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立ち止まっていられない!〜音唯瑠と白千代〜


「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」


 6月8日、朝5時26分。

 多くの社会人や学生にとっては憂鬱でしかない月曜日。しかも、今年の6月は異常な梅雨前線により朝日など拝める訳もなく土砂降り模様。

 そんな中でランニングを敢行するなどある種の狂気とも言える。それでも、今こうして息を切らし、雨に打たれながらも少女は──能登鷹のとたか音唯留ねいるは走っていた。


「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ──」


 雨に負けず、何度も視界の遮りになる雨水を時折拭い走り続けていた音唯留。

 その足が突如止まったのは、歯を食いしばって我慢してきた全身の痛みが激しくなったことや、喉の奥から込み上げてきた何かを吐き出しそうになったからだった。


「うっ……はっ……ハァ……ハァっ……!」


 何とか口から溢れそうになるそれを喉の奥に押し留め、蓋の役割をしていた手を膝の上に戻す。吐き気は一時的なものだが、全身の筋肉痛とは常に戦わなければならない。

 音唯留の顔は、いつもの穏やかな表情とはかけ離れた苦悶を浮かべていた。激しい雨に打たれながら、何故自分はこんな想いをしてまで走らなければならないかという疑問も、降ってくる雨粒の数のように思い浮かべてしまう。


「……立ち止まって……いられないんだ……」


 しかし、その疑問が、あるいは迷いが生まれる度に、音唯留は自身にそう言い聞かせていた。

 膝から手を離し、無機質なアスファルトの道を見るのを止めて空を見上げる。

 もちろん、見えてくるのは数え切れない雨粒と曇天。だが、音唯留が見つめていたのはそれらではない。降りしきる雨粒でも、世界を覆い尽くす黒く濁った雲でもなく、その瞳が見据えていたのは……太陽。闇の奥に、確実にある光であった。

  

「……アリスさん……私達は……なるんです……」


 昨日、胸に深々と突き刺さった言葉と、それを発した張本人の顔を浮かべながら音唯留は呟く。

 つい先日に言われたばかりということもあるが、その容赦のなさと現実を叩き込まれるような衝撃を持ったその言葉は、今後も忘れることはない。ずっと胸の中に突き刺さったまま残る棘、昨日アリスが放ったのは、そんな言葉だった。

 だが──その棘は、決意を新たに、そして強くもしていた。

 胸に痛みが走る度に、その次に訪れるのは……"熱と温かさ"であった。


『何の為に自分が歌うのか、それを常に忘れないで欲しい──歌うのが、大好きだって想いを』


 "日本一のアイドル"、そして自分にとって大好きな人でもある倫人りんとがくれた言葉が、音唯留の心に温かさをもたらしていた。

 それは傷の痛みを癒す蝋燭の火のような"温かさ"であると同時に、全身を焦がし居ても立っても居られないような太陽の炎のような"熱"でもあった。


「……見てて下さい。聞いていて下さい。私達が……"日本一のアイドル"になるところを」


 その決意の言葉を放った時、ちょうど雲間から日が差した。

 などという都合の良いことが起こるはずもなく、相変わらずの空模様。

 だが、音唯留が浮かべていた苦悶の顔は、倫人に向けた言葉を呟いた所で笑みも表れていたのだった。









「はぁ~はぁ~はぁ~はぁ~……」


 音唯留が雨の中走っているのと同時刻。同じようにして走り、独特な息の切らし方をしているのは白千代しろちよであった。

 しかし、厳密に言うと同じではない。激しい雨の中を走り続ける、などという泥臭いトレーニングを親バカである黒影くろかげが許すはずもなく、白千代は家に付属のトレーニングルームでランニングマシンを用いて走っていた。


「はぁ~はぁ~はぁ~はぁ~」


 それでも、しっかりと汗が流せるくらいの運動強度に設定してあり、白千代もまた自分自身をいじめ抜いていた。その熱心ぶりは、遠くから見守るメイド達がハラハラするほどのもので。しかし、白千代は足も汗も止めることなくランニングをやり遂げようとしていた。

 

「はぁ~はぁ~はぁ~うっぷっ……」


 しかし、音唯留と同じように体力的に課題のある白千代にも、吐き気の時間が訪れる。ランニングマシンからすぐに降りるとその場にしゃがみ込み、「白千代お嬢様!!」とメイド達が即座に駆け寄っていた。


「だ、大丈夫~……だよぉ~……」


 心配の眼差しを向けるメイド達に手を突きだしてアピールすると、フラフラとしながらも白千代は何とか立ち上がる。

 しかし、その顔は疲労の色が濃く、青ざめているようにも見えてメイド達は心配の色を隠せず。不意に、その内の1人が「今日はもうお止めになった方が宜しいのでは……」と皆の気持ちを代弁する。


「いや〜、止めないよ。ボクは」


 白千代はその提案を、短い言葉で拒否していた。仕える主人でもある白千代にそう言われた以上メイド達は逆らう訳にはいかず、それ以上は了解の言葉以外は何も言わずにいた。


「だって……ボクは……皆と一緒になるんだから……」


 が、白千代の言葉が終わっていなかったことにメイド達は意表を突かれる。なお、白千代の方は彼女達に向けて言ったのではなかった。


「確かに苦しいし〜……しんどいし〜……今すぐにでも止めたいって……本当は思ってるよ〜……」


 言葉にせずとも、それは疲弊が色濃い顔が話しているも同然。自慢の巨乳を大きく上下させるほど呼吸しているのも、その証であった。

 「でもね」と続けると、白千代の顔に疲労と汗以外のものが映る。


「これは……ボクが望んだことなんだ。皆と''日本一のアイドル''になりたいって。ボクが……決めたことなんだ。皆と''日本一のアイドル''になるって」

 

 マイペースで自由気まま、ふわふわとした雰囲気の普段の白千代からは想像も出来ない気迫と真剣さ、それに圧倒されてメイド達は相槌すらも返せずにいた。

 そして、白千代の方も己が言い放った言葉を噛み締める。昨日のアリスの言葉に、ショックを受けたのも事実であったが、だからこそ尚更想いが強くなっていて。

 自らの左胸に手を添える。激しく鼓動しているのはこれまで走っていたこともあるがそれ以上に──


「ボクは……ドキドキしてる。まだまだだけど、皆と一緒に作る''世界''で、見てくれる人達がどんな風にわくわくしてくれるんだろうなって。そして──」


『……お誘いありがとうございます。ただ、それでも俺は──【アポカリプス】として、皆と人々に希望や笑顔を届けたいんです。悩んでいる人がいるのなら、勇気づけて、自分を変えれるように……。シロさんのように、です』


 自分を変えてくれた人を、わくわくさせたい。

 ただその名前は口に出さず、白千代は自らの大きな胸の中にしまい込んだ。

 小さな篝火のように、''その時''が来るまで静かに燃やし続けながら。


「よ〜し、休憩終わり〜。ボク、もうひと踏ん張りするね〜」


 青ざめていた顔はいつの間にか変わっていて。

 メイド達が目にしたのは、汗が綺麗に輝く、思わず見とれそうになってしまう白千代の……笑顔であった。


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