アリスと清蘭達
アリスは、何もしなかった。
清蘭が絶世の美少女たる顔を歪めるほど睨みつけて。
拳にありったけの力を込めて殴りかかった来ていても。
何も、しなかった。変わらなかった。
気品と優美さと余裕の溢れる彼女らしい微笑みを浮かべたまま、清蘭の嫉妬と図星と怒りの籠った拳が来るのを、ただ無抵抗に、不動に、受け入れようとしていた。
「──清蘭さんっ!!」
「っ!?」
しかし、訪れるはずの最悪の瞬間は、思わぬ横槍によって阻止される。
驚きの表情を作ったのは清蘭の方で。後ろに振り向くと背中から手を回して抱き締めている音唯瑠がいた。隣のベッドで眠っていたはずの音唯留が、だ。
それは、もちろん清蘭を止める為の体勢だった。なお暴挙を止めに入ったのは音唯瑠だけでなく。振りかぶった右腕をエデンが、左腕を白千代が、足にしがみつく形でエルミカが、とそれぞれ清蘭の渾身の一撃をすんでの所で防いでいたのだった。
「どいてよ皆! そいつ殺せないっ!!」
「だ、駄目だよ清蘭ちゃん! 暴力を振るっちゃ!」
「そうだよ清蘭ちゃん~。いくらなんでも乱暴は良くないよ~」
「清蘭先輩は、もうわたくし達のグループの一員なんです。これからは私情に振り回される訳にもいかないんですよ。それに……この御方を、わたくしは殴られたくありません」
「清蘭先輩、ワタシからもお願いしますデス。この御方を殴らないで下さいデス」
「このっ……御方っ……?」
まだアリスを殴るのを諦めず、身体を前に動かそうとしていた清蘭。しかし、ただ制止するだけでなく目の前の少女を"御方"と呼び、さらには殴られたくないと嘆願までしたエデンとエルミカに疑問が湧き、身体がほんの少し力が抜けていた。
「圧倒的な清蘭ちゃんの自意識故か、それとも私の実力がまだまだなのか。どちらかは分からないけど、清蘭ちゃんが私のことを知らないというのは確かな事実のようね」
依然として目の前の少女は余裕の笑みを崩さず、殺伐とした空間に美声を放つ。
怒りよりも既にその正体の疑問がいっぱいだった清蘭は殴る力を失っていき、その気がないと分かると皆も解放していた。
その超然たる美しさを誇る顔を改めて見ながら、清蘭は静かに「あんた、何者?」と尋ねる。すると、アリスは何も躊躇うことなく、口を動かしていた。
「私は、アリス・天珠院・ホシュベリー。【Cutie Poizon】のリーダーを務めてるわ」
アリスは、ただ何気なく自己紹介をしていた。これまでと表情も変えず、ただ端的に己がどのような存在なのかを、本来の仕事を踏まえて紹介したに過ぎない。
だが──
「っっっ……!!」
「あ、あぁ……!!」
「……っっっ!!」
「うっく……!!」
「ぴゃっ……!!」
清蘭、音唯留、白千代、エデン、エルミカ。
5人は思わず後ずさり、一瞬にして冷や汗が顔に浮かぶほど威圧されていた。
"日本一のアイドル"である【アポカリプス】がいなければ、日本の覇権を握っていたのは間違いなく【Cutie Poizon】──アリス達を知る者なら、誰もがそう言う。さらに言えば、アリスはアイドルとして技術も精神性も完成の域に達している九頭竜倫人が"もしも女だったらこうなっていた"と言わしめる程の存在。
つまり女性アイドルの究極形、それがアリスであった。その偉大さや凄さを、清蘭達は先の自己紹介の際に本能的に感じ取っていた。なおアリスのことを本当に知らなかったのは清蘭だけだったが。
「あら、怖がらせちゃってごめんなさい。別に威圧するつもりはなかったのだけれど……''スイッチ''が入るとどうもこうなってしまうわね」
アリスがそう言うと、"スイッチ"を切ったのか彼女から放たれていた圧倒的な威圧感は途端に消えていて。清蘭達は全身にのしかかるような重圧感から解放されていた。
「あ、あんたさっき【Cutie Poizon】って言ってたわね。アイドルしてるんだ?」
「そうよ。一応、【アポカリプス】の次くらいには人気なつもり。まぁ、清蘭ちゃんに知られてなかったから、まだまだ頑張らないといけないわね」
「そ、そんなことないですよ! アリス様は既に"日本一のアイドル"に最も近い存在じゃないですか!」
「そうデスよ! アリス様を知らない女子高生なんて、清蘭先輩くらいデスよ!」
「えっ、そうなの?」
エデンとエルミカのフォローに清蘭はアホ面を浮かべるも、「いいえ。私も精進しなきゃね」とアリス。
「ところで、あなた達はアイドルなの?」
しかし、微笑みのまま空間が凍りつくような雰囲気をアリスは再び放っていた。憧れの存在を目の前に瞳を輝かせていたエデンとエルミカも、すぐさまその光を消して真剣に向き合う。
「そ、そうよ。とは言っても、まだデビューもしてないんだけどね」
「そう。これからデビューする予定なのね。それはまぁ、将来有望ね。あのスペシャルルームを使えるのは、プロの中でもひと握り……それを今日来たその日に使えるなんて、期待されている証だわ」
微笑みを浮かべたまま、清蘭達の隣を通り過ぎていくアリス。ゆっくりと清蘭達もその後を追うと、彼女の背中は温かな夕陽に照らされていた。
「でも……''日本一のアイドル''には、決してなれないわね」
振り返りそう言ったアリスの顔は、初めて微笑みをなくしていた。
雰囲気に相応しい、凍りついた真剣な表情。それは、清蘭達に身震いをさせたのは言うまでもなく、「どうして」や「何故」と言った反論の言すらも抑え込む。
「理由を教えてあげましょうか。それは、あなた達が既に''私に魅せられているから''よ。アイドルとは、見てくれる者を魅了する存在であり、自らが作り出す世界に相手を惹き込まなきゃいけない。あなた達の目を見れば分かるわ。あなた達は、私に魅入られて、恐れていることが」
それまでと同じなようで、同じではない微笑み。妖しい笑みと言えば良いのだろうか。
ともかく、この世のものならざる笑みを浮かべ、アリスは続きを話す。
「その反応は見る者、観客としてアイドルの世界を楽しむという立場であれば、全く構わない。だけれど、あなた達は観客ではなくアイドルそのものを目指している。しかも、ただのアイドルではなく''日本一のアイドル''を。……それなのに、自らではなく他の者の作り出す世界に酔ってしまうのは、勝負の前に自らステージを降りているのと同義。よって、あなた達は──''日本一のアイドル''にはなれない。自らの世界すら作れない者が、世界を変える者にはなり得ないのよ。絶対に、ね」
何気ない会話をするように、真実を、現実を皆に教えるアリス。その言葉の数々は非常に重く、そして皆の心の芯に鋭く突き刺さっていた。
スペシャルルームを使わせて貰えるのだからどんな人物なのかと思えばこの程度。アリスは見当違いだったかなと思いつつ、ショックを受ける皆を一瞥すると部屋を後にしようとした。
「好き勝手……言ってんじゃないわよ」
その時、誰かがアリスに向かってそう言った。
震える声が耳に届いたアリスは足を止め、後ろを優雅に振り返る。
もちろん、声を発したのが誰なのか分かっていたし、恐らくその性格から噛みついてくるだろうとアリスは思っていた。だからこそ、振り向いた時にこちらを睨みつける顔が1つだけだと思っていた。
「……!」
しかし、それは間違いであった。
アリスの目に飛び込んできたのは、先ほど自らを止める声を発した清蘭……だけでなく。
明らかにショックを受けて失意のどん底にいたはずの他の4人、音唯瑠、白千代、エデン、エルミカもで。
5人全員が、闘志を燃やした顔をこちらに向けていた。
「悔しいけど認めるしかない。あんたは……凄い。言葉の節々から、それが分かる。あれだけ言ってのけることをやって来たんだなって、あたしも直感で分かった」
「……でも、あなたの言葉で目指すのを止めるほど、私達の決意は弱くはありません。私達は、''日本一のアイドル''になるのを決して諦めません」
「す〜ごい努力が要るのは分かるよ。ボクも、今日だけで''日本一のアイドル''の大変さがす〜ごく分かったし。でもだからこそ、やっぱりなりたいなって思ったんだ」
「あなたの言葉はごもっともです。しかしながら、わたくし達の本当のパフォーマンスを見る前から決めつけるのは時期尚早だと思いますよ」
「ワタシ達は、もう決めてるんデス。誰に何を言われようと、世界中から無理だって笑われても……なるんデス。''日本一のアイドル''に、倫人様のように」
目の前の5つの眼差しは、それまでは微塵も感じられなかった''強さ''を秘めていた。
吹雪の中にあっても、決して消えない強い火。それらが集まり炎となって、いずれは──世界を照らす光、太陽となる。
そんなイメージが一瞬頭を過ぎったアリスは、清蘭達に最後に尋ねた。
「……なるほど、面白いわねあなた達。デビュー前、だったかしら。グループ名を聞かせてもらおうかしら」
「はっ! 耳の穴かっぽじってよーく覚えときなさい! あたし達の名前は──」
いつものペースを取り戻した清蘭がグループ名を口にしかけた瞬間、他の皆も同様に自信満々に名前を口にしていた。
まるで、宣戦布告をするかのように自分達のグループ名
──────【12345!】──────
を。