倫人への電話
「り、倫人さんって、あの九頭龍倫人さんですか?」
「もっちろん! アイツ以外に誰が居んのよ。さってと、善は急げで早速倫人に電話電話〜っと」
「ま、待ってください!」
「わわっ!?」
思い立ったが吉日と言わんばかりにすぐさま倫人に電話しようとした清蘭に待ったをかけ、携帯を強奪する音唯瑠。
普段の控えめな性格からは考えられない大胆な行動に、清蘭は目を点にして不思議がっていた。
「ど、どうしたの音唯瑠……?」
「いやっ、そのっ、急に電話しては迷惑なんじゃないかなって……」
「あぁーそゆことか。だいじょぶだいじょぶ、あたしからの電話に出ないなんてことは許さないし、何回掛けてでも倫人には電話に出て貰うし!」
(い、いやそういう事じゃなくて……!)
どう言えば伝わるのか、音唯瑠は口をまごつかせる。話がそもそも噛み合っていなかった。
多少精神的な成長を見せた清蘭だったが、やはり心の根っこの部分はそう簡単には変わらない。人様の迷惑を考えたりすることはまだ出来そうになかった。
「だから音唯瑠は何も心配しなくていいよ! あたしに任せといてっ!」
「あっ……!?」
どうにかして説得する方法を考えていた音唯瑠。しかし、ほんの少しだけ注意を逸らしただけで、清蘭はその隙を突いて携帯を取り返していた。
「あっ、ちょっ、清蘭さんっ……!」と音唯瑠は精一杯の抵抗を見せるが万事休す。清蘭は既に''ココア''での無料通話で倫人に電話をし始めていた。
(あわわわ倫人さんごめんなさい……!)
ここまで来れば電話を無理に止めさせると清蘭は間違いなく機嫌を損ねる。故に、音唯瑠は心の中で倫人に謝っていたのだった。
''ココア''特有の着信音が鳴り続け、清蘭は謎のドヤ顔で、音唯瑠はハラハラとした様子で応答の行方を見守っていた。
「何だよ清蘭?」
そして、その時は訪れた。
携帯から聞こえて来た声は、清蘭だけでなく音唯瑠の耳にもしっかりと届いていた。
世間では''日本一のアイドル''として輝く男──九頭龍倫人の、力の抜けた声が。
「もしもし倫人ー? あたしだよ!」
「んなもん分かってるっての、画面にハッキリ書かれってから。で、何なんだよ清蘭?」
「あのねー、今あたし達のグループ名決めてんだけどさー、どんなのが良いかなーって中々決まらなくてさ。それで、倫人達の時はどうやって決まったのかなーって思って!」
「あーなるほどな。ってかいちいち声が大きいんだよ、もっとセーブして喋れよ……」
「何よそれ? あたしの可愛い声がよく聞こえてるんだから寧ろ感謝してよね!」
「はぁ……少しは成長したと思ったんだけどな……やっぱりカスなのは変わらねえな」
「何よそれ!? ってかまたカスって言った! 謝ってよ!!」
些細な一言から、清蘭と倫人は言い争いを始めてしまう。その様を音唯瑠は苦笑いを浮かべながら見守っていた──が。
「っ……!」
謎の痛みが、胸に生まれる。いや、心に。
(……何でだろう。胸が……ざわざわする)
痛みに襲われながら、音唯瑠は二人の言い争いそっちのけで謎の現象に困惑していた。
(何なの……これ? だって、清蘭さんと倫人さんはただ''いつも通り''話してただけで──)
原因を考えるだけで、音唯瑠はふと思い至った。痛みが生まれた理由に。
清蘭は倫人と''いつも通り''話していた。
''日本一のアイドル''としてでも、''ガチ陰キャ''としてでもなく、素の自分として清蘭と話していた。それは他の誰にも見せない、倫人が清蘭にのみ見せる一面であり。
そして、清蘭だけが知っている倫人の、ありのままの姿であった。
その事実を理解すると、胸が締め付けられるような感覚に加え、動悸も早くなる。ハッキリとした痛みが胸に生じていて。
(清蘭さんが、''いつも通り''に倫人さんと話しているだけ……それなのに、どうして私の胸はこんなに痛いの……?)
悲痛。それがとうとう顔に出てしまう。
唇を噛み、何かが溢れ出すのを必死に堪える。その場から逃げ出したい衝動すら湧いてくるが、それも何とか抑えて倫人の言葉に集中したかった……が。
(痛い。胸が──痛い)
それでも、胸の痛みは増すばかりで。服の胸元の辺りをぎゅっと掴み、音唯瑠は俯いてしまう。
(私……清蘭さんに……──嫉妬してる)
認めざるを得ない、二つの事実に音唯瑠は零れそうになった涙を必死に抑えた。
九頭龍倫人の''幼馴染''で、誰よりも素顔の彼を知っている清蘭。
九頭龍倫人の''クラスメイト''で、まだまだ彼のことを知らない自分。
自分と清蘭の立ち位置の違い、そして距離。それを、たったこれだけの短い電話の時間で思い知らされた。ドクンドクンと早鐘を打つ鼓動に合わせて、ズキンズキンと痛みも胸の中で脈打つ。
(嫌だ……こんなの……嫌だよ……!)
遂にその場にしゃがみ込んで、抑え込んでいた涙も溢れさせる音唯瑠。
倫人との距離、親友の清蘭に嫉妬を抱く醜い自分、黒い感情の奔流に飲み込まれ、どんどんと涙が零れていく──
「音唯瑠、大丈夫!?」
「っ──」
しかし、その呼び掛けで我に返っていた。
顔を上げれば、こちらを心配の眼差しで見つめてくれる清蘭……と。
「どうしたんだ能登鷹さん! 大丈夫か!?」
いつの間にかビデオ通話になっていて。
清蘭と全く同じ表情をしていた倫人が、瞳に映った。
「ぐすっ……倫人……さん……!」
「えっ、あの、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「あのっ……ぐすんっ……」
上手く言葉に出来なかった。出来るはずがなかった。清蘭に嫉妬してしまって泣いているなんてこと、倫人にも清蘭にも言えるはずがない。
寧ろ、こうして心配をかけてしまっているのが分かりやすい分、自分が情けなくて余計に涙が出てきそうになる。倫人の問いかけに中々返せないでいた音唯瑠。
「倫人……さんっ……」
「な、何だ?」
「名前っ……」
「えっ?」
「私の事っ……名字じゃなくて……名前で呼んでくださいっ……!」
音唯瑠は精一杯に声を振り絞った。
今の言葉、願いこそが音唯瑠の最大限であった。いや……音唯瑠としては願いですらなく、それはまるで子どもの我儘のようでもあった。
嫉妬しているのはバレたくない。かと言ってこのまま倫人との距離が遠いままなのも嫌。故に、音唯瑠は現時点で叶えられそうな部分から着手していた。
とはいえ、倫人も清蘭を目を丸くしたのは言うまでもない。突如泣き出したかと思えば原因不明のまま''名前で呼んで欲しい''と頼んだのだから。
物心ついた時から倫人から名前で呼ばれていた清蘭は、当然その意味は分からずキョトンとしていて。
そして、''日本一のアイドル''でありながらも女心は一切分からない健全な男子高校生でもある倫人もまた、音唯瑠の言葉の真意など分かるはずもなかった。
「倫人さんっ……お願いしますっ……!」
「あ、あぁ分かった! えっと……ね、音唯瑠」
清蘭以外の女子を名前で呼んだことなど仕事のファンサでしかなかった倫人。
その呼び方には多少のぎこちなさはあったものの、音唯瑠は初めて倫人に名前で呼んでもらえていた。
「……ありがとう、ございます」
ただそれだけなのに、胸の痛みも覆い尽くした闇もなくなっていて。
音唯瑠は涙を流したまま清蘭も倫人も思わず言葉を失うような笑みを浮かべていたのだった。




