思わぬ訪問者
「ふんふっふーん♪ ふんふふんふんふんふーんっ♪」
鼻歌を歌いながら、ベッドの上で仰向けに寝てソシャゲを嗜む俺。
こんな"日本一のアイドル"──九頭竜倫人の姿、拝もうにも拝めないだろう。どんな写真媒体にも出した覚えはないし……もしかすると案外需要あったりするかも? オフショット写真集みたいな感じで売り出せば売れるか?
「なんて、考えるのもちょっとした職業病だな」
ソシャゲを一時中断し、天井を見上げて俺は呟いた。
仕事のことを考えるのも大事だけど、今の俺の仕事は何よりも怪我を治すこと。下手に本業のことを考えると気が逸ってリハビリを失敗して回復が遅くなるかもしれないし……あまり考えないでおこう。
「とは言え、こんな生活の中じゃ考えちゃうよなぁ……」
そう言った俺の顔には、明らかに"飽きた"と書かれているに違いない。
今日は5月16日。入院してちょうど1週間となるが、俺は既にこの悠々自適の入院生活に飽きていた。
最初こそ人からの干渉は最低限で、自由をこの上なく感じることの出来るこの日々を満喫していた。普段"日本一のアイドル"として学業含めて多忙を極める俺だからこそ、その喜びはひとしおだった。
……しかし、俺は思い知った。自由や解放感、その喜びを噛みしめるには労働という制約が必要だということを。ただただ自由の中にいると、それが自由であるということを認識出来なくなり、そして……怠惰に飲み込まれる。楽しいという感情すら怠惰に飲み込まれて、寧ろ虚無感を覚えるようになってしまったりとか。
「せめて誰か話相手さえいてくれれば、なぁ」
退屈と怠惰、それを1人で解消する為の術を俺はあまり持ち合わせていなかった。ソシャゲもデイリースタミナ? とやらを使い切ると出来なくなるし、映画も見たいものはあらかた見尽くした。
だからこそ話してくれる誰かの存在を求めていたが、そう都合良く現れたりしない。まぁ【アポカリプス】の皆、支倉さん、能登鷹さん、シロさん、エデンにエルミカと時折電話してくれるおかげで暇すぎるあまりに干からびることはないが……それでも大体の話題は俺の回復を祈る所に集約されて終わる。
そろそろ、新しい刺激が欲しい。何か、劇的なことでも訪れたりしないのだろうか。
「【アポカリプス】の九頭竜倫人様、検温のお時間です」
「はい。よろしくお願いします」
なんて、そんなことが都合良く起きたりしないもんだ。
お昼の検温に来た看護師さんの声で、俺は現実に引き戻された。
「失礼致します。それでは、検温をさせて頂きますね」
「はい。よろしくお願いします」
病室に入ると、にこやかに微笑みながら声をかけてくれた看護師さんに俺も笑みを浮かべて応える。看護師さんはこうして毎日来てくれるけど、あんまり話したりしないんだよな……。やっぱり俺が"日本一のアイドル"九頭竜倫人だから、緊張してしまっているのがありありと伝わって来て──
「……!」
いつもの検温の時間。毎日行われているルーティンワーク。
故に、俺はそこで気づいた。その看護師さんの……異常ぶりに。眼鏡をかけて黒髪のお下げをした、一見地味な看護師さん。
思い切って、彼女に話しかけた。
「……あの、看護師さん」
「はい。何でしょうか?」
「随分と落ち着いているんですね。こう言うのも何ですが、"日本一のアイドル"を前にしても一切の緊張もしないなんて、驚きです」
「そうでしょうか? 私はアイドルの方にはあまり興味がないですので……あ、九頭竜様を貶している訳ではございませんので悪しからず」
「いえ。確かに仰る通りですから。アイドルに興味のない方も一定数いることも知ってます。ですが……僕を見て感情の波にブレがないという方とは、僕はまだ会ったことがないんですよ」
ピタっ、とそれまで淀みなく検温の為に機器を操作していた手が止まる。横からだと分かりにくいが、その表情は依然として微笑みを浮かべていたような気がした。
「では、私が初めてですね。まぁ世の中にはいらっしゃいますよ。神に愛されたとしか言えない、あなたほどの整った顔を見ても何の感慨も抱かない存在が」
「……確かにそうかもしれませんね。では、もう1つ。あなたは病室に入ってくる前に、俺の名前を言う前にわざわざ【アポカリプス】と付けていました。それまで、あなた以外の看護師さんは誰もグループ名なんて付けていなかったのに、です」
「……何が、言いたいのです?」
「あなたは、あれで最終確認を終えたんです。この病室にいるのが"日本一のアイドル"、【アポカリプス】の九頭竜倫人であるということを確実にする最終確認を」
俺を見ても感情の揺らぎを一切出さず。
そして、俺が"九頭竜倫人"であることを確認する為の【アポカリプス】付け。
ここまで来れば、それまで穏やかな雰囲気を発していた俺も真剣にならざるを得なかった。
「あんた、一体誰なんだ」
口調も変えて、俺は見た目地味看護師さんにそう迫った。実際には立ち上がることなんてまだまだ出来ないので、ベッドから身体を起こした状態で尋ねたのだが。
しかし、そんな俺の放つ迫力にも一切物怖じせず、看護師さんは未だに微笑みを浮かべていた。俺の質問が空間を穿ったまま、しばらく静寂が続くも。
「……ふふふっ。流石は九頭竜倫人、"日本一のアイドル"と言った所ね」
雰囲気や声色を変えたのは俺だけではなく。それはあちらも同じことだった。
これまで浮かべていた笑みとは別のそれを顔に浮かべ、彼女は続ける。
「てっきり、入院生活を送る中でフヌけるんじゃないかと心配して見に来たけれど……杞憂だったみたいね。良かった良かった」
そう言いながらパチ、パチ、パチ、とゆっくりとした拍手を俺に送ってくる。だが、その行為自体はどうでも良い。少し煽っているようにも感じたが、俺にとって重要なのはこの女性の正体なのだから。
「誰だって、聞いているんだ」
「まぁ、焦らない焦らない。早漏野郎はモテないわよ?」
「そっ……!?」
思わぬカウンターに、俺は一瞬だけ隙を作ってしまう。
その隙を、目の前の彼女が見逃すべくもなく。俺が驚愕したのとほぼ同時に彼女は距離を詰め、俺の頬に手を添えて顔を急接近させていた。
「っ……!」
「答え合わせの時間ね──倫人」
俺のことを呼び捨てにし、不敵な笑みを浮かべたままの彼女は。
自ら顔を剥いでいた。
一瞬ギョッとしたが、剥がされたその顔は精巧に作られたフェイスマスクであったことを知って。
そして……俺は正体を現した彼女の顔に、退屈も怠惰も破壊し尽くされるほどの衝撃を与えられていた。
「ふぅ……。全く、ムレて仕方がなかったわ。久しぶりね倫人、私よ」
──アリス・天珠院・ホシュベリー
【アポカリプス】がいなかったら、"日本一のアイドル"の名を冠していたとされる女性アイドルグループ
【Cutie Poison】の、リーダーだ。