階段を慌ただしく降りていくと、既に起きていた祖父と祖母に「おはよーーーっ!!」と挨拶だけすると裸足のまま外に飛び出していた。
もちろん外は土砂降りの大雨。だが、普段なら濡れるのを嫌う清蘭はその時は全く意に介さず、空を見上げていた。
つまり、今の自分達はこうだ。
人々の目が届かない雲の先にある太陽のように、確かな輝きを宿して燃えている存在だ、と。
「そうよ! あたし達は……5人でなるって決めたんだから! 音唯瑠と、シロさんと、エデンと、エルミカと、あたしで!!」
どこにあるかは分からない。しかし、確実にある太陽に向かって清蘭は叫ぶ。
その顔は、かつてない笑みに満ちていた。
「見てなさい!! あたし達は突き進むんだから!! 自分達の世界を知らない、分かってないって言うんだったら、突っ走りながら見つけるわよそんなの!! そんでもって、こんなつまらない世界なんて──ぶっ壊してあげる!!」
ただ口から飛び出ていく、勢いだけで生まれた言葉。
それは、まさに甘粕清蘭という少女らしさの爆発した言葉で。彼女の目には世界を覆い尽くす灰色の雲なんて見えていなかった。
ただ、その瞳が見つめるのは変わらない太陽──変わらない目標だった。




