今の自分でも出来ること
「んん……朝か」
目を覚ました俺は、朝であるかどうかを確認すべく窓の外に目をやった。
手っ取り早いのはもちろん時計を見ることだけど、時刻を確認するついでに風景も楽しむという一挙両得の為に、目覚める度に俺は窓に視線を送るようになっていた。
ベッドに付属しているスイッチを押せば、それだけで自動でカーテンが開いていく。初日は驚きもしたが今ではもうただの作業となっていて、俺は特に何も思うことなく日光との対面を待ち侘びていた。
「……雨か」
だが、それは今日も叶わなかった。6月に入り、例年通り日本が梅雨の時期に突入していたことで。
ライブの時とかの雨は冬はマジで勘弁して欲しいけど、夏場とかだと逆にテンションが上がる。だから雨自体はそんなに嫌いではない。
「でも……これだけ続くと流石に嫌になるよな」
窓に叩きつけられる雨粒を見つめながら、溜息混じりに俺は呟く。
何でも、ニュースを見ていると今年の梅雨は少し''異常''なのだとか。例年に比べ梅雨前線が活発で尚且つ停滞具合が凄いらしく、全国規模で毎日毎日雨が振り続けている。
6月1日に始まった雨空模様は、1週間経った今でも衰えを見せないでいた。そろそろお天道様が恋しいと思っているのは俺だけじゃないだろう。
なおSNSでは人工降雨で政府のインボーがーとか、ノアの大洪水の再来とか色々囁かれてるけど、中でも一番滅茶苦茶だったのは、この異常な梅雨が俺の怪我のせいだとする説だった。
「俺の怪我に天が号泣してる……ってバカバカしすぎんだろ。そもそも俺は天にはどちらかと言えば嫌われてる方だし……」
最早呆れ笑いすら込み上げてくる。
確かに俺は''日本一のアイドル''の九頭龍倫人で、老若男女問わず沢山の人々を魅了してはいるけれども、流石に自然界に影響を及ぼすようなことは……ないと信じたい。
しかし、この梅雨のせいで収まりつつあった''倫人様ロス''にどうやら第二波が訪れているのもまずい。ツブヤイターのトレンドでは梅雨を差し置いて早速1位になるくらいだったし。
「俺だって、出来れば今すぐにでも退院したいよ」
雨空を見上げながら、俺はそう口からこぼす。叶いそうにない願望を。
入院してからそろそろ1ヶ月が過ぎようとしている。先生の見立てでは骨折箇所のリハビリが出来るようになるまではまだまだ時間がかかるらしい。
一応それ以外の箇所の筋トレは毎日やってはいたけども、やはり肝心の骨折部分のリハビリが出来るようにならないと……。かと言って無理をして過負荷がかかると、結局また痛めて退院時期が伸びるだけだ。
改めて、自分のことを責めたくなる。
多くの人を悲しませてしまっていること。笑顔ではなく泣き顔にさせてしまっていること。
この雨空は見る度に、忘れかけていたその感情を思い出させる。雨のことを初めて嫌いになりそうだった。
「ん……?」
複雑な面持ちでいると、携帯電話が鳴っていることに気がついた。デビュー曲である『APOCALYPSE』の着信音が鳴れば、それは電話である証で。
「支倉さんからか……一体何だろう?」
支倉さんからの電話に俺は首を傾げるも、そもそもかなりの気分屋だから意図を考えてもあまり意味は無いと考えると、俺はすぐさま出た。
「もしも──」
「うぃぃす倫人ーーーっ! どうよ、最近元気してる? こんな雨だしカビとか生えてない? ガハハハハハ!!」
一瞬で切ってやろうかと思った。
こっちは大真面目に出たって言うのに、支倉さんと来たら真面目のまの字の欠片もないほどの品のない笑い声で、俺の鼓膜を破壊しようとしてきたのだから。
「……大丈夫ですよ。支倉さんこそ、こんな雨じゃ気が滅入るんじゃないですか?」
「ノープロよノープロ! アタシがこれぐらいで気が滅入るなんてこと有り得ナッシングの問題ナッシング!」
せっかく堪えたのに畳み掛けてくるなぁオイ。雨が続いて気が滅入ってるのは寧ろ俺の方か……苛立ちを見せないようにしないと。
「それで、何なんですか? 急に電話して来て」
「あーそだったそだった。後で''ココア''にも詳細送らせてもらうんだけどさ……倫人、仕事してみない?」
「……え?」
こういう時は、やはり支倉さんの声色からおふざけはなくなる。そしてそれが、嘘偽りのない言葉であることも知ってる。
だけど、この時ばかりは俺は自身の耳を疑った。何故なら、俺の現状を考えればそんなのは有り得ないはずの事で。
「……どういうことですか?」
「言葉通りの意味だよ。''アイドルとしての仕事''、そろそろやりたい時期かなーと思って」
「い、いやその前に、今の俺に出来ることなんて……」
「あるよ、倫人」
俺の疑念を、短い言葉で支倉さんは一蹴する。
それからは、俺は反論をせずにただ頷きの意を込めた言葉を返すだけになった。
「倫人は、これまで【アポカリプス】の一員として、他のメンバーの皆と共にしっかりと仕事してくれてた。学業との両立も大変だっていうのに、アタシ達大人の都合に振り回されるのにも関わらず、アイドルとして活動してくれて、遂には''日本一のアイドル''とも呼ばれるようになった」
「……はい」
「【アポカリプス】の子達は皆凄い。中でも倫人は一番ストイックで、一番責任感も強かった。たとえ観客が1人しかいなかろうと、超満員のステージでする本気のパフォーマンスと変わらないクオリティのものを魅せつける、それが倫人のイメージだった」
「……はい」
「今回の大怪我があって、自分の無力さをアタシは恨んだ。アイドル生命を左右するような大怪我を倫人に負わせちゃって、来る日も来る日も自分のことを責めたよ。でも同時に……良い機会かもしれないって、思ったんだ。倫人を休ませてあげられるって、どこか安心する自分もいた」
「……はい」
「でも、他の皆から聞く限りだと、アタシの考えは間違ってたみたいだね。面会してきた皆が、口を揃えて言うんだ──『寂しそうにしてた』、『歯痒そうにしてた』、『悔しそうにしてた』って」
「……皆が……」
プライベートで会いに来てくれた【アポカリプス】の皆の顔が浮かぶ。イアラ、優鬼、ShinGen、東雲達の顔が。
俺は普段と変わらない感じで接していたつもりだった。でも、苦楽を共にして理解を深め合った仲間達だからこそ、俺の本心は見抜かれていたのかもしれない。
そして……今優しく声をかけてくれている、この人にも。
「倫人、もう休むのには飽きたんでしょ? 悲しませたくないんでしょ? 誰かを笑顔に……させたいんでしょ?」
さらに優しく、そして静かに言った支倉さんの声は、雨の音に消えていった。
だが、確実にそれは。窓を穿つ雨のように、俺の心にすっと染み込んでいて。
「……はい。もちろんですよ。だって俺は……''日本一のアイドル''──九頭龍倫人ですから」
長らく入院生活で見せていたなかった''日本一のアイドル''としての笑顔。
それを自然に浮かべて、支倉さんに答えていたのだった。