ゴールデンジムでの邂逅
「──お疲れ様ですッッッ!!!!! これにて特別メニューは終了でございますッッッッッ!!!!! 881プロの皆様ッッッッッ!!!!!」
特別メニューの指導を終え、何故か自身も汗まみれとなり、ただでさえ筋骨隆々の肉体がさらにパンプアップしている所長。
それは紛れもなく指導に熱が入っていた、ということの証であった。元来手を抜かず、笑顔を忘れず、誰に対しても真剣に真摯に指導をしてくれる。そう言った点においてゴリラのトレーナーの腕は確かに超一流だった。
「ハアッ……ハアッ……ハアッ……ハアッ……!」
「ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……ゼェ……!」
「ハァ~……ハァ~……ハァ~……ハァ~……!」
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……!」
「ゼェ……ゼェ……ゼェ……ゼェ……ゼェ……!」
──しかし、それは皆にとってあまりにも早過ぎた"世界"であった。
元から体力に自信のない音唯瑠や白千代は当然、激し過ぎる特別メニューのトレーニングで全ての体力を使い果たしていた。だが2人だけでなく、無尽蔵と思われるような体力を誇る清蘭、倫人の指導を経て大きく実力や体力を上げたエデンやエルミカでさえも、立つことすら出来ないほど疲弊をしていた。
「いやはや流石は雄和太様がご紹介されるだけはありますッッッッッ!!!!! まさか特別メニューを最初から最後までこなされるとは感服の極みッッッッッ!!!!! どれだけ体力に自信のある屈強な男性でもッッッッッ疲労のあまり途中で失神されることは必至ッッッッッ!!!!! いやはや感激感服感動ゥゥゥゥゥッッッッッッ!!!!!!」
気持ちを昂らせたゴリラは両腕を高く突き上げた後にマッスルポーズを取っていた。日も傾き始め、是部屋全体がガラス張りとなっているので夕焼けも差しかかる。
それにより、ゴリラの黒光りの身体がさらに輝き、妙な綺麗さを誇るようにもなっていたのだが。
「ハアッ……ハアッ……ハアッ……ハアッ……!」
「ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……ゼェ……!」
「ハァ~……ハァ~……ハァ~……ハァ~……!」
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……!」
「ゼェ……ゼェ……ゼェ……ゼェ……ゼェ……!」
それをほんの少しでも堪能する余裕など5人にはなかった。
もう瞳は疲労と酸欠により今すぐにも暗くなりそうな程であった。ただ身体が欲するままに酸素を取り入れ、呼吸をするだけしか今の5人には出来ない。当然、そんな状態ではゴリラの話す内容はおろか声すらも耳には入っていなかった。
「ムムムムムッッッッッ!!!!! おっと失礼致しましたッッッッッ!!!!! 感情が昂るままに話し過ぎてしまいましたねッッッッッ!!!!! すぐさまマッサージをして疲労を回復させなければなりませんねッッッッッ!!!!! それではマッサージ要員を呼んで来ますねッッッッッ!!!!! ……って言ってもマッサージ要員も私なんですけどねッッッッッズコーーーーーッッッッッ!!!!!」
よほどテンションが上がっているようで寒いノリツッコミも披露するゴリラ。誰一人笑うどころか反応もしてくれないが、そんなことを気にする彼ではない。
汗まみれで息を切らし、さらにはトレーニングウェアで露出も多めな美少女。そんな皆の姿を目にしてもゴリラは一切躊躇いを見せずに淡々と業務をこなすべく、自らの腕に軽く皆を乗せると運び出していた。
「ハアッ……ハアッ……ハアッ……ハアッ……!」
「ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……ゼェ……!」
「ハァ~……ハァ~……ハァ~……ハァ~……!」
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……!」
「ゼェ……ゼェ……ゼェ……ゼェ……ゼェ……!」
「皆様もう少しの辛抱ですよッッッッッ!!!!! マッサージが終わったら極上のプロテインジュースを振る舞いますのでッッッッッ!!!!! 私特製の超絶美味で濃厚な真っ白ミルク味──!!!!!」
そこまで言いかけて、ゴリラの勢いまみれの叫び声が突如止まった。
部屋中に反響を残しながらも、ゴリラはゆっくりとある方向を見る。
それは部屋の入り口で。そこには、"何者か"がいた。夕陽が生み出す陰影で姿がはっきりと見えないが、確かに人であった。
「……誰だ?」
その時、ゴリラの雰囲気は一変する。
明るくハイテンション増し増しだった声は低くなり、見た目の厳つさが持つ本来の声色となっていた。なるべく穏やかにしていた目つきも、今となってはハッキリと"敵"を睨みつけるそれに。
「今の時間、このスペシャルルームを利用出来るのは881プロの皆様のみ……。それ以外のお客様は、たとえ誰であろうとも予約なしにここへの立ち入りを許す訳にはいかない……」
侵入してきた"何者か"にそう告げつつ、腕にかけていた5人を下ろしていくゴリラ。
皆を床に降ろし切ると再び"何者か"の方を睨みつけ、構えた。その見た目に相応しい、仁王立ちによる臨戦態勢で。
「立ち去れ。今すぐであれば特別に許してやろう。あいにく、今オレは機嫌が良いのでな。さぁ、立ち去れ」
広背筋が鬼の顔となり、関節も組みかえて形態を変化させる。その様はまさに化け物、子どもどころか大の大人ですら身体中の穴という穴から液体を出してビビり倒すほどの迫力を放っていた。
しかし、そんな異様な姿を見せつけ退くように命じるも、相手には一切の動きも見られなかった。ただ不気味に黙り込み、モンスターゴリラを見つめるだけで。
「……フッ。言葉の通じない輩というのは、いつの時代にも存在するものだ……──後悔するなよッッッッッッッッ!!!!!!!」
笑みを零したかと思えば、今日最大の砲声を部屋中に轟かせてゴリラは仕掛けた。
戦車砲の直撃を受けても無傷という強度を誇る特殊防弾ガラスを遠慮なしにおもいっきり蹴り、音速の巨体と化したゴリラは鉄拳一撃。無法者に制裁と天罰を下していた。
「ムッッッッッッッ!!!!!!?」
しかし、拳に伝わってきたのは人体の骨が砕ける感触ではなくガラスのそれで。ゴリラは動揺せざるを得なかった。
完全戦闘形態と化した自身の初撃、初速が最高速に達するというゴキブリさながらの不可避のはずの一撃目を──躱された。
その事実を瞬時に理解し、同時に相手の戦闘能力の高さを修正すると、ゴリラはすぐに振り向きざまに一撃。
「そこだァッッッッッッッ!!!!!!!」
その後ろ姿を視界に捉えると今度は右足を横に一閃。衝撃波で部屋全体が軋んだ。
しかしそれは、またも相手に直撃していないことの証であり。それだけでも驚くべきことなのだが。
「~~~~~~~ッッッッッッッ!!!????」
さらに驚くべきことに、"何者か"は蹴りを放った右足の小指の上に立っていた。
わざわざそんな真似を、手間がかかりする必要がないはずのことをされたというのは、それだけ"何者か"には動きが見切られていて余裕があることの裏打ちに過ぎなかった。
「くッッッッッッッそッッッッッッッッ!!!!!!! 身体もってくれよッッッッッッッ、マッスル拳3倍だァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!!!!」
曲芸のようなことまでされては、流石にゴリラも激昂せざるを得ず。相手との戦闘力の差を生めるべくさらに身体をパンプアップさせ、仕舞いには身体から機関車のように蒸気も放っていて。
足を振り回し"何者か"を払いのけると、勢いそのままに追跡と攻撃を兼ねた動きで追い詰める。
「だだだだだだだだァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!!!! はああああああああああああああああああァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!!!!」
"アルティメットシカゴフットワーク"並の速度で追いかけながら、両腕両足を巧みに使いまるで竜巻のような猛攻を見せるゴリラ。
だが──当たらない。嵐のような連打の中で、相手は冷静に攻撃の1つ1つを見切り、必要最小限の動きで躱す。ゴリラほどの屈強すぎる身体の持ち主であろうとも大きな負担を強いるマッスル拳の3倍、長時間使用出来ないのは自明の理で。
「ぐぬぬぬぬくぅッッッッッッッッッ──4倍だああぁああああぁぁあぁあああああぁあああああァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
遂に、ゴリラは一気に賭けに出ていた。
己の出せる限界、マッスル拳4倍を発動。身体を3mほどくらいにまで隆起させ、さらには全身が真っ赤になるほどの熱量を保有し、運動能力を最大限にまで引き出す。
そうなってくると、最早ゴリラの攻撃は人間の技術を使ったものではなくなる。身体を丸めて自らを1つの砲弾とし、突撃を行うというシンプルなものとなるが、その威力は絶大で戦車すらも木っ端微塵にするほどであった。
「貴様はこの俺にィィィィィィィィィ倒されるべきなんだああぁああぁああぁああああぁあああああぁああああああァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
渾身の叫び、ありったけの根性。己の全てを込めた一撃で、ゴリラは"何者か"が避けられない体勢にまで追いこみ……遂に、直撃が叶う瞬間がやって来た。
「──流石ね、ゴリさん」
あまりにも、呆気なかった。
"何者か"は普段と変わらない話し方で呟くと、ゴリラの全力の一撃を軽く受け止めていた。特に焦ることもなく、涼しい声色が部屋を通り抜ける。
「なん……だと……!?」
常人なら気を失う程の激痛に襲われながらも、その痛みをゴリラは全く気にしていなかった。
自身の本気の一撃を軽く受け止められたという驚愕……ではなく。
その声から分かった、"何者か"の正体に、一気に頭が冷えるほどの驚愕を受けていたせいで。
「まさか……そんな……あなた様は……!!」
普通の人間サイズに戻り、自慢の黒光りの筋骨隆々も見る影の無い姿に変貌した中、驚愕に満ちた顔でゴリラは見上げた。
それまで目深に被っていた黒のキャップが落ちると、その中から夕陽を浴びて神々しい輝きを放つ銀色の髪が躍り出す。汗の粒が髪の至る所に付いていて、それがさらに美しさを引き立たせていた。
そのこの世のものとは思えぬ絢爛な優美さにゴリラは見惚れて言葉を失い。そんなゴリラに何者か"は話しかけた。
「ゴリさんこんにちは。トレーニングしに来たのだけれど」
額から流れる汗が酷く妖艶に。
そうして彼女は──アリス・天珠院・ホシュベリーは微笑みを浮かべていた。